女神テイアはかつて、強大な力を持つ女神の一柱だった。
大地の女神テイア。
地母神とも呼ばれることのある彼女はエスペランサ襲来の際、ルルクスが敗北したのを見届けて地の底に潜り込んだ。勝ち目がないと悟ったのもあるし、エスペランサの司る領域とは正反対の位置に権能を持つが故に逃げ切れると判断した。
大地と同化し地の底に沈む。
太陽は瞬く間に世界を照らしたが、その光は昏い星の中枢には届かない。
同じように海の底に逃げ込んだ海神もいれば、夜の闇に飛び立った神もいる。
神々が支配した年月は幾万年にも及ぶ。
その支配、否、永劫に続くであろう繁栄が終わることは嘆かわしい。だが、それはエスペランサの支配も同様だ。盛者必衰の理は神であろうと逃れられない。正に栄枯衰退を味わったテイアは、いずれエスペランサの世が終わると確信していた。
月が滅び、太陽が沈み、そうなれば後に残るのは大地や海、そして天空のみ。
天空の神も力を失い、海は出てくることすら叶わない。
待てば勝つ。
ならば待つ。
大地の女神テイアはそうして永い刻を伏して待つことを選んだ。
──しかし、一切の信仰なくして神は生きてはいけない。
いかに大地が雄大であろうと、人々の信仰全てを奪われては消え去ってしまう。
そこでテイアは己が使徒とその一族に命を出した。
妾が復活するその時まで、信仰を保ち術を受け継ぎ使徒となる子を生み出し続けよ、と。
エスペランサはルルクスを屈服させ、栄華を誇った都市の全てを奪うことに精を出していた。
ゆえに彼女の企みは露見しなかった。
そうして、数千年の間地底にて潜んだ彼女は、朝露の如きごくわずかな信仰だけを頼りに生き延びる。
憎きルルクスは堕ちた。
エスペランサは姿を消した。
ならば、あとは妾の時代──そうして立ち上がろうとして、気が付く。
あまりにも力が衰えていることに。
本来自由自在に扱えたはずの権能が使えない。
大地を割り、山脈を唸らせ、大陸を司る力が失われていたのだ。
なぜか?
それは、あまりにもか細い信仰しかなかったから。
世界を見渡すことすら出来なくなり、使徒の一族が作った里も先細り使徒すら満足に選出出来ないほどに質が低下していたことに絶望する。
──このままでは、消え失せるまでここで過ごさねばならぬではないか!
神にも死はある。
彼ら彼女らは強大な力を持っているからこそ権能を使えるのであって、それが無ければただ死なないだけの存在でしかない。自ら大地の奥深くへと潜り込み、太陽神ですら見つけられない中枢にまで辿り着いたテイアの居場所は誰も知らない。
いつしか、里から得られる信仰すらも消え失せる。
そうなれば…………だからと言って、今更動いてもどうにもならない。
力がない故に、信仰を得ることもできない。
信仰が得られない故に、力を得られない。
テイアは詰んでいた。
神々の気配が消えた世界で、彼女もまた人知れず消え失せる運命だった。
だが──世界は彼女に微笑んだ。
魔女の里と呼ばれるようになった地で才女が生まれた。
名をカトリーナ。
使徒すら選定されなくなった魔女の里において、数百、下手すれば数千年ぶりに使徒に相応しい才能を持った少女だった。
──こやつを使徒にして、妾は返り咲く!
カトリーナを使徒に選定し、里で改めて己を信仰させ、徐々に範囲を広げていく。信者の母数が増えればそれだけ力は増幅し、使徒に相応しい能力を持つ者も増える。数だ。何よりも数が必要だ。
そして、期待を込めて使徒として選んだカトリーナ。
使徒を通じて人々に語りかけまずは妾の復活を祝わねば、そんな皮算用をしていたテイアに、残酷な現実が待っていた。
テイアの声は、カトリーナにしか届かない。
テイアに対して、カトリーナの声しか届かない。
カトリーナは確かに才能を持っていた。
しかし彼女は信仰心というものが薄かった。
テイアに供給される力は微々たるもので、使徒を通じて視界を得ることすら出来なかった。姿も声も聞こえない神に祈る者は少ない。世界を支配する女神ならばともかく、遠い昔に忘れ去られた神の話を聞いて信じるような物好きはいない。
憤った。
ありえないと何度も喚いた。
しかしその声すらカトリーナにしか届かない。
変わらぬ現状に気が狂いそうになりながら、テイアは考えた。
現状を打開する手立てはない。
しかし、使徒がいて、自分が消費する以上の信仰は得られている。
ならば今しばらく雌伏の時を過ごし、脈々と受け継いでいくしかあるまい。
戦略を切り替えたテイアは、カトリーナから得られた力全てを蓄え次の世代での使徒に期待することにした。少なくとも彼女から得られる分があれば一人くらい強引に使徒として選ぶ程度のことは容易い。
そうして、神と使徒は程よい付き合いをするようになった。
時折カトリーナの思考を通じて茶々を入れたり、遺跡に隠された秘密をテイアが教えたり、神々の話をしたり……そうしている内に、二人はなんとなく仲良くなっていった。最初の頃より信仰心が増したカトリーナ、横柄な態度だが気遣うようになったテイア。
神と使徒というより、師と弟子のような関係性だった。
悪くない日々だとテイアは感じていた。
人に忘れ去られて久しい彼女にとって、自らを信仰する人間との交流は心地よく、時を忘れて楽しめるものだった。神としての在り方。人の子をどう慈しむか。そういった、かつての栄華で忘れ果てていた大切なことを取り戻した。
──暫しこのままでも良いか……。
テイアは貯めた力の一部をカトリーナに渡した。
彼女の冒険が人の身では過酷な部類に入ることと、万が一カトリーナを失えばテイアにも後がないからだ。カトリーナはますます信仰心を高め、結果的に己に還元されていく。
テイアとカトリーナは、理想の主従に近付きつつあった。
だが、物事は静かに進まない。
カトリーナ達が王都にやってきて、接触した男からテイアは感じてはいけない存在を読み取った。かつて神々が忌み嫌った魔。その塊、否、根源とも言うべき存在。さらに言えば、それは彼女にとって馴染みのある存在と入り混じった悍ましい気配だった。
──なぜこやつがここにいる……!?
カトリーナを介し接触した相手は、紛れもなくかつての月女神ルルクスだった。
魔に浸ったかの神は魔を生み出す邪神に変貌し、人間を養分に生き永らえていた。
その力はテイアとは比べ物にならない、いや、下手すれば全盛期をも超えているかもしれない。地底の底で、使徒を通じて感じ取った力の差に驚愕した。信仰と養分、その両方を一人の男から徹底的に吸い上げるその様は悪神そのもの。
そこまで堕ちてしまったのかと思う反面、そうでもせねば生きていけないのかと思い知らされる。
かつて世界の在り方を決めていた月の女神が、今では一人の男の機嫌を取りながら魔を生み出し続けている。その末路を愉快に思いながらも畏れを抱いた。
──妾は、ああはなりとうない。
テイアは女神だ。
神として人の子を慈しむ、その使命を再認識したからこそ、彼女はルルクスのようになることを拒んだ。カトリーナから得られた力はルルクスの足元にも及ばないが、魔に堕ちるくらいならばと覚悟を決めた。
──おぬしを犠牲にはせぬ。妾は、女神じゃからの。
いずれ来たるルルクスとの決戦。
いや、エスペランサを打ち倒すことこそが本命ではある。
だが神として、魔を生み出し続ける存在を許容は出来なかった。他の有象無象はともかく、かつての使徒が残した一族を魔に浸らせることは我慢ならなかったのだ。
神の力は魔に対し絶対的な有利を誇る。
たとえ力の差があってもその相性は覆せぬ。
エスペランサが到来するまでに力を貯めて、決戦を制した者を討つ。
カトリーナの声が遠くなるほどに力を極限まで注ぎ込み、テイアは己が力を高めることに集中する。いずれ、必ず魔を討ち、かつて世界を侵略した太陽神へ逆らうために。そして己が天下を取るために。地母神テイアは、今一度再起を誓った。
◆
「いっ、いやじゃ! そんなもの受け入れとうない!」
カトリーナの身体に降臨した女神テイアはその場で涙目になった。
尻餅をつき、後退る彼女に対し、闇マリはふわふわ浮きながら接近する。
「ふふふ。かわいいわね、テイア。昔から生意気だった貴女が、怯えて、涙まで流して逃げようとするなんて……」
「ひ、ひいいぃっ!! い、いやじゃあっ! 妾はまだ孕みとうない!!」
あ、よく聞くと声も違う。
カトリーナの声じゃない。
へぇ、神様が人の体に降りるとここまで変わるのか。聖剣はアリアの声で喋っていたが口調が違う程度の変化しかなかったが、これじゃ目を閉じたらカトリーナが喋っているとは思えないな。
「そ、そこの使徒!」
「うん? 俺か……じゃなくて、ですか?」
「そうじゃ! おぬしじゃ! 助けてたもれ!」
「闇マリはちん◯ちん付いてないから孕むようなことはないぞ?」
「おぬしはバカか! 魔に決まっておろう!」
お、おおほぉっ!!
カトリーナの顔でバカとか言われちゃった!
口調も相まって、なんだか貴人の小娘に罵られているような感じがする。これは新体験だ……!
「ルルクスめは魔を孕みぽんぽこ産み落としておるではないか! 妾は苗床にされとうない!」
「あら、自らの腹を痛めて産んだ子には愛情が湧くものよ?」
「あんなものに愛情抱けるか、たわけ!」
まあ、巨豚人は見た目がね。
どこからどう見てもモンスターだし、一度俺が受けかねてトチッた時にワラワラ集まってきて仲間達を蹂躙しようとしてたこともある。理性のないモンスターなのは間違いないんだが、今の巨豚人は俺に挨拶してくれる程度には理性がある。
「ふふ。親になればわかるわ」
「や、やめてたもれ!! い、いやじゃっ! あんなもの産みとうない!」
ていうか闇マリも本気でどうこうするつもりはあんまりなさそうだな。
やると言ったらやるからね。
泣き喚くテイア様を面白がってるだけだと思う。
実際、俺もかなり面白がっている。
というよりフィンフィンに来ている。
涙目で泣き喚く女の子、危機的状況とか、笑えない状態とかだと何も感じないが、こうも嗜虐心を煽られるとそりゃあフィン・サディスティック・デビュラがムクムクしてしまう。
「さて、冗談はここまでにしておきましょうか」
「ぬ? じょ、冗談? 妾を魔に浸し孕ませるのが目的ではなかったのか?」
「そうしてあげたいのは山々だけど、無理強いすると我が使徒に怒られちゃうのよねぇ」
イエス和姦、ノー強姦。
無理やりエッチするなんて男の風上にもおけん所業だ。
そうやって心までも犯された女性がどれほど苦痛を味わっているのか、俺は知っている。エッ、あ、アリーシャですか? アリーシャはでも、ノリノリだったし……エッ、あ、アストレアですか? 確かに縛られてたけど無理やりじゃないし……。
「そ、そうか。それで、なんの用だ?」
「貴女、使徒のことちゃんと可愛がってあげなさいよ。泣いてたわよ?」
「カトリーナが? なぜ?」
「どれだけ呼びかけても返事すらしてくれないって嘆いてたわ」
闇マリの言葉に、テイア様は目をぱちぱちと開閉してから、目を逸らした。
「……そ、それは、その……事情があってのぅ……」
「……その事情を言えばいいでしょ。貴女みたいな雑魚神にとって貴重な使徒なんだから、大事にしなさい」
「ぐ、ぐぬぬっ! なぜ邪神に神としてのあり方を説かれねばならんのだ!」
「少なくとも、今のテイアよりは格上よ」
その言葉に押し黙る。
「いつあのクソッタレが戻ってくるのかわからないけれど、正攻法じゃ勝ち目なんて無い。だっていうのに貴女ときたら、もう全盛期に戻ることすら出来ないくらい弱体化しちゃって……それならちょびっとくらい魔を受け入れた方がマシになるわ」
「い、いやじゃ! 女神として魔を受け入れるなど、到底容認できんわ!」
「その結果負けて犯されて苗床にされるのだけれどね」
再度黙った。
「いい? 貴女、このままじゃ本当にどうしようもなくなるわよ」
「…………」
「仮にクソッタレが戻ってきたとして、私が勝ったら世界は魔に呑まれるわ。もちろん加減はするけど、他の神に気遣うつもりは一切ない。いきなり魔に呑まれたら抵抗できないんじゃないの?」
「…………」
「知り合いのよしみ……いいえ、気まぐれで声をかけてるだけだってことを覚えといてちょうだい」
その言葉に、テイア様は完全に沈黙する。
闇マリなりに同胞への思いやりはあるんだろうが、難しい問題だ。
人よりなんか気高そうな存在が、人ですら嫌悪する魔を受け入れるのは到底無理があるだろう。俺や闇マリのようにどうしようもなくなってるならまだしも、そのままで生きていけるなら躊躇うのは当然だ。
しかし、カトリーナの恩神でもある。
そんな相手を強引に魔に堕とすようなことは避けたい。
そもそもの本題はカトリーナへもっと気を配ってやれないかという所だが、闇マリはそれらを解決する手段として魔を受け入れなさいと提示している。
ゆえに、俺がここで出来ることはない。
……ないのだが、一つだけ気になることがある。
魔って、その、やっぱりそういうシステムなんですか?
孕むとか産みたくないとか受け入れたくないとか、魔って胎内に注ぎ込むような感じ? それってつまり、俺がいつもしてるフィンフィンビュルビュルみたいなものですか? もしそうだとしたら、あまりにもエロすぎると思う。そりゃあモンスターも女性を襲うわけだ。
だがそうだとしたら、俺は普段からやっている行為は文字通り種付けということになり……事情を知らないみんなに魔を植え付けているということで…………。
闇マリの方を見る。
彼女は一瞬ビクッと体を震わせて、俺から目を逸らした。
…………うん。
後で詳しく聞かせてもらうからな。