馬車の隅っこでひっそりと座っている加藤は、車内の喧騒に紛れて気配を潜めていた。
「へえ、エステに行ってきたのかい? そりゃ羨ましい。私もいい歳だから、自分で手入れするのも難しくなってきちまってね。いい店紹介しておくれよ」
「いいわよ。紹介状必須だけど、私の名前で通せるわ」
「……あー……アタシが行っていい店なのかい、それは」
「え? いいんじゃない? 元々王族の紹介だからキッチリしてるわよ」
「…………」
(……なぜ当たり前のように王族の紹介を受けているのでござろうか。某にだって王族がどんな立場の御方なのかわかるでござる。普通におかしいでござるよ)
隣のドレイクとアリシアの会話を聞いてドン引きしつつ、今度は前の座席で話している集団の会話に耳を傾ける。
「なあ塚本! あんたに聞きたいことがあったんだけどさ、東方諸国ってやっぱり納豆とか豆腐とかあんのか!?」
「ほお、中々通なところを……」
(お、おおっ!! その話なら某も混ざれるでござる!)
思わず目を輝かせて身を乗り出す。
隣に座っていたドレイクが空気を読んで少し距離を取った。
「くうう、マジかぁ……! くそっ、こんなことなら一回行っておけばよかった!」
「なんだ、そんなに食べたかったのか? 納豆や豆腐は流石に気軽に仕込めぬが、諸国風料理であればいつでも作れたぞ」
「な、なんだとっ……!?」
「こちらの豆で仕込んでいるからちと風味が違うが、味噌も醤油も私が自作できる。ただ、魚が手に入りにくいのがな。こちらに来てからはいつでも魚が食べられた故郷の利便性を痛感させられたものだ」
「さ、魚かぁ……確かにおれも全然食ってねえな。南方諸島の魚はなんつーか淡泊で、あんまり旨くなかった。はあ、寿司食いてえなぁ……」
「……納豆といい豆腐といい寿司といい、そなた、こちらの舌に合わぬものを随分と欲しがるな」
「ん? ああ、おれの心は日本人だからな」
「ニホンジン? 和国をそう呼んでいるのは初耳だ」
(──まっ、混ざれないでござる! 某の入る余地がござらぬ!)
そもそも納豆も豆腐も贅沢品で、加藤が口に入れたことはない。
日々の食事は自家製の納豆と漬物などの保存食、あとは山に自生している山菜やきのこ、紛れ込んだ動物の干し肉くらいだ。
寿司? 生魚は川の泥くさい魚しか食べたことがない。
街で売られていた新鮮な魚や珍しい品に対して指を咥えて眺めることしか出来なかった彼女にとって、良家のお嬢様であるカルラとは生活水準があまりにも違いすぎる。隙間風の吹きすさぶ寒い小屋で生活しているのに比べ、王国の過ごしやすさに愕然としたのも記憶に新しい。
(う、うう、肩身が狭いでござる。とんでもない御人ばかりで、某ではどうにもならんでござる……)
飛び加藤、加藤段蔵を襲名した以上はこれから先の展望を考えなければならない。
師の伝手を使うことも出来るが、実力で言えばまだまだ師には及ばない。そこらの忍や間者と比べれば圧倒的な実力を有するが、この場にいる面々と戦うことなどできやしない。
しかし、加藤段蔵とは東方諸国で異名を持つ名の知れた忍だ。
その名を継いだからには、先代と同じ仕事を求められる。
師匠ならば勝つまでは難しくとも、逃げて仕切り直すくらいのことは容易にやってのけるだろう。それが出来なければならないのが、加藤段蔵の名だ。
もちろん先代と変わったことを察してそれまで通りの依頼をしなくなる客も多い。しかし多くの場合は、『加藤段蔵』に無理難題をやれと言って来るのだ。
出来なければ名を落とす。
(そ、そんなことになったら……師匠にぶっ殺されるでござる!)
これから先、自分がこの名を挙げていかなければならないのに、気後れして人脈を繋げていくタイミングが掴めない。
相手が常人であったり、ただの権力者ならば簡単だ。
だが今回は外国の人間で尚且つ圧倒的実力者揃い。
少しでも嫌われたくないと思った彼女が消極的になるのも仕方のないことだ。
(なんでこんなに強者揃いでござるかぁっ!? 一番俺が弱いとか言ってるフィン殿も大概おかしいでござるよ!)
模擬戦と称して手合わせしたが、加藤が何よりも驚いたのはその堅牢さだった。
速度は加藤の方が断然早く、いくらでも攻撃を加えられるし避けられる。
しかし、効かない。
いや、効いてはいる筈だった。
身体に打ち付けたこちらの拳があまりの重さと硬さに痺れ、手首に激痛が奔るほどに攻撃を加えても、フィンは微動だにしない。それどころか攻撃のリズムを掴まれたのか、反撃までしてくるようになった。
(某が勝つには、一撃で殺すしかない。硬さを突破できず、殴り合うことは不可能。ならば地の果てまで追いかけ回して、隙を見せた瞬間に殺し切る……もしくは、最初の一撃で仕留めるしかござらん。それだって、出来るかどうか怪しいものでござるな)
肉と骨の分厚さが段違いで、同じ生き物とは思えなかった。
感触を思い出して、拳を見つめる。
(針が通る気もしない。柔らかい場所が想像できないでござる。某には攻撃力が足りない)
フィンを見た。
首、腕、胴、足。
全身が分厚い。
東方諸国であれほどの身体をした人間はいない。
道を歩くだけで人目を引くだろう。
そして何より、守りの技術が卓越している。
急所を狙った攻撃は一撃も入らず、削るにしても先にこちらが壊れる始末だ。少なくとも加藤は、フィンを対象とした時に勝つビジョンが見えなかった。
(要人護衛とかさせたら、某ではお手上げでござるな。もう廃業待ったなし。もし和国に戻ってフィン殿らと敵対する依頼を受けさせられたら、なんとか理由をつけて断るしかないでござるよ……)
なによりも問題なのは、フィン以上の実力者がこの場に揃っていることだ。
戦いとは、殺し合いとは、近接戦闘能力が全てではない。
寧ろそれ以上に無法な戦いが出来る者達がいる以上、いかに管領と言えども上から命令など出来る訳もない。アストレアの力の一端を見せて貰った加藤は、絶対に敵対しないと心に誓っている。
(敵にならないためにも今の内に友好を結びたい。でも、某では会話に混ざれないでござる……っ!)
仲が良くない上に話題もいまいち噛み合わない。
こればっかりは、育ってきた環境も文化圏も違うので仕方がないことだ。だが、仕方ないで済まされる相手ではない。逆鱗に触れたらその瞬間加藤どころか和国ごと崩壊してもおかしくない。
アストレアの射程は大陸間ほぼ全土に渡るのだ。
見たことがない東方諸国にある己の家を特定された上に家具の配置や間取りまで正確に把握され絵に起こされた時、加藤は悟ったのだ。
(──もしどうしようもなくなったら、フィン殿に全力で媚びる。最悪、それでなんとかするしかないでござる)
もしも、もしも管領がカルラを呼び出して悪いことをするつもりならば、自分はこちら側に回るのも辞さない。女性だらけのパーティーに女を武器にするのは分が悪いが、そこはもう、生き延びるために全力で足掻くしかない。
最悪の最悪まで想定しながら、加藤はふと思う。
(しかし……デビュラ殿は果たして、某を相手にするのでござろうか。これだけの美人揃いなのに、なんかそういう空気感ではないのが気になる点にござる)
加藤は、処女だった。
先代に拾われてからずっと修行ばかりで男性経験など全く持っておらず、屋根裏に潜んで男女の営みを見ても『獣みたいでござるなぁ』という感想しか出てこなかった。
つまり、性の知識は知っているが、非常に疎いのだ。
(ううむ……やはりそちらの知識も師匠に学んでおくべきでござったか?)
そんなことが必要になることはないだろう──そう思って実力ばかり磨いていたら、実力で太刀打ちできない存在と一番最初に遭遇してしまった。徐々に積み上げて挑むべき存在に触れてしまった。
すでに彼女の脳内には『東方諸国にもこのくらいの実力者はいるのかもしれない』とインプットされ、今後何をするにしても思考にまとわりつくだろう。
(いっそのこと、最初からフィン殿に……)
これまで加藤が見て来た男たちと比べると、フィンの身体は非常に男らしかった。
筋肉で覆われ、程よく肉も残り、傷跡だらけの肉体は歴戦の強者。
それでいて紳士的で、女性にだらしない気配もない。
(…………あれ、なんだか悪くない気がしてきたでござるな)
恋愛経験すらない加藤。
談笑するフィンのことを見つめながら、己の将来について思案するのだった。