【破砕の聖女】の調査に同行していたセラフィーヌは、何事もなく調査が終了したことに安堵していた。
突如として本国より到来した二人の聖女。
そのうち片方、最高位に属する【天日の聖女】は来国早々に姿を眩まし、【破砕の聖女】が矢面に立って調査を続けている。詳しい事情を何も聞かされてないセラフィーヌ、およびエクトルは裏側を【天日の聖女】が、表側を【破砕の聖女】が担当しているのではないかと考えていた。
裏側を担当しているであろう【天日の聖女】の動向が気になるが、そればかり気にかけていては【破砕の聖女】に怪しまれてしまう。
あまり大胆に動くこともできず、王国首脳人や冒険者ギルドと連携しながら彼女を歓待し調査に協力していた。
結果として異教徒の存在はなく、王都にて教団の強権が発動されることもなかった。
しかし──肝心の【天日の聖女】が戻ってこない。
なんなら王都を離れた連合パーティーからの連絡もなく、連絡を出来ない何かしらの事情があるのではないかと足踏みしてしまった。特にその戦力を把握しているエクトルやマーカスは『もしあの者達に何かあったとすれば、人類は何も出来ずに滅ぶだろうし邪魔をしない方がいい』という判断を行い接触禁止を言い渡していた。
結果、セラフィーヌとフェンナは王都での調査に心血を注ぐことしかできなかったのだが……
「……いい加減、連絡があってもいいと思うのですが」
セラフィーヌはため息混じりに呟く。
「ああ、例のコソコソやってるっていう冒険者共か?」
「何も後ろめたいことはしておりませんが、なんらかの緊急事態だったことはわかっています。おそらく、【天日の聖女】が関わっているのでしょうが……」
「そいつに関しちゃ私もよく知らねえ。どんな主義で、どんな強さで、どんな奴なのかを把握する前に消えやがったからな」
セラフィーヌに答えたのは、赤い髪を靡かせる【破砕の聖女】フレデリカ・ブラッドフォージだった。
調査を終えたものの、本来主戦力となる筈だった【天日の聖女】がいなくなったことで本来の目的だったエクトル枢機卿の失脚は望めなくなった。
【天聖】すら抑えられると教皇に豪語されていた【天日の聖女】がいるならと話を受けたが、さっさと消え去ってしまってはどうしようもない。男嫌いなフレデリカだが、無闇矢鱈に敵を作るほど愚かではない。特に目標だったエクトルが清濁併せ呑むタイプで決して己の欲望だけを優先するような愚物ではなかったことも大きく、彼女なりに認めたことで穏便にことが進んだのだった。
そして現在は、フレデリカ一人だけ帰るのもおかしいのでセラフィーヌと共に聖女として活動していた。エクトルの配下になるのはよろしくないためにあくまで本国から派遣された本国指揮下にある聖女として、だが。
「ま、私としちゃあ、
呆れた表情でフレデリカが言う。
最初は王族やエクトル、冒険者ギルド本部長などの権力を有した男を標的にやってきた彼女だったが、王国周辺の権力者が
現国王も次期国王であるレオン王太子も他者への敬意をもっており、王族という立場に胡座をかかず教団・冒険者ギルドとも連携し現実的な政策を打ち出している。流通の中心点であることを活かした莫大な資金の大半を投入インフラ整備から農耕工業への投資。これが出来る国は多くない、これが出来る為政者は多くない。
恵まれた出自ではなく、男に美貌を弄ばれてきたフレデリカにとって、現実と足元をしっかりと見て固めようとしながらも決して欲望のままに驕りたかぶらない姿勢は好感が持てた。
──存外、居心地がいい。
手当たり次第悪さをした男を成敗していた彼女だが、そもそも手を下す必要すらない場所に身を置いたのは初めてのことだった。
フレデリカのことを聖女と畏れつつも敬意をなくさない。
というより、強く美しい女性への対応というものが下々までに浸透している地域はこの世界において希少であり、ヴァシリが『将来的に王国が物語の舞台になるそうだしちゃんとしておかないとね』と
そうであったとしてもまともな教育を受けてないごろつきのような冒険者や増長した貴族などは稀に発生するが、そういった連中も反撃を受け手痛い代償を支払っている。
ヴァシリを筆頭に『手を出したら身分とか教えとか関係なく死ぬ』と思わされるような女性が多かったからこそ、自然と権力者達は自重するようになり、そういったことをあまり重視しない為政者が増えていったのだ。
王国の貴族に関しては金等級冒険者に手を出そうとして一夜で派閥丸ごと灰塵と化した記憶が強く刻まれているため、よほどの愚か者以外はやろうとすらしない。
「それは……難しいでしょうね。フレデリカさんまでこちらに来てしまっては、本国の影響力が薄まりこちらが独立した第二勢力として扱われてしまいます」
「今も似たようなモンだろ? お前がいて、【聖撃】がいて、あの食えねえおっさんがいる。枝分かれする流派としちゃあ十分だ」
「……教義とするものがありませんよ」
「ンなもん、弱者救済でいいだろ」
困り顔のセラフィーヌにフレデリカはあっさりと告げる。
「あの国の最下層で育ったが、教えやありがたい説法なんてモンは腹を満たさねえ。週に一度だけの炊き出しが一番ありがたかった。お前はそれをわかってる。それだけでついてくる奴らは大勢いるさ」
「……そう、でしょうか」
「ていうかそんな殊勝な態度すんなよ。それが出来ないなら聖女号なんていらねぇって蹴ってったんだろうが」
「そ、それは、若さゆえの過ちと言いますか……私も甘かったと言うか……」
慈悲を施すのにも金が要る。
その現実を思い知らされたのはエクトルに拾われてからだった。
教義よりも実際の救いをと本国から出たセラフィーヌだったが、実際には、そんな自分を支えてくれていた人たちがいたんだと知り己の恥じた過去があった。
「少なくとも、私はお前みたいな奴が苦しまねえようにしてやりたい。聖女なんてただの称号で飾りだが、こんなもんはな、使える時に使えばいいんだ。聖法国の影響がある場所ならなんだって出来るが、それがない相手にはなんの役にも立たねえ」
【聖天】相手には勝ち目がないと悟ったり、フレデリカは現実的な線引きが出来る。
その上で自分がかつてされたような理不尽を権力者や傲慢な支配者に行っているのだ。自分こそが支配者だと他人を犯していたような男が、更に上から理不尽に犯される。そうして無様に泣き叫ぶ姿を見るのが、彼女にとっての愉悦であり、在りし日の自分を慰める手段だった。
あの頃、自分を助けてくれる相手はいなかった。
だから自分で自分を助ける。
誰彼構わず噛みついているわけではなく、あくまで自分の牙が届く相手を選別しているのだ。
「魔王軍との戦いだって決して楽じゃなかった。諸国は軍隊を派遣したが、冒険者ギルドの派遣した連中は別格だった。一個大隊より【天聖】一人の方が絶対的に強い。ハイエルフの弓は遠い空の向こうまで届いた。【勇者】の一振りで山河が吹き飛んだ。あれの前に聖女の肩書が役に立つかよ」
「…………否定はしません。理不尽には、太刀打ちできない時があります」
セラフィーヌはかつて己が見た患者の中で最もひどい状態だった男を思い出した。
魔王軍の尖兵を名乗るモンスターによる襲撃。
冬の雪山で起きた惨劇は二十名近い死者を出し、なんとか生き延びた者の中で五体満足だったのは僅か二人だけ。
最もモンスターの注意を引き寄せた盾役は、生きているのが不思議な状態だった。
それから後になってから、男が神殿に駆け込んで来た時、彼女の頭は真っ白になった。
治療しきれなかった。
聖女とおだてられてきた自分の驕りを恥じた。
所詮自分はただの人間で、手の届く範囲ならば誰だって救える──そんな風に驕っていたことを自覚したのだ。
治し切れなかった人がいる。
継続的な治療をしても治せない。
盾役として身体を酷使している彼の身体はずっと限界を迎えていた。いや、限界を超えてしまった。内臓から両手足、果ては脳髄の一部までもが欠けた状態から蘇生できただけ良かったのだが、セラフィーヌはそれを己が未熟さゆえの過ちだと後悔した。
どうしてセラフィーヌがフィンに対して聖女だと名乗らず、愛称のセラとだけ名乗ったのか。
────知られたくなかった。
自分が、治療行為に失敗した聖女だと思われたくなかった。
王都にこの人あり、だなんて言われていた自分が、治療に失敗した上に、都度高額治療費を取っている事実が、彼女にとって何よりも辛かった。
ありがとうと言われた。
見苦しいものを見せてすまないと言われた。
苦悶に喘ぐフィンを見て、手が震えた。
自分が治しきれなかったせいで、フィンは苦しんでいると。
自分が完璧に治すことが出来ていれば、彼は資金難に苦しむこともなかっただろう。生活が苦しくなることも少なかっただろう。苦痛に苛まれることもなかっただろう。
セラフィーヌの、誰にも言えない後悔だった。
「だからこそ、我々が理不尽を生み出す側になってはいけない。私はそう思うのです」
「……ま、お前には言う権利がある。私は何も言えないさ」
「責めている訳ではないのです。フレデリカさんの、その、強引な手腕で救われている人々もいるのですから」
「そうかぁ? ヤってることはただの強姦だぞ」
「で、ですが、誰にも手出しできない相手ですので……で、でも、強引なのはいけません!」
「はいはい。こっちでヤるつもりはねーさ」
王国にやってきてから、下卑た視線を向けられることもなく身体を狙うような小物も極端に減りフレデリカの精神は非常に安定している。ゆえに、セラフィーヌの言葉にも苦笑して答えた。
「──ただ、なんの報告もねぇ聖女サマは気になるな」
姿を消したエヴァンジェリンと、音沙汰の無い冒険者達。
【天聖】を抑え込めると豪語されていた彼女が襲撃でもしていれば、今頃もっと騒ぎになっているだろう。
「そっちも事情はよく知らねえんだろ?」
「…………はい」
「なら、私が言うのもなんだが、聞きに行っていいんじゃねえか」
既に異教の調査は終わった。
王国に対してフレデリカも悪い印象を持っておらず、過激な行いもしていない。というか、こんな【天聖】のお膝元で単身暴れるとか正気じゃないと彼女は思っている。
「なにをそこまで警戒してるかわかんねーが、私は少なくとも一人で全部に喧嘩を売ろうと思うほどバカじゃねえ。勿論気に入らなきゃ吹っ掛けてたが、そういう連中でもなかった。ならこっちからヤることはなんもねえよ」
「……そうですね。もっともです」
「……つっても、あの聖女のことはよく知らん。私の知らない法則で動いてる可能性もある。エルフでもないのに長生きのバケモンだ。神の啓示とやらを本気で受けていても不思議じゃねえ」
「……神の、啓示…………」
セラフィーヌは、ヴァシリ達の慌てようを思い出す。
全員が言葉を失い即座に引き返して行った。
一体なにが起きたのか?
なにがあったのか?
それすら伝えられることなく、セラフィーヌは王都でフレデリカの相手を余儀なくされた。
結果的にフレデリカが穏健な態度を見せたことで何事もなく終わったが、もし【天日の聖女】が何かしらの企てをしていたら……。
────ズキン……。
一人の男の顔が思い浮かんだ。
そしてその姿が、また、かつてのような姿になった。
死体、その中でも悍ましい死に方を選ばされた苦悶の表情。
だけど生きている。
生きてしまった。
どうしてか、死ななかった。
あんな目に遭っても優しさを忘れない男のことが思い浮かんでしまった。
(…………何か、隠してるだけならそれでいいんです。なにもなければ。なにも……)
「あー……まあ、アレだ。私で庇える範囲なら庇ってやる。お前が信じてる相手なら、そう悪いことはしてねえだろ」
「……配慮、痛み入ります」
「ハッ。いらねえって。お前の知り合いにも同じようなことするかもしれねえんだぞ?」
「……お気遣い、ありがとうございます」
フレデリカはそう言うが、それが照れ隠しのようなものだとセラフィーヌにはすぐわかった。
だから微笑み感謝すると、フン、と鼻を鳴らして顔を逸らした。