「──どうなってんだここは……」
呆れた表情でフレデリカが呟く。
その身に衣服は一切纏っておらず、美しい裸体を惜しげもなく披露している。
だがこの場にその彫刻の如き裸体を拝むものはおらず、温かな湯気に包まれた浴場においては極めて常識的な装いだった。
「お気に召したかい?」
「本国の浴場より立派だぞ、こんなの。どんだけ贅沢してんだ?」
「ハハ、贅沢といえばそうかもね。だけどこれは全て私が自分で集めた資材と自分で考えた設計通りに作ってるから、自給自足の範囲内さ」
同じく褐色の美肌を晒すヴァシリが笑い飛ばす。
「…………あの噂は本当だって言うのか?」
「あの噂がどれのことかは知らないけど、大体のことは真実だろうね。否定も肯定もしないでおくよ」
「チッ……怪物め」
「フレデリカさん、そのような言い方は……」
「フフ、気にしなくていいよセラフィーヌくん。これくらい可愛いものさ」
余裕綽々なヴァシリから顔を逸らし、フレデリカは天井を眺める。
(──本国には、おつむの悪い奴しかいねえな)
噂では知っている。
ヴァシリ・ヴァルバロッサという一人のダークエルフによって現在の文明は作られた。太古の時代、今では神代と呼ばれる時代に生まれた彼女が外に出てきてから人類圏は急速に発展してきた。
農耕、酪農、牧畜、鉱山開発、港湾整備、街道整備、都市開発、文字統一、言語統一、経済概念の浸透、学問の普及……現代にあるおおよその技術の元を辿れば、ヴァシリに辿り着くとすら言われている。
聖法国ではエスペランサによって人類は庇護され知恵を与えられてきたと教えられるが、外との交流がある者はそれらが嘘であると知っている。
フレデリカもその一人だ。
「この温泉も結構苦労したんだ。酸性だとかアルカリ性だとか言われた時はまるで理解できなかったけど、特有の匂いを持つ火山なんかに行って試行錯誤してね。吸えば気がつくこともなく死に至る危険な空気もあると聞いていたから、内心怯えながらやってたよ」
「へぇ……ただ水を温めるだけでいいんじゃねえのか?」
「それだけでも十分さ。けれどお湯自体にも効能が存在する。肌を綺麗にしたりね」
「肌を、ねぇ……」
お湯の中から手を上げて、手のひらに溜まったわずかな湯を見つめる。
フレデリカの手は傷だらけだ。
正確には、傷とタコ、武器を握り続けたことによって厚くなった皮膚がデコボコを生み出している。美しいとは言い難い。この手が穢れていることは自分でもわかっている。今更女として綺麗でありたいと願うつもりはない。
だが、こうして大人になって世界を知ると、心のどこかに重たいものが生まれる。
幼い頃に弄ばれていた私を助ける人はどこにもいなかった。
この世は地獄だと思っていた。
だから成長して力をつけて復讐した。
女だから、抵抗する力を持たないから、そんな相手ばかり狙って理不尽を押し付ける下衆外道を見つけては力尽くでねじ伏せ、押し倒し、犯した。見た目も年齢もどうでもいい。こっちは快楽を求めているわけではない。行為で快楽は得られない。フレデリカは、幼い頃の経験が原因で、そういった悦を得られなくなっていた。
だが復讐は楽しい。
かつて自分を犯して弄んでいたような男達が、ねじ伏せられ、強引に犯され、男として負けて泣き叫んで許しを求める姿を見るたびに胸が高鳴り絶頂した。
世界には理不尽が溢れかえっている。
だが、こうしてより良いものを得ようと己で努力し研鑽を積む者がいることも知っている。世界は極端な言葉では言い表せない。清濁合わせた、泥のようなものだ。綺麗なところもあれば、醜い部分もある。自分は醜い部分に触れ続けただけだとわかっている。
それでも、思わざるを得ない。
なぜ、世界には格差があるのだろうかと。
「怪物ババア。お前がその気になれば、世界そのものを支配することだって出来るんじゃねえか?」
「うん? うーん……出来なくはないだろうけど、やるつもりはないよ」
「どうしてだ? お前にどんな思惑があろうが、全て掌握してた方がやりやすいだろうが」
わざわざ敵に土地を支配させるより自分の影響下においていた方が楽なのは当然で、なぜそうしないのかフレデリカは疑問に思った。
「まだお前との付き合いは浅いが、私が逆立ちしたって勝てる相手じゃねえのはわかってる。聖女なんて呼ばれてる奴らが束になっても怪しい。【天日の聖女】とやらはよくわからねえが、一国を相手にしたって余裕で勝てるだろ?」
「まあ、そうだね」
「なんでやらなかった?」
「やらなかったというより、私自身やることがあったんだ。国のトップとコンタクトする手段を持って、彼ら彼女らに対し円滑な協力を求められる状態であとは各々に任せるしかなかったのさ」
ヴァシリとしては、聖剣の捜索や魔王の産声を探ったり、自分の死が迫ってくる中で国の運営などとてもではないがやっていられなかったというのが本音だ。一時期は女王の真似事をしたこともあるが、偉大な個に導かれた集団の末路を思い知ってからは二度とやらないと決意する羽目になった。
「私一人で世界を救えるわけじゃない。いや、それどころか、弟子の命すら救えない情けない師だ。だから、そんな大それた野望は持ち合わせてないよ」
「…………そうか」
(弟子の命、ねぇ。セラが言うには【勇者】と盾役の男がそうだったな)
【勇者】が死の危機に瀕したという話は聞いたことがないし、強いて言えば魔王と相打ちになった時だが、それも彼女自身の治癒ですぐに治療されたと聞く。
ならばもう一人が該当するのだろうが、フレデリカはそちらに対する調査を十分に行えていなかった。
(エクトルのジジイも王太子も、冒険者ギルドに深く根を張ってるわけじゃなさそうだ。法国だとありえねえ話だが、自国内に制御不能な組織があるってのに図太い野郎共だと感心したが……何か隠してるのか?)
それぞれ協力する姿勢は十分で、特にトップの連携は見事と言わざるをえなかった。
フレデリカの調査対象に対してエクトルが王太子へ連絡、連絡を受けた王太子が即座に対応し責任者へ話を通し、現場レベルでは冒険者ギルドも協力し場を整えた。ここまで複数の勢力が融和していることはフレデリカも見たことがなく、そうした面も含めて居心地がいいと感じている。
(冒険者ギルドには極力触れるなってのがエクトルのジジイの話だったな。怪物ババアのお膝元で暴れんなって話だと思ってたが、そうじゃねえってのか? だが、他に何がある? 何を隠したところで最後にはこの女に行き着く。私とセラに隠さねえとマズイ何かなんざ、想像も出来ねえぞ)
それこそ邪教の教祖でもやってるのか?
いや、だが、そんなことせずとも神のような功績がある。
フレデリカからすれば、何もしてくれない名前だけの存在より、明確に世界に関わってきたヴァシリの方が余程神に相応しいとすら思った。
(一つ思い付くのは、その男がかなりダメな奴で、こいつが溺愛して甘やかしてるからロクでもねえ男だってことくらいだ。…………ありえねえな……)
自分の思考が偏っている自覚がある。
男に虐げられてきた彼女は、男を目の敵にする傾向がある。
聖女になってからは男だけではなく女も理不尽を押し付けられるのだと悟り、平等に裁きを下しているが、どうしても先入観が抜けなかった。
それでも思い込めないほどに、ヴァシリの存在は大きい。
「その弟子ってのは、男の方か?」
「そうだよ。フィンは金等級冒険者で、〈深淵の森〉を攻略するために必要不可欠な存在だ。セラくんにもお世話になっているそうでね」
「……ご存じだったのですか?」
「つい先日、フィンに聞いたんだ」
「そう、ですか……。実は、フィンさんには秘密にしていてくれと言われていて……これまで隠していたこと、申し訳ございませんでした」
そう言いながらセラフィーヌは頭を下げる。
「いいんだ。フィンの言い分もわかる。セラフィーヌくんには助けられてばかりで、こちらこそ申し訳ないよ」
「元はと言えば、私がしっかり治療出来ていればよかったのです。私が未熟だったばかりにあの人を苦しめてしまった。フィンさんは立場上、高額な治療費を支払わねばなりません。結果的に経済的にもフィンさんを苦しめてしまい……本当に、どう謝れば良いのか……」
「いやいや。命を救ってもらえただけありがたい話だ」
(隠し事、ね。いつもならきな臭ぇと首を突っ込むところだが、怪物ババアとセラが関わってることだ)
「あー……それは、私が聞いてもいいことか?」
「構わないよ。むしろ、先に説明しておいた方がいいかもしれない」
「では、私の方から。フィンさんは魔王軍の尖兵と名乗るモンスターとの死闘で、四肢と内臓の全てを失い頭部を損傷する大怪我を負いました」
「…………あん? 悪い、聞き間違えか? どう考えても、そりゃ死んでるだろ」
「マリアンヌさんが同じパーティーにいましたので、治癒をかけ続け命を繋いでいたのです」
「ああ、なるほど……」
「…………尖兵というのは、非常に凶悪なモンスターでね。嗜虐心が強く、羽虫を弄ぶが如く人を痛めつけ生きたまま苦しめるのが趣味だったそうだ。無論、特に女を好むような言動だったと聞いている」
「フィンさんは、生き残った方々から注目を逸らすために必死だったそうです。結果的に、息絶えて動かなくなったところで、反撃の糸を掴んだ方々によって討伐されましたが……」
「──…………」
フレデリカは絶句する。
つまり、生きたまま手足をもがれて、人を痛めつけるのが好きなモンスターに内臓を抉り出され、頭部まで削られて、それでも盾役としての責務を全うした人物ということになる。法国の騎士ですらそこまでの献身をする者はいない。いや、そこまで生きられる人物がいない。
手足をもがれた時点で戦闘力など皆無だ。
一体何をどうすれば、そこで戦いを継続できる?
なぜ囮になろうとする?
(…………なんだ、そりゃ。本当に人間か?)
どんな精神をしていればそうなるのか。
いや、ヴァシリの教えか?
そんな狂った人間を作り出してしまうのか。
だが弟子として慈しみを持っているのは間違いない。
そんな非道な精神に染めるような外道ではない。
「フレデリカさん。先に言っておきます」
「あ、あぁ。なんだ?」
「フィンさんには、決してひどいことをしないでください」
セラフィーヌは、湯から立ち上がり、腰を折って頭を深く下げた。
「あの人は……あの人は、フレデリカさんがこれまで相対してきたような男性ではありません。意思が強く、高潔で、紳士で、だけど、決して一人では生きていけないことを知っている方なんです。女性に囲まれているように見えますが、手当たり次第女性に手を出すような淫らな方ではありません。誠実な方なんです。仲間のために、仲間を守りたいから、そう言って治療を行なわれていることすら秘密にしてくれと、頭を下げて……! どうかお願いします! フィンさんは、フィンさんには、どうか……!!」
「……最初からそんなことするつもりはねえから安心しろ。そりゃあ、こんだけ女だらけなのに一人だけ男がいるって時点で怪しんではいるけどな。怪物ババアを相手に力尽くで暴力振るえるような男がいるか?」
チラリと視線を向けた先にいるヴァシリは、目を瞑っていた。
「こんだけ生きてて子孫の話を全く聞かねえ怪物ババアだぞ。これをねじ伏せてどうこう出来る男だってんなら、私じゃ太刀打ちもできねえよ」
「そ、それでは……」
「少なくとも、こっちから何か仕掛けるつもりはねえ。何かしようとしてきたら、抵抗はさせてもらうがな」
ニヤリと笑みを浮かべれば、セラフィーヌも笑みを浮かべる。
「それでいいだろ? ヴァシリ・ヴァルバロッサ」
「────ああ。構わないよ。フィンがそんなこと、するわけないからね」
そう呟くヴァシリの目は、どこか遠くを見つめていた。