「セラさん、待たせてすまない」
「とんでもありません。いきなり押しかけて、むしろこちらこそ申し訳ありません」
髪を乾かして応接室へとやってきたフィンに、セラフィーヌが頭を下げる。
「セラさんが来て迷惑に思うわけないさ。俺とあなたの仲じゃないか」
「ふふっ、そう言って下さると嬉しいです」
(──フィンさんに変わった様子はない。当然と言えば当然です。フィンさんは長年、ずっと隠し通して来たんですから)
仮に露見する寸前であったとしても、フィンならば隠そうとする。
きっとなんでもない風に笑って誤魔化すだろう。
これまでセラフィーヌはそんなフィンを助けて来た。
誰にも知られたくない、捨てられたくないと怯えるフィンの心を少しでも労わる為に、『あなたは大切に想われている』と言い続けて来た。
(……私はこれから、あなたの気持ちを踏み躙ります)
誰よりもフィンが隠したいと願っていることを知っている。
それなのに、自分は今から隠そうとしているナニカを暴こうとしている。
たとえそれがフィンを想っての行動だとしても、彼の願いを無視したことであることには違いない。
けれど、気が付いてしまった。
自分一人だけが理解してしまった。
フィンが何かを隠そうとしていること、【払暁】にすらそれを知られたくないと考えていること、それがわかっているのに──力になりたいと思ってしまった。
(それでも。私は、あなたが一人で傷付く姿を見ていたくないのです)
「──……フィンさん。今日は、あなたにお話があって参りました」
「話……東方行きに関係してることか?」
「いいえ。フィンさんに関わることです」
「俺に……?」
怪訝な表情のフィン。
「フィンさんの……身体について、お聞きしたいことがあります」
「…………」
「フィンさん。あなたの……お尻に、異物を入れられましたね?」
沈黙が下りる。
真っ直ぐに視線を交差させる二人。
互いに口を開かずに待った後、フィンが言葉を発する。
「お尻に? 記憶にないな。セラさんの治療でしてもらうことはあるけど、それ以外じゃ一度もないぞ」
「……わかるんです……」
「……え?」
「わかるんです、フィンさん。あなたのお尻は、明確に異物を挿入でもされない限り、決して出来ない傷跡があるって……」
セラフィーヌは卓越した治癒魔法の使い手だが、それ以前に医学を正当に修めている。
彼女の治癒魔法がなぜそれほど強力なのか?
それは一重に、天性の医療センスがあるからだ。
患者のどこがどのように悪さをしているのか?
それを見抜く能力が圧倒的に高く、尚且つ如何にして治癒するのかの知識量がずば抜けている。彼女が台頭してから医学に関しては魔法の域を飛び越え明確に対処できる事象として捉えられ始めているほどだ。
不治の病と言われた労咳や癌、癪や疝気などに対する魔法を生かした根本治療を編み出したことでエスペランサ教の地位をさらに向上させるに至った。
現場で積み上げた経験によって更に天性のセンスが磨かれ、今では症状を見ただけでどんな病か特定出来てしまう。
それは、外傷であっても変わらない。
「痔では……ああは、ならないんです。フィンさんのお尻、肛門は、酷く傷ついています。強姦された方によくある、潤滑剤も無しに挿入されたような裂傷と膨張……フィンさん。本当は、痛かったんですよね? だって、お尻は、膿が出来ただけでとても痛いんですよ。普通の人が座ってられないくらいに……」
多くの患者を診て来た彼女は、当然、似た症状を見たこともある。
フィンが初めてでは無いのだ。
「フィンさん……」
彼の瞳を見て、セラフィーヌは表情を歪める。
漆黒の瞳。
普段は柔らかく温和に緩み、セラフィーヌに微笑んでくれる目が、笑っていない。その目で見られると認識すると、ゾクリと背筋が粟立ち、胸のどこかがチクリと痛む。
まるで、敵を警戒するような視線。
じっと見つめ合った後、フィンが小さく呟く。
「…………セラさんには、隠し事が出来ないな……」
「…………」
「はは、まあ、バレちまうか。セラさんにはずっと俺を診てもらってたんだ。わかっちまうよなぁ……」
その何もかもを諦めたような苦笑に、セラフィーヌの胸が締め付けられるような感覚が奔った。
「……セラさんには、バレたくなかった……」
「っっ……!! フィンさんっ!」
耐えきれず、フィンに駆け寄る。
手を取ってぎゅっと握り締め、口を開く。
「私はっ、フィンさんの力になりたいんです!」
「っ、セ、セラさん……?」
「秘密を暴きたいわけじゃない。あなたが隠したいと思ってることを知りたいわけじゃないのっ!」
秘密を知りたい訳ではない。
そう言いながらフィンが誤魔化そうとしたことを暴いた矛盾を必死に否定して、セラフィーヌはフィンの目を見つめる。
宵闇のような漆黒。
光のない夜空のような黒。
見ているだけで吸い込まれそうで、見てはいけない奈落のような不気味さと、人智を超えた神秘的な気配すら感じた。
「フィンさんは強いから、強い人だから、一人で耐えれてしまうんです! でもこれ以上問題を抱え続けたらいつか限界が来てしまうっ!」
吐血と血便を誤魔化して欲しいといった理由を考えれば、フィンがなぜ今回の件を誤魔化そうとしたのか考えるのは容易だった。
内臓が弱っている、つまり、いざという時に戦力低下する可能性があることを悟られては仲間達に捨てられると思ったのだ。セラフィーヌからすればそんなことはありえないと言いたかったが、どうすることもできなかった。
ではもしも、やむを得ない事情で、肛門を使った性交を行わざるをえなかったとすれば?
仲間の女性たちがどう思うか──それはきっと、火を見るより明らかだ。
「話さなくてもいいんですっ! ただ、ただ私は、辛いなら助けて欲しいと言ってくれればっ……! 神官として、貴方を助けたいんですっ!」
それは彼女の覚悟そのもの。
深く関わることがなくてもいい。
フィン・デビュラの人生に自分が入らなくても良い。
ただ、この男が歩く道を少しでも軽くできればそれでいい。想いはある。けれど、応えられなくても構わない。
自分は神官で、聖女で、博愛を持つと決めたから。
フィン・デビュラに愛を返されなくても良い。
ただ助けられればそれでいい。
なぜなら、そうするべきだと思っているから。
救われぬ者に救いの手を──それこそが、【廻天の聖女】が掲げて来たモノだ。
宣誓を受け止めたフィンは、瞬きを何度かしてからゆっくりと息を吐く。
「……聖女って、本当にいい人しかいないんだな」
「……私は、そんなんじゃありません。ただそうしたいからしてるんです。そうするべきだと思っているからしてるだけなんです」
「それが凄いって話だよ。普通ドン引きだろ、その、肛門弄ってる男なんてさ」
「そんなの気にしませんよ。たくさん見てきましたから」
「そ、それはそれで……なんというか、えっちな感じがするが」
「……え、えっちって、フィンさんっ」
初めて聞くフィンの砕けた言葉。
いや、そうじゃない。
まさかフィンの口から「えっち」だなんて言葉が出てくるとは思わず、セラフィーヌはビクリと跳ねた。
「セラさん。俺は本当は、あなたが思うような男じゃないんだ。もっと下品で、浅ましくて、どうしようもない男だ。俺は、あなたにはそう思われたくなかった……」
「……ぁ……」
フィンの瞳がセラフィーヌを捉える。
「セラさん。聞かないで欲しい。今すぐ離れて欲しいと言ったら、何もかも忘れてくれるか?」
「──嫌です」
瞳を見返したまま力強く答えた。
「嫌です。私は、フィンさんの力になりたいんです。フィンさんがこれからも生きて行くために、少しでもあなたの心を癒せるように……都合のいい神官として使って下さい。……私では、フィンさんの仲間にはなれないから……」
そう答えるセラフィーヌの表情は、寂しそうで、泣きそうな笑顔だった。