「…………どうしてこうなったのかしら……」
アリシアは執務室にて頭を抱えていた。
王都から帰還しアリーシャの口撃を浴びてマリアンヌの報告に絶句しながらもまだ精神を保ちリーダーとして立ち振る舞おうとしていたヴァシリだったが、帰還したフィンの姿があまりにも事後で悲惨なものだった為に自分の行動を自覚し倒れてしまった。
あくまで精神的なモノであるためそこまで深刻ではなくすでに目を覚ましているが、とても政務や今後の活動に関する相談を出来る状態ではない。そのため彼女のことは超滅の面々に頭を下げて診てもらい、その間アリシアが代理を務めることにしたのだが……
「ええと……まず王都にいる聖女フレデリカとの会談を改めてセッティングして……王太子とシャルロット殿下にもご用伺いして……ああ、それとマーカス本部長にも予定詰めさせて……しまった、税支払い期限が迫ってるわね。【超滅】ホームは後でドレイクに声かけて、【払暁】は……無理よね……私がやっておかないと。あ、マーカス本部長から幾つか依頼こなしてくれって話きてたっけ。どこにあるのかしら。ええと、あと、セラフィーヌちゃん達にどう説明するか……二人だったらエスペランサ教から離脱してこっちについてくれそうだけど、最悪敵対さえしなければそれでいいのよね。一旦保留……やることが……やることが多いっ!!」
仕事が溜まっているのではなく、これがデフォルトの仕事量である。
忘れられがちだがヴァシリはそもそも世界中で暗躍してきた過去があり、幾つもの立場・名前・姿を利用している。その中には政治活動も含まれており、手作業での政務に数千年のアドバンテージがあるのだ。王都での業務は忙しいが、彼女にとって息をするのと同じである。
伊達に三千年も足掻いて運命を変えた女ではない。
「うーん、私どれか担当するよ?」
「アリーシャ……あんたはいい子ね……」
「どうせ将来的にやることになるしちょうどいいもん。アストレア姉さんは……いっか」
手伝いに来た妹に幾つか任せられそうな書類を渡す。
税金関係はともかく、王族への手紙などを出すにはなんの不足もない。
最近は爛れた生活を送っているが、そもそも彼女ら三姉妹はハイエルフの王女なので、本来ならばもっと丁重に扱われるべきなのだが、全員冒険者の身分で活動している上にそちらの名誉があまりにも大きすぎて王女であることを優先できないのだ。
下手に王族の方が白金等級・金等級冒険者よりも偉いと大々的に扱ってしまうと今後冒険者との付き合いで問題が起きる可能性がある。
冒険者との付き合いを何よりも大事にしてズブズブの線で繋がっている王国・冒険者ギルドの両者の利害が一致した結果であった。
「アストレアはねぇ……そういうこと教えられてないし。無理にさせるのもよくないわ」
「ま、そーだよね。どう考えても向いてないもん。好きな男に他の女が擦り寄るだけで手ェ出しちゃうんだよ? 政治なんてできっこないよ」
「あ、あんたそれ本人に言うんじゃないわよ……まあ事実だからしょうがないけど」
ため息まじりに書類整理を始めたアリーシャから視線を外し、アリシアもまた机に向き合ってから、ふと思う。
(──フィンくん、あれって本当に無事だったのかしら)
ヴァシリほどではないとはいえ、アリシアもフィンの姿には動揺せざるを得なかった。
あんな無惨な姿──見たことがないわけではなく、なんならフィン自身がそんなふうに染め上げているところを見たこともあるしされたことすらあるが──になって戻ってくるとはアリシアですらも思っていなかったのだ。
こう、なんというか……なんだかんだ言って無事に終わらせてきて、すっかり堕ちて目をハートマークにでも染めた聖女に腕を組まれながら、また新しい女落としたのね、なんて呆れることになるんじゃないかと考えていた。
それが、まるで乱暴を働かれたような……
「…………………めちゃくちゃ喜んでさえなければ、私も心配できたんだけど……」
あんなに胸いっぱいの幸せですみたいな感情を出されてしまってはアリシアに心配する選択肢はなかった。なんなら月の女神にして邪神のルルクスこと闇のマリアンヌすらも満更でもない感情だったので「あっこいつらヤってるわ」と理解してしまうのも仕方ないことだった。
「んーなになに? 姉さん愛しのおにーさんの話?」
「そーよ。あんな目に遭って悦んでるからどうすればいいか私もわかんな……あのね、愛してるとか言わないでよ。ヴァシリとかアリアとかマリアンヌちゃんに聞かれたらどうすんの!」
「え〜? 別にもうよくない? 全部巻き込んじゃおうよ♡」
「……私はそのつもりだけど、フィンくんが乗り気じゃないのよね」
ギッ、と椅子が軋む。
「フィンくん、やっぱりどうにもマリアンヌちゃんとかヴァシリとかに特別な想いがあるっぽくて……簡単に巻き込んだりとかはしたくないと考えてるのよ。だからこっちも、したくないならしょうがないかなと思ってるんだけど」
「…………まあ、おにーさんとしてはそうだろうね」
アリーシャは納得した声色で呟いた。
「姉さんは気がついてるかもしれないけど、おにーさんはもう壊れきってるから。おにーさんが壊れてなかった時期に大切に扱ってくれた人達でしょ、特別視されてるの」
「…………ああ……やっぱり、そういう感じ……?」
「私はそうだと思うな。あの人、自分のこと認められないんだよ。何があっても。どうなっても。そうなっちゃってる」
フィンの自己評価は壊滅的だ。
それはそうだと思っているからではなく、もう、それ以上変えられないのだ。
本能が、精神が拒絶している。
そうとしか思えないほどの鈍さだったのが、邪神ルルクスの登場で既に壊れきっていることを悟ったアリーシャは、フィンの自己評価に関して変えようがないと判断した。
(後はセリナにも結構本気な気配あるけど……これは言わなくていっか♡)
この情報を告げられて困るのはマリアンヌとアリアとセリナだけなので、最も適したタイミングまで隠すことにした。
「…………そうよねぇ……フィンくんはいい子だけど、闇がないどころか闇に全身が浸かってるし……」
アリーシャの言わんとすることを理解したアリシアがため息を吐く。
決して、それ以外の人達をどうでもいいと思っているわけではない。
ただそれ以上に大切に思っている。
ただそれだけ。
「……難儀な子よね、ほんと」
偶然極まったマゾだったからどうにかなっているだけだと理解している者は多いが、その度合いまでは人それぞれだ。もっとも深刻に受け取っているのはアリーシャで、その次に理解しているのはアリシアである。
フィンの出す負の感情も読み取っているのだから、決してフィンがなんとも思わない聖人君子ではないことを知っている。
知っていても深くまで理解することが出来ないのだ。理解することが出来てしまうからこそわからないと言うべきか。
極まったマゾだからなんとかなっているように見えて、フィンはどうにもならなかった。
この事実に気がついている者は、まだ多くなかった。
「…………あ。カルラとフィンくんがこっち来てるわね」
「あはっ♡ 我慢したんだ♡」
「今この場面でお風呂エッチしてたら、いくら私でもキレるわよ」
ただでさえ忙しかったのに本来のリーダーがダウンしたことで人手不足が加速している。エルフの長所を生かして他方への連絡を高速化できるが身体は一つしかないので処理自体は手間暇かけて行わねばならず、結果としてそこまで大幅な効率化ができるわけでもない。
「はぁ……聖女と闇のマリアンヌちゃんのことも考えなきゃ……祠の近くっていうか、神様の住む場所って何建てればいいの? 里にあった古い祭祀場とかでいいのかしら……」
「頑張ってね姉さん♡ 女神様になんか好かれてるしちょうどいいよ♡」
「……嫌われるよりはマシだけど……」
邪神に好かれるっていいことなの?
いやでも、邪神だけど、まごうことなき邪神だけどそこまで悪いことしてないし……
あれっでも元を辿ればヴァシリの死因ってあの使徒よね。
めちゃくちゃ邪神じゃないの……。
邪神に好かれるとか普通に破滅一直線じゃない……。
「…………私、この先どうなるのかしら……」
「普通に邪神の手先になるんじゃない? 大丈夫、世界が魔に染まったらお偉いさんだよ♡」
「今のエヴァンジェリンと何が違うのよそれ! いやよ、急変した闇のマリアンヌちゃんに凌辱されるのなんて!」
「それこそおにーさんに聞いちゃおうよ。女神様ってちん◯ん生えてるのって。ち○ちんでエッチしちゃったのって」
「聞けるわけないでしょうが!!」
「生えてたら……うふっ♡ 寝取られプレイできるね♡」
「しないから! ていうか寝取られなんて…………やるわけ……」
一瞬、過去のことを思い出したアリシア。
「…………血は争えないのね……」
「……なんだろう、姉さんと一緒にしないで欲しいんだけど」
◇◆◇◆◇◆◇
同時刻、王都。
「では、こちらが調査書類になるので、ご覧いただきたい」
「………おう」
静かに、だが、緊張で張り詰めた一室に複数の人間が集まっていた。
王国周辺のエスペランサ教最大権力者、エクトル枢機卿。
彼の隣に座るのは【廻天の聖女】セラフィーヌ、彼女を護衛する特務騎士が背後に控える。
エクトルより手渡された書類を確認するのは、【破砕の聖女】フレデリカ・ブラッドフォージ。
「…………ま、問題ないな。どうせそんなこったろうと思ったが……あのクソジジイ、適当ばっか言いやがる」
「……もしや教皇のことではあるまいな」
「そのもしやだ、クソジジイ」
エクトルの問いに対し嫌悪感を滲ませながらフレデリカは答える。
「怪物ババアのいる王都で暴れて来いと言われた時はいよいよこの組織も終わりかと思ったが、秘密兵器とやらがいるみたいでな。そいつがなんとかするから私はいつも通り働けって命じられてここに来た」
「秘密兵器……例の聖女か」
「おう。【天日の聖女】な。あいつがどうにかするって聞いてたのに、王国に入った瞬間消えやがった。こんな状態で作戦通りやれるわけもねえだろ。今回、私にやる気はねえよ」
「そうですかなどと言えるか──と、言ってやりたいところだが……嘘ではなさそうだ。こちらとしては、聞かなかったことにしよう」
「ハッ。お前はクソジジイの中じゃマシみてえだな」
「無駄な争いなど御免被る。私は、私の手の届く範囲で善行を働いていくつもりだ」
方や教団で最も破壊に特化した聖女。
方や教団で教皇に次ぐ権力を有する枢機卿。
そんな二人の睨み合いを、その隣の椅子で、青い顔で見物している女がいた。
名を、シャルロット・バーンスタイン第二王女。
最近外交の場に積極的に放り出されているようになった、将来の外交官見習いだった。
(…………ああ……胃が痛い……)
キリキリと痛む腹をそっと抑え、震えた手でティーカップをとり、味のしない紅茶で喉を潤して誤魔化した。