ドレイクは絶句していた。
男勝り、というより男みたいな口調と性格をしていたアニカが、男に抱き付いてスリスリと身を捩っている。
媚びるその姿はまるで娼婦の様。
かつて、無力な自分が生き延びるために行なった姿と重なった。
一つ違うことがあるとすれば、アニカは演技でもなんでもなく、心の底から女としての劣情を抱いていることだろう。
「…………」
頭が揺さぶられる感覚がした。
アニカはそんなことをしないと、そんな娘じゃないと思っていたからか、より一層強い衝撃が彼女の心をぐちゃぐちゃに掻き乱す。
それでも、止めなければ。
その一心で彼女は口を開く。
「あ、アニカ? ちょっとアンタ、落ち着きなよ」
そう言いながら駆け寄って、肩を掴む。
引き剥がそうとして──離れない。
離れようとしない。
その力強さに動揺し、振り向いたアニカの表情に固まる。
「落ち着けって? おれは落ち着いてる。でも、でももう、収まらねえんだ。だって、おれは女になっちまったんだ。男だったのに、男を好きになっちまった。男を見て一人で慰めちまった。もう、もうおれはおしまいなんだよ。イカれちまったんだ」
情欲に染まった、ギラギラとした瞳。
ドレイクはそれを見たことがある。
昔、生き延びるために男に体を売った時。
また、男に強引に押さえつけられて乱暴を働かれた時。
興奮し理性のない欲望を押し付けられた時に見たものだった。
「あんなに女みてえに振る舞うのが嫌だったのに、今はこうして、デビュラに身体を擦り付けて、ただひたすら気持ちよくなりてぇと思ってる。抱いて欲しいと思ってる。抱きしめて欲しいって思ってる。抱き潰してほしいって、思ってんだ。なぁ、おれ、おかしいよな?」
「…………ア、ニカ……」
「おかしいんだ。でも、でもよ、もう我慢できねぇよ。あの日、デビュラが他の女を抱いて、散々に甚振ってる姿を見て、おれ、おれさぁっ、もう、止められなくてっ……!!」
喜色の中に悲哀が混じった慟哭。
アニカ自身も止められない衝動に苦しみ抜いた結論がこれだった。
衝動的に動いたのではない。
必死に考えて、否定して、堪えて、耐えきれなくなった。
「デビュラに褒められると、疼くんだよ。腹の奥がじんじんして、穴を穿って掻きむしりたくなるんだ。心臓はバカみてえにうるさくて、脳みそは沸騰したみてえになっちまう。だってのに、おれは、男だったから、デビュラに抱いてくれなんて言えねえ。認められるわけがねえ。だって、だって…………気持ち悪いだろ……?」
前世が男で、陵辱エロゲというものに手を出す程度には拗らせた性癖だったアニカ。
自分は男である──そのアイデンティティは強く残っていた。
この世界に生まれ落ちてしまったことが、彼女の自己意識を強固にしてしまった。陵辱エロゲ世界の女の末路なんて決まってる。男であるならまだしも、女として犯されて苗床として終わるなんて絶対に嫌だ。
アニカは強くそう思った。
自分の身を守る為に鍛え続けた。
親に愚痴を言われても、村中から変わり者だと白い目で見られても、成長して顔と身体に性欲を向けられても、両親が村八分にされ家庭崩壊を招いた原因となっても、彼女は強く己を信じ続けた。
この世界は、非道な世界だ。
主人公が失敗すれば世界は滅ぶ。
主人公が成功すれば世界は続く。
平凡な女に生まれたアニカは、成功することに全てを賭けるしかなかった。
自分には前世の記憶がある。
自分は男だが女の身体で生まれただけ。
子供を作る気もないし、男を好きになるつもりもない。
おかしな子供を産んでしまったと母は気を狂わせ、父親からは暴力を振るわれそうになった。鍛えていたアニカは父の暴力に屈することはなかったが、何も思わなかったわけではない。
だって──仕方ないだろ?
おれは女の体に生まれちまったけど、前世の記憶があるんだ。
この世界が陵辱エロゲ世界だって、おれは知ってる。
村の中でも犯される可能性があるのに、外はそれ以上に治安が悪い。
平凡な村娘が一人で旅に出る希望もねえ。
魔王軍に勝てるとも思えねえ。
だからって、男だったおれが、女として村の男と結婚して子供を産むのは無理だ。
両親への愛はあった。
少なくとも幼い頃、わんぱくな少女と呼べる範囲だった頃は、愛情をたっぷり注いでくれていたのだ。村の祭りで美味しい食べ物を分けてもらって、寝る時は両親に挟まれて抱きしめられた。幼い頃の記憶もしっかり残っているアニカにとって、両親を壊してしまったショックは大きかった。
だがそれでも、生き残る為には力が必要だった。
仕方なかった。
それしかなかった。
そう思い込み、自分を信じ込ませた。
そうじゃなければ、気が狂ってしまいそうだったから。
魔王軍の尖兵とやらが出現したが、討伐した。
聖女が誕生した。
【勇者】が現れた。
その情報が田舎の村に入ってきた時、アニカは飛び出すことを決意した。
自分と同じような転生者がいるんじゃないかと、淡い期待を抱いて。
「お、親を捨てて、自分だけ生き残るために必死こいてきたのに、こんな、こんな風に、男に擦り寄って…………お、おれだって、こんなん嫌だよっ! でももうどうしようもねえんだ! 身体が、頭が、女になっちまったんだ! こんなっ、こんな惨めになって、でも抑えられなくて、おれっ……!!」
ドレイクはアニカの叫びに、再び心を揺さぶられる。
信じられなかった。
ドレイクから見て、アニカは太陽のような女だった。
泥を啜り這いずって生きてきた自分を、白日の下を歩けるようにしてくれた恩人。理不尽な世界を照らした少女の心の闇に、頭が真っ白になった。
「絶対おれは犯されたくねぇって、あんな目に遭いたくねえって思ってたのに! こんな、男に抱いてくれって媚びて、惨めで、何もかもが申しわけなくてよぉ……!!」
アニカの心は、ぐちゃぐちゃになっていた。
捨てた両親のこと。
それでもなお自分は男だと思い続けていたこと。
仲間に出会い、見た目がいいんだから着飾れと言われ渋々髪を伸ばし、服装も変えて、装備も女らしくした。
褒められるたびに、どうすればいいかわからなくなった。
自分の身体は女だ。
でも心は男のままだ。
男らしい服装がいい。
でも、見た目が女なのはわかってる。
男を好きにはなれない。
性行為が汚らわしいものに見えて仕方がない。
一度でも挿入を許せば、妊娠のリスクがある。
子供が胎内に出来る。
性病のリスクも大きい。
罹患すれば終わりだ。
恐ろしくて仕方がなかった。
怖くてしょうがなかった。
なのに、だって言うのに、男に惚れた。
情事を見つめて、好きな男が他の女を抱いてる姿を見て、自分を慰めた。男としても女としても終わっていた。だっていうのに、胸が高鳴った。興奮した。惨めな自分にすら劣情を催した。
男なのか女なのかもわからない。
自分がなんなのか、わからない。
「おれ、おれは一体、なんなんだ!? 教えてくれよ! おれがなんなのか!?」
その慟哭に、ドレイクは答えられない。
これほどまでに取り乱しているアニカを見たことがなかった。
アニカはいつだって先頭を歩いてきた。
『おれには知識があるんだよ』、なんてなんの根拠もない知識とやらを頼りにこれまでパーティーを引っ張ってきた。頼れるかわいい娘。勝気に振舞い、その女の子らしくない振る舞いに苦言を呈しながらも頼りにしてきた。
そんなアニカが、絶望して涙を流している。
(────……アタシは、この娘の、何を見てきたんだ……)
危なっかしい妹のように想っていた娘がずっと押し込んでいた苦しみ。
それをまるで理解できていなかったことが、ドレイクの心を強く揺さぶる。
(アニカのことを、もっとよく知っておけば……!!)
思い返せば、アニカは知識は披露しても自分の故郷に関して決して口にしなかった。
思い出す必要もないからだと思っていた。
違ったのかもしれない。
ただ単純に考えたくなかっただけだったのかもしれない。
なぜなら、アニカにとってそれは心苦しい自責の要因となりうるものだから。
田舎の農村。
閉ざされた環境で個性的な少女がどんな扱いを受けてきたか、考えもしなかった。
愕然とするドレイク。
場の空気は重苦しく、アニカの泣き声だけが響く。
「……アニカは、嫌なのか?」
「い、いやって、何がだよ!」
「自分が嫌なのか?」
「わかんねぇよっ、おれは、おれは何が正しいんだ!?」
「知らんが、俺にとってのアニカは別に何も間違っちゃいないぞ」
フィンが端的に答える。
ピク、と肩を震わせて止まったアニカに続けて言った。
「俺も、自分のことが肯定できないんだ。ずっとそうだ。ガキの頃から苦痛が気持ちよかった。でもそれがおかしいことだとわかってた。尊敬できる師匠の顔に泥を塗りたくなかったから、必死になって隠してきた。師匠の教えを胸にずっと生きてきたんだ」
突然の独白に二人は耳を傾ける。
「だけど、ここ最近……他人に肯定されることが増えた。最初はそれも聞こえない振りをしてた。勝手に期待して、裏切られて、自分が辛いだけだから信じない様にしてた。だけど、それも出来なくなった。向き合えって言われてしまって、今は嫌いな自分と向き合うことにしてる」
「…………デビュラも、そうなのか……?」
「ああ。アニカは見ただろうが、俺の本質はあんなもんだ。暴力的で支配欲が強くて独占欲もくて嫉妬もする、醜い男なんだ。でもまあ、他ならぬアリアに言い逃れ出来ない形で肯定されちまったからなぁ」
そう言ってフィンは苦笑する。
「今もまだ、悩む毎日だ。だけどそれも悪くないと思えるようになった。苦しくて、その苦しみが気持ちよくて、自分が嫌になる。それでも良いって、みんなが言ってくれた。俺は、それが良かったんだ」
「……でも、でも、おれは……転生者で、男だったのに……」
「言っておくが、俺は元男だったくらいじゃなんも気にならんぞ」
「!?」
ドレイクが表情を変えた。
「こっちはちん○んだってしゃぶってんだ。どこからどう見ても女の子のアニカに気後れするわけないだろ」
「しゃ、しゃぶっ!!?」
「ちん……っ!? しゃぶっ!? デ、デビュラアンタ正気かい!? 何言ってんだい!?」
(は!? な、何言ってんだい!? アタシみたいに娼婦してたならともかく、アンタ男だろ!?)
「……エッ、アニカは知ってると思ったんだが……」
「し、し、知らねーよそんな話!! てか、しゃ、しゃぶって、お、おおぅ……」
「ア、アニカ!?」
クラッ、アニカがその場に座り込む。
駆け寄ったドレイクが顔を覗き込んで、大事ないことを確認しほっと安堵の息を漏らした。
「ま、まあ、そういうわけで。アニカにどんな事情があろうが俺は肯定することが出来ることは覚えておいて欲しい」
「……う、ううっ、わけわかんねーよ……!」
「もしそれでもお前が気になるっていうなら……」
フィンは床に座るアニカとドレイクに近寄る。
腰を落とし、二人の肩に手を置いて、言った。
「俺が責任を取る。なんだってしてやる。肯定してやる。俺は、アニカの味方でいるぞ」