沈黙が部屋を支配する。
頭を悩ませるヴァシリと、それを見て何も言えないフレデリカ。
無意識の間に緊張し身体を強張らせているフレデリカの喉が渇き、ごくっ、と鳴る。
(…………ここまで来ては、隠せないか)
ヴァシリは冷静に判断を下す。
フレデリカ・ブラッドフォージは聡い。
こんな形で露呈するとは想像すらしていなかったが、隙があったのは事実。マリアンヌが性欲をどうこうというより、フィンの特別な存在に対する歪な崇め方が失敗を引き起こした要因となってしまった。
これからゆっくりと解決していくべきものが暴発した。
これに関しては誰も責められない。
とすれば後は如何にして終わらせるか。
フレデリカに非はない。
個人的にも悪い相手ではないと思っている。
だが彼女自身がこちらの都合を受け入れられるかどうかは微妙だ。それこそアリアが〈聖剣〉を通してフィンのことを見たように、それが出来るのならば何よりも話は早いが、誰にもそれは出来なかった。
つまり今ここでヴァシリがフレデリカを味方に付けない限り、彼女をここで黙らせる必要が出てきてしまう。それは避けたいと思った。
(…………やるしかないか……)
「……ふう。フレデリカくん」
ヴァシリの纏う雰囲気が変わる。
困り果てたと言わんばかりの様子だったのに、ピリッと、まるで戦場の時のような緊張感。フレデリカはあまりの変化に面食らいながらも、持ち前の負けん気で対応する。
「おう。どうするか決めたか?」
「ああ。少々悩んだが、こうするしかないね」
「……何すんだ? あくまで調査からだろ。まさか、いきなり襲撃とは言わねえよな」
「言わないさ。そもそも私は何があったのか全て把握してるからね」
「────……………………」
ヴァシリの言葉にフレデリカは凍り付く。
思考が停止した。
(──知ってる? 把握してるだと? フィン・デビュラのことをか? それともあの変態プレイをか? アリシア・ラ・アエラスの協力もか? なんだと? 知ってる? なわけねえだろ。だったらどうして止めねえ。まさか、弟子を溺愛して超甘やかしてんのか? こいつが? ヴァシリ・ヴァルバロッサが、そんな失敗した為政者みてーなことすんのか? ありえねえだろ。こいつはヴァシリ・ヴァルバロッサだぞ)
思考が纏まらない。
全て把握している、その言葉の理解を脳が拒む。
だが一人の人間であるということもわかっている。
フレデリカが憧れのようなものを抱いている存在が、そんなことをするわけがない。相反する二つの感情が、彼女の中で揺れ動く。
「…………ッ、は、お、おい。冗談キツいぞ。それは、笑えねえ」
震える声で何とか返事をするが、ヴァシリは表情を全く変えない。
「……なあ、嘘だろ。そんなわけないだろ。お前が、そんなふざけたことを放置してるわけがねえ。そうだろ? ヴァシリ・ヴァルバロッサが、いくらなんでも……ありえねえだろ……?」
(……あれっ。思ったより私のこと評価してるね。どうしてだ?)
ヴァシリは内心困惑する。
そこでそんなに引っ掛かるのか? と思ってしまう。
確かに自分はネームバリューのある存在だし、権力者たちからは恐れられている。今の世に至るまでの道筋を作って来たが、聖法国に直接手を出したことはない。
(うーん。確かになんでもできると思われがちだけど、私は弟子を犠牲に生き延びた情けない師匠だからなぁ。久しぶりにそういう見方されたね)
ここ最近、自分のやってきたことの罪深さというものを思い知らされてすっかり卑屈になっているヴァシリ。フレデリカの動揺の意味を悟り、少し微笑む。
だがその微笑みが、フレデリカにとっては別の意味で受け取られた。
(──わ、笑いやがった……!? まさか、まさか、本気で、てめえ程の女が、目を曇らせてるってのか!?)
そんなわけないだろう。
魔王軍を相手に堂々と戦い人類を救った英雄の一人で、気高く男に負けない女で、誰にも負けねえ存在だろうが。それがなんで、たった一人の男の処遇で迷ってんだ。
いや、何に迷ってんだ。
迷ってすら居ねえのか。
そうだと受け入れてるのか?
なんでだ。
どうしてだ。
お前はそういうの嫌ってるんじゃないのか。
ちげえのか。
ギリ、と歯を噛み締める。
どうしてかはわからない。
焦燥と絶望、そしてどこから湧きだしたのかわからない、そこはかとない怒りが彼女の内側を渦巻く。
言いたくはないが、ヴァシリの生き方を尊敬していた。
自分みたいな女と違って誰にも媚びず負けず、聖法国ですら手を出せないアンタッチャブルな存在。女の象徴みたいな存在だ。
それが、こんな、こんなことが、あるのか。
「…………お前も、お前ですら、そうなのかよ……」
フィン・デビュラとマリアンヌのやり取りにアリシア・ラ・アエラスの協力。正気にしろ狂気にしろ、フレデリカにとって、ヴァシリがすでに陥落しているという事実が何よりも重くのしかかる。彼女にとっての最強が、理不尽の頂点が、男に甘くだらしなくない。
胸が痛んだ。
どうしてかはわからない。
力が抜けて、椅子に深く座り込む。
そこに更に、ヴァシリが追い打ちをする。
「フィンは……私のせいで歪んでしまったんだ」
「……は? あんたのせいで?」
「そうだ。私が、あの子の人生を壊した。真っすぐ幼馴染を思っていたあの子を、私が壊したんだよ」
そう語る彼女の瞳は、昏い光が宿っている。
「わかるかい? 幼馴染のために、苦しい修行を耐えたあの子を私は置いて行ったんだ。無駄死にするからと。あの子に理由まで説明して。あの子が耐えられると思って、私は告げたんだ。傷付いていることを知っていたのに。無理矢理にでも連れていくべきだった。私が守るべきだったんだ。でも私はそうしなかった。そうしたらあの子は、壊れてしまったんだ」
「な……にを……」
なにを言っている。
私が壊した?
ヴァシリが、男を、弟子を、ぶっ壊した?
なんだそりゃ。
そんなの知らねえ。
あの弟子が壊れてる?
フィン・デビュラが。
「…………壊れてる訳、ねえだろ。アイツはまともだった。会話が出来て淀みもねえ。冗談だって言えた。下品な話もな。なあ、アイツのどこが、壊れてるって?」
「壊れてるんだ。もうどうしようもないくらい。それなのにフィンは、決して表に出さないんだ。私が育てたから。私の顔に泥を塗りたくないからってね。健気だろう? 立派だろう? 私はそんな弟子の命を吸って生きているんだ」
頭を鈍器で殴られたような衝撃。
理解が出来ない。
弟子の命を吸って生きている?
どういうことだ。
まさか、お前が黒幕とでもいうのか?
そんなわけないだろ。
何を言ってるんだ。
「……フレデリカ。君を逃すわけにはいかない」
「っ……やろうってのか」
身構える。
しかし、手には震えがあった。
自分より圧倒的上位な存在。敵に回っている可能性はあった。だが限りなく低いと考えていた。それだけヴァシリ・ヴァルバロッサを認めていたからだ。
(ちくしょう……ちくしょう、ちくしょうっ! なんでお前なんだよ。よりにもよって、あんたが……!!)
震える手で武器を掴み、引き攣った顔で構える。
心のどこかで尊敬していた人物の真実。
弟子を壊して命を吸って生きているという衝撃的な発言に思考が纏まらない。
(なんでだよ! どうしてお前までそうなんだよっ! あんたが、あんたがそうじゃ、この世界に救いはねえってのかよ……!)
国や強者に対して一切媚びず世界を自由に暗躍する伝説のダークエルフ。
それが、この有様。
フレデリカの瞳に涙がにじむ。
それは、かつて幼い頃に流して以来、枯れ果てたものだった。
しかし、彼女の涙は無慈悲にも踏み躙られる。
「…………フィンはね、マゾなんだ」
「…………あ? ん? …………わりぃ、なんつった?」
「フィンはね、マゾなんだ」
「…………」
フレデリカは武器を構えたまま固まった。
理解を拒む。
連続して告げられる意味不明な言葉に、とうとう脳が停止した。
「…………一から話そう。なぜフィンがマリアンヌくんにお○舐めをしてもらうに至ったかをね」
「…………いや、全っ然理解出来ねえけど……」
フレデリカが武器を落として椅子に再度座り込む。
その表情は疲れ果て、理解不能なものを見る目をしていた。