君は勇者になれる。
君は勇者にならねばならない。
君は世界を救える。
君は世界を救わねばならない。
師匠に出会って〈聖剣〉を手にしてから、私はずっと
身体の強さ。
〈聖剣〉の齎す力は強大で、私じゃ制御できなかった。
師匠がいたから力を抑え込み、その上自分の思うままに使えるように修行が出来た。
私は特別だったけど、最初から今みたいに強かったわけじゃない。
心が弱かった。
フィンみたいに、自分が痛い思いをするのも厭わずに危険に立ち向かうことが出来なかった。嫌だった。逃げ出したかった。だっていきなりやってきた偉そうな人に〈聖剣〉渡されて、君は勇者になれるって言われて、親元から離れて生活だよ。やってらんないよ。
でもまあ、結局フィンが来てくれて寂しくなくなったんだけど。
私はずっと特別だった。
だけど、そんな私から見て、フィンはもっと特別だと思ってた。
〈聖剣〉に選ばれたわけでもなければ、師匠に見出されたわけでもない。〈聖剣〉を手にする前の私と変わらない普通の身体で師匠の苛烈すぎる修行を五年間も耐えた。
自分から進んで家を出て、師匠と私と暮らす道を選んだ。
情けなくてよわっちい私のことを励ましてくれた。
ねえ、フィン。
フィンは私を特別だって言ってたけどさ。
フィンは自分を特別じゃないって言ってたけどさ。
私からしたら、フィンは誰よりも特別な人だったんだよ。
心の強さ。
人としての強さが別格だった。
私は耐えられなかったもん。
フィンを轢くまでの生活と、フィンを轢いてからの生活。
どっちも苦しくて仕方なかった。
辛かった。
逃げ出したかった。
だけどフィンは泣き言の一つも言わずに、私よりもよっぽど苦しい日々を送ってた。
だから勇気がもらえた。
私よりもずっと辛い目に遭ってるフィンがいる。私と違って〈聖剣〉によって特別になってないフィンが、ずっとずっと一緒にいてくれた。
だから──私はフィンのことを理解できていなかった。
ううん、理解しようとしてなかった。
フィンの苦しみを分かろうともしなかった。
表に出さないだけで苦しんでる。
当たり前のことだ。
フィンは我慢していただけで、辛くないわけがなかったのに。
誰よりも心が強かったから、フィンは隠せただけなのに。
──フィンの全てを見た。
私に轢かれた時。
師匠に弟子入りした時。
私達と過ごした日々。
襲撃してきたモンスターを倒した時。
置いていくことがわかって師匠に抱き締められてる時。
置いて行かれて王都に出てきて、苦労していた時。
見るだけで胸が張り裂けそうだった。
幼馴染が、大好きな幼馴染が苦しんでたのに、私は、私は師匠とぬくぬく旅をしていた。
自分が許せなかった。
憎しみすら抱いた。
フィンが世界に飲み込まれそうになりながら、それでも必死に毎日を生きているのに、私は師匠の庇護下で積み上げていくだけの日々を送っていた。
フィンの記憶は、見ているだけで死にたくなるくらい辛かった。
フィンは強いけど傷付いてない訳じゃない。
傷付いて、鬱屈した感情を抱いて、けれど現実を再認識して飲み込む。……まぁ、うん、ちょっと、マ、マ、マゾヒストだって意味もわかったけど。うん。ちょっとね? 何回か気を失いそうになったけど耐えれたもん。
そしてフィンは自分をも誤魔化した。
苦痛を心地いいものだと認識して自分の心を誤魔化してた。
……この原因は私だった。
あの日、フィンを轢いたことが全ての始まり。
だから私は、私だけはフィンのことを否定しちゃダメなんだ。
フィンを変えてしまったのは私なんだから。
誤魔化して、誤魔化して、誤魔化し続けて、いつもフィンは限界だった。
いつ死んでもおかしくない状態の身体。
いつ壊れてもおかしくない状態の心。
胸の中にずっと重苦しさがあって、一人になった途端過呼吸になって、死にたい、嫌だ、楽になりたい──フィンはずっとそうだった。馬小屋で横になって寒さに打ち震えながら、フィンは必死に自分を誤魔化し続けていた。
フィンの憎悪を見た。
フィンの慟哭を見た。
フィンの絶望を見た。
私は見るだけだった。
それ以上のことは何もできなかった。
目の前でフィンがバラバラに解体されていく様を見た。致命傷を負いながら、絶望を抱きながら、それでもフィンは、他人を助けるために必死になった。
見てるだけなのに、辛かった。
こんなに苦しいことはないと思った。
これまでの人生で一番切なくて、苦しくて、気が狂いそうだった。
両手足をもがれた幼馴染が、敵の気を引こうと必死になって、情けないことを自覚しながら、見るに耐えないって自覚しながら、それでも決死の思いで、それが全て無駄になるかもしれないことをわかっていながら、飛び跳ねてた。
本当に気が狂いそうだった。
そうして闇のマリアンヌちゃん……じゃなくて、邪神に魅入られたフィンは、壊れてた。
それまでと、そのあとじゃまるで違った。
フィンの心から重みは消えた。
フィンを苛んでた鬱屈した感情を邪神が吸い取ったから。
私は、それが悪だとは言えない。
言えるわけがないよ。
だって、間違いなくあの時フィンは死んでたんだ。
死ななかったのは偶然邪神がフィンを見つけたからに過ぎなくて、遠くにいて、呑気に魔王軍が現れたと意気込んでた私には言えるわけもない。
それからフィンは成長した。
その事実が余計辛かった。
だって、フィンの心にあった感情が消えた途端、フィンはこれまで以上に実力を伸ばしたんだよ。それってつまり、私がもっと早くに気がついてあげられれば、いや、一緒に来てれば今と変わらないくらい強くなってたかもしれないってことじゃん。
私も師匠も間違えたんだ。
致命的な間違いを犯したんだ。
だけど────だけど、それでも、私達はまだ終わってなかった。
もうとっくに手遅れで、どうしようもなくて、幼馴染の人生がめちゃくちゃになって、私の思い描いていた将来は訪れないけど……それでも今こうして、私はフィンのことを理解できた。
〈聖剣〉。
私を選んだ神の剣。
私の記憶を見て育った聖剣は、フィンを救うことを選んだ。
フィンを助けたいと願う私の思いを汲み取ってくれた。
なんかそれだけじゃない気もしたけど、まぁそれは気のせいだよね。
普通にフィンを寝取られそうになってたけど気のせいだよね?
私の身体でエッチしようとしてたけど気のせいだよね!?
『気のせいじゃないんだなぁ、これが』
む、むきっっっ!!!
『ていうか可哀想だし時間もないから見せなかったけど、あの子は周りの女とかなりアブノーマルなプレイをしまくってるからね。幼馴染のおっぱいじゃ騙せなかったし』
何してんの!!!!!??!!!??!
人の身体で何してくれてんの!!?!!?!??!
『はは、まぁ、ちょっと誘惑って奴をね。それよりアリア……覚悟はできた?』
──うん。
もう大丈夫。
全部見た。
見た上でわかった。
私はフィンのことが好き。
フィンがこんなに追い詰められてたなんて知らなかった。全部見たことも含めて謝る。だけど、フィンから離れるつもりもないし、フィンを歪めたままでいるつもりもないよ。
私は、フィンにも幸せになってほしい。
力も言葉も惜しまない。
だって私が原因だもん。
私が最初にフィンと出会ったんだ。
だから、フィンが歪んだ責任は取らないと。
なんてったって、私は幼馴染だからね!
『……ふふ、そっか。そうだよね。アリアは勇者だ。だけどそれ以前に、フィン・デビュラの幼馴染だ』
そうだよ?
それ以上に大事な肩書なんてないでしょ。
私の夢はフィンのお嫁さんだよ。
世界を救って王子の玉の輿なんて狙ったことないし、アピールしてくる男の人もどうでもいい。最初から最後まで私の目にはフィンしか映ってないんだから。
『──うん。それでいい。担い手アリアンロッド、キミを選んでよかったと心の底から思うよ』
引っ張られる感覚がする。
意識が遠のいたさっきとはまるで逆。
それと同時に、〈聖剣〉がフィンと交わした会話も頭の中に流れ込んできた。
フィンは苦しんでる。
邪神に吸い取られず、行き場のない感情に心を支配されてるんだ。
誰かがフィンを助けないと。
誰かがフィンに手を差し伸べないと。
誰も、誰もこれまでフィンの悲鳴に気がついていなかった。
気がついた。
私がわかった。
だからもう大丈夫。
フィン一人に背負わせたりしない。
これからは私も一緒だよ、フィン。
どうしてそう思えるのかって?
そんなの、私が幼馴染だからに決まってるじゃん!
◇◆◇◆◇◆◇
「──ってなわけで、フィンの記憶を見ちゃいました。ごめんなさい」
俺が落ち着いた頃合いを見計らって、アリアが頭を下げて謝罪する。
「いいよ、気にしてないから」
「う。それは、気にしてるやつじゃん……」
「……まぁ、そうだな。今更嘘を吐いても仕方ないし言うが、正直、死にたいと思ってる。アリアにそんなこと知られて生きていたいと思わないし」
「ひゅっ」
マリアンヌが小さく息を吸う。
だがアリアは真剣な表情で頷くだけだった。
「……でも、自分でも驚いてるんだが、案外これでよかったとも思うんだ」
これで俺が隠してた秘密は無くなった。
ああ、いや……この気持ち自体も、俺自身にすら隠そうとしてたことだ。闇のマリアンヌが言ってた。闇のカルラやらなんやらは俺が自前で用意したって。
いつだったか、闇の俺なんかも居たよな。
……そうか。
俺はずっとそうやってきたんだな。
胸の中にある苦しみ。
快楽として受け取り続けてきた弊害か、いや、それとも俺の本質はやっぱりマゾなのか。これが心地よく思えるんだから、やっぱり俺はもう手遅れだ。
それでも、悪くない。
「これからは、こいつとまた付き合って行かなくちゃいけないんだなぁ」
「……ごめんね。辛いよね」
「ああ、辛い。今すぐ胸の中掻っ捌いて洗ってしまいたいくらいだ。痛みも気持ちいいしちょうどいいな」
「ちょうどよくないよ!」
「わかってる、冗談だ」
アリアがジト目で睨んでくる。
「……んもうっ! マリアンヌちゃんが壊れちゃうでしょ!」
「えっ。な、なんでマリアンヌが?」
「は、はひ。へ、平気です。私は、私なんて、フィンさんに、比べたら……」
青白い顔でマリアンヌは微笑んだ。
「ああもうっ! 〈聖剣〉っ、マリアンヌちゃんにも見せれない!?」
ニュルンと聖剣が手元に現れるが、ピカピカ光るだけで何も聞こえない。
選ばれたアリアにしか声は聞こえないらしい。
「う、うう〜〜っ。見せるのが一番早いのにっ!」
「気軽に俺の恥を晒すのはやめてほしいんだが……いや、興奮するしそれはそれで……」
「こんなことで興奮しないのっ!」
「おほほっ!」
あ、アリアに怒られた!
しかもマゾらしく興奮したことを怒られた! ま、まずいっ興奮するっ! 興奮と絶望が心を渦巻いて消えてなくなりたい。
でも、こうやってすぐに打ちのめされて辛くなる俺が一番嫌いなんだ。
「うん。わかるよ、フィンの考えてること」
「……悪いな、こんな情けない男で」
「情けなくなんてない。ううん、情けなくてもいい。フィンが生きていてくれるだけで嬉しい。辛いことは、一緒に分かち合おう。切ないことは、みんなで笑い飛ばそうよ。私はフィンとそうやって生きていきたいんだ」
はぁ、アリア……。
お前、本当にさぁ。
ずるい女だ。
昔からずっと。
かわいくて、特別で、それでいて、俺のことを見てくれてさ。
ずっとずっと好きだったんだ。
初恋だった。
わかってるよそれくらい。
どれだけ鈍くても、現実から目を逸らしていても、わかるんだ。
「…………どうして師匠に弟子入りしたか、お前、見たんだろ?」
「…………え、えへへっ。うん。まあ、うん」
頭をガリガリかいて、逃がす先の無い感情が心に浮かぶ。
逃げたくなる気持ちをぐっとこらえて、口を開いた。
「…………好きだ。ずっと好きだった。将来一緒になると思ってた。それで、師匠に奪われたと思ったんだ」
だから弟子入りした。
だって、そう思っても仕方ないだろ。
アリアとはずっと一緒にいたんだ。
幼馴染でずっと一緒に過ごしてたのに、ある日突然知らんエルフがやってきて勇者だのなんだの。知らねーよそんなの。
俺は、アリアと一緒にいたかったんだ。
それが叶わないと知ったあの日、本当に、苦しかったんだ。
「……うん。見ちゃったよ、それも」
「……はぁ〜、消えてなくなりてぇ…………」
「ダメだよ。これからじゃん」
そうだなぁ。
これからだなぁ。
「フィンが消えてなくなりたい、死にたいって思った時は、隣に私がいるからね。すぐに手を伸ばすよ。フィンを一人にさせないために」
アリアの言葉一つ一つが染み込んでいく。
自分の弱さが憎い。
その気持ちは変わらない。
それでも、否定する心は変わらなくても、それでいいとアリアは言ってくれる。それを聞いて、胸の重みが少しだけ軽くなった。