フィンとフレデリカが腹を割って話し合った翌日。
フレデリカはヴァシリを改めて訪ねていた。
セラフィーヌは他のメンバーと共に【深淵の森】浅層へと出掛けており、拠点に残されているのはヴァシリとフレデリカ、そして警備役のアリシアのみ。
これまでの話し合いと違い最初から友好的な関係にあることを知っている二人は、和やかな空気で話し始めた。
「……そうか。フィンどころかルルクス様にも直接聞いたんだね」
「ああ。ぶっ殺されるかと思ったぜ」
お茶を飲みながら昨日のことを思い出すフレデリカ。
フィン・デビュラを諦める選択肢のなかった彼女は真正面から神に喧嘩を売り、その逆鱗に触れることすら厭わなかった。そうでなければ自分ではない。例えどれだけ強大な存在が相手だろうが、理不尽を齎すのならば許さない。
自分は常に理不尽な敵だ。
その強固な意思で恐怖と怯えを受け止めながら、啖呵を切った。
結果的にフィン自身が抑えたためにその場では何もされなかったが、その恐怖が色濃く残っているのは彼女の目の下に刻まれた隈を見れば一目瞭然だった。
ぶるりと身体を震わせる。
「正直二度とやりたくねえな。フィン・デビュラが止めてくれたから何もされなかっただけで、あのまま嬲られてぶち犯されて苗床にされててもおかしくなかった」
冷酷で、しかし高揚した瞳。
人のものではない明らかに別の何かが宿った目で、まるで臓腑の中身まで覗かれたような感覚を覚え、全身を見透かされて身動きすら取れないような恐怖を味わった。
「ふむ……。確かに、少々苛烈な部分はあるね」
ヴァシリもルルクスの激昂に遭遇したことがある。
初めて姿を現した際にフィンの首を掴み苦しめたことは記憶に新しい。なお、実際は神の方がマゾで喜ぶフィンに手を焼いており日常的にしている行為の一つに過ぎなかったのだが、ヴァシリはそのことを考えたくなかったので気にしないことにしている。
「しかし、邪神だけど女神でもある。フィンを我が使徒と呼び慈しむ姿もまた真実だ。…………邪神なのは否定しないけど」
「わあってるよ。それよりフィン・デビュラのことだ」
邪神の話を切り上げ、フレデリカは対象を変える。
「フィン、か。……君から見て、どうだった?」
「そんなの決まってんだろ。哀れな救うべき人間だ」
「……………………」
ヴァシリは目をパチパチと瞬きする。
「なに面食らってやがる。それ以外にねーだろ」
「あ、ああ、いや、そうだが…………君の口からその言葉が出てくると、驚いてしまった」
「チッ…………似合わねえこと言ってる自覚はある」
ポリポリと髪を手櫛でといて誤魔化しながら続けた。
「アイツの事情は複雑すぎて全部正確に理解することすらできねぇ。由緒正しい貴族サマのありがてえお話よりよっぽど複雑だ。そういうめんどくせえ事情全部引っくるめて、私はアイツを救うべき存在だと定めた」
「…………」
ヴァシリはお茶を口に含み喉を潤し、続きを待った。
「ずっと抑圧された人生を送ってきて、アイツは自分の正しい評価すらできなくなってる。自己評価が低いんじゃねえ。もう認められねえんだ。それはわかってんだろ?」
「……ああ。気付くのが遅すぎたんだ。私たちのせいで……」
「…………そうだな。もう、取り返せねえ」
悔やんでも悔やみきれない。
ヴァシリの胸中にあるそんな思いを感じ取ったのか、それとも彼女自身もそう考えたのか、フレデリカは呟く。
「アイツはもうぶっ壊れてるよ。だけどな。それでもなお清く正しく生きていきたいって言えちまうような男を救えねえなんざ、聖女の名が廃るってもんだ」
(……ハッ。聖女の名が廃るって、自分で言ってなんだが、バカバカしいな)
誰よりもその名を汚しているのは自分だ。
一体どの口がと罵られても仕方ない言動だが、そう思ってしまったのだから仕方がない。この世界で初めて見たと言えるほど、高潔な男だから。見捨てることはできないと思ってしまった。
何人も理不尽な男をその手で捩じ伏せてきたのに、守りたいと思ったのだ。
「…………もうぶっちゃけて聞くけど、エロ聖女とアリシア以外にもヤってる奴いるだろ?」
「ぶふっ」
ゲホッゴホッと咳き込むヴァシリ。
風を使い効率的に治してから、んんっと喉を鳴らして言う。
「…………いるよ。うん……」
「まァ、そうだろうな。【払暁】は全員か? あ? いや、だが、アリシアの妹が二人いるよな……?」
「ああ、ハイエルフの姉妹は全員フィンとしてるよ」
ピタッと動きを止める。
「…………三姉妹三人とも? 同じ男と?」
「うん。なんならアリシアが一番最初だね」
「…………正気か? もう狂ってんじゃねえか?」
「えっと…………エルフ的にはそこまで変じゃないらしいよ」
「……………………」
「……………………あんたは?」
「…………流石に姉妹で共有は、ね……」
二人はなんとも言えない顔をする。
特にフレデリカは、心の中で密かに憧れを抱いていた気高いハイエルフの王女のイメージが崩壊しつつあった。
「……まあイカれ種族のことは置いとこうぜ。あとは【勇者】か?」
「そうだね。第二王女なんかもしたって聞いてるよ」
「…………ふー。よしわかった。もういねえな?」
「……あとはアリアと…………私、だね…………」
ヴァシリがそう言った瞬間、空気が凍りつく。
フレデリカが無言で言葉を聞いて、しばらくじっと考えてから、口を開いた。
「……………………悪い、聞き間違いか? 今なんて言った? そんなわけねーよな? 自分でガキの頃から育てた男だもんな?」
ギロリと瞳がヴァシリを捉える。
親による子供への性的接触は、フレデリカにとって特に許し難い禁忌。
かつて、力のない自分が屈辱に塗れた日々を思い出し、その顔を憤怒で染めあげる。
「まさか、息子同然の男とセックスしたなんて言わねえよな?」
「…………し、しました……」
「…………あぁ!?」
「……言われなくてもわかってるんだ。私がどれだけ気持ちの悪いことをしてるのか、自覚はあるんだ……」
悲痛な表情でヴァシリは俯く。
「けど、けれど、私は……求められたことが、嬉しくて…………」
「(…………求められた? ……あ、あのマゾ野郎……! いくら童貞拗らせても育ての親を抱くとかよォ……!!)」
しかし、ヴァシリは普通の親とは違う。
血縁関係があるわけでもなく、老いもしない美女。
褐色の肌に銀髪が映え、その美貌は衰えない。
身体付きは妖艶と表現するほかなく、大きな胸と引き締まったお腹がくっきり浮き出ている服装がより一層美しさを引き立てている。
「(…………まァ、一人の女として見りゃあ興奮するのは否定しねえけど……)」
怒りはあるものの、ヴァシリが強要したわけでもなければ、フィンが強引にしたわけでもない。それならばと溜飲を下げる。
「……卑しいとわかってるんだ。アリアの目の前でしたことも、本当に酷いことをしてしまった……」
「(……もう突っ込まねえぞ。絶対に突っ込まねえ。キリがねえんだよ。なんでまだ知らねえイカれた行為が出てくんだ。知らねえ知らねえ。そんな倒錯的な行為、私は知らねえ……)」
よりにもよってずっと恋をしていたアリアの目の前で、その幼馴染と交わったという告白を受けてフレデリカは口を固く結ぶ。いちいち反応していては日が暮れるのだ。
「はぁ…………もうこれ以上気にしても仕方ねえからな。何も言わねえよ。つーか、そんだけ女抱いてるのにアレか……」
(それまで自分より評価されてた綺麗な女とヤレるってなったらそうなるか。自分でも女覚えたての童貞って言ってたしな。……いや、待てよ。飽きるんじゃねえか普通。何人抱いてんだ? しかも変態プレイまで? どうなってんだ。それも邪神のせいか? ……ま、まあ、アレだもんな……)
思い出されるのはとんでもない大きさをした怪物の化身。
明らかに人間に備わってはいけないサイズの生殖器が、頭を離れない。
(あんなもん最初に味わっちまったら、抜け出せねえだろうなぁ……)
幼い頃に性的暴行を受け続けたフレデリカは、女としての悦びを得ることがない。しかし客観的にどんな快楽を得ているのか、どうすれば気持ちいいのかは知っている。
大きければ大きいほど大きい──なんてことは言わないが、常軌を逸したブツを味わっては他の棒から得られるものなんて無くなってしまうだろう。
「……ヴァシリ」
「……なんだい?」
「私はフィン・デビュラを助けてやるつもりでいる。放っておけねえからな」
その宣言に、ヴァシリは神妙な表情で頷く。
「誰から助けるかは私が決める。邪神かもしれねえし、【払暁】かもしれねえし、お前かもしれねえ。フィン・デビュラの心が少しでも前に進めるなら、私はアイツが嫌がってても聖法国に連れ帰るぞ」
「…………なっ……」
お互いの視線がぶつかる。
「……それは、どういう意味かな?」
「文字通りだ。大体お前ら、こんだけ数が揃ってて誰一人としてフィン・デビュラを助けて守ろうとしなかったみたいじゃねえか」
「……そんなことはない。私を含めて、フィンのことを助けようと……」
「何からだ?」
「…………フィンの心を、あの子の、苦痛を……」
「苦痛すら気持ちよくなっちまうのに? 一体何から助けて守るつもりだったんだ?」
考えなかったわけではない。
フィンの心を少しでも楽にするための方法は何度も考えた。思いつく度に、これでは意味がないと頭を悩ませた。
わからなかった。
何をすればフィンの心が救われるのか。
聖剣が主導しアリアと理解し合ったことで、フィンは己の感情ともう一度向き合う決意をした。良かったと思った。やっと、二人が結ばれたと思った。
けれど──けれども、それは果たして助けたと言えるのか?
向き合うのはフィンだ。
邪神が吸い取らねばどうすることもできないほどの悪感情を抱えて、それに向き合っていくのは、フィンだ。
私は?
私達は?
一体何をしてあげられる?
「……………………」
ヴァシリは言葉に詰まった。
自分がしたことはフィンと交わったくらいだ。
その前だって、大したことはしてあげられていない。なんならフィンの努力を否定して傷付けてしまったくらいだ。
唇を噛み締める。
ブチッと音がして、肉を噛みちぎる。
自分が何をしたか?
そんなことは言われなくてもわかっている。
何もしてあげられていない。
口だけだ。
師匠と慕ってくれる弟子に、何もしてあげられていない。
「私とフィン・デビュラは似た者同士だから、なんとなくわかるんだよ。だからきっちり言うぜ。もしもお前らがフィン・デビュラの道を阻むなら、私が攫っちまうってよ」
「…………」
似た者同士。
その言葉がヴァシリの思考をかき乱す。
フレデリカのことは聞いている。
幼い頃から性暴力に晒され続け、それでも生き延びて、今はこうして聖女の一人となった。その道は厳しく険しかった。誰も味方がいない状況で一人で登り続けた。
フィンもそうだった。
味方であるはずの師と幼馴染は旅に出て、自分は過酷な盾役の道を歩んで行った。仲間からの誤射や罵詈雑言に周囲の圧を快楽として受け取りながら、心のどこかでその闇を溜め込み続けた。
感情が読めるわけでもなく、長い付き合いでもないフレデリカがフィンのことを理解していることがその証拠だ。
「……私たちでは……力不足かい?」
「逆だよ逆。お前らは全員力がありすぎる。だからアイツのことがわからねえんだろ」
それはヴァシリにとって、触れられたくない真理だった。
フィンには才能がなかった。
血反吐に塗れて必死に鍛え上げた肉体と、実戦で磨かれた技術に神がかった盾役としての嗅覚がフィンを金等級冒険者に押し上げた。
「それは仕方ねえことさ。だけど、そのことを感じ取ってやらねえとアイツが……フィン・デビュラが、かわいそうだ」
「だ、だが……フィンはもう、一人の大人で……私達にだって比肩する、盾役で…………」
「間違っちゃいねえ。けど、アイツの心の奥底でそう思ってないんだよ。いつまでも自分を卑下し続けてる。もう治らねえんだ、それは」
──頭をガツンと殴られたような感覚。
「アイツに今必要なのは愛でも温もりでもねぇ。理解し合うことだ。理解した上で認めてもらうことだ」
「理解、する…………」
ヴァシリの脳裏に思い浮かんだのは、弟子のことだった。
〈聖剣〉を通してフィンのことを全て見たアリア。
そうなってからは、確かにアリアの接し方にも違いが生まれたように思えた。
(…………じゃあ、なんだ……)
喉が渇く。
目が揺らぐ。
(私は、フィンのことを、何もわかってないのに、わかってる気になってたのか…………?)
呆然とするヴァシリ。
アリアはわかっていたのか?
それともわかっていなくても本能的に理解したのか。少なくとも、ヴァシリにはわかっていなかったことだ。
動揺を隠せないヴァシリを見て、フレデリカも同情するような目で見る。
「…………まあ、心配すんなよ。何があっても私が一緒にいてやるさ。アイツを孤独にはさせねえ。なんでか知らんが、歯向かったら邪神にも気に入られたからな。本当に連れ去るつもりなんざねえよ。ただ、そんくらい本気で味方をするつもりだと思ってくれ」
そう言いながら立ち上がり、部屋の扉へと向かっていく。
扉に手をかけて、半身出てから、思い出したかのように告げる。
「万が一、良くねえことが起きた時は…………セラフィーヌを頼む。セラは私とは違う。穢れないまま、綺麗なままでいて欲しいからよ。頼むぜ、【天聖】」
そう言い残し、フレデリカは部屋を後にする。
部屋に残ったヴァシリは何も言えず、思考の渦に囚われていた。