「フィンくんのマゾっていうのは、複雑怪奇でね。世間一般で言うエッチな趣味でもあるんだけど、常軌を逸した趣味でもあるわ。さっきみたいにお尻を叩かれただけでも興奮するし、罵られるだけでも興奮するし、何もしてなくても勝手に妄想して興奮してるのよ。こうして澄ました顔してるでしょ? フィンくんから漂ってくるのはこんな状況になった事に対する快楽ね」
「…………」
「…………」
「…………」
アリシアの言葉に誰も何も言えなかった。
言い逃れもこれ以上の誤解も許さないと言わんばかりの姿勢で事実を淡々と口にしていくあまり、誰も口を挟むことが出来なかった。
アストレアがトラウマを刺激された為に一度退出し、現在部屋の中に残っているのは二人の聖女とフィンとアリシアのみ。アリシアも風を操作しさっさと汗を乾かして、既に冷静さを取り戻している。
「フィンくんの厄介なところは、マゾだからと言って無敵なわけじゃないところなの。アストレアを通じて聞いてたけど、セラフィーヌさんはフィンくんの心が消耗してると考えたのよね?」
「……はい。マゾだからと言って、全てを受け入れて心地よくなれるわけではないと思いました」
「それが正しいのよ。フィンくんはマゾで勝手に妄想して気持ち良くなったりするけど、それですら傷付いてるのよね。例えば、フィンくんはよく寝取られ妄想をして一人で激しく苦しんでるんだけど……」
「えぇ……」
フレデリカの呆れた声。
「多分、実際に寝取られたらフィンくんって壊れてしまうの。わかるかしら、この複雑さが」
「はい。わかります」
「まァ、わからなくはねえな」
フィンの本性を知りながら、だからと言って放っておいていいわけではないと断じた聖女二人は即座に理解を示した。
(──やっぱり、聖女ってのは凄い人揃いね。フレデリカもそうだけど、セラフィーヌさんも一発でフィンくんの姿を見抜くだなんて……)
感情のわかるアリシアだからこそフィンがマゾだという発見をしたが、それとて偶然の産物に過ぎない。
あの時、問い詰められたフィンが自ら申告して暴露しなければどうなっていただろうか。きっとアリシアは気が付かないままだった。常識的に考えて紳士的で高潔な在り方を心がけている青年が度を超えたマゾことドマゾであるとは思わないからだ。
自己肯定感が存在していない彼が自己犠牲で自分より偉大な女達を守っていることに興奮を得ていると言われた方がまだずっと納得できる。
そして発覚したマゾですら仮の姿だった。
なんでもかんでも気持ち良くなっている、そう思っていた己の理解力の浅さと、聖女達の気高さに劣等感を覚えてしまう。
(周囲との差が苦しくないわけない。私だってそれは知ってた筈なのに……)
アリシアとて、コンプレックスが無かったわけではない。
長女であり次期女王として礼儀作法も教育もしっかり受けていたアリシアは、エルフの里では認知され認められていた。ハイエルフの中ではアストロガノフの預言も関係し、より一層期待されていたと思っている。
しかし、妹のアストレアは違った。
預言ではこの世界になんら関係のない存在だと切り捨てられてしまった彼女はハイエルフ達からの関心を失い、ショックで引き篭もったが故にエルフの里全体の評価も地に墜ちた。
だが、彼女には類まれな才能があった。
誰よりも風を操る力に特化した才能。
歴代ハイエルフの中でも明確に最強を名乗れるのは伊達ではなく、里に居た頃からアストレアは格の違う存在だった。
アリシアはそんな妹に嫉妬していた。
長女として、次期女王として完璧でなければならないのに、強さで妹の足元にも及ばない。預言を達成するために強くならなければならないのに、母にも及ばない。
日々の詰め込まれた教育と、感情を読み取れる力がアリシアの心を追い詰めた。
教育係の失望。
ハイエルフ達の願望と失望。
ただ娘として心配をしてくれる両親と、無関心でありながら嫉妬を向けて来る妹。期待、希望、失望、諦観。向けられる感情の全てが彼女の心を串刺しにしていく。
焦燥が募り心を蝕む。
励ましてくれる大人の本音が聞こえてくる。
不安が伝播して落ち着かない。
休まる時が無い。
それらの積み重なったコンプレックスから解放されたのは、里にヴァシリとアリアがやってきてからだ。
預言よりも早くやってきた【勇者】は、預言にいる筈ではないダークエルフと共に居た。ダークエルフは言った。預言を覆すためにやってきたと。
それが、その一言が、どれだけアリシアの心を救ったか。
預言通りでなくてもいいという一言は、預言のために生きて来たアリシアの心を救ったのだ。
(私は、フィンくんが強かったから耐えられたと思ってしまった。それが、私の一番の罪……)
アリシアも自覚している。
自分が舵取りを間違えなければ、フィンの現在は違ったものになっていたであろうことを。
最初に性欲に流されたのが全ての原因にして、自分の間違い。フィンを性欲だけで見てしまった。それまで誰にも認められなかった自己肯定感の低さをどうにかするために、身体で解決という手段を取ろうとしたのがいけなかった。
そう気が付いた時には、手遅れだった。
フィンの最も大切にしていた領域を犯し、ヴァシリやアリアをも巻き込んだ。
壊れ果てていると気が付き、自分の罪深さを思い知った。
向けられた殺意に心が軋んだ。
そう思うことすら傲慢だった。
なぜなら──そう誘導したのは、他ならぬ自分だから。
「……けど、今更お前らにちょっかいかけるバカはいねえだろ。居たとしてもフィン・デビュラ以上の男はいねえと思うぞ」
「そこは心配してないの。問題なのは、フィンくんにも結構強めの独占欲があるところよ」
「独占欲? ……あー……つまり、私たちもその対象か」
「……流石はフレデリカね。その通りよ」
「私達も……? その、ごめんなさい、私は聖女なので……出来るだけ特定の男性とは……」
(アッ、振られたと思って悦んだわね……)
隣に座っているフィンからムワッと波動が漂ってきたのを華麗にスルーして、アリシアは続ける。
「それだといいんだけど、フィンくんって知り合いくらいの女性が知らない男とくっ付いてるだけでも寝取られたと思っちゃうタイプなのよ」
「む、むう……そこまで節操なしじゃないぞ」
「あらそう。フレデリカが他の男としてたらどう思う?」
「むむむ、ムウっ……!!」
「…………喜べばいいのか罵ればいいのかわかんねえよ」
なんともいえない表情のフレデリカ。
「これに関してはフィンくんが勝手になってるだけと言えばそうなんだけど、私達の責任でもある。これまで一度も手に入ってなかったものが急に手に入ってしまったら、独占欲が強くなるのは不思議じゃないでしょう?」
「ああ。実際、私がヤってきた貴族にもそういうのは居たな」
「……強い意志を持つ人は、望みが叶った際に依存してしまうことが多いです。それは私もフレデリカさんも変わりません。私は人を治すことに執着していますし、フレデリカさんも理不尽への対立心が強い。フィンさんは、性欲が強くて知人女性への想いも強いのですね」
「そ、それはそうなんだけど……結構ストレートに言うわね……」
セラフィーヌの言葉が効いたのか、フィンの心には己への嫌悪と快楽が渦巻いている。
「す、すまない……本当の俺は、そんな男なんだ。セラさんが言うような、高潔な男なんかじゃ……」
「…………私は……その、う、嬉しい……ですよ?」
「…………えっ」
場の雰囲気が、少し変わる。
フレデリカはセラフィーヌを一度見てから、仕方ないと言いたげな表情で目を瞑った。
「……私は聖女として生きると決めたので、その想いには応えられません。でも……一人の女としては、フィンさんのことを、好いていますので。むしろ、フィンさんの想いに応えられる女性がたくさんいて良かったです。そうでなければ……」
「そ、そうでなければ……?」
「…………これから先は秘密です。私とフィンさんは、神官と患者。そうでしょう?」
優しく微笑む。
その表情はまさしく聖女の如き柔らかな笑みだった。