エヴァンジェリンの話に、闇のマリアンヌは震えて動かない。
闇のマリアンヌ、いや、月の女神ルルクス。
邪神となってもなお気に入った人間への慈悲を喪失していない彼女は今何を考えているのだろうか。俺の思考は読まれるが、俺は思考を読めない。
かつての使徒。
奪われ、尊厳を踏み躙られ、それでもエヴァンジェリンは今ここにやってきた。
長い時を生きて死のうとしても死ねない、そんな生き地獄の中を狂うことも許されず、されど無気力になるわけでもなく、かつての主を見つけて終わりを求めている。
終わらせてやるべきだと思う。
俺のように苦痛を楽しめるならまだしも、そうじゃないなら地獄だ。
生きていくことが辛いなんてもんじゃなく、その場で死んでしまいたいと首を吊ってもおかしくないんだ。
俺は、俺が異常であることは理解している。
常人が俺と同じ生き方をするのは難しいこともわかっている。だからこそ、俺とは比べ物にならないほど苦痛を浴びせられ、それでもなお生きてきたエヴァンジェリンには報いてやらねばならないと思う。
闇のマリアンヌは、打ち震えたまま動かない。
「…………女神様が裁定を下す前に一つ聞きたい。いいか?」
硬直した場に俺の声が響く。
エヴァンジェリンは俺の瞳をまっすぐに見つめ返してきた。
「エスペランサは今もこの世界に興味があると思うか?」
「……わかりません。ですが、姿はしばらく見ておりませんので……」
ふむ……。
個人的な感覚として、エヴァンジェリンにはこれ以上苦しんでほしくないと思う。
本人も望まない快楽を受け入れ求めなくちゃいけないような身体にされているんだ。俺にどうこうする力もなければ、彼女の罪の意識を和らげることもでき…………ん?
……あれ。
神の力でああなってんだよな。
あれって闇マリの力でどうにかできないのか?
力が必要だってんなら仕方ないし俺が一肌ならぬ人肌脱いで苦痛に喘ぎ凌辱されるのも悪くない。胸一杯の憎悪と自己嫌悪で闇マリの力を増幅してやろう。
「…………できなくは、ないけど……。でも…………」
「……慈悲に感謝致しますわ。けれど、わたくしはもう、生きることに疲れたのです。わたくしが生きていればいずれ、主はここを思い出すかもしれません。そうなってはまたあの日々が……」
エスペランサ周りが不明瞭すぎる、か。
……魔王軍が現れた時も女神エスペランサは姿を見せなかった。その理由はなんだろうか。悲劇を好むからか? 魔王軍が世界を支配することを望ん……んん、そうだよな。
やっぱり違和感がある。
いくら最低な邪神とは言え、己の支配領域を塗りつぶされるのは不愉快なんじゃないか。
弱いが男である俺ですらその感覚があるんだ。
いくらたくさんの女性とえっちなことが出来ても誰一人他人に渡す気にはならん。
そりゃ妄想はするが実際にやる気には全くならん。
本当だ。
アリシアさんとかが他の男に抱かれてくれと俺に頼まれてドン引きしながら嫌々引き受けたと思ったら、次に顔を会わせた時には俺に対して興味が薄くなってて、いつしか顔も会わせなくなり……う、ウホホッ!! 寝取られだぁあぁ!!?
やはり選び放題の支配者になれば変わるのか?
そんなの寝取られ以外の何物でもないじゃないか。
真の支配者とは寝取られすら許容すると言うのか? もしそうだとすれば、俺は女神エスペランサに太刀打ちできないかもしれない。なんたる業の深さだ。邪神と呼ばずして何と呼ぶのだ。
「んー……おれもちょっと聞きたいんだけど、いい?」
「アニカか。どうした?」
「いやさ。そもそも【魔】ってなんなんだ? それって元々存在するのか?」
「……ええ。私がまだ月の女神として君臨していた頃から存在したわ」
「神なら簡単に打ち払えるもの?」
「そうよ。でも消し去ることはできなかった」
「それなら、神の力と混ざり合った【魔】ってのは、一体どれくらいの脅威になるんだ」
神の力と混ざり合った【魔】。
つまりこの森のことを指すのだろう。
「そんな強ぇ神様が世界を支配してたのに消し切れなかったのが【魔】とやらなんだろ。神魔とでも呼ぶべき状態の今の女神様は、数千年前より強力になってんじゃねーか?」
シン、と場が更に静かになる。
アニカは何か変なこと言ったかと慌てているが、闇マリは目を見開いていた。
「それは…………確かに、ありえなくはない。正直言って、全てが馴染んでるわけではないの。まだ不調って感覚があった。力が不足しているからだと思っていたけど……」
「……元々、神と混ざり合うようなものでもない。だから不調に感じているだけなんじゃないか? それこそ、エヴァンジェリンのように」
彼女は凌辱が魂に刻まれてしまった彼女は、なにもされていなくても常に犯されている様な感覚を抱いているそうだ。そんな状況にあっては精神的な不調は免れない。師匠に教えを受けた中で、メンタルの大事さは嫌と言うほど学んだ。
ていうかやっぱり、闇マリも闇マリで精神的に狂ってんだよな。
俺を痛め付けて苦しませることを悦び生み出される悪感情で力を付けることと、自分の気に入った人物達へ慈悲を向けながら彼女らが苦しむのにも容赦をしないことが両立している。
ぶっ壊れてもなお、ギリギリで神として生きている闇のマリアンヌ。
そんな闇のマリアンヌを慕う、数千年前の愛する使徒で俺と出会う前にえっちなことをしまくっていた女性。魂まで汚されてもなお闇のマリアンヌを慕って終わらせて欲しいと懇願してくるかつての愛人。
…………殺せないな。
「……我が使徒、でも…………」
「……エヴァンジェリン。君を殺すことは出来ない」
「っ!? な、なぜですの!? わたくしはもう、生きているだけで罪を重ね続けるのに……! それとも、背負っていけと!? これ以上、何を犯せば良いのですか!? もう、もう沢山です!!」
俺に縋りつく。
彼女がもう嫌だと思うのも当然だ。
なにせ、こうやって縋りついた今でさえ、彼女の意志によるものではないのだろう。顔が股間付近にあるし、悲痛でありながら上気した表情だ。
男の身体に抱き着く。
それだけで興奮している。
「見てわかるでしょう!? わたくしはこんなにも浅ましく低俗なのですっ! 殿方であろうが、奥方であろうが、ところかまわず欲情してしまう! これ以上生きていたくない! どうか、どうか終わらせてくださいまし!」
「ダメだ。少なくとも俺の女神様にはやらせない」
俺個人としては、彼女の絶望を終わらせてあげたいと思う。
けれど、ダメだ。
闇のマリアンヌにやらせるわけにはいかない。
「エヴァンジェリンを殺させたら、女神様はもう取り返しがつかなくなる」
しつこいようだが、闇のマリアンヌは間違いなく邪神だ。
いずれ世界を滅ぼすであろうことに疑いはない。
だが、それでいて月の女神ルルクスとしての性質も残っているのだ。
正に先程アニカが言った通り神と魔の混ざり合った神魔とでも呼ぶべき状態。恐らく神に傾くことは無いのであろう天秤が、危ういバランスで保たれている。
ここでかつての自分の使徒を殺させてみろ。
魔に傾くぞ。
今くらいの塩梅なら許せるが、これで闇のマリアンヌがガッツリ邪神に墜ちきって俺の仲間達に危害を加えるようになるのは見過ごせない。
「……わ、我が使徒。私は神なのよ? そんな、人の子みたいになるわけ……」
「なるだろ。震えてるぞ」
闇のマリアンヌの手を掴んでやる。
「エヴァンジェリン。これを見ろ」
「あ…………」
そしてそのまま彼女にも見せる。
元の姿すら忘れてしまっても、闇のマリアンヌは女神としての性質を忘れなかった。俺は、それを喪わせたくない。
「……ぁ……わ、わたくしは……」
震える手で、闇のマリアンヌの手を掴む。
「わたくしは…………死ぬことさえも、許されないのですね……」
「俺個人としては叶えてやりたいところだが、無理だ。闇のマリアンヌが邪神になってしまう。もう邪神みたいなものだが、それでも女神様だ」
「……ひ、一言多いのよ、我が使徒は……」
そう言って、闇のマリアンヌはエヴァンジェリンに抱き着く。
「……ごめんね、エヴァ。あの時助けられなくて。負けてしまって、本当にごめんなさい……!」
「……ルルクス様。よいのです。わたくしの力が足りなかったのが原因ですから。わたくしの方こそ、無様に負けて生き恥を晒して、申し訳ございませんわ……!」
方や邪神。
方や女神の使徒。
互いに穢され尊厳を失いながらも、こうしてまた出会えた。
今はそれでいいじゃないか。
「エヴァンジェリン。君の衝動については俺に妙案がある。後で女神様を交えて話をしよう」
「妙案……わ、わかりました。是非、お願いいたしますの」
悩みの種を放置もしないと言っておかないとな。
さ、とりあえず今は二人に……するのもちょっと危ないので、申し訳ないがこのままでいさせてもらおう。
「…………」
「……どうしたアリーシャ、そんな目で見て」
「……ううん。なんでもないよ、おにーさん」
一体どうしたんだアリーシャは。
別に変な事したりしないぞ。
うむ、相手が望んでいないことをするわけもない。
俺は紳士だからな。