セラフィーヌの精神が強いものだとは知っていた。
彼女の意思が固いことも知っていた。
聖女号すら必要ないと蹴り出して王国へ出てきた時点で、彼女の他者を癒すという目的がどれだけ強い意志で行われているのかはわかっていたことだ。
それでもなお、その想定よりもずっとセラフィーヌの心は強く揺らがない。
(──見誤ってたのは、私の方か)
目の前でフィンの手を握り締めて離さない彼女の姿に、フレデリカは嘆息する。
清廉潔白で強い女性。
フレデリカにとっては穢れていない清らかな女性の象徴でもある彼女のことを考えると、フィンに関わらせるのはよくない事ではないかと思っていた。
フィンのことを穢れていると思っているのではなく、セラフィーヌは『聖女』なのだ。自分のように男を襲ったり、性に乱れているわけでもなく、ただ純粋に清らかな聖女として存在することそのものが大事だと思っていた。
誰かを特別視しているのではなく、全てを愛する聖女の化身。
これ以上ない清らかな存在。
全てを愛する博愛主義。
一人の人間として在りながら、一人の人間として生きることを選ばなかったセラフィーヌのことを、フレデリカは心底尊敬している。
自分の意思すら押し込んで、彼女は聖女として清らかである道を選んだのだ。
敬意を持たずにはいられない。
この残酷で険しい世界で自ら救いの象徴であろうとする姿勢を、誰が讃えずにいられるのか。少なくともフレデリカは、セラフィーヌこそが本当の『聖女』だと思った。
だからこそ、これ以上フィンとの関係を深くするべきではない。
セラフィーヌがフィンへの情を抱くほど、彼女は追い詰められてしまうから。
フィン・デビュラという救われない人間をどうすればいいのか。
救われない人間を見捨てることは正しいのか。
救われない人間をただ見ているだけでいいのか。
救われない人間を救うべきではないのか。
セラフィーヌの心にフィンの姿が刻まれていく度に彼女の心は軋んでいく。
誰にも手を伸ばさない男がいた。
誰よりも救われたいと思っているのに、誰にも手を伸ばせない男がいた。救いの手を払い退け、誰にも言わないでくれと懇願する男がいた。死に自ら近付いてその都度生還しては己の命を代償に支払続ける男がいたのだ。
セラフィーヌがどんな想いでフィンを診てきたか。
救いたい。
救わねばならない。
救ってやらなければ、誰も救えない。
助けてと言うことすらできない哀れな男をどうすればいいのか、セラフィーヌはずっと悩んでいた筈だ。だけどその思いを口にすることすらしなかった。自分は聖女だから。そう在ると決めたから。
フィンの隠してきた事実を知ってもなお、セラフィーヌの目は曇らない。
(……強え女だよ、ホント)
自分ですら混乱したと言うのに、セラフィーヌはフィンのことを見誤らない。
マゾだから?
最初からマゾだったから?
苦痛が気持ちいいから、だからどうした。では仲間に追い出されたくないと言うのは嘘だったのか。苦しくない時はなかったのか。彼が誰にもいえない孤独な叫び声を理解していたセラフィーヌにとって、フィンがマゾだということは何の障害にもならない。
沈黙を切り裂いたのは、他ならぬフィンだった。
「その…………セラさんが思ってるより、俺は何倍も気持ち悪いぞ?」
心底困った声色だった。
フレデリカも、何となく覚えがある。
会話中にちょっと罵っただけで興奮するし、興奮するなと言っただけで更に興奮するのだ。
「なあ、アストレア」
「……何よ」
「実際のところどうなんだ? 私はフィン・デビュラとセック◯してねえから、どういう具合なのか知らねえんだが」
「えっ……し、してないんですか?」
「してねえよ!」
フレデリカが吼える。
セラフィーヌは心底驚いた表情だった。
「て、てっきり私、フレデリカさんも一緒になってしてるのかと……」
「あ〜〜……そうか、そこも勘違いしたままか。そもそもフィン・デビュラに集団で性的暴行なんて加えてねえぞ。確かにハーレムみてえな状態にあるが、それぞれ納得してる関係だ。私はそれを偶然耳にして、フィン・デビュラの実情を聞かされて巻き込まれた立場だな」
「…………ご、ごめんなさいっ! 私、とてもひどいことを……!!」
「いいよ、気にすんな。隠そうとして回りくどいことした私も悪かった」
聖女同士が謝罪をする。
対立しかけていた二人だが、そもそもセラフィーヌの勘違いによって今回の言い争いは発生したのだ。お互いに喧嘩するつもりがなくなれば和解するのは当然だった。
「よかった……マゾだからって理由で大勢の女性に、集団で暴力を振るわれたりはしてないんですね。フィンさんの尊厳は、守られてるんですね」
「ン〜〜……まァ、うん、大体は……」
邪神に感情を吸い取られて養分にされている、とは言えなかった。
「過保護に守ってもらってるよ。エッチの時も俺の趣味に付き合ってもらってばっかりだしな。前にアリシアさんとシャルロットの二人にやってもらった鞭と蝋燭の合わせ技にヒールでの踏み付けは、流石に俺も気を失うかと思うくらい興奮した」
「…………」
「…………」
「…………」
セラフィーヌが目を見開き、フレデリカをじっと見た。
フレデリカは目を逸らしてアストレアを見たが、アストレアは死んだ目をしていた。
「セラさん。あれだけ言ってもらって本当に悪いんだが……想像の何倍も、何十倍も俺は気持ち悪いんだ。いや、冗談とかじゃなくて本当に」
「……で、ですが、それはフィンさんの問題じゃありません。私からすれば、あなたは歪められてしまっただけなんです。歪められてしまった人を悲痛に思うことはあっても、侮蔑したりしません!」
「そうやって、庇ってくれるセラさんに俺の本当の姿を見せてドン引きされる妄想ですら興奮できちまうんだよ。今俺は、かなり興奮してるぞ」
絶句し、言葉を失うセラフィーヌ。
「後から知られて失望されるくらいだったら、今伝えて嫌われる方がいい。だから隠したりするつもりはない。…………アストレア」
「な、なによ。何やらせるつもり?」
「俺の尻を引っ叩いてくれ」
──完全に空気が凍りついた。
「い、いやよっ! なんで私がそんなことしなくちゃいけないの!?」
「フレデリカには振られてるし、セラさんにはそんなことをさせるわけにもいかない。アストレア、お前しか頼れないんだ」
「今そんなこと言わないでよっ!!!」
悲痛な叫びを上げたアストレアだが、フィンの瞳に耐えかねて近寄り始める。
「フィ、フィンさん……一体、何を……」
「こうするしかないんだ。セラさんは本当に優しい人だから、これ以上騙すようなことはしたくない。俺の本性を知られてしまったんだ。誠実でありたいんだよ」
(言うほど誠実か? これ……)
わざわざ見せる必要もないのではと思ったが、フレデリカは沈黙を選ぶ。
実際、今のままではフィンの本性……と言うより、本当の部分は見えていないだろう。フィンがマゾであるという記号を知っただけでは、どれだけのマゾなのかを知らないままでは、セラフィーヌが可哀想だという意見も頷ける。
(知らなきゃ知らねえままでもいいが、知っちまった以上はある程度見せた方がいい。度し難いマゾ、ドマゾ野郎だが、それが一側面でしかねえとセラは見抜いたんだ。いずれ露見するのは間違いない。ここまできたら、セラを信じるしかねえ……)
フレデリカが考えている間に、アストレアはフラフラと近寄っていた。
先程までフィンを庇っていたセラフィーヌは、フィンの手を握ったままなので動けない。
「ほ……本当にやるの?」
「ああ。遠慮はいらないぞ。昔みたいな感じでやってくれてもいい」
「……うぷっ。む、むり、むりよそんなのっ」
「大丈夫だ。俺はあの頃と比べて強くなったし、何より──気持ちいいからな」
アストレアが絶望した表情でフィンを見る。
荒々しい息遣いで、震える手をフィンの臀部に添えた。
「や、やるっ、やるわよフィンっ、いいのね、本当にやるわよっ!」
青褪めた表情で言い聞かせるように呟き続けるアストレア。
(どう見ても追い詰められてんのはアストレアだな……可哀想に……)
「あ、あのっ、フィンさん? その、無理強いするのは、よくないですよ……?」
「無理強い……? いやでも、アストレアは昔俺の身体を風で切り刻んだりしたことあるしな。お尻叩くくらいで、そんな……」
「え……」
「ブフォッ」
(は!? 身体を切り刻む!? はぁ!!? 何やってんだこいつら!?)
吹き出したフレデリカがアストレアを見ると、先ほどよりも更に血の気の引いた、まるで死人のような顔色で震えていた。目に光はなく、唇も震えている。虚な瞳で、ゆっくりと動いた。
「う、ふふ、そう、そう。フィンが私のこと、許せるわけがないでしょ。当たり前のことじゃない。ごめんね。ごめんなさい、フィン。これは罰、私への罰なの。今更取り繕って、許されるわけがないのに……」
手を上にあげて、アストレアは震えながらフィンの臀部を見据えた。
「う、あ、ああっ、あああああっ!!」
「──止まりなさい、アストレアッ!!」
誰もが動けなかった状態で、窓から飛び込んできたのは、ハイエルフ三姉妹の長女アリシアだった。
滝汗を流し髪が肌に張り付いた状態で現れた彼女は、息を荒げ膝に手をついてゼエハアと息を整える。
「はっ、ハヒュッ、ほ、本当にもう、なんでこんな、つ、次から次へと……」
「お、おう。誰かと思ったら【魔弓の射手】じゃねえか。いつ戻ってきたんだ?」
「向こうから、走ってきた。はあ、ふう、アストレアが、やばいとか言うから……」
「……向こうからって、あそこから? どんだけ距離あると思ってんだ……?」
「そんなの、ふう、本気で走ったら大したことないに決まってるでしょ? 風に乗れるんだから、はあぁ……」
必死に息を整えるアリシアは、なんとか呼吸を正してから言う。
「ふぅ……ごめんなさいね、セラフィーヌさん。フィンくんの問題から除け者にして……」
「い、いえ。仕方ないことですから」
「今から、フィンくんの本当の姿を見せてあげるからね」
「えっ。い、いえ、無理はせずとも──」
「ふんっ!」
「お、オオッ!!?」
アリシアがフィンの尻にビンタした。
男の喘ぎ声にセラフィーヌがビクンッと反応する。
「フィンくんっ! セラフィーヌさんを巻き込みたくないってのはどこにいっちゃったのかしら!?」
「あ、あひっ!!? ち、違うんだ、バレてしまって、オホオッ!!? どうにもできずっ、んおおっ!!?」
バシバシ遠慮なく尻を叩き続けるアリシア。
それはどちらかといえば子供に罰として与えるスパンキングだったが、勝手に喘いでいる男のせいでいやらしい空気感が漂っていた。
「……………………」
「……………………」
そんな光景を見せつけられた二人の聖女は、言葉を失っていた。