偽アリアこと真紅の瞳の聖剣は、真っ直ぐな瞳で俺に言う。
「ボクと、アリアの身体でエッチしてくれないかな?」
その申し出自体はとても嬉しい。
散々自己評価がおかしいと言われてきたが、マリアンヌの言葉と聖剣の言葉で少しずつ理解できてきたような気がするんだ。
少なくとも嘘ではないだろう。
聖剣がわざわざアリアの身体を乗っ取ってまでエッチなことをしたいと嘘を吐いた場合損をするのはアリアだけだ。アリアが嫌いとかならわかるが、アリアのことも好きっぽいしなぁ。
それに、聖剣は俺の記憶を見てきたと言っている。
それはつまり、えっと、俺のどうしようもない隠してすらいないキモい自覚のある独り言を聞いてきたということで…………。
「……一つ聞いていいか?」
「うん、何でも答えるよ」
「…………俺の全部を見たのか」
「……う、うん。その、結構個性的だよね。アリアの後に見たからビックリしちゃった。でもね、勘違いして欲しくないのは、ボクがそんなキミのことを不快に思わなかったってことさ。何ならヒトらしさすらあって安心したよ。アリアの目から見たキミはあまりにも高潔すぎてこの世の存在とは思えなかったから」
そう言い重ねる聖剣は嘘を言っているようには見えない。
正直、とても信じられない。
俺は自分が気持ち悪い自覚がある。
だからこそこれまでずっと隠してきたんだ。
誰に肯定されるわけもない。
噂として流れた時点で俺の社会的な地位が終わる。
そのリスクを考えた時、そこまでして誰かに肯定されたいとも思わなかった。何より闇マリがいたからな。頭の中に棲みついた闇のマリアンヌが俺の全てを肯定しつつ否定してくれた。絶妙な塩梅だった。流石は邪神だ。
俺にとって、俺を肯定してくれたのは闇のマリアンヌだけだった。
それがいつの間にかアリシアさんに見抜かれ、暴露され(※した側)、なし崩し的にエッチした。
それでも自分の根底にある、この、言い表せない泥のような感覚が消えない。
「……キミが信じられないのも無理はない。幼い頃からずっと自分に言い聞かせて、街に出てきてからは自分を否定する出来事に遭遇し続けた。どれだけ強固な精神の持ち主でも疲弊し消耗する。でも、キミは自分に逃げ場がないことを理解していた。だから壊れることすら許容できなかった。捻れて歪んだ器を必死に自分で打ち直してきたんだ」
聖剣の言葉に、そうなんだろうと思う気持ちと、そんなわけがないと思う気持ちがある。
俺は強くなんてない。
選ばれた特別でもないただの凡人だ。
マリアンヌ、カルラ、アストレアの三人に比べて劣る凡夫。
何度喧嘩を売られた?
道を歩いてるだけで冒険者に絡まれたことは数え切れない。
何ならいきなり後ろから殴りかかられたこともある。
出血が止まらなくて、セリナに頼んで治療してもらったことすらあるんだ。
俺は、生きてるだけで周囲に迷惑をかけてきた。
雑魚は生きているだけで罪だ。
弱者は生きることすら許されない。
俺は弱者で、雑魚で、特別ではない。
そんな男が異常性癖を持っていて、なおかつ下卑た欲望の持ち主だったなんて知られれば……肯定されるわけがないんだ。
「そう思うだろう? けれど、キミはすでに特別な一人だ」
俺が特別?
「そうだとも。世界をいずれ魔で飲み込む月女神様を魅了した。これだけでキミを特別だと言ってもいいくらいだ」
「それは……闇のマリアンヌが選んだことだ。俺じゃない」
「じゃあどうしてキミを選んだんだい?」
そんなの……神の気まぐれ、神のみぞ知ることだ。
「神の気まぐれ、神のみぞ知ること。それでもいいよ。それならばボクはキミを神の気を揺らがせた男だと称賛しよう」
「…………それは……」
「事実、事実、全て事実だ。いいかい、フィン。キミの人生は辛く険しく常人が歩むことは到底不可能なものだった。キミにとっての人生はとてもじゃないけど喜ばしいものじゃなかっただろう。わかるとも」
そうだ。
俺の人生は何もかもが足りない中途半端なものだった。
アリアに轢かれた時に死んでいればよかった。
師匠の修行に耐えられなければよかった。
アリアを守れずあの場で死ねばよかった。
王都でセリナに出会わず死ねばよかった。
カルラに斬られて死ねばよかった。
アストレアの風で死ねばよかった。
マリアンヌの治癒が足りずに死ねばよかった。
魔王軍の尖兵に殺されればよかった。
そうすれば──俺は、邪神に出会うこともなく、死んでいたのに。
中途半端に前に進めたから。
進む意思があったからこうなったんだ。
「フィ…………フィン、さん……」
横に目線を向ける。
青褪めた顔でこちらを見るマリアンヌは、俺の目を見て怯えた声をあげた。
「俺は…………この世界が憎い。全てが憎い。滅んでしまえとすら思う時が、ある」
「そうだろうね。ボクだってそう思うよ」
「だけど、それだけじゃないんだ。何よりも憎いのは自分だ。力のない自分が憎い。アリアのような特別でもなく、師匠の弟子だと胸を張れない自分が一番憎い……!」
思わず力が入る。
抑制できない怒りが、抑圧し続けてきた溶岩の如き感情が湧き上がってくる。
「俺は……俺はっ!! 俺はどうしてこんな、何もない、凡人なんだ!? ずっとずっとそうだった! どいつもこいつも恵まれて! 俺だけだ! 俺たち持たざる者には生きることすら許されない! 俺は、この世界が大嫌いだ!」
農村から出てきた同い年の盾役。
クエストでモンスターに切り裂かれた腹部を雑に布で覆うだけで、痛みに呻いて眠りについた。翌朝、目が覚めたらそいつは死んでいた。
いつ自分がそうなるかもわからない。
恐怖ではない。
ただひたすら、早く救われたいと思った。
「ぇ、ぁ、ぁ…………」
マリアンヌの震えた声が聞こえる。
それでも俺の感情は収まらない。
「恵まれた人間も、恵まれない人間も、全員等しく死ねばいい。……ああ、そうか。あの時俺は、こう思ったんだ」
忘れていた。
尖兵に弄ばれたあの時、俺は世界を呪った。
自分自身も、世界も、何もかもを呪った。
だってあんな末路、許せなかったんだ。
師匠に育てられ、やっと仲間に認められるようになって、人生これからって時に理不尽が降りかかった。許せない。許せるわけがない。俺の人生は、いつだってうまくいかない。バカなりの努力なんて無駄だと嘲笑うようにいつも何かに横槍を入れられる。許せなかった。何もかもうまくいかない自分が、俺じゃあ何もできないこの世界が。
「こんな世界、とっとと滅んでしまえばいいって……!」
「キミは、そう思う自分のことも嫌いだろう?」
────…………。
「知ってるよ。全てを視たって言ったでしょ? ボクはキミの全てを見た。怒りも、呪いも、幸福も、喜びも……世界に鬱屈した想いを抱えながら、それでも光を胸に宿して進んできた。そうだろう?」
……………………。
俺は…………。
だって…………仕方ないだろ?
俺は、それでも……師匠の弟子なんだから。
「……世界を憎むのも、それでも世界を愛そうとするのも、どちらもキミだ。それでいい。たとえ世界が否定してもボクは肯定しよう。もちろん他の女性陣もそうだ。というか信じきれないかい? あんな獣欲をぶつけて、それでもなお受け入れるような女達を」
「そ、それを言われると弱い……」
「フフ、わかってるじゃん」
……まぁ確かにさ、あんなプレイに付き合ってくれるんだから今更疑うもクソもないってわかってるよ。それでも怖いんだ、踏み込まれるのが。
「怖くていい。恐れていい。手始めに、目の前にいるボクはどうかな?」
「……お前相手じゃもう、今更か」
「そうだろうとも! ボクはキミの全てを見た。見た上でキミと交わりたいと思う。どうかな、この世で最もキミのことを知った上で肯定してるんだよ?」
聖剣はそう言った。
…………俺の全てを、か。
確かに、話を聞いた後じゃそこまで気にならない。
むしろ少し楽になったような気もする。
俺の人生を呪ってもいい。
そんな自分を嫌っている自分すらいる。
自分の中身すらバラバラでぐちゃぐちゃな俺を、全て理解した上で聖剣は受け入れると言っている。
「…………苦しい。苦しいんだ。ずっと、どうしようもなく……」
頭の中に靄がかかって胸の内に錘があるような感覚。
闇のマリアンヌが現れてからは殆どないこの苦しみと、俺はまた向き合わなくちゃいけないのか。理解者のおかげで消え去っていたこれと、また?
いやだ。
もういやだ。
こんなのもううんざりだ。
楽になりたいんだ。
もう、苦しみたくないんだ。
だけど苦痛は心地いい。
俺はどうしようもないんだ。
気持ちよくて、苦しくて、心地よくて、辛い。
どうすればいいんだ。
俺は、どうすればいいんだ?
「少しずつでいい。どれだけ時間をかけたっていい。キミ自身を愛せるようになるんだ」
「……俺、自身を?」
「そうさ。受け止めきれていない自分への愛を認識して、自分を信じるところから始めればいい」
聖剣は近付き、そっと抱きしめてくる。
「ボクはキミを見捨てない。月女神様もそうだ。そこの巫女も、【払暁】の面々も、黒森人やアリアに森人達だって、みんなそうだ」
…………そうなのか?
俺は、見捨てられないのか?
こんなどうしようもない人間を、見捨てないのか?
わからない。
信じていいのか?
信じられない。
信じるとはなんだ。
仕事ならわかる。
盾役としてもわかる。
金等級冒険者としてもわかる。
師匠の弟子としても、わかる。
でも、俺個人を、信じる?
わからない。
否定するべきだ。
信じなければ傷つかない。
最初から否定しておけばいい。
そうすれば、俺の心は辛くならない。
これ以上苦しくならない。
これ以上心地良くならない。
もっと苦しまなくちゃいけない。
もう苦しみたくない。
もっと味わいたい。
もう、終わりたい。
…………ああ、そうか。
もう、終わることも、出来ないんだった。
「…………俺は……」
自然と口が動いた。
「憎い。全てが。多分、全部が……憎いんだ」
「……うん」
「でも、そんな自分こそが、一番憎い。綺麗でありたいんだ」
「うん、うん」
「……そう思い込まないと、綺麗であろうとすることすら、出来ないんだ」
「仕方ないよ。誰だってそう思う」
声色が変わった。
頭を撫でられた。
それは、ひどく懐かしさすらあった。
「…………誰にも、知られたくなかった。俺が、こんなに醜いんだってことを」
──……ああ。
そうか、これか。
俺が、本当に恐れていたのは、これだったんだ。
視線を上に向ける。
捉えた瞳は
「こんな俺でも……良いのか?」
「────もちろん。
当たり前じゃん、なんてアリアは言った。
「見た。見たよ。フィンの全部を見た。ごめんね。ごめんなさい。私、フィンのこと、全然わかってなかった。──でも、もう逃げない」
ぎゅっと抱きしめる力が強くなる。
「私は勇者だよ。世界を救ったんだ。幼馴染の一人くらい救えなくてどうするのさ」
「……そうだな。お前は特別だ。ずっと、俺にとって、特別で……」
アリアの背中に手を回す。
こちらからも抱き締めれば、さらに強い力で抱きしめ返される。
「……良いのか? 俺は……お前の見た通り、どうしようもない男なのに」
「構うもんか。それでも私はフィンがいい。フィンじゃないと嫌だ。文句ある!?」
ヤケクソじみた叫びだ。
アリアらしい、色気のない声。
だけど、それがどうしようもないくらい嬉しかった。
「──いいや、文句なんかない。あるわけない。あるわけが、ないんだ……」
トク、トク、トク……。
アリアの鼓動が聞こえる。
いい音色だ。
ずっと聞いていたい。
そう思った。
◇◆◇◆◇◆◇
……やれやれ、丸く収まったかな。
正直、上手くいくかどうかは五分だった。
フィンの記憶を見た時、もう取り返しがつかない状態だと悟った。
邪神がいなければ彼はまともに生きていくことすらできない。
もう二度と元には戻らないことを理解した。
そして薄氷の上で女達がなんとかしようと足掻いてることもね。
肉欲くらいしか彼を満たせるものがない。
感情が読めてしまうが故に森人はそう思ったんだろう。
事実、そうだ。
邪神が悪感情を吸い取る。
記憶ごと全て吸い取ることで彼は人として生きていた。
それを悟ってしまったんだ。
そしてフィンは壊れている。
壊れているが故にそれ以上の上がり目が一切ない。
よくもまあ、絶望せずになんとかしようとしてたもんだ。
フィンの記憶を直接見たボクでさえどうにもできないと思ったのに。
──アリアがフィンの全てを受け入れるかどうか。
ボクはそれに賭けた。
担い手が不憫だと思ったのも事実だし、代わりにボクがエッチしてやろうと思ったのも事実。それ以上に、アリアがフィンの記憶を見て受け入れることに賭けた。
キミは勇者だ。
世界を救ったんだ。
ならば幼馴染の一人くらい救ってみせろ。
かなり圧縮して見せたから大変だっただろうに、見終えたアリアは見違えたよ。魔王を一方的に打ちのめした時と同じくらい完成されてた。
これでいい。
これでいいんだ。
担い手は想い人と結ばれて、フィンもその苦痛からようやく立ち直る機会を得られる。そうさ、不満なんて何一つない、美しい決着だ。
だけれども────困ったなぁ。
ちょっとばかり寂しいよ。
アリアがダメでも、ボクが代わりに支えていくくらいの気概はあった。
だってのになぁ。
ダメだなぁ。
悔しいなぁ。
ボクも結構本気だったんだよ? フィン。