「あ? セラフィーヌが不在?」
「はい。枢機卿の指令で現在【払暁】のホームへ出向いております」
例の件でセラフィーヌの部屋へと訪れたフレデリカは、護衛を務めるフェンナと話をしていた。
「……ふうん。なんでお前はここに残ってんだ?」
「セラフィーヌ様に、付き添いは必要ないと言われていますので」
(枢機卿の指示で、特務騎士を置いてわざわざ払暁に……? まあ危険はねえだろうが……)
状況の不自然さに何事かと疑惑を抱きつつも、払暁に関する細かい事情を知っているフレデリカはそれほど疑いを深めなかった。
「エクトルのジジイ、今度はなにやらせようとしてんだ?」
「それはわかりかねますが……東方諸国に根を張るつもりでしょうか」
「……ああ、そりゃありえるな。西側にはどうせ本国が手を伸ばすだろうし、エスペランサ教の影響力が低い東側に手を伸ばすのは十分ありえる話だ」
(つっても、名を冠する主神サマがとんだクソ女神だってわかっちまった以上、あんまり乗り気にはならねえな……)
元々教えを広めることに熱意を持っていたわけでもないため、それほど興味がなかったのに加えて実在する神から世界の真実を知ってしまった彼女にとっては信心深い信徒を増やすことをしたくはなかった。
(だが、勢力圏の拡大は必須だ。本国の連中が怖いわけじゃねえが、エクトルのジジイは話がわかる。ヴァシリ達と繋がりを持っている私達に敵対するほどバカじゃねえし、気を損なうような行動もしねえ。あいつらみてえな奴が権力握ってんなら、悪いことじゃない。協力する価値はある)
自分達を恐れているから都合の良い支配者として、ではなく。
無遠慮に他人の身体を組み伏せて尊厳まで踏みにじって、それを正義だと言うような支配者は願い下げだった。
「だが、それなら私に話をするべきだろ。同行するのは私だぞ?」
「それは、確かにそうですが……」
「……ったく、エクトルのジジイ、一体何考えて──」
『──フレデリカ、聞こえてる?』
「っ……!!?」
フレデリカの耳に、突如として声が届く。
エルフによる連絡を一度経験していた彼女は、何が起きているのか、誰によってなされているのかをすぐに理解する。
(これは、【暴風】の……?)
『聞こえてるでしょ? 喋れないなら喋らなくていいから聞きなさい。……今、家にセラフィーヌが来てる。フィンと話してるけど、まずいことになってるわ。フィンのお尻がどうとかでバレそうになってる……!』
「はあっ!!?」
「!!?」
『悪いけどすぐに来て! どうにか時間だけは稼いでおくから……!』
(時間を稼ぐだぁ!? セラフィーヌは何やってんだ!?)
しかし、彼女が心の中で叫んだ質問に回答は来なかった。
「ブラッドフォージ様? 何かありましたか?」
明らかに様子の変わったフレデリカにフェンナは声をかけるも、返事がない。
(今朝納得してたんじゃねえのかよ……! どうする!? どうすりゃいい? フィン・デビュラは誤魔化さなかったのか!? それとも誤魔化せなかったのか!? ちっ、そうなる可能性はあったが早すぎる……!)
セラフィーヌは大人しい聖女だと認識されているが、そもそも自分の方針と聖法国の方針が違うことから『聖女号も要らないから私は出ていく』と堂々と告げて出国した女だ。
大人しさとは無縁の強かさを持っている。
自分が納得できないことがあれば、すぐにでも行動を起こしてもおかしくはない。
「悪いな! 野暮用ができた!」
「えっ、わ、わかりました……」
弾かれたように走り出したフレデリカ。
その表情は険しい。
(くそったれ、やらかしたぜ……! わかってたことだろうが、セラフィーヌがそういう女だって!)
歯軋りをする。
ギリギリと音が鳴るほどに強く噛み締められ、どれほどの激情が渦巻いているのかを如実に表していた。
(逸るなよ、フィン・デビュラ! セラフィーヌを巻き込みたくねえなら、少しでもそう思うんなら、全部を口にするんじゃねえ!)
◆
「──嫌です。私は、フィンさんの力になりたいんです。フィンさんがこれからも生きて行くために、少しでもあなたの心を癒せるように……都合のいい神官として使って下さい。……私では、フィンさんの仲間にはなれないから……」
セラフィーヌの一言に沈黙が落ちる。
フィンはどうするか決めあぐねているのか、口を何度か動かすが声が出てこない。
あー、とか、えっと、とか、話そうとしては、黙り込む。
その仕草を見るだけでセラフィーヌの胸には痛みが奔る。
力になりたいだけなのに、それすらも許されないのか。
知られることすら嫌なのか。自分が今更秘密を知った程度で認識を変えるような女だと思われているのか。神官である自分が患者を見捨てると思われているのか。孤独を一人で抱えて戦うことを哀しいとすら思わなくなっているのか。
「払暁の皆さんに知られたくないようなこと、なんですよね。私は神官です。貴方は患者です。神官として、フィンさんのことを誰にも絶対に話さないと誓います。もし破ったら好きなようにしてくださって構いません。三年間、私はフィンさんのことを診て誰にも言ってきませんでした。それで、信用は出来ませんか?」
そう告げると、フィンの目が少し開かれる。
「話をしてくれるだけでいいんです。少しだけフィンさんの重荷を肩代わりしてあげたいだけなんです。それでも嫌ならばそれでいいんです。……私はフィンさんに、壊れてほしくない……」
「…………セラさん……」
なんとも言えない表情でフィンが呟く。
「その、ええっと……すごく、嬉しいんだ。それは間違いない。セラさんはいい人だから、俺みたいな奴のことも一人の人間として見てくれてたんだと思う。だけど、だからこそ、俺の本性を知ってほしくない。そう思ったんだよ」
「……私だって、ありとあらゆる人を赦しているわけではありません。でも、フィンさんは私の患者です。ずっと診てきました。夜間に血を吐いてやってきたことだってありました」
「あったなぁ、そんなことも……」
苦笑するフィンに、セラフィーヌは悲しさを抱く。
「その都度、フィンさんは誰にも言わないでくれと言いました。何度パーティーの方に伝えたほうがいいのではと悩んだか、数え切れません。言うべきだ、言うべきじゃないか、言わずに亡くなってしまったらどうするのか。もしも、フィンさんが内臓を悪くして容体が変わってしまって亡くなってしまったら……そう想わなかった日はありません」
それでも口を閉ざしたのは神官としての意地だった。
患者が望まないことを勝手にするつもりはない。
患者の覚悟を無駄にすることは許されないのだ。
「私が知らなければ、何も言いませんでした。でも、気がついてしまったからには……患者の身体がおかしいことを知ってしまったからには、放っておけない……!」
女としてではなく、人を癒す神官としての譲れない意地。
「…………もし、俺が好きでそういうことをしていたらどうするんだ?」
「……どうもしません。それならそれで良いのです。でも、もしもフィンさんが強制されているのなら、フィンさんがどうしようも出来ないような苦痛に苛まれているのなら、私に言って下さい。私は貴方を責めません。私は貴方を否定しません。私は貴方の心がこれ以上傷付かないように致します」
そうして、セラフィーヌは微笑む。
彼女の笑顔を見て覚悟を決めたのか、フィンも逡巡した後に、真剣な表情でじっと見つめ返して口を開いた。
「…………わかった。なら、心して聞いてくれ。俺は──」
──しかし、その言葉は届かなかった。
なぜなら、フィンの声が遮断されたのだ。
目の前にいるセラフィーヌに声が届かなくなり、口の動きだけでは何を言っているのか正確に読み取れない。
「……え? フィンさん、声が……」
「…………」
怪訝な表情のフィン。
何が起きているのかわかっていないのか口を動かすが、やはり声は届いていない。
「──そこまでよ、フィン」
セラフィーヌは、その声を耳にした瞬間、フィンを守るように前に出た。
開いた扉の先にいるのは、【払暁】のメンバーの一人であるアストレアだった。
「アストレアさん……!」
「……ダメじゃない、【廻天の聖女】。秘密を探ろうとするなんて……」
その瞳に光はない。
代わりにあったのは、セラフィーヌに対する明確な敵意だった。
(っっ……!? ま、まさか……)
──美しい女性の集まり。
そして唯一の男性。
師や幼馴染までもがいる中でどんな扱いを受けているのか噂話が流れているが、セラフィーヌは至って健全だと思っていた。
実際に足を運んで疑わしい場面は一度もなかったし、そういう空気感を全く感じなかったのだ。
しかし──しかし、その想定は、甘かったのではないか。
(まさか……フィンさんを、私物化して……!?)
「フィン。少し静かにしていてね。もう呼んでおいたから、すぐに来るはずよ」
(呼ぶ? だれを? ……私の口を塞ぐつもりですね……!?)
有無を言わさぬアストレアの圧に、セラフィーヌは最悪に思い至る。
──フィン・デビュラは仲間たちに、
額を、汗が流れ落ちた。