深夜。
客人が寝静まった時間に、ヴァシリはフィンと肉体関係にある主要なメンバーを集めて話を始めた。題目は当然、フレデリカに関することだ。
「……とまあ、このような経緯で彼女にフィンのことがほぼ全て露見したが、良い結果となったことを報告しようと思ってね。こんな時間に集まってもらってすまなかった」
諸々のことを語り終えたヴァシリに、誰も口を開かない。
当然と言える。
彼女らはフィンのことを愛しているしなんでもしてやりたいと思うほど深い想いを抱いているが、誰一人としてフィンと同じ境遇の者はいない。
だから理解が及ばなかった。
フィン自身が口を閉ざしていたことも原因の一つではあるが、それで自分を納得させる者はこの場に居ない。
「…………そうか。それは、私では無理だな……」
唇を噛み締めながらカルラが呟く。
カルラは特に、フィンに対する加害をしてきた自覚がある。それゆえに強くフィンに対して何かを言うことができず、距離を縮めることもできない。抱いてくれと迫っていることだって厚かましいことをしたと考えている。
フィンの優しさに甘えているだけだと思っており、フィンにこれ以上自分が何かをすることそのものが良いことだと思えない彼女にとって、フィンを理解してその共感者になるという道は、選び難いものだった。選択肢すらなかった。
フィンに言われれば消える。
フィンに言われれば死ぬこともできる。
フィンに言われれば他の男に抱かれたっていい。
四年前にカルラからフィンへ向けた感情は、贖罪と愛がごちゃ混ぜになってしまっているのだ。
「…………」
その隣でアストレアは無言で俯いている。
彼女の胸中にもドロドロとしたものが渦巻いている。フィンへの愛はある。だが、自分がフィンを本当に理解しているのかと言われれば、そうではない。
フィンに邪神が取り憑いているとわかった時、あの騒ぎの最中、アストレアはフィンの言っていることの理解を拒みパニックに陥った。死ねない身体を死なない身体だと言い、これからはみんなの役に立てると言った。役立たずじゃなくなると喜んだ。
あの時のことは忘れられない。
アストレアにとって己の罪を突き付けられた決定的な瞬間であり、今でも夢に見る。フィンに攻撃を当てた時のことや、その際の表情、反応、声、それらがフラッシュバックして夜中に目を覚ますことは珍しくなかった。
そして何より、フィンのことを理解して連れ去ってやるとまで宣言したフレデリカに、強烈に嫉妬している。そんな自分が何よりも醜くて、憎しみすらあった。
(…………クソみたいな女ね……)
自分自身の醜さに打ちのめされる。
泥水を啜ってでも這いずって一人生き延びたフレデリカとフィンの共通点にすら羨む自分。
何もかもが違う。
そう思わざるを得なかった。
「……そ、それじゃあ……私は最初から、間違えてたの……?」
アリシアが顔面蒼白で呟く。
今に至るまでの流れを作ったのはアリシアだ。感情が読めてしまう力を持ち、誰よりも先にフィンの心を感じ取った張本人。
中身と外側が一致しない歪な青年。
紳士的な仮面の内側で壊れていることを察知してしまった彼女がどうにかしなければいけないと考えたことから全てが始まった。
初めは、よくない歪み方をして盾役として悦びを覚えてしまったのかと思った。
仲間達を守ることで快感を得て、自分がどれほど傷つこうがかまわない。
そんな歪な青年なのかと思った。
だけど違った。
いや、それも正解だった。
だけどマゾヒストという部分に気を取られてしまった。誰にも言えない性的嗜好をずっと抑圧したままでは辛いからと、アリシアが理解を示してしまった。
自分が歪であることを自覚しながら他者のためにその己の部分を隠していた青年の心を暴いたのは他でもないアリシアだ。だから彼女はその責任を取るために、フィンを取り巻く環境のコントロールを必死にやってきた。
「…………私が、理解してあげないと、ダメだったのに……」
「それは難しいんじゃない? おにーさん、隠すの上手だもん」
「……でも、私は感情がわかるのよ。汲み取ってあげなきゃ……」
「それも無理だと思うよ。だって、私が姉さんたちに何を思ってたかもわかんないでしょ?」
「っっ…………」
アリーシャの言葉にアリシアは閉口する。
彼女も感情を隠すのが上手い。
普段の生意気な言動とは違い、現実的な思考を持っている彼女も二面性がある。
姉二人と比べ実力の劣るアリーシャにとって、近しい人間が優れた者ばかりの環境は慣れたものだ。しかしフィンの場合はその対象が異性であり、まるで相手にされてない状態で下手なことをすれば何をしてくるかわからない状態だったのも大きい。
「おにーさんはバカみたいに真面目なんだよ。だから必死に何も抱かないように考えないようにって目を逸らしてきてたのが積み重なって、いつの間にかああなっちゃった。おにーさんが変態マゾなのとは別の問題だから、アリシア姉さんじゃ絶対気が付けなかったと思う」
それは擁護のようでもあり、同じ境遇にあるアリーシャからの棘でもあった。
「どれだけ考えないようにしても溜まってくんだよ、こういうのは。全て何もかもどうでもいいって思えるくらい望みが叶わないと無くならないよ」
「……私じゃあ、フィンくんのことを助けられないの……?」
「……アリシア姉さんは十分助けてるでしょ。おにーさんのマゾっぷりを全開にして生きれるようにしたじゃん。それはそれで助けられたと思うけど……」
何言わせんだよと言いたげなジト目をしたアリーシャを見て、アリシアは少し冷静になった。
「え、あ、う、うん。そうね。そうよね。ごめんなさい。ちょっと、おかしかったわ」
「……ねえヴァシリおばさん。なんか姉さん壊れてない?」
「……色々あってね。でも、そうか。私達では理解しきれないか」
ヴァシリは嘆息する。
フレデリカの言うことを信じていないわけではなかったが、アリーシャに言われたことで間違いないと確信した。持っている者では、持っていない者のことがわからない。当たり前の話だ。山で育った子供は海の雄大さを想像できなければ、港町で育った子供は山の自然を理解できない。
「アリアは、どう思う?」
視線が自然とアリアに集まる。
〈聖剣〉を通じてフィンの記憶を見たアリアは、フレデリカ以外で唯一全てを理解している相手と言ってもいい。幼馴染として全てを知って受け入れたことは周知されており、事実上の、まあ、なんというか、一番近いんじゃないかと思われているのだ。
みんなの視線を受ける中でアリアは一度目を瞑ってから、口を開く。
「…………凄いなぁ……」
呟かれた言葉に、皆が思考を止める。
「フィンがそう思ってるって、フィンがそうだって、私は全部見ないとわからなかったのに。凄いよ。嫉妬しちゃうよね」
「…………アリア……」
ヴァシリはアリアの名を呼ぶが、アリアは感情を込めて言葉を続けた。
「全部見たから私は気付いてたよ。でも、どうしようもなかった。私たちがしてあげられることなんてなかった。フィンは私達のことを好きで愛してくれてるけど、その一方で簡単には言い表せない感情を向けてることも多かったから」
「…………」
「フィンが助けを求めてたのも本当だよ。王都に来てからは特にそうだった。フィンはもうそれも覚えてないけどね」
「……例の、邪神が養分にしているという話か」
カルラの言葉にアリアは頷く。
その言葉を聞いて他の者達も顔を顰めたり、俯き目を伏せる。
「でもフィンは、そういうの全部許すって決めてたから。たとえどんな風に思ってても、相手が真剣なら紳士として対応するべきだって心に誓ってたから、私は何も言わないことにした。フィンがそうしたいって願ってたから。私はフィンの隣に居ることにしたからさ」
背中を押すでもなく、前から手を引くのでもない。
アリアは全てを理解した上で、自分では出来ないことだと判断した。
なぜならアリアは幼馴染で、フィンを置いていった側の人間で、幼い頃から彼に劣等感を植えつけ続けた張本人だから。
「だから、あの聖女が全てを敵に回してでもフィンを助けるって言ったのは……すごくいいことだと思うよ。本当に凄い。凄すぎて、嫉妬しちゃうもん」
そう言って苦笑する。
「…………愛でもなく、温もりでもなく。昔のフィンを助けられるのは、きっと……」
フィンの記憶の中でそれが出来ると期待出来たのは一人だけ。
その一人ではない別の人物がそれを成し遂げそうなことはとても喜ばしく、アリアは心底それを喜んでいる。だが、だけど、だからこそ、愛を抱いている彼女の胸中に燃え盛る心があった。
(出会ったばかりなのに、やっぱり【聖女】って呼ばれてる人は凄いなぁ……)
こればかりは本人同士の相性もある。
育ちが悪く自分一人の力で這い上がってきたフレデリカはフィンのことを正確に理解する土台があった。虐げられる弱者の味方であり続けると神にすら宣言した女の覚悟は並大抵のものではない。
(…………思っちゃいけないんだけどさ。羨ましいって思っちゃうのが、私のダメなところなのかな。どう思う、【聖剣】)
『まあ、それくらいはいいんじゃないかな。アリアはどうしても刺激しちゃうからね』
(そうだよねぇ。……はああぁ。いいことなのに切なくて、自分が嫌になるなぁ)
誰にも助けてもらえなかった少年の心はアリアには救えない。
無償の救いをもたらすことができるのは、なんの確執もなく、ただ己の信念のみで手を差し伸べることが出来る者だけ。
愛を向け合う者ほどその枠から外れてしまう。
特に、フィンと過去に関わりのあった者ほど、何も出来なくなる。
フィンが無意識に抱く負の感情、その発生源なのだから。
(…………よかったね、フィン……)
窓の外を見る。
届く光は遥か遠くの月明かり。
それは月が世界を見守っているようでもあり、夜の闇を強調しているようでもあった。