「今から四年前。魔王軍の尖兵を名乗るモンスターが北方に出現し、銀等級冒険者が犠牲になった。生存者は僅か七名。その内の四名が【払暁】であり、フィンは、蘇生作業が行われるほどの重傷だった」
「……それは知ってる。教団にも履歴が残ってたからな」
かつてセラフィーヌが直々に足を運び行った記録は、信じ難いものだった。
手足の欠損、内臓全ての喪失、心臓すらなく、頭部は欠け脳の一部が砕けていた。
そんな状態で生きていた人間。
生きていると表現して良いのかすらわからない。
覚醒したマリアンヌの治癒により強引に生かされたフィンは、治癒のエキスパートであるセラフィーヌによって蘇生された。
「正直、ありえねえと思ったぜ。そんな状態の人間が生きれるわけがねえ。どんだけセラフィーヌが優れていようが、死者を蘇らせたことはねえだろ?」
「うん。フィンはあそこで死んだけど、死んでなかったんだ」
「…………どういうことだそりゃ」
怪訝な表情でフレデリカが聞き直す。
「死んだけど死んでねえ? さっき言ってた運命とやらが関係してんのか?」
「いや、これは無関係……とは言い難いか。本来定められていた理屈を覆した結果、そうなったと言える。本当だと、私は金等級冒険者で、魔王軍の尖兵に凌辱されて死ぬ定めだった。そこにフィンがねじ込まれてしまったんだ」
──絶句する。
言葉を失ったフレデリカ。
つい先程ヴァシリが言っていた、『歪めた、壊してしまった』という言葉の意味を理解する。
(…………そういうことかよ……)
弟子として可愛がっていたが、才能が足りずおいていくしか無くて、置いて行った筈の弟子は王都で独り立ちして厳しい環境でも励んでいたが、自分を殺すはずだった運命を弟子が肩代わりした。
(……そりゃあこうもなるか)
フレデリカとて大切だと思う人はいる。
もしそういう人物自分の代わりに死んでしまった、後悔もするし悲しむだろう。
「でも生きてたんだろ? 奇跡とはいえ、それはそれでよかったじゃねえか」
「……そう、だね。でもね、フレデリカ。フィンはあそこで死んだんだ」
「…………意味わかんねーぞ。どういうことだ」
支離滅裂な発言に顔を顰める。
「死んでるけど死んだまま生かされたってことか? 【聖撃】がなんとかしたんだろ? それに、あいつは聖女に選ばれるまで修道院からも追い出されちまうような腕だったって聞いてるぜ。エクトルのジジイが言ってたから間違いねぇ。そいつが成長して、フィン・デビュラを生きながらえさせた。悪いことじゃないんじゃねえか?」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ」
そこでフレデリカはヴァシリの言葉を待つ。
かなり丁寧に説明しようとしていることはわかっている。だが内容が複雑な上にヴァシリの感情も交わっているから説明が難しいのだろう、と。
(なにせ、世界の運命が決まっていて、予言者なんてのが大真面目に存在するってのが前提なんだ。どんな爆弾が出てくる? ……いやでも、これ全部フィン・デビュラが変態でマゾだってことの説明なんだよな…………。なんか……なんかよ……なんかじゃねえか……?)
頭を悩ませるヴァシリを見て、ふとフレデリカは冷静になった。
「…………今から言うことは、本当に理解し難いことだと思う。嘘だと思ってもいいけれど、私の話を最後まで聞いてほしい」
「……フィン・デビュラがマゾであることとか、前提の運命とか、それらよりおかしいのか?」
「うん」
「おかしいのか……」
(想像もつかねえよ……なんか、私の人生がちっぽけに見えるくらい世界の真実みたいなもんに触れてるのに、行き着く先はマゾの変態なんだよな……)
「ふー……よし、わかった。取り乱さねえと誓う」
「ありがとう。フィンは魔王軍の尖兵に殺されたと言っていい。けれど、あの子は死ななかった。マリアンヌくんの治癒でもなく、セラフィーヌくんの力でもなく、そもそもその状態で生きていたんだ」
「…………四肢がなくて、脳みそまでかけてて、心臓含めて丸ごと内臓がない人間が?」
「そうだ」
「……ありえねえだろ。化け物か? モンスターより化け物じゃねえか」
呆れてため息でも吐きたくなるのに、語られる内容は真実である。
嘘だと思ってもいいから最後まで聞いてくれ。
ヴァシリに事前に言われてなければ笑い飛ばしていたかもしれない。なぜならそれくらいありえないことだ。同じ状態になった百人中百人が死ぬと断言できる。
弟子のことを想うあまり頭がおかしくなったのかとすら思った。
それでもフレデリカは、ヴァシリ・ヴァルバロッサという傑物への信用をとった。
「…………それで?」
「死ななかった理由は、邪神が取り憑いたから。魔王軍の尖兵を使徒に選んでいた邪神が、フィンのことを使徒に選んだんだ。マリアンヌくんは巫女に選ばれ、その力で持って覚醒し、尖兵を打ち倒した」
「……………………は?」
今度こそ本当に、息が止まるかと思った。
「…………」
フレデリカの脳がヴァシリの言葉を咀嚼する。
死ななかった理由。
邪神が憑りついた。
その邪神は魔王軍の尖兵を使徒としており、フィンに乗り換えた。
マリアンヌは邪神の巫女に選ばれ、その力を使い【聖女】として認定された。
「…………………あー……邪神? 神がこの世界に実在するってのか?」
「ああ。女神エスペランサとは別物の神だ。本人も邪神を自称しているよ」
「……一応、私は邪教の調査って名目で来てるわけだが……もしそれが本当なら、放っておけねえぞ? 邪神? いや、いや……待てよ。邪神が自分を邪神って名乗ったのか? ならエスペランサは? 世界を救いもしねえくそったれな女神はどこにいやがるんだ?」
気が付かぬ間に早口で問いかけている。
「魔王軍の尖兵ってのを使徒にしてたんだろ? フィン・デビュラを選んだってんなら、もうあいつは人間じゃねえのか? モンスターなのか? だから壊れてんのか? あいつは演じてるだけなんじゃねえのか? つうか…………邪神? 邪神に使徒に選ばれて生きていた? 使徒ってのはなんだ? なあ、おい……」
(……だが、信じられねえとは言い難い。フィン・デビュラが奇跡で生存したってことよりも、よほどあり得る。いや、どっちもありえねえんだ。だけど現実としてフィン・デビュラが生きている。だから何かあったんだ。ならその、何かあった事ってのは……)
神が居る?
それだけで衝撃的なのに、更に邪神に憑りつかれた?
それで生きていた?
使徒に選ばれた?
巫女とはなんだ。
いや、そもそも、どうして神が選んだのなら治療しない?
神がその程度の力もないわけない。
エスペランサの経典には、女神エスペランサは世界を照らした太陽の化身だと記されている。神とはそういう存在だ。それが人間一人治せないわけがない。
(邪神……? 使徒…………だけど、これまで私が活動してきた中で、聖女として触れた資料で神の存在は一度も記されてねえ。なんだ? 本命はモンスターだったのか? いや、そこじゃねえ。なんでフィン・デビュラを治さなかった。そんな状態で死なさねえなら、さっさと治しちまえばいいのに────)
そこまで考えて、フレデリカは気が付く。
「…………治せなかったんじゃなくて、治さなかった?」
ヴァシリは目を見開く。
限られた情報、邪神という単語からどんな存在に囚われたのかを探り当てた。
「フィン・デビュラがおかしくなったのは……邪神に憑りつかれたからか?」
そして辿り着く。
フレデリカは、どうしてこんな混沌とした状況にあるのかを理解した。
(──そういうことか。フィン・デビュラは邪神に魅入られて狂った。【聖撃】もそうだろ? 邪神の巫女なんて存在になっちまってんなら変態行為に付き合うのは当たり前だ。アリシア・ラ・アエラスが協力してたのは、そもそもヴァシリが邪神に対して対抗できねえからか! とすると、つまり、ここは……)
──私は今、なんの中にいるんだ?
ゾクッッッ……!!
先日の疑問が頭をよぎった。
瞬間、全身を巡る悪寒。
今の自分がどんな状況にあるのかを理解し、ヴァシリの昏い瞳を見て、確信する。邪神だ。邪神の存在こそが、全てを狂わせた。
「…………ヴァシリ。あんた、まだ正気か?」
思わず、拳を握る。
武器は落とした。
届かない。
拾うまでに無力化される。
邪神の下で隙だらけ。
やばい。
まずい。
脳が全力で警告を発している。
「……フレデリカ。君に一つ、伝えなければいけないことがある」
「っっ…………!!」
反射的に武器を取り、即座に反転。
それだけで滝のように汗が流れ落ちた。
既にここは戦地。
いや、死地だ。
死ぬことが確定している。
人の生き死にを自由に弄ぶ邪神の懐にもぐりこんだ以上、逃れるすべはない。
そして、ぎゅううっ、と素人の様に武器を握り締めるフレデリカに、ヴァシリは目を伏せて悲し気に言った。
「フィンがおかしくなったのは、邪神の所為じゃないんだ…………」
「……………………。…………は?」
「フィンは……初めから、マゾだったんだよ……」
「…………え?」