フィンさん。
私の大好きなフィンさん。
頼りになって、紳士で、それでいて愉快な人で、私達のことを大切に扱ってくれる、理想の王子様。
綺麗な師匠がいて、かわいい幼馴染がいて、王女様から貴族、果ては冒険者に至るまで恋慕を寄せる女性がいる。
それなのに私達【払暁】を選んでくれた。
今の生活が大事だからと言ってくれた。
本当に嬉しかった。
この日々が永遠に続けば良いと思っていた。
いつか、あなたの足を引っ張らないようになるから。
どうか見捨てないで欲しいと思った。
私達を見捨てることすらあなたはしないけど、怖かったから。
フィンさんは、良い人です。
良い人なんです。
そう、だから…………出会ったあの日、実質的に修道院から追い出された私に無礼を働こうとした冒険者から助けてくれて……。
裏手に連れて行かれたフィンさんが、顔をパンパンに腫らして出てきたときは思わず泣いてしまった。私を助けた代わりに、フィンさんが暴行を働かれてしまったから。
世界が恐ろしいことは知っていた。
それでも、いざ自分にその恐怖が降りかかると、身体がこわばって動けなかった。
私の身体を抑える男性の手を掴んで、フィンさんは怒ってくれた。
しかも、守ってくれた。
怖さで泣いてしまった私に、フィンさんは、傷だらけの顔で微笑んだ。
あの日から、私はフィンさんのことが好きだったのかもしれない。
わからない。
でも少なくとも、あの日から、私はあなたのことを……孤児院のシスターと同じか、それ以上には信じようと思って…………
────思い出に、ヒビが入る。
初めて出会った時のフィンさん。
不安に感じる私に、同い年だからと気を遣ってくれた。
酒臭さにやられて気分を悪くした私に、これから慣れればいいと言ってくれた。
依頼をこなしていけば、フィンさんの身体は傷ついていく。
まだ背丈も低かった頃のフィンさんは盾に振り回されることもあって、モンスターの攻撃はもちろん、連携の最中に不手際が起きてカルラさんやアストレアさんに追わされた傷も多かった。
それを、私は癒しきれなかった。
治癒が未熟だった。
今でもフィンさんの体には当時に傷がたくさん残ってる。
私は、それを目にすると、後悔に襲われる。
あの頃、私がもっと優秀であったなら。
フィンさんを苦しませることなんて、なかったのに。
────ヒビ割れていく。
あの日、身を挺して私達を庇ったフィンさんのことが忘れられない。
雪中の急襲。
避けることもできず合同パーティーは壊滅。
血と肉片が散らばり、胴体から半身を分たれた冒険者。
真っ白な雪を染めた朱色が、吹雪く雪で隠されていく。
致命傷を避けたわずかな人を除き、即死だった。
生き残った者も戦闘できるような状態ではなかった。
急襲を避けて反撃したカルラさんは、手を砕かれ、潰された。
五体満足だったアストレアさんは攻撃が効かず、動揺していた。
私は…………反応できず、フィンさんに、守ってもらった。
私の代わりにフィンさんが傷ついた。
治癒をかける暇もなく、フィンさんはポーションを飲んでモンスターに突撃していった。
凄惨なんて言葉では言い表せない、地獄のような光景だった。
フィンさんが立ち向かう。
モンスターが嗤いながら腕でフィンさんを掴んだ。
盾を剥がされて殴られた。
転がった盾と同じ方向に投げ飛ばされたフィンさんは、腕をついて立ち上がって、その時に腕がもげた。
起き上がってすぐに蹴り飛ばされた。
雪の中を転がったフィンさんに、ゆっくり近付いたモンスターは、あの人の両手足を砕いた。
絶叫。
身動きすら取れない重傷を負ったフィンさんをそのまま手にかけることすらせず、モンスターは私達の前にフィンさんを連れてきて、目の前で甚振り始めた。
次はお前だと見せつけるようだった。
右腕を引きちぎった。
左足を噛み砕いた。
右足を根本から引き抜いた。
左腕は、半ばから千切られて、その辺に捨てられた。
それでもフィンさんは、諦めなかった。
俺が守ると言いながら、フィンさんは、何も無くなった身体で、這いずった。
モンスターの目線を誰にも向かせないためだった。
利き腕を潰されて戦意を喪失し怯えていたカルラさんを見、モンスターは醜悪な陰部を著しく膨張させていた。
私達の全員が末路を悟った。
こんな雪山で、誰にも知られることなく、このモンスターの陵辱されて死ぬのだろう、と。
それでもフィンさんは、動くことをやめなかった。
モンスターの足に近づいて、フィンさんは噛みついた。
煩わしそうにしたモンスターが、フィンさんを踏み潰した。
口から吐き出された血液には、内臓が混じっていた。
もう、やめて欲しかった。
モンスターにも、フィンさんにも。
これ以上苦しまなくて良いのに。
どうしてフィンさんはまだ抗うの?
この世界の理不尽は、いつだってそうだ。
人が一人で抗えるようなものじゃない。
このモンスターは災いの象徴だ。
諦めれば良いのに。
諦めて欲しい。
これ以上、傷つくあなたを見たくないから。
そんな風に考えた自分が、大嫌いだった。
何もできない自分が……嫌いで仕方なかった。
そんな私を守り続けるフィンさんのことが、大好きだった。
────割れた。
思い出が、崩れていく。
──〈深淵の森〉で巨豚人に攻撃されてる時とか、ルルクス様に首絞められてた時とかすんごい興奮してたの。
嘘だ。
嘘に決まってる。
フィンさんはそんな人じゃない。
フィンさんがそんな風に感じてるわけがない。
あの人は、そんなおかしな人じゃない。
そんな邪な感情で生きている人じゃない。
フィンさんが、そんな、マゾヒストで、苦痛で気持ちよくなってるなんて…………
「マリアンヌちゃん。かわいそうだけど、これが事実なのよ」
「はっ……はっ……はっ……」
心臓が痛い。
目がまわる。
息が辛い。
胸を抑えて少しでも楽になろうとしても、何も変わらなかった。
「フィンくんはドが付くほどのマゾで、女性に貶されるだけで興奮するし、なんなら男に殴られても興奮するの。日頃からずっと興奮しっぱなしよ。それはそれとして傷付いてはいるのが彼の難しいところなんだけど……」
「う、嘘だっ、嘘ですっ。だ、だって、そんなこと、あなたが知るわけがないっ!」
アリシアさんがフィンさんのそんな秘密を知っているわけがない。
だってフィンさんは私たちにすらその事実を隠してたことになる。
私たちに話さないのに、アリシアさんには話す?
そんなわけがない。
だって、もしそうなら、私達は──フィンさんに信用されてないってことで……
「ああ、私、感情を読み取ることができるのよ」
「…………」
「だからあの子が表情に全く出さないだけのスケベな男の子だと勘付いたのが全ての始まりね。実際は、そんなの氷山の一角だったんだけど……」
「…………かん、じょうを……?」
「ええ。信じてもらえないかもしれないけど、信じてもらうしかないわ」
感情を読み取る。
感情を、読み取る?
そんなの……信じられるわけがない。
でも、もしそれが事実なら……誰にも話さなかったことに気がついたことは、理解できる。
出来てしまう。
そんな──そんなの……そんなこと、言われても…………
「信じられるわけ、ないじゃないですか…………」
頭がおかしくなる。
フィンさんが実はマゾヒストで、それが分かったのは感情を読み取れるからで。そうして私達の知らないところで話が進んだ結果、あの聖女にフィンさんを差し出すことに賛成せざるを得ないような状況になった?
馬鹿げてる。
そんなの、納得できるわけがない。
私のフィンさんへの想いは、そんな軽いものじゃない。
他人の説明で納得できるような、簡単な女であるつもりもない。
「だって…………フィンさんがそうなら、これまでの全部が、おかしいんですよ。私を狼藉者から助けてくれた時も、身代わりになって暴行を働かれた時も、依頼で傷を負った時も、私の治癒が未熟でっ古傷が刻まれてしまって、そうだえっと、魔王軍の先兵に襲われた時も必死で抗ってて、私達はそんなフィンさんに助けられてっ…………」
どうして。
どうしてそんな目で見るの。
なんでそんな哀れんだ瞳で見るの?
やめてください。
まるで私が哀れだとでも言いたいんですか?
当たり前でしょう、こんなの。
信じられるわけがない。
信じる人なんていません。
フィンさんの全てを汚している。
私が信じるわけがないでしょう。
だって、それはフィンさんへの裏切りだから。
もし、私がこれを信じて、事実と違っていたら?
フィンさんのことを、あれだけ私達へ献身してくれた人に、そんな不義理なことをしたら?
どう思う?
どうなる?
いくらフィンさんでも、自分が盾役として過ごしている最中に突然マゾヒスト扱いされれば傷つくし憤るに決まっています。
だから私は信じない。
フィンさんがマゾヒストだって、自分の口から言わない限り、絶対に信じない。
信じてはいけない。
私は【払暁】の一人ですが、あのパーティーを管理しているんです。
大事な仲間に対する
「えっと……それより、本当の理由を教えていただけませんか? いくらフィンさんだって、そのような流言を流されてはいい気分にはなりません。私に教えてもらえれば、もう少しいい案をだせるかと」
「……ま、マリアンヌちゃん…………」
「私を騙さなければいけないと言うなら、騙されます。ですから、どうかそのような流言はおやめください。フィンさんがそんなことを言われて喜ぶわけがありませんから」
狼狽してる。
嘘だったんだ。
信じない。
そんなこと、絶対に信じたりしない。
もし仮に、そうだったとしても……私は、フィンさんに直接言われでもしない限り、絶対に、信じない。
それが私からフィンさんに示せる信頼の形。
フィンさん。
どんな事情があって、どんな作戦を立てているのか……深くは聞きません。
私とアリアンロッドさんを巻き込まないようにしたいと思ってくれたんですよね。そうじゃなければ、わざわざ私達二人を省くような理由もありませんから。
私は、あなたのことが好きです。
愛しています。
もしあなたが仮にマゾヒストであっても、私の愛は消えません。
優しいフィンさんのことですから、自分の名誉が傷ついても構わないと思ってこの作戦を承諾したんですよね。
もう、いつもそうなんですから。
もっとあなたは自分を大切にしてください。
「どうか、お願いします。嘘だと、言ってください……っ!」
ああ、やっぱり信じられない。
だってそれを信じても加点はない。
フィンさんを変態だと思うことに意味がない。
むしろリスクがある。
フィンさんに、私がフィンさんを変態だと思ったと知られたら、どうなるか。
そんな女だったのか。
こんな女を庇っていたのか。
払暁なんてもういらない。
俺は師匠とアリアの元へ行く。
言われる。
言われかねない。
私がフィンさんにあげられるものは、ヴァシリさんが全てあげられるものだ。
冷めた時、私はフィンさんに捨てられてしまう。
だって、私は、他のみんなと違って、この立場を失ったら、何もないんだから。
「嘘だって……言ってよ……」
アリシアさんは答えない。
視界が涙で滲む。
それでもじっと答えを待ったのに、返答はなかった。