二人の聖女が拠点にやってきて一週間。
完全休息日と定めた日の正午前に、セラフィーヌとフレデリカ、それとマリアンヌが集まっていた。
「こうして面と向かって話すのは初めてだな、【聖撃】の」
ニヤリと笑みを浮かべ話を始めたフレデリカに、マリアンヌはギュッと顔を強張らせる。
なにもその武威や威圧に怯えたからではない。
マリアンヌがフィンと密接な温もりを交わし合った光景を見られており、さらに言えば、己の神を通してどんな会話をしたのかを知らされているからだ。
フレデリカ・ブラッドフォージ。
邪神に啖呵を切り、ヴァシリにも弟子であり息子である男を奪ってでも治してやると宣言した女傑。最悪の生まれから単身で這い上がり聖女と認められ、己の信念を貫き通すためなら命も尊厳も惜しくないと震えながら言い張れる精神力は、確かにフィンと近しいものがあると思った。
なによりマリアンヌの心を揺らがしたのは、彼女の発言そのものである。
『持っている人間に持っていない人間のことはわからない』。
その通りだ。
【払暁】になる以前、マリアンヌとフィンは同じだった。
一人で生きて行くことを余儀なくされた弱者同士、カルラとアストレアと同じ仲間でありながら決して対等ではない二人は、互いを支え合ってきた。
それだって完璧では無かった。
フィンが傷付き苦しみ、マリアンヌが治癒する。
未熟な神官の治癒がフィンの肉体を包み込み、傷跡と痛みを残して止血する。その度に無理をしているのか引き攣った笑みで感謝を告げる彼に、マリアンヌは心を痛めて来た。
必死に鍛錬を積みなんとか銀等級として相応しい力量になったのも束の間、魔王軍の尖兵による襲撃を受け覚醒し【聖女】と認められた。
だがその結果が今、これだ。
自分の力の源が大切な人の苦痛であり、その苦痛を受けたことすら本人に自覚がない。自覚がないまま養分にされ邪神の源になっている。
焦燥ばかりが募る日々。
フィンを他の女に奪われるという危機感から遠回りして、結果的に先に他の女と関係を持たれた挙句、特別だからとあまり積極的に身体を重ねることもない。我慢の限界を迎えそうになり見かねた邪神を通じてフィン側から抱きに来てくれたというのに、それも、フィンからすれば特別なことではない。
散々考えた。
他の女達がフレデリカの事を認めていることも分かっている。
マリアンヌも決してフレデリカの事を認めていない訳ではなく、寧ろ、自分達ではわからない視点でフィンを見てくれる人が増えたこと自体は喜ばしい。
だけど、考えれば考える程、フィンの言う『特別』とのギャップが浮き彫りになる。
マリアンヌは普通の女の子だ。
カルラのように良家に生まれたわけでもなく、アストレアのように王女でもなく、アリアのように幼馴染でもなければ、フレデリカほど酷い幼少期を過ごしたわけではない。
思想が極まるほどの人生は送っておらず、自分の欲というものは捨てられない。
愛する人には抱き締めて欲しい。
愛する人を抱き締め返したい。
愛を囁き合って温もりを感じながら幸福を噛み締めたい。
良くも悪くも普通の感性を持つマリアンヌにとって、フィンの『特別』は愛を実感しにくい。
だからこそ、嫉妬心が捨てられない。
フレデリカは既にフィンにとって唯一無二の人になりつつあって、マリアンヌはフィンの『特別』である現実の実感がないから。
その苦悩が現れた表情を見て、セラフィーヌが困ったように言う。
「フレデリカさん。あまり高圧的な言い方は……」
「あ? どこが高圧的だよ。普通の挨拶だろ」
「普通ではありませんからね。この方は口では悪ぶってますが、聖女として相応しい方ですから誤解なさらないでください」
チッ、と舌打ちするもフレデリカは否定しない。
「ま、別に誰にでも噛み付いてるわけじゃねーよ。私にとっちゃこれが普通なんだ。そういうもんだと思ってくれ」
「……はい、わかりました」
ふー、と溜息を吐いてマリアンヌは思考を切り替える。
(少なくとも私はフィンさんに嫌われているわけではないんです。優しい方ですが、抱いてもない愛を囁く人ではありません。あれだけ愛されたんですから……)
「改めて、【聖撃】の号を賜っております、マリアンヌ・ハイレンディーヌです。よろしくお願いします」
「おう。長い付き合いになりそうだからな。こっちこそよろしく」
「長い付き合い、ですか?」
「フレデリカさんは本国に戻らず王国で活動していくことにしたんですよ。私はあまり王都から離れることが出来ませんので、代わりに滞在して頂きます」
(……なるほど。そういう名分にしたんですね)
フレデリカはフィンの事情を知っている上にフィンの事を助けるとまで宣言しているが、セラフィーヌはなんの関与もしていない。どのようにして誤魔化すのかと気になっていたが、そうすれば確かに違和感はないと納得する。
「私は私の基準で動く。もしかしたらお前ともヤり合うかもな?」
「フレデリカさん……ダメだって言いましたよね!」
「んだよ。喧嘩してるわけじゃねえって……なあ、ハイレンディーヌ」
「え、ええ。そうですね……」
(……下手したら攫うとまで言われてるんですけど……)
そう言いたくなる気持ちをぐっと堪えてにこやかに対応した。
「これまではあまり手を取り合ってきませんでしたが、同じ聖女同士、協力できることは多いです。本国もどうしてくるかわかりませんし……」
「…………」
「…………」
セラフィーヌの懸念に、二人はなんとも言えない顔をした。
お互い神々のことや聖法国の成り立ちまで聞いている。
エヴァンジェリンが最大戦力であり、本人に敵意がない以上絶対に干渉してくることはない。なんなら変なことをしてきたら真っ直ぐ滅ぼされてもおかしくないのだ。
現在の教皇は愚かではないと知っているフレデリカからすれば何もしてこないだろうとしか言いようがないのだが、セラフィーヌに伝えるわけにはいかない。
目配せをしてお互いの意志を合わせた二人は、その言葉に頷く。
「あー……そうだな。気を付けねえとな」
「はい。セラフィーヌさんも、王都で気を付けてください」
「ご心配ありがとうございます。ですが、私なんかより皆様の方が危険な場所にいますから……」
(……な、なんだか騙してるようで……胸が痛いなぁ……)
深淵の森はルルクスの影響下にあり、モンスターが溢れてくることはないのだが、彼女だけがそれを知らない。
セラフィーヌだけが何も知らされていない。
この状況は少し前までマリアンヌやアリアも同じだったのだが、何も知らなければそれはそれで幸せだということもわかっている。特に重たい好意を向けている訳でもないのならば尚更だ。
露見した時の寂しさや切なさはどうしようもないほど苦しいが、無理に巻き込んでいいこともない。
セラフィーヌのことを想えば、事情を全て説明した方がいいのだろうか。
マリアンヌはそこまで考えて、否定する。
マリアンヌですらフィンには潔癖で居て欲しいと幻想を抱いていたのだ。神官としてフィンのことを治療してきた。フィンのことを紳士的で高潔な人間だと思っているのだから、その実態を知っては取り乱す可能性がある。
(それに……フィンさんも、知って欲しくないはず……)
知らされない側は寂しく思う。
だけど知られたくないのがフィンの本音ならば、尊重するべきだ。実際にそうされた本人としては、教えて欲しいとも思うけれど。
「まあ、心配ばっかりしても仕方ねえだろ。ハイレンディーヌ、王都でまともな男はいねえのか? 私が気になるのは専らそっちでよ」
事実上騙していることを悪く思ったのか、フレデリカが話題を切り替える。
「ま、まともな男性ですか?」
「おうよ。私も王都で過ごしてそこそこ調査したが、他の地域よりマシだったからな。そうだな、王太子なんかはマシだった。ああいう奴は他にいねえのか?」
「え、えー……ごめんなさい、その、男性は……フィンさんとしか殆ど関わりがなくて……」
耳の先を赤くしながらマリアンヌが答える。
修道院では虐められ、冒険者となってからは無法者に絡まれていたのだ。その度にフィンや仲間が助けてくれていたし、たまに顔のいい男が近寄ってくることはあったが、カルラやアストレアに追い払われていた。
ゆえに付き合いのある男性などほぼいない。
「……セラフィーヌ、お前は?」
「男性ですか? 患者の中にはいらっしゃいますが、あくまで患者ですので……」
「真面目か。フィン・デビュラはただの患者じゃねえのか?」
「っ……」
その問いに、セラフィーヌはわずかに動揺する。
「フィンさんは……何というか。目を離せない方なので。もう一人だけの身体ではないのに無茶ばかりして……」
「なっっ…………!!? ひ、一人の身体じゃない!? どういうことですか!?」
「えっ?」
目を見開き叫ぶマリアンヌにセラフィーヌは困惑しながら答える。
「えっと、その、大切な人が多い方ですから。フィンさんが死んでしまったら、誰が守っていくのかと何度も言っていますよ」
「!!!?!?!」
「……あのな、セラフィーヌ。お前のワードチョイスは終わってるからどうにかしろって言っただろ?」
半笑いのフレデリカの言葉で、マリアンヌが少し冷静さを取り戻す。
「あ、え、そ、そういう意味ではなく? 普通に言ってるだけですか?」
「そうらしい。天然なんだよ」
「……?」
(……も、もしこれでフィンさんに好意を向ける人だったら、ヤバかったかも……)
冷や汗を垂らす。
【払暁】内では最も近しいと天狗になっていた過去の自分を殴りたい。
今にして思えば、セラフィーヌの存在はとてつもないライバル……いや、強敵に違いなかった。自分達には隠して治療にいった先で偶然受け持った神官が聖女だった。これだけでなんらかのきっかけになっていても不思議ではない。
そうならなかったのは偶然だ。
下手すれば、自分達を抱くハーレムではない、ただセラフィーヌと結ばれたフィンの未来もあったのかもしれない。
「そ、そうなんですね。フィンさんが好きだとか、そういうわけではなく。安心しまし……」
「フィンさんですか? フィンさんのことはお慕いしていますよ」
──空気が凍り付いた。
マリアンヌは言いかけたまま固まり、フレデリカも眉を上げる。
「お慕いしていますが、私とフィンさんは神官と患者です。その立場で想いを伝えるのは、
少し寂しそうな表情でセラフィーヌが言う。
「それに……フィンさんの周りには魅力的な女性がたくさんいます。私は、フィンさんを治して、これから先の命を繋いであげたいんです」
「……そんな真面目に考えるもんでもねえだろ。好きなら好きでいいんじゃねえのか?」
「はい。否定しません。ですが私はそうするべきではないと思うんです。私はフィンさんの見られたくない部分も見てしまっています。これから先、治療を重ねる神官が、そんな女だと思われては信用を損なってしまいますから」
それはセラフィーヌの信念でもあった。
癒すべき相手にどう思われるか。
フィン以外にも多くの人間を癒して来た彼女はそういった目線でも気遣いも欠かさない。
「ですから、マリアンヌさん」
「……え。わ、私ですか?」
「はい。マリアンヌさんは、フィンさんのことを……支えてあげてくださいね」
そう微笑む彼女の表情は、やはり、寂し気な感情が込められている。
それを見てマリアンヌは、何も言えなかった。