(なんていうか……思ってたより理性のある人ね、フレデリカって)
ヴァシリとフレデリカの会話を盗み聞きしつつ監視しているアリシアは、リビングでぼーっとしながらそんなことを考えていた。
(ヴァシリ本人への憧れなのかしら? 丸く収まりそうじゃないの)
素行を知っていたアリシアは最初こそ警戒していたが、話は通じるし無理はしないし懸念していたフィンへのヘイトも低く、ヴァシリとの話し合いが始まってもかなり慎重で穏健的な態度だったためすっかり安堵していた。
(ヴァシリの説明もかなりぐちゃぐちゃだけど、ちゃんと聞いてるし理解しようとしてる。いやでも、あれ以上にうまく説明する方法があるのかしら……やっぱりもう目の前でマゾなの見せつけるのが一番手っ取り早いんじゃ……)
アリシアはこれまで口で説明した直後にフィンがどれだけマゾなのかを見せつけるために目の前で痛めつけたりしてきた。もうそれしかないと思ったのだ。
(でもあれは……相手がカルラだったのもあるのよね。あの子達、平然と私に殺意向けてきたくらいだもん。言葉で説得できるとは思ってなかったのが大きかったわ)
ちゅ〜、と木の筒でジュースを飲みながら、ソファに寝転がる。
(ヴァシリにそれをさせるの無理よねぇ。フィンくんとヤったときも激しくはあったけどお互いイチャイチャラブラブしてたし、私達の時みたいにビシバシ言ってなかった。罵倒も聞こえなかったもの。それなのに目の前でフィンくんを罵ったり叩いたりしてマゾだとわからせるのは、厳しいか)
ヴァシリじゃなくても厳しいのだが、もうすでにおかしくなっているアリシアはそのことに疑問を抱くことはなかった。片手間に聞いているフィンとマリアンヌの情事ですら聞こえてはいけない音がかなりしていて、すっかり感覚が狂っていた。
(でもまあ、このままいけばフレデリカは問題なく片付くかしら。そうなるとセラフィーヌちゃんだけど、あの子はフィンくんのお気に入りの一人っぽいし……なにより数年間フィンくんのことを隠して治療に専念してた本物の聖女だから、無理に巻き込むこともないでしょ。誰も望んでないわ。まさか、フィンくんの下の怪物を見てもなお何とも思わないなんて……)
アリシアは心の底からセラフィーヌを尊敬している。
フィンが仲間に捨てられるからと心の闇を告げてでも隠してくれと言ったことに対して己の身分すら明かさずに徹底して守り抜き、神官と患者としてキッチリ区別をつけて助けて来た。
特にあの凶悪なブツを見て未だに印象を変えていないのもすごい。
あんなのをぶら下げている人が居れば印象は全てそれで埋まってしまうだろう。
もしもフィンが普通の冒険者だったのなら二つ名が決定する程だ。
(……ルルクス様の話もどこまで信じていいかわからないけど、世界がこんな有様である以上は否定することもない、か。ほんと冷静ね。凄いわ。私だって、感情が読めなかったら信じられなかったのに)
そしてその評価はフレデリカにも向けられつつある。
彼女は徹底して自分のルールの中で生きている。
いや、この残酷な世界で必死に自分なりの正しさというものを掲げているのだ。たとえ自分のことを指の一振りで殺せるような相手だろうと変わらない。それで敗北しようが己を貫き通す意思。
今回だって無視しようと思えば出来たはずだ。
セラフィーヌを連れて逃げることだって出来た。
だけどそれをしないで、信じられる相手に話を聞いて、隠し事があるとわかってもその場で暴れたりはしなかった。
内心の怯え、恐怖、後悔、それらをアリシアは感知できてしまう。
フレデリカがどんな思いでヴァシリの話を聞いているのかがわかるのだ。
眩しすぎると思った。
フィンと同じくらい輝かしいと思った。
どれだけ怖くても、恐れていても、怯えていても、それを態度に出さずに気丈に振る舞う精神性。自分の決めたことを曲げず、理解の及ばないことがあっても自分なりに理解しようとする姿勢。
フレデリカは強い。
だけどこの強さはきっとフィンと同じだ。
どれだけ打ちのめされて辛い目にあっても、絶対に折れず立ち上がるところは特に似ている。
(…………聖女って、本当に凄いのね)
彼女らは聖女だから崇められるのではない。
聖女に相応しい力を持っているから聖女なのだ。
他の聖女に関してはそれほど詳しくないが、少なくとも今この拠点に居る三人は、間違いなく聖女と呼ぶべき存在だった。
(……ま、まぁ、マリアンヌちゃんは最近ちょっと色ボケしてるけど。色ボケっていうのもなんか違うかしら。どっちかというと好きな男の子が他の女と寝まくってるのに加えて信じ難い現実を突きつけられ続けて精神が崩壊しかけてたって言うか……うん。でもあの子、孤児院の支援とか欠かしてないものね。【払暁】のリーダーとしてもしっかりしてるし、ヴァシリにも怯まないで食って掛かってるし。負けてるけど)
アリシアの耳に聞こえてくる声は中々にこう、進んだもので、ヴァシリやアリアとの何かを確かめ合ってるものと比べるとかなり生々しく、それはどちらかと言えばアリシアにとって馴染みのある声と音だった。
あなたもこっち側に来てしまったのね。
フィンくんは……あっ、悲しんでないわねこれ。
マリアンヌちゃんは堂々と性的な目で見てたって伝えてたしそういう影響もあるのかしら。大切に想われてない訳じゃないのにこれが出来るのは一歩リードなんじゃないの?
アリシアもアリシアで精神的に何度か打ちのめされてはいるものの、長年フィンに恋していたわけではないのが作用して着地点を定められていたので平等な視点で行われている激闘を観察できた。
(さて。盛り上がってる所に水差すのも悪いし、一旦フレデリカとヴァシリの方に集中して──)
──もう直接聞きに行くぞ! 直接私が納得するまでデビュラと話す! それならもうこんなぐちゃぐちゃにならねえだろ!?
「おぼふっ」
飲んでいたジュースを噴き出す。
横になっていたために噴き出したジュースが顔にびしゃっとかかった。
「げほっげほっ!! ごほっ! ウッ!」
風を操作して気管に入った液体を強引に抽出して呼吸を取り戻してから、アリシアは慌てて起き上がる。
(ま、まずいわ! 今はまずいッ! とってもまずいっ……!)
「……一人で何してるの?」
「な、なンでもないわよォ……」
「(……こういう時の姉さんって大体何かあるんだけど、まあいっか)」
アストレアは一人でジタバタし始めたアリシアを訝しみつつも放っておくことにした。合流して以降、姉が慌ててる時は大体フィンのことなので、いっそのこと首を突っ込まない方がいいと学んでいたのだ。
(ど、どうしましょ……! 取り敢えずフィンくんとマリアンヌちゃんに……いやっ! それをやったら中途半端で終わる! 今ここで中断するのはお互いにとって良くないわ! 私が時間を稼ぐしかないッ!)
(…………なにしてんの。もしかして、またフィンが新たな女に手を出したり? ちょっと覗いて……あ。姉さん、固めてるけどここ穴空いて……うわっ。すごっ、えっ!? マリアンヌ!? あ、あんたそんなことまで……!!? カルラですらしてないわよ!?)
ハイエルフの姉妹が険しい表情でソファに佇んでいる。
顔に付着したジュースの成分をサッと外に投げ飛ばしたアリシアと、そんなアリシアの対面のソファで寝っ転がっているアストレア。近寄りがたい雰囲気を出していることには全く気が付いていないハイエルフの姉妹は、そのまま風を読んだ。
(そ、そうだ。ここで私が止めればいいんだわ。フレデリカの謎を解決するのにもう少し時間が欲しいって言えばいいの。大丈夫。彼女は理性的な人よ。行為中だって言えば止まってくれる筈……)
(うわっ、うわうわっ……マ、マリ、あんた、ええっ!? 飲み込みすぎじゃない!? 胃袋!? そりゃ苦しいでしょ! 顔真っ赤じゃない! フィンあんたも止めなさ──ひっ……!!? わ、笑ってる……!?)
ガタガタ震え出したアストレアを尻目に、アリシアは立ち上がり、扉へと歩いていく。
(止めなくちゃ。フレデリカはそういう目に遭ってそれでも不屈でいた人だけど、フィンくんのフィンフィンを相手にして冷静で居られるかはわからない。大丈夫。きっとフィンくんのマゾ欲を適度に満たせるいい関係になれるはず……)
自分が積極的に好きな男に女を差し出していたことは棚に上げて、アリシアは決意した。
(これ以上女は増やさせないわ。やっとフィンくんは安定してきたの。アリアと〈聖剣〉がフィンくんの心の器を補強してくれたのよ。だから…………)
聞こえてはいけない野太い喘ぎ声が聞こえてくる。
風を通して、獣の如き声が彼女の脳に響き渡っていた。
(…………うん。普通に見せちゃダメねこれ。フレデリカが素直に説得されてくれると、本当に、ほんっとうに助かるんだけど……)
ため息を吐いた。