君は勇者になれる。
君は勇者にならねばならない。
君は世界を救える。
君は世界を救わねばならない。
師はかく語りき。
この世界を救えるのは、君しかいないと。
────
──
────
アリアンロッド・モーナはごく普通の村娘だった。
畑に広がる黄金と同じ髪色に、感情豊かで活発的な少女。
目を覚まし、村で作られる小麦を使ったパンを食べてミルクを飲む。
食事を終えれば畑仕事をしている父の様子を母と共に見に行って、家族でランチ。
家に戻ってきて遊びに行って、隣の家に住む幼馴染と一緒にへとへとになって帰る。
そんな日々を過ごしているごく普通の少女だったが、ある日に両親と共に村長の家に行くことになった。
そこで待っていたのは村で一度も見たことのない、不思議な容姿の人だった。
『初めまして。君がアリアンロッドくんかい?』
褐色の肌に尖った耳。
女のアリアから見ても美しい身体を存分に見せつけているその女性はヴァシリと名乗った。
『じゃ、これ引っこ抜いてみて』
そう言いながらヴァシリは胸元から剣を取り出す。
ただしその剣は半ばから台座に刺さっている不思議な状態で、どうやって取り出したのか、どこにあったのか、そもそもそれは何なのかと子供ながらに頭がショートしたアリアはキョトンとしながら両親を見る。
『アリア。ヴァルバロイ様の言うことを聞きなさい』
苦笑しながら言う両親に、悪いことではないのだろうと思い改めて目を向ける。
鎮座する剣と台座。
無骨なデザインで特に目を惹く要素はなく、ただのロングソード……それこそアリアの家にあるものと何ら変わらないように見えた。
柄を握る。
台座に突き刺さっているのだから動く訳がない──そう思ったが、感触がおかしい。
掴んでいる筈なのに、掴んでいるかわからない。
確かに手に触れている感覚はあるのに、まるで重さを感じなかった。
引っこ抜いて。
そう言われたことを思い出し、アリアは剣を真っ直ぐ引き抜く。
台座はいとも容易く外れ、無骨なロングソードは瞬く間に姿を変えた。
光と共に粒子が集い柄頭から剣先に至るまで、黄金に変わっていく。
『わ……わぁ! きれー!』
『ワァッ!! あ、アリアッ! 振り回すのはやめなさい! 危ないから!』
長さも短くなりアリアが手にするにはちょうどいいサイズになった剣をぶんぶん振り回す。
その光景を見ながらヴァシリは冷や汗をかいた。
『い、一度回収させてもらおうかな』
ヴァシリが指を動かせば、アリアの身体はピタッと止まる。
そしてそのままスルスルと引き寄せて、またもや彼女の胸元へと吸い込まれていった。
『あっ』
『ふぅ…………まったく、聖剣を玩具みたいに軽々と扱うとは、勇者ってのは凄いね。いや、ホントに』
『せいけん?』
『そうだ。聖剣、またの名を女神の剣。とても扱いやすかっただろう?』
『うん!』
『それは君が特別だからさ』
『とくべつ?』
そう言って、ヴァシリが屈んでアリアと視線を合わせる。
『聖剣は特別な人間でなければ持つことすら出来ない。重たくて持つことも出来ないんだ』
こんな風にね────胸元から聖剣を引き出したヴァシリが、手に触れないよう慎重に摘まむように引っ張る。
よく見れば薄い紫色の何かが指から伸びて柄を掴んでいた。
『魔力を使って強引に動かすことはできる。でも、聖剣の真の姿を活かす事はできない。さっき君が手にしたとき、姿を変えただろう? あれこそがこの剣の本当の姿さ』
確かに今はさっきまでの無骨なものに戻ってる。
手を伸ばして柄を握れば、また光と共に剣が姿を変えた。
『そう。それこそが聖剣の真なる姿──本当は今から十年以上後に手にする予定らしいけど、まあ、ちょっとくらいズルしても……大局に影響はないでしょ、多分』
『? ずるい?』
『こちらの話さ。世界は単純かつ複雑でねぇ……言われた通りに世界中回ったけど、〈ふらぐ〉とやらがどうなってるのか知る術はないから、今どうなってるのかもわからないんだ。やれやれ、やっぱり死霊術を学んでおくべきだったかな?』
ため息混じりに語るヴァシリの言っていることは全然理解できない。
アリアはただの村娘だ。
齢五つの彼女に難しい話はわからなかった。
それを察したヴァシリは苦笑する。
『ま、細かいことはともかく。君は、勇者になるんだ』
『ゆーしゃ……』
『そうだ、勇者だ。定められた人、神に愛された人、この世界の主人公。決して煌びやかではない苦しい道を歩み、幾度も地獄を見て、それでも前に進み続ける……そういう運命だ。望まずとも、君には災難が降りかかってしまうんだ』
愛されている。
苦しい道を歩む。
地獄を見る。
前に進み続ける。
……よくわからないけど、苦しいのはいやだ。
痛い思いもしたくない。
だからとにかく嫌だと言おうとして、気が付く。
アリアを見るヴァシリの目が、先程までのものとは違い、睨むようなものに変化していることに。
──ガッ。
『ひっ……』
肩を掴まれる。
驚き、もう一度ヴァシリの瞳を見た時──睨むような眼ではなくなっていたが、そこには暗い昏い光が宿っていた。
『──君は、勇者になれる。
いや、ならなければならない。
世界を救える。
世界を、救わねばならないんだ』
──そうして、アリアンロッドは普通の村娘から。
【勇者】になった。
世界の主人公。
定められた人。
神に愛された人に。
勇者になる。
そう決まってから、アリアの人生は一転した。
まず、両親とは別に暮らすことになった。
二人は別れを渋ったが、同じ村の中に暮らす上に会うこと自体は縛らないということで承諾。川の字で寝ていた夜は、上質なベッドの上で寂しく過ごすことになった。
そして食事は前よりも豪華なものになった。
青くさい生野菜に具沢山のスープ、記念日しか食べられないような肉や魚がたくさん出てくる。美味しいが、母の作る素朴なパンが頭を離れなかった。
何より変わったのは遊ぶ時間がなくなったこと。
まず、勉強の時間が出来た。
朝食を食べて顔を洗ってからおよそ五時間。
この世界の歴史から国の歴史、聖剣という武器の話、勇者という存在についての話。それに加えて商人が使うような難しい計算だったり、貴族が学ぶような礼儀作法を教わった。
これは意外と面白かった。
知らないことを知っていくのはアリアにとって面白いことだった。
例えば自分の住んでいる村と領主、領主と貴族、貴族と国。
少しずつ世界が広がっていくのは面白くて、座学でやる気を損なわなかったのは意外だと後年ヴァシリにも言われている。
問題となったのは運動に関してだった。
身体作りとして課されたのは適度な運動量。
まだ若いアリアに負荷の重いトレーニングは早いということで、とにかく運動が義務付けられた。
走って、走って、とにかく走る。
これまでのように追いかけっこではなく、ただずっと同じペースで走り続ける。
何周か走り終わるまで休めない。
楽しくない。
サボろうとするとヴァシリが追い込んでくる。
かといって無理だとなるほど追い込まれはせず、へとへとだけど動けない程ではない。
遊びたい盛りのアリアにとって、それは非常にストレスの溜まるものだった。
それまで幼馴染を筆頭に同年代の子供と好きなだけはしゃいでいたが、我慢してばかりの生活に変化したのだ。
遊びに行きたいと言っても許されなかった。
一つ不満が出来れば、我慢が重なりジワジワと不満は増えていく。
食事は美味しいが、両親と食べたい。
ベッドもあったかいけど、両親と眠りたい。
勉強……は面白いからいいけど、走ってばっかりはつまんない。
ヴァシリに言ってもどうにもならない。
これも全て勇者になる君のためなんだ。
そう言われるだけで、現状は何も変わらない。
そんな生活を続けること、半年。
アリアは一度だけ逃げ出した。
両親に会いに行って、畑の父親に会いに行くと言って、遊びに混ざろうと思って村の子供たちの場所に行った。
そこで────アリアンロッドは、知ることになる。
【勇者】になる、ということ。
聖剣を〈起動〉するのが、どういう意味なのかを。
これまでのように遊びに混ざって追いかけっこを始めた時、最初の鬼に選ばれたアリアは一番近くにいた少年に狙いを定めた。
ヴァシリの元で学んだ走り方を活用し、それまで抑制されていた鬱憤を晴らすかのように加減無しの全力で足を踏み込んで──次の瞬間、彼女は人を撥ねた。
バギャッ!!
ドチャッ!!
何かが弾ける音。
それと同時に身体に伝わった衝撃。
アリアの顔にかかった生暖かい液体。
ゴロゴロ転がっていった、人の身体。
『…………え?』
狙っていた少年の一部が弾け飛んでいる。
血肉が散らばり、アリアの身体は血で染まっていた。
『……ぇ、え? あ、あれ? なん……』
少年は叫び声をあげていた。
少年の脚が見たこともない方向に曲がっていた。
少年の腕が半ばからなくなっていた。
少年の身体が痙攣していた。
その少年は────アリアが幼い頃から仲良くしていた、幼馴染だった。
アリアは同年代と比べてかなり進んだ内容を学んでいる。
だから少年がどういう状態にあるのか、なぜそうなったのか、混乱しながらも理解した。
理解してしまった。
自分が幼馴染にぶつかったから、こんなことになったのだと。
『…………ぁ……』
────勇者。
それは〈聖剣〉に適合する人間のことを指す。
本来ならば物語の最終版で手に入れるべきその武器は、適合者に絶対的な強化を齎した。
『……は、ぇ、ぅ……は、はっ、はっ……』
ぎゅううぅと胸を掻きむしりながら、アリアは呆然と幼馴染の姿を見つめた。