アリシアを追い出したヴァシリは一人黄昏ていた。
アリシアの秘め事。
フィンの秘密。
隠されていたことが明らかになり、その事実が受け入れ難いものであり、尚且つ想定していたものとは別方向で理解を拒むものだったからだ。
『その、フィンくんって、すごい……マゾなの』
『……………………マゾ……?』
『ええ。被虐で気持ち良くなる、というか、自分が被害に遭うことなら大体なんでも悦んじゃうタイプのマゾで……ね? それも、子供の頃から、そうみたいでぇ……』
それまで一度たりとも外に漏らすことなく隠し続けてきたフィンの性癖を暴いたアリシアは、その流れのまま肉体関係を持つに至り、更にその流れでフィンの奥底にある闇を理解していたという。
「もうちょっと他にあるだろ…………」
なぜよりにもよってそんな性癖を伝えたのか?
アリシアが説明するより先にヴァシリは理解してしまった。
フィンの職業は冒険者で役割は盾役、攻撃と治癒を担当する仲間を庇い己の肉体で敵の攻撃を抑える過酷な立場だ。
消耗品にして使い捨て。
盾役と流民は畑から取れるとまで揶揄されるほどに地位が低いのには、彼ら盾役が本質的に役に立っていないことが原因だった。
カルラやアストレアのようにモンスターを容易く屠る手段を有する者は冒険者として成功するし、そうではない者達であっても弓や槍の腕を磨きモンスターを倒すことが出来るのだが、盾役はそのような技術を有していない者が選ばれる。
盾役とは言っているが、つまりは、敵の注意を引くだけの囮。
冒険者ギルドを立ち上げたヴァシリとしてはそんな役目を生み出してしまったことに苦い顔をするが、自分が介入して解決できることでもない。
モンスターの注意を引くだけの囮である盾役は当然死亡率が高い。
だが盾役はいくらでもいるのだ。
大陸単位で食料事情が解決し、それでいて大規模な技術革新はヴァシリによって抑えられ、大都市は栄え娯楽や富に溢れているが、貧富の差は激しく広がっていた。田舎の楽しみは変わらず祭りや性行為くらいのもので、それに伴い人口が増え、飢えがないことにより人々は増え続ける。
戦争で多少減りはしたものの、王国が成立して以降は大乱もなく火種の時点でヴァシリが消しとばしていた為に情勢も落ち着き、小競り合いによる領土の奪い合いはあっても存亡をかけた戦いはなかった。
ゆえに文化は発展し、人は増え、しかし貧富の差は広がり続ける。
食うに困ることはないが家を継げないので出ていく子供が増え、結果的に盾役の需要が増していく。
そうやって消耗品扱いされる盾役においてフィンは著しい活躍を見せた。
というか、他に並ぶ者がいない。
ヴァシリらが王都へ帰還するまでは評判も悪く、『身体で取り入って女に守られている見た目だけの男』と陰口を叩かれていた。一定の実力を持つ者や眼の良い者には傑物だと評価されていたが、ギルドも懐刀として扱いたかったことや【払暁】の政治バランスが難しいことなども加味して積極的に庇い立てしなかった。
フィンはそんな環境でも腐らずに盾役として励み続けた。
驕ることもせず己の実力を俯瞰して決して油断しない。
現場で助けられた者も多く、周囲の女が目立ちすぎるので近寄らないが密かに想いを寄せている女も多い。
高潔で優しく農民出身ながら無礼ではない好青年。
今ではそう評価されているフィンだが、躍進の要因となったのが性癖だという事実に頭を抱える。
「これも私のせいか…………」
身に覚えがないとはとてもではないが言えない。
なんならフィンがマゾとしての自覚を持った原因も思い当たる節がある。
どう考えてもアリアに轢かれたことが原因だった。
あの時、悶絶しながら絶叫し這いずっていたフィンの姿はアリアにトラウマを植え付けるには十分であり、相当な苦痛だった筈。そうだというのに、幼馴染を特別だからって一人にする気はない──そう言って修行と称した拷問に身を投じたフィンの高潔さは、とても言葉で言い表せる者ではなかった。
「…………い、いや、まだだ。まだアリシアが嘘を付いて私を苦しませようとしている可能性がある」
アリシア本人が聞けば『私はどんな鬼畜なの?』と涙目になりそうなことを大真面目に呟いて、ヴァシリはやや剣呑な光の宿った瞳でじっと空を見つめる。
「…………フィンがマゾヒストだったとすれば、割と全て納得いくのがなぁ……」
死んだ目になってため息を吐いた。
「アリアを想う気持ちは嘘ではない。だがそれはそれとして性癖もあったんだろうな、私への弟子入りは。それは良いんだが……ううむ、ううううん……!!」
ぐぬぬぬと腕を組み唸る。
「決して……決してその程度のことで失望したりはせん。思惑より事実だ。フィンはアリアのためにと数年間励み、置いて行かれる際に、邪魔ではなかったかと悲しげに言っていたではないか!」
あれは間違いなく嘘じゃなかった。
本気で寂しそうにしていたとヴァシリにはわかる。
だからこそ余計にアリシアの告げがマゾヒストであるという事実を受け入れられなかった。
「…………どちらも本当のフィンだと言うことか……」
ヴァシリとて三千年の時を生きた猛者。
世が世なら仙人と呼ばれるような存在であり、受け入れられない事実を受け入れるのも早かった。他の者がショック療法(?)のような形で強引に捻じ込まれていたのに対し、ヴァシリは一つずつ咀嚼し理解し納得していく。
「いや、しかし、フィンがマゾヒスト……ぐ、ぐうっ……! あの子が、あんな、あんな倒錯的で理解し難い行為を悦ぶのか……!?」
幼い頃から世話をしてきた可愛い可愛い愛弟子である。
それこそアリアより可愛がっている節がある。
腹を痛めて産んだことはないが、ヴァシリとて女。
娘より息子を可愛がってしまう節はあった。
しかし、それでも心を鬼にしてアリアを優先した。
彼女は勇者であり、その運命に巻き込んだのはヴァシリ本人だから。
「ハァッ、ぐうっ、なんだ、この気持ちは……っ!?」
胸がズキズキと痛む。
フィンがマゾヒストだとアリシアが言っていた上にアリシアは肉体関係があると言っていた。つまり、あんなことやそんなこと、アリシアとフィンはしているわけで…………
つい先ほど、エヴァンジェリンに犯されて帰ってきたフィンを見たことで、より具体的な想像が脳に浮かんでいく。
かわいい愛弟子を誘い、マゾヒストだということを利用してやりたい放題するアリシア。
鞭を使い身体を叩き、頭を足で地面に擦り付けるような屈辱的なプレイ。
更に言えばかつてヴァシリが変態貴族を懲らしめた時に見たような、身動きを取れなくして熱したコテで印を刻んだり……まるでモノのように扱われながら悦ぶフィン。尊厳も何もかもを無くしたような姿で、それでも悦んでいる。
「や、やめろ……っ! フィンは、フィンはそんな子じゃ……っ!!」
己の頭に次々と浮かんでくる妄想。
顔を歪め、頭を抱えながら、ヴァシリは呻く。
自分達に隠れてアリシアと楽しんでいた。
そしてついでにその奥底にある闇も放出し息抜きついでにヌキヌキしていた……自分の盲目さと、真面目で高潔だと思っていた弟子が変態だったこと、そんな弟子に失望するわけにはいかないと理性で本能をねじ伏せようと争いながら、銀の髪を振り回し荒い呼吸で耐える。
「ふーっ、ふーっ、ふうっ、はぁっ…………!!」
脳破壊に耐えながら、ヴァシリは思う。
こんなこと、アリアになんと言えばいいんだ、と。
◆◇◆◇◆◇◆
「フィンくんにお話があります」
カルラとアストレアの両名に絡まれイチャイチャしていたところ、アリシアさんが戻ってきて突然真剣な表情で話し合いが始まった。
流石にイチャイチャしている場合ではないと悟ったカルラがお茶を用意しアストレアも興味なさげに、それでいてしっかり聞き耳を立てながらベッドに寝転んだ。
「話か。師匠に関することか?」
流れ的にそれしかないので察せる。
「そうよ。単刀直入に言うけど、もうこれ以上隠し通せないわ」
「…………それは、俺のことをか」
「ええ。フィンくんがマゾであること、私達とエッチしてること……もう隠せないと私は判断したわ」
そう言われてもなぁ……。
俺個人としてはやはり師匠達を巻き込みたくないんだよね。
別に巻き込んだ人たちが大切じゃないとかじゃなく、ほら、師匠とアリア、マリアンヌにはそういうのはちょっと……ね?
「というか、ヴァシリにはもう言ったわ。フィンくんの奥底にあるものを察してたから、順序立てて説明するためにマゾだってことと、私と肉体関係があることを伝えました」
「は?」
「え……」
思わず声が出た。
カルラが隣で何かを呟いた。
アリシアさんは口をぎゅっと結び何かを堪えるように俺を見ている。
師匠に言った?
どうしてだ?
なんでそんなことするんだ。
言う必要なんてないだろう。
どうせずっとこのままなんだ。
師匠やアリア、マリアンヌを巻き込む必要なんてない。
俺が受ければいいだけだろう。
どうして師匠を巻き込むんだ?
師匠をこんなくだらないことに巻き込むなよ。
なあ、おい。
ふざけたことするなよ。
師匠も、アリアも、マリアンヌも……俺如きの都合に巻き込んじゃいけないんだ。
俺があの人をどれだけ愛してるかわかってないのか?
世界中敵に回しても俺は師匠の味方でいる。
確かに俺は出来損ないだ。
周りに負んぶに抱っこの情けない男だ。
才能はないし度し難い性癖をしてるクソ野郎だ。
師匠からすれば、こんなのを弟子扱いすることですらリスクがある。
だから俺は必死に隠してきたんだ。
暴かれなければ生涯秘密でいるつもりだった。
なあ、おい。
アリシア、お前は俺の全てを奪うつもりか?
師匠には何も知らずにいてほしい。
知られたくない。
そんな思いすら許されないのか?
俺には何が許されるんだ?
俺の望みは何が叶うんだ?
師匠に知られたくなかった。
アリアに知られたくない。
マリアンヌに知られなくない。
この程度のことすら叶わないのか?
それとも、俺と師匠の間を切り裂こうとしているのか?
こんな俺を師匠が受け入れてくれると思うのか?
師匠がその程度のことで他人を差別するわけがないだろうが。
どうすればいい。
どうすればいい。
そうだ、死のう。
死ねば全て隠せる。
師匠には、そんな事実はなかったと伝えて死ねばいい。
アリシアもそうだ。
俺と一緒に死ねばなかったことになる。
なかったことにしよう。
それしかない。
『いただきます』
「っ……はっ、はっ、ふっ、っ…………」
「……フィ、フィン、そなた……」
気付けば、アリシアが滝汗を流し青白い顔をしている。
カルラもまた、怯えるような表情でこちらを見つめていた。
「……ね、姉さん、今…………」
「……詳しいことは後で話す。フィンくん、これからヴァシリとどうなるかわからないけど、悪くないようにするつもりよ」
「アリシアさんが言うなら仕方ないな」
師匠にマゾバレ、か……。
ふ、ふふっ……。
失望されるかなぁ、されたらもう、どうしよっかなぁ。
『お前みたいな変態は、私の弟子に相応しくない』そう言って師匠は俺に見切りをつけ新たな弟子を育て始め、やがてその子供達は凛々しい美男子に成長し師匠に愛を告げ弟子をそんな目で見ていない師匠を押し倒しやめろっと抵抗する師匠に若さと情熱で燃え上がらせ……ほっほおおおぉおおぉ!!?
それっそれ僕のっ!!!!!!
へこっへこへこっ!!
へけっ!!!
『あの、食事中に汚いイメージ見せないでください』
えっ何食ってんの!?
闇のマリアンヌが自由すぎて困る。
神としての力が充実してるのか普通に俺の知らないところで飯食ったりしてるしさぁ、やっぱりこれ、俺の知らないところで男と……おぼぼぼぼっ!?
師匠と合わせて脳が壊れちゃうっ!!!
「こ、これは……アリシア殿、一体……フィン、そなた、何が……」
「エッ……な、ナニと言われても」
ナニって、脳破壊される妄想して気持ちよくなってるだけだが?
怯えた表情でこちらを見る三人の美女。
ふふっ、お゛っ、やばいちょっと興奮してきた。
ところ構わず興奮する俺でも今はよろしくないとわかる。
「師匠のことはアリシアさんに任せるよ。それに、いつかはこうなると思ってたしな」
アリシアさんに言った時が全てだった。
俺はあの時、言ってもいいやと思ってしまった。
バレてると思ってたのもあるが、いい加減、誰かに理解して欲しかったんだろう。弱い男だから、誰でもいい、一人くらいは俺を見つけてほしい……そんな弱音を抱いてたんだと思う。
だから、アリシアさんには感謝してるんだ。
感謝してもしきれないくらいに。
その感謝の意を込めて伝えると、アリシアさんは変わらず青白い表情で、怯えた表情で頷いた。