その日、東方諸国に向かうにあたって引き継ぎなども特になく、事前に現地の話でも探るかと王国所属の特務騎士の伝手を利用して東方諸国に関する情報を頭に入れていたフレデリカは、神殿勤務明けのセラフィーヌが前触れなく部屋にやってきたことを訝しんでいた。
「突然来て、申し訳ありません……」
「いや……別にいいんだが、どうした? やけにしょぼくれてるじゃねえか」
色っぽさの欠片もない寝巻きに身を包んだフレデリカは、セラフィーヌの深刻そうな様子に何か面倒ごとが起きたと察した。
(なんだ? 何が起きた? セラフィーヌが深刻そうな割にエロ聖女はこっちに来ねえ。何か重大なアクシデントがありゃ、何よりも先に向こうが接触してくんだろ。それがないってことは連中とは関係のない何かか?)
王国に戻ってきたが出発する前と特に変わった様子はなく、聖女がいなくなったからと言って王家や貴族が暴走する気配もなければ冒険者ギルドも極めて冷静な舵取りを続けていた。
冒険者ギルドに関しては自分達の創設者にして白金等級冒険者の中でも最強格に数えられる存在が、圧倒的な戦力を保有した状態でいつでも自分達の首を獲れる場所に拠点を作っている時点で変な動きをできる訳もなく。
度々野心に呑まれ女は全てねじ伏せてやろうと画策する者が現れたが、その都度冒険者達に逆にねじ伏せられ首をすげ替えられている。現本部長のマーカスはヴァシリとの関係も良好で妻子もいる身だ。当たり前だが、今更権力欲に呑まれるほど若くもなければ自我を残してもいない。
数年前に弟子の危篤を秘匿しようとした際に届いたヴァシリからの連絡は、燃やすこともできずに彼の机に埋もれたままだった。
そういった詳しい事情は知らずとも、流石に人となりも知って『こいつらは変なことしないだろうな』という信頼を向けているフレデリカにとって、今更王都で手の施しようがない問題が起きるとは考えにくかった。
(……私に来るってことは、相応に信頼はしてもらえてんのかな)
ふと、彼女はそう思った。
誰かに相談を真っ先に受けることなんて彼女にはなかった。聖法国での日々は謀略と暴力にまみれ、聖女の中には権力を欲し積極的に暗部に手を突っ込む者もいた。
とはいえ、聖女はセラフィーヌを除き皆武闘派である。
特務騎士の百人でも抱えられれば危ないかもしれないが、特務騎士とはそれぞれの聖女につけられる専用の従者のようなもの。その候補は全て教皇が握っており、彼は俗物ではあるが愚物ではない。一人の聖女を優遇することはせず、それぞれ大きな裁量を与えながらも聖法国に致命的な弱点を齎す行為は決して許さなかった。
派閥間での闘争はあっても、聖女同士の対決などが起こらなかったのは、教皇が統制していたからだ。自身が強くなくとも、その権威を使って強者の望みを叶えることは出来る。そうすることで彼女らは内ゲバを起こさずに済んだ。
そんな関係性である以上、聖女同士での連携どころか『聖女は忙しく、民に顔を見せることも少ない』と言う背景をでっちあげた結果、彼女らは民から頼られることも神官に敬われることも無くなった。
まさに権威として、暴力として、そして何よりも象徴として在ることを強いられていたのである。
(信頼、信用ね。──まさか、私がそんな関係性を築けるなんざ、ガキの自分に会って言ってやりてえよ)
それも特上の善人であり聖女の鑑であるセラフィーヌを相手に、だ。
信じられないどころか、何言ってんだこの阿婆擦れはと今の自分を唾棄していたに違いない。数奇な己の運命とやらに、憎悪と共に笑いが込み上げる。
(まあ、何だっていいさ。なるようになっちまうもんだ。何が起きてようが、何があろうが、あいつらの事情に比べりゃ何だって余裕だろ)
運命、神、邪神、邪神の使徒、一人の男を中心に巡っている出来事の苛烈なまでの濃密さに比べれば、王都で引き起こされる問題など些細なものに過ぎない。邪神の胎で果てることすら覚悟している彼女にとって、人間一人の抱える問題などたかが知れてるのだ。最悪でなければ何とでもなるだろう。その思いが彼女に余裕をもたらしていた。
(いいぜ、セラフィーヌ。何が来ようが私は屈しねえ。神にだって抗ったんだ。今更、王国で起きた出来事なんざ、一捻りしてやるよ……!)
内心で覚悟を決めたフレデリカ。
セラフィーヌはゆっくりと口を開いた。
「…………フィンさんは、男性とお付き合いされているのでしょうか……?」
(…………はあっ!!!!!!!!!??!?)
声を漏らさなかったのは奇跡だった。
彼女らしからぬ絶叫が喉元まで迫り上がったが、何とか堪え、代わりに心の中で絶叫した。
そして顔にも出ているのだが、今のフレデリカにそれを何とかする方法はない。
幸運だったのは、セラフィーヌも俯いており、動揺を悟られなかったことだ。
「実は……フィンさんが診察にやってきたんです。あの人は数年前、モンスターによって致命傷を負い死の淵に陥ったことがあります。その後遺症で内臓が弱まり、たびたび私の元を訪れては治療していたのですが……」
「ゥッ、お、おう。そう、なのか……」
「その、治療の際に、肛門から施術しなければならないんです。しかしここ半年近い間、フィンさんの症状は改善の傾向にあり健診だけで済ませていました。肛門に施術の影響が出ないように治癒には気を配っていましたし、異常があってはならないと細心の注意を払っていたんです。…………なのに……」
「な、なのに、何だよ……」
(きっ、聞きたくねえ…………)
半ばパニック状態から抜け出せていないフレデリカは、声が上擦っているのだが、相手もそれに対して何か思う余裕はなかった。
「なのに…………お尻が……」
「お、お尻が?」
「お尻が……腫れ上がって、穴が……」
「……よし! よしわかった。もう言わなくていいぜ、セラフィーヌ……」
(デッ、デビュッ、デビュラお前!! お前お前っ!! エロ聖女!! お前らっ!!)
お尻。
穴。
腫れ上がる。
そのワードを耳にして、フレデリカは何が起きているのか正確に理解した。
彼女も過去は男に好き放題弄ばれていた側の存在だ。
この世に存在する尊厳を弄ぶ屈辱的な行為の大半は浴びせられた経験があるフレデリカにも、同様の症状が起きていたことがある。本来使うべきではない部分を使うと徐々に変質していく。文官にペンダコが出来るように、娼婦やそういう目的で扱われる女にも特徴が現れるものだ。
(お、お前らァッ!! 舐めるだけじゃ済まなかったのかよ!? ナニ入れてんだよ!! あ、い、いや、他の連中もか!? 全員か!? く、くそったれがぁ……!! チ◯ポに気を取られて、ケツまで目がいかなかった……!!)
黙り込んで思案するフレデリカ。
額から滝汗が流れ落ちている。
背中もびっしょりと濡れて、今まさに、彼女は追い詰められていた。
(ど、どうする!? どう誤魔化す!? いや誤魔化せねえ! 確信してる! いや待てよ!? まだ間に合う! セラはあいつがア◯ル◯ックスしてたと確信してるだけだろ!? それもそれでやべえけど、ここはもうそれで押し通すしかねえ……!!)
「……セラ。よく聞けよ」
「は、はい……」
「お前の見たのは、本当のことかも知れねえ。だけど、お前にそれを指摘されたら、あいつはどう思う?」
「そ、それは……」
「きっとあいつは、お前にそんなこと知られたくねえって思うだろうさ。誰だって隠してることの一つや二つはあんだろ。普通は露見しねえ部分だからって甘く見てたのはあいつの責任だが、セラに気がついてほしかったわけじゃねえ。そうじゃねえか?」
「…………」
セラフィーヌは無言だった。
青褪めた顔でフレデリカの話を聞いている。
「だから、セラ。直接聞いたりすんなよ。もしかしたらあいつにとって、誰にも触れられたくねえことかも知れねえんだ」
「っっ……!!?」
「わかってんだろ。その上でセラは衝撃すぎて、思わず私に相談しちまった。そうだろ。……安心しな。私の尻は軽いけど口は硬え。誰にも言わねえよ」
フレデリカの宣言に、セラフィーヌは考え込み、必死に飲み込もうとしている。
そのあまりの必死さに、思わず哀れみすら抱いた。
それと同時に、ほんの少しの怒りも抱いた。
こんなにいい女に、一体ナニ見せてくれてんだよ。
「そ…………そう、ですね。仰る通りです。私は、浅慮でした……」
「ま、仕方ねえさ。私だって実際に目にしたらその場で聞いちまうかも知れねえしな。それを考えりゃ、よく配慮したもんだ」
そう言って彼女を慰める。
少しずつ顔色を取り戻していくセラフィーヌを見ながら、フレデリカは思う。
(…………明日、話に行かねえとな……)
ほんの少し、胃の辺りが痛かった。