「…………最悪……」
マリアンヌは目を覚ました。
悪夢、いや、正確には悪い夢ではない。好きな男と結ばれて、他にも無数の女がいるものの、間違いなくお互いに大切だと認め合った。その夢を見る。もっと自分の望み通りになる夢を。
ちょっとの我慢すら出来ない自分が嫌になる。
ぐしゃりと濡れた感触があった。
その事実に顔を顰めて、起き上がり服を着替える。
「……こんなんじゃ、私…………」
今、拠点には問題が起きている。
邪神やフィンの問題がようやく落ち着き始めたところにやってきた聖女達。彼女らはあくまでエスペランサ教の信徒であり、この世界の秘密を知っている訳ではない。個人で信用出来たとしても、それが味方になるかどうかは別。
フィンのことがバレれば自動的に邪神ルルクスの存在やエスペランサの真実にも辿り着く。
果たしてそうなった時、エスペランサを悪だと言いふらす邪神のことを彼女らが信じてくれるかどうか。そう考えた時、とりあえずこの場ではバラさないようにとなったのは当然の帰結。
マリアンヌもそれは分かっている。
わかっているのだが──どうにも、ここ数日、彼女の精神は不安定だった。
「他の皆も同じなのに……」
自分だけが欲求不満のあまり淫夢まで見ている。
カッと顔が赤くなる。
聖女として、一人の女として、恥ずかしくて仕方がない。
ぶんぶん首を振って意識を切り替える。
「ううん。今だけ。短い間なんだから、ちゃんとしないと……」
そう思いながら、頭の中に浮かぶのは、一人の男。
フィン・デビュラ。
隠し通している筈なのだが、すでにフレデリカ・ブラッドフォージには『こいつを巡って女達がやりあっててもおかしくない』と判断される程度には素の魅力がしみだしている。
そうだとも。
フィンさんは魅力的だもの。
今更気が付くなんて見る目がない。
私はずっとフィンさんと一緒にいたから知ってる。
ずっとフィンさんと一緒に居た癖に手を出されなかった。
なんなら順番的にかなり後だった。
抱かれた後も幼馴染同盟(笑)の相方であるアリアンロッドとフィンの感動的な場面に立ち合わせ、目の前で脳味噌を揺さぶられるような思いをした。
それ以降、抱かれてない。
「うっ……!!」
悪夢、もとい淫夢の所為で寝不足になり、欲求不満が度重なり、ストレスも加わってマリアンヌは悪い方向へと思考が寄っていく。
もしかして、あの後抱かれてないのは私だけなんじゃないか。
本当はみんな裏でずっぽりやってるんじゃないか。
フィンさんは私を同情で抱いたんじゃないか。
(──フィンさんは、そんな人じゃないでしょ……!!)
それでもマリアンヌはフィンへの愛がある。
例え自分のことを信じられない状態でも彼女はフィンを信じている。ずっも一緒に頑張ってきた仲間を信用しなくて何を信用するのか。
「……切り替えなさい、マリアンヌ。私は聖女でしょう。私がしっかりしないと……」
現在教団との窓口は主に彼女が担当している。
エクトルとの関係も良好で悪くない。
本来ならばセラとフレデリカの相手はマリアンヌが積極的にしなければならなかったのだが、エヴァンジェリンの襲撃の影響で有耶無耶になった。
二人がやってきた以上、マリアンヌは本来の役割を思い出す必要がある。
「ふー……よし。落ち着いた」
深呼吸を繰り返し、カルラに学んだ瞑想をその場で立ったまま行う。
(しっかりしなきゃ。えっちな気持ちに流されてことが露見したらどうするの。そんなことになったら、フィンさんにだって愛想尽かされちゃうかもしれない。そんなことになったら、私……)
ふう、と一息。
「……フィンさん…………」
「マリアンヌ?」
「ひょえ!?!?!???!」
(フィッフィンさん!? 幻聴!? 幻覚!?)
慌てふためくマリアンヌだが、声は扉の向こうからだった。部屋の中に願望が現れたわけではなかったことに安堵しつつ、咳払いしてから返事をする。
「んんっ……フィ、フィンさん? どうしました?」
「いや、マリアンヌに話があって来たんだ。今いいか?」
「話、ですか……」
(フィンさんが私に話……聖女関係で何かありましたか?)
すっかり意識を切り替えたマリアンヌ。
このタイミングで誰も伴わずに自分の部屋を訪れたことを何かしらの問題が発生したからだと捉えた彼女は、とりあえずフィンを部屋に入れようとして、気がつく。
先ほど脱いだパジャマがそのまま放置されている。
「…………」
無言で片付けてクローゼットに放り込み、窓を開けて、フィンを招き入れた。
「フィンさん、お待たせしました。どうぞお入りください」
「ああ、いきなりですまん」
「お構いなく。それで……一体何がありましたか?」
入ってきたフィンはいつも通りの私服だったが、その表情は険しい。
フィンがそんな表情ををすることは珍しい。
感情豊かなフィンだが、仕事の時以外は基本的に明るい男なのだ。中身がアレでも性格は誠実でユーモアあふれる紳士である。やはり何か問題が起きたのか。
「実は……マリアンヌのことで話がある」
「……そうですか、私の…………」
(……まさか、私が役に立ってなかったから……)
マリアンヌは控えめに言って、ここ最近、あまり役に立ってない自覚がある。邪神の巫女に選ばれていたことが判明してからフィンの憎悪を糧に力を奮っていることもわかり、彼からすれば苦しむ自分を踏み台にいい身分になった裏切り者でもある。
決してフィンはそんなことを言わないが、言われても仕方ないことだ。
マリアンヌの顔が青褪める。
フィンは業務上ダメなことはダメだとハッキリ言う。前にアリーシャが合流してきた際に実力不足を指摘し、【超滅】相手の評価もシビアだった。
【払暁】だけならば、決して自分が戦力外になることはなかった。
だけど今は?
自分より格上の人間がいて、自分よりフィンを補助するのに優れた人がいる。
もしも聖女達とフィンが関係を深めて、裏事情をなしに一緒に戦うようになったら? セラフィーヌはフィンと相性がいい。もしも、フィンが回復役としてセラフィーヌを優先したら……
「…………」
「マリアンヌ? どうした?」
「ぇ、ぁっ、えっ、な、なんでもありませんよっ」
嫌な想像を振り払い、マリアンヌはフィンに笑顔を向ける。
そんなマリアンヌを見て、フィンは更に顔を顰めた。
びくっ。
笑顔を見せただけで、嫌な顔をされた。
マリアンヌの身体が竦む。
自分がどんな顔をしているのかもわからない。
でも、なんとか、笑顔は維持してる……はず。
いやな汗が流れる。好きな人の前で汗が流れてる。拭いたい。それどころじゃない。そんなに? そんなに私はダメ?
手が震える。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。捨てられない。あれから抱かれてないのに。フィンさんはそんなことしない。役立たずは置いていかれる。せめぎあう心。心臓が痛い。
「マリアンヌ……」
フィンさんの声が聞こえる。
怖い。何を言われるのかわからない。いやだ、見捨てないで。私は役に立てます。役に立ちます。なんでもします。フィンさんすてないで。私を置いていかないで。
「フィンさん……」
目が熱い。
涙がにじむ。
泣くな。
泣いちゃだめ。
こんなことで泣いてどうするの。
弱い女だって思われちゃう。
いやだ。泣いちゃだめ。
まだ何も言われてないのに。
「エッ、マ、マリアンヌ? 大丈夫か? そんなにエッチしたかったのか?」
えっち。したい。
でも出来ない。だって今は隠さなきゃいけないから。フィンさんを守るためにも我慢しなくちゃいけないから。
「……ぐすっ。いま、なんて、言いました?」
「そんなにエッチしたかったのか?」
「……………………」
涙が引っ込んだ。
「いや、闇マリからマリアンヌの性欲がヤバいって話を聞いてきたんだが……」
「…………ふっ、ふふっ、うふふっ。フィンさん、私を殺してください……」
「!!???!?」
マリアンヌは倒れた。
度重なる疲労と寝不足、更にストレスがかかり、意識を喪失した。
「マッ、マリアンヌ!? くそっ、一体どうして……!?」
『…………』
倒れたマリアンヌと髪色だけが違う邪神が、その様子を見て溜息を吐いた。