セラフィーヌの慟哭を聞きながら、フレデリカは苦悩する。
(──これで、本当は最初からマゾだったって言ったらどうなっちまうんだろうな……)
フィンのことを話すにあたって、問題は多岐に渡る。
一般的な目線から見れば金等級冒険者にして世界最硬の盾役。顔立ちも悪くない上に男らしさの権化のようでいながら、紳士的な言動のため市井での人気もそこそこある。
冒険者からすれば美人美女しかいないパーティー集団唯一の男でハーレム野郎。嫉妬心からは切っても切れない上に本人は最強ではないが紛れもない強者なので襲撃しても意味がない。手を出せない目の上のたんこぶ。だが、積極的に救助クエストやギルドからの指令をこなしているため世話になった者も多く、ある一定の層を超えるとフィンに対して何かしらの想いを抱いている者が急増する。
厄介なのは、この何かしらの想いを抱いている者たち。
(悪いことじゃねえんだけどな……)
本来、自己肯定感が存在すらしてなかったフィンの心を育んでいくには必要不可欠なのだ。誰かから認められること。自分で認められない以上、他人に認められ、肯定され、フィン・デビュラ自身がそれでいいんだと納得できるようにしていくしかない。
そのためには他者が必要不可欠だ。
だが、フィンは最早そう思うことすら出来なくなっている。己の心を守るために壊れきってしまい、他人からの評価を受け取ることすら出来なくなった。
(そんでもってコイツ、心の奥底で柱にしてる部分否定されたらぶっ壊れるらしいじゃねえか。もうここまで来たら人間らしい部分が残っててよかったと思うしかねえが、問題はどう周囲に説明するかなんだよなぁ)
マゾである──この点があまりにも邪魔をしていることは、説明を受けた後にすぐに理解できた。
マゾである一点がなければフィン・デビュラという男性はあまりにも魅力的な人間なのだ。正確にはマゾである点を隠しているからこそ魅力的と言うか、マゾであったとしても魅力的だというべきか。
セラフィーヌのようにマゾだからって全部が楽しいわけじゃないでしょうという主張もあれば、庇い続けて来た理由はそれかと思ってしまったり、案外楽しんで来たんだなと納得されてしまうのも無理はない。
フィンに何かしらの感情を持っていて、その想いが強ければ強い程フィン・デビュラがマゾである事実がネックになっていく。
(ひでえ話だ。遠くに居ればいるほど俯瞰してフィン・デビュラのことを評価できる。こいつの外面──外面でもねえけど──に対し理解を示しているほど、本質に届かねえ……)
どうしてこれほど前に複雑になってしまったのか。
だが理解出来なくはない。
そう、わからなくはないのだ。
聞いてしまえば、そうなってしまうのも無理はないと理解できてしまう。
幼い頃に【勇者】に轢かれ、【天聖】に弟子入りし、置き去りにされ王都にやってきて出会った仲間に劣等感を抱き続け、この世の不条理に苦しみながら己に言い聞かせ自己研鑽を積み上げたところで、理不尽に折れた。
死んでいた筈の少年を救ったのは邪神だった。
深い闇に囚われながらも、邪神の心すら正常に戻すような高潔さを持っている彼は、火遊びすらやらずに紳士的に生きて来た。
その理由は全て、己の師を尊敬しているから。
自分の師の顔に泥を塗らないように、自分が醜いと判断した部分を一切見せずに、紳士的な言動を心に刻みそれこそを本性と言っても差し支えないほどに演じて見せた。いや、演じているわけですらない。自然と出てくるのだ。フィン・デビュラには暴力的で過激な部分もあるが、それはそれとして高潔なのだ。
そして、それとは別にマゾである。
性行為の最中の痛みだけではなく同性からの暴力ですら興奮出来てしまうマゾなのだ。
(そりゃ
他人に説明しなければいけないという段階になって、フレデリカはその重さに気が付いた。
フィンがマゾであることと、高潔な盾役であることは両立する。
両立した上で邪神に愛されていてサディスティックで変態なのだ。
元々フィンを知っている人間からすれば「バカにしてるのか」と言いたくなるような盛り合わせ。
ため息を吐きたくなるのを堪えながら、フレデリカは口を開く。
「セラ。まだ言わなくちゃいけねえことがあるんだ」
「…………フィンさんに何をしてきたか、ですか……?」
「ん? ああ、それも言わねえといけねえな、うん……」
「…………どうして……」
手を抱きしめたまま、セラフィーヌが呟く。
フレデリカから表情の見えない彼女は、か細い声で言った。
「……どうして、そんなに……フィンさんを……フィンさんばかりが……」
「……そういう、運命なんだとよ」
「運、命……?」
「本来あった流れをぶっ壊そうとした女が居た。数千年の歳月をかけて足掻いた女が居た。その果てに、フィン・デビュラに辿り着いたんだ」
【勇者】に〈聖剣〉を渡し、早くから備える。
そんな計画の最終段階に偶然居合わせた少年が、【勇者】の幼馴染にして凡人だった少年の肩に全てが乗った。背負えてしまった。邪神が乗っかったことで、強引に背負わされてしまった。
「……運、命……あんな目に遭うのが、運命……?」
セラフィーヌの脳裏に浮かび上がる、かつての姿。
モンスターに弄ばれ四肢を失い内臓の全てを引きずり出され、脳髄まで露出した姿は、惨い死骸でしかなかった。だけど生きている。生かされている。狂気的な目で治療を続ける神官の手で、生かされていた。
真実を知らないセラフィーヌは、それが邪神の影響なんて考えるわけがない。
「そうらしいぜ。私も詳しくは知らねえが、フィン・デビュラは運命をぶっ壊した。ぶっ壊した代償が、
「そ、れ……っ!? そんな言い方ッ!!」
「ん……? ……あっ。言い間違えた。マゾだ」
「マッ、マゾ……!? フィンさんは、フィンさんですっ! マゾなんて言い方はっ!!」
「そうじゃねえよ!?」
行き違いに気が付いたフレデリカは焦る。
若干嬉しそうな顔をしてるフィンを見て殴りたくなった。
「くそっ! セラフィーヌ! もうめんどくせえから言うけどな、コイツは始めからマゾだ!」
「──…………はじめ?」
「そうだ! こいつの生い立ちは知ってるか?」
「お、生い立ち? 【勇者】様のご友人で、【天聖】様の弟子……」
「──に、なる時の話だよ。コイツ、力を制御できない【勇者】に殺されかけてマゾになったんだとよ」
場の空気が静まり返った。
セラフィーヌはじっとフィンを見つめる。
フィンはそれに対し、諦観を抱いた表情で頷いた。
「そうだ。俺は……初めからマゾなんだ」
「…………」
「それでいて、俺はありとあらゆる苦痛で興奮する。セラさんがお尻をほじくるのも気持ちいいが、そこら辺の女性に避けられたりするだけでも興奮する。劣等感も気持ちいいんだ。師匠とアリアに追い付けない惨めで情けない俺自身に、酷く興奮するんだよ」
「ちょっ……!!?」
(なに追い打ちしてんだテメェ!!!)
畳みかけるようにフィンが告げた言葉を止める暇もなく、セラフィーヌは全てを受け止める。自分がやられた時の経験から「順番にじっくり受け止めさせないとヤバいんじゃないか」と考えていたフレデリカの考えは一瞬で破綻した。
(くそっ!! 流石のセラフィーヌでも、ここまで断言されると信じちまうかもしれねえ……!!)
フィンの発言が全て己を認められないことへの裏返しだと見抜いているフレデリカは別でも、セラフィーヌはそうではない。まだ、フィンの本当の心を知らない。そうじゃないかと思っていても聞いていない。
確信するより先に言われてしまったら、それを信じてしまうかも。
そうなったら──誰一人として幸せにならない。
「フィン・デビュラ! やめろ!」
しかし、フレデリカの言葉を聞かずに、フィンは続けてしまう。
それは、自分から全てを突き離そうとする、知られてしまった自分を醜いものだと言われることへの防衛本能だった。
「セラさん。確かに苦しかったし、切ない日々を過ごした。けど──俺は、それすらも気持ちいいんだ……」
──だが。
「────それが、なんですか?」
力強い声が響く。
一瞬、空気が固まった。
良くも悪くも、凍り付いた。
「それが、どうしました?」
「エッ……い、いやあ……本当にどうしようもない変態だってことだが……」
「ですから、それが、なんですか? 苦痛が気持ちいいだけで、苦痛はあるんですよね」
「ま、まあ、それはあるが……」
「──ならば、なにも変わりません。フィンさんは、救われるべき方です」
断言に、フィンも言葉を失う。
「逆にお伺いしますが──フィンさんは、モンスターや悪人に囚われ強引に犯された女性が快楽を得てしまったとして、変態だと断じるのですか?」
「そんなことはしない。彼女らは被害者だ」
「そうでしょう。なら、フィンさんも同じです」
「エッ。い、いやでも俺は割と自分の意志で……」
「そういう風に感じるようになった原因は、フィンさんの責任ではありません」
セラフィーヌが言い切った。
事ここに至っては信じるしかないとフレデリカは口を閉ざし、アストレアもどうなるか見守っていた。
「フィンさんがそうなってしまった原因が、運命なんてものだとするのなら──その運命とやらが、全ての原因に他ならない」
その瞳には、先程までの哀しみや動揺はない。
あるのはただ力強く燃え盛るような意志。
目に映る、困った表情の男を捉えて離さない激情だった。
「私には世界を救う力なんてない。一人の心を癒すことも出来ない。でも──私は、フィンさんのことを絶対に否定しません。拒絶しません。あなたが否定するあなたを、肯定します」