突如としてヴァシリの前に現れたヨハンは、悩みながらも色んなことを話した。
例えば、この世界は広くこことは違う大陸が存在すること。
おそらく今いる大陸はヨハンが暮らしていた所とは違う場所で、エルフのように耳の尖ってない、ドワーフのように髭が多すぎるわけでもない、竜人のように鱗がない、なんの強みもないヒトがいること。
ヨハンはヒトだ。
エルフでもドワーフでもないヒト。
魔力はヴァシリでは感じ取れないほど少ないため、里のダークエルフ達に発見される心配がないほどだ。
ヴァシリから見て、ヨハンは面白い奴だった。
ヒトのことを知った。
里の大人とは違い寿命は長くても八十年。
その内の三十年を既に過ごし、肉体的には全盛期に入る頃合い。長く鍛錬を積み上限値のギリギリまで容易に積み上げられるエルフと違う生態は彼女に衝撃を齎すには十分すぎた。
『え……じゃあ、もし五十歳とかになったらどうなるんだ?』
『大抵死ぬな。文明のレベルも低いから食料も少ねえし、たくさん産んで生き残った奴だけが大人になれる。そんでもって、大人でさえも食料だったり気候だったりモンスターだったりの問題が多くてたくさん死ぬ。中世以下の世界だぜ』
『文明? 中世? いや、それよりも……たくさん産んでって、そんな、動物みたいな』
『俺は農民の生まれだが、六男だ。上に五人いて、姉妹は三人。九つ子だ』
『こっ……』
絶句する。
たった一人の母親から九人の子供。
一人産むだけで里が大慌てのダークエルフとはまるで違う。
長寿が故に増えるペースも緩やかな彼女らとは違い、人はとにかく数を増やさねば絶えてしまうような環境なのだ。
『長男は家と畑を継いだが、次男と四男は戦で死んだ。三男は病気で死んで、五男は家を出てからどうなったか知らん。姉妹は嫁いだが、今頃どうしてるやら……』
『……家族がどうなったのかすら、わからないのか?』
『珍しいことじゃねえ。俺も、一攫千金を求めて迷宮に潜って今ここにいるし。異世界ファンタジーなら迷宮でワンチャンなんだがなぁ……』
話に呆然とするヴァシリを尻目に、ヨハンはせっせと枯れ枝を集める。
『そういうレベルだと言語が通じるかも怪しいんだが、やっぱそこはご都合主義が働いてんのかね。普通は異種族と会話なんて出来ねーと思うんだが』
軽く穴をあけ、湖で獲った魚に濡れ枝を差し、火を興す。
『せめて中世くらいの文明だったら違ったのに……まさか紀元前レベルだとは……』
『中世……あと、文明とはなんだ?』
『あー……そうだな。例えば、村があるとする。種族が固まって生活してる集団の食事だとか、武器だとか、生活環境だとか……そういうのも全部ひとまとめにした言葉だ。中世はその中で真ん中くらいの文明力を指す』
『ほー……』
あんまりわかってねえな、とヨハンは口にはしなかった。
『答えたくなかったら答えなくていい。襲撃を企んでるとか疑われたくないから、言えないことは言うな。その上で聞きたいんだが、ダークエルフは何を主食にしてんだ?』
『木の身が多いが、肉も食べる。だが肉は常に獲れるわけではないから、魚が多い』
『なるほどねぇ……農耕も牧畜もしてないと。いかにも異世界エルフって感じか』
焚火の周りに魚を刺した枝を立て、じっくりと焼いていく。
一応姫であるヴァシリだが自分で料理を一切しないわけではない。
嫁いだ際に自分で家庭を作ることになるから花嫁修業の一環として学んでいるため、何をしているのかもわかった。火から少し距離を取って熱するといい具合に焼けるというのは、この時代彼女らの中でも常識である。
『塩ってあるか?』
『しお? ……すまない、何を言ってるのかわからない』
『……なるほど。海辺ではない、と。それでもって、肉や魚の血でなんとかしてる感じか。いや、そもそもエルフだから人間とは別に栄養で生きてるのか……?』
ぶつぶつ言いながら火加減を調整するヨハンに、ヴァシリは何を言えばいいのかどんどんわからなくなっていった。
聞けば答えてくれる。
向こうからも聞いてくれるから興味がないわけではないのだろう。ただ、純粋に何を言っているのかがわからない時がある。
文明とはなんだ?
中世とはなんだ?
レベルとはなんだ。
紀元前とは一体、塩とは、栄養とは?
聞きたいことはたくさんある。
何から聞けばいいのかがさっぱりわからない。
(……まるで、別の生き物と話している気分だ)
それこそ、神のような。
里で一番の知恵者であろうと知らないような言葉を次から次へと吐き出されてショートした頭は、ヨハンに対する畏怖を抱かせた。
『…………なあ、ヴァシリ』
『な、なんだ?』
じっと焚火を眺めながらヨハンが名を呼ぶ。
ビクッと肩を跳ねさせたヴァシリは、動揺を隠しきれぬまま答えた。
『お前、外のことを知りたいんだよな』
『…………ああ。そうだ』
『本当に知りたいのか? 断言してやるが、お前はこのまま里で静かに暮らした方がいいぞ。絶対に、間違いなくな』
そう告げるヨハンの目は酷く冷たい。
『……なぜそう言い切れる? そんなにも、外の世界は醜いのか? ならば気にするな。私だってそれくらいは覚悟してる』
決して、世界が汚く醜くてもヴァシリは失望するつもりはない。
里の中でさえ理解できないことを言う者がいるのだ。
世界という広さで見た時、もっと数は多くなるに違いない。
覚悟している。
決して世界は綺麗なだけではないのだと。
『…………お前、眩しい奴だな』
『? ……まぶしい?』
『ああ。眩しいよ。そんな希望に満ちた顔で、抑えきれないって顔で言われたらさ……』
ヨハンは目を細めてヴァシリを見る。
彼女はまだ世界を知らないのだ。
海の広さも、大陸の大きさも、山の高さもモンスターの脅威も嵐の凄まじさも、なにも。
『……俺はこう見えてそこそこ物知りだ。多分、この世界にいる人間で一番』
『……嘘とは言わん。寧ろ、そうでなければ困る』
もしもヒトが全てヨハンと同じくらい知らない言葉を使うのだとしたら、エルフが森に閉じこもっている間に何があったのか性急に探らねばならなかった。
『お前、神はいると思うか?』
『……いるだろう。少なくとも我らエルフの起源は女神だ』
『そうだな、そうだよな。……ここは、地球じゃない。日本でもないんだ』
焚火によってじっくりと熱された魚が弾け音が鳴る。
『ヴァシリ。外のことを本格的に教える前に条件がある』
『む……食事では足りないか?』
『そうじゃねえよ。お前は、俺がこの先の未来を知ってると言ったら信じるか?』
『未来……』
一瞬、ヨハンがふざけているのかと思った。
だが表情に変わりはない。
先程までの目と同じく、昏い瞳だった。
『そうだ。未来だ。俺は、お前がどうやって死ぬのか知っている』
『……は? 私が?』
『信じるか、信じないか。どっちだ?』
『……待て。急にそんなこと言われても』
『どうする? ヴァシリ・ヴル・バルバロッサ』
有無を言わさぬ問いかけ。
ヴァシリは戸惑うが、ヨハンは変わらない。
(突拍子もないことだ。信じられるわけがない。……だが……)
先程から話している内容が、どうにも引っ掛かる。
生活、食事、生活の環境をひとまとめにした文明という言葉。
当然ヴァシリには馴染みが無い言葉で、人が勝手に作っている言葉なのだろう。
だが、それを虚言と断ずる気にはならなかった。
(…………私の終わり。死に方、か……)
外に出ていくことが出来たのか?
どんな人生を過ごしたのか?
どんな終わりを迎えるのか?
好奇心はある。
未知を知りたい、その気持ちは強い。
だが、全てを今ここで知って、また退屈しないだろうか?
(────愚かな。知ったところで退屈などするものか。未来を知ったのならば、違う道を歩むことだって出来るだろう)
ヴァシリの類まれな部分はこれだ。
好奇心と行動力、そして、何よりも己の手で何かをしていたいという欲求が強く、与えられた道筋に沿っていくことを良しとしないのだ。
たとえ未来を知ったとて。
たとえ末路を知ったとて、彼女が足を止める理由にはならない。
『──信じよう。嘘か真か、そんなものはいずれわかること。ヨハン。私は君を信じるぞ』
『…………ハハッ。流石、公式で言われてた女はちげぇな』
『こうしき?』
『こっちの話だ。──いいぜ。ヴァシリ・ヴル・バルバロッサ。ダークエルフの姫』
ヨハンは視線をヴァシリへと向ける。
濁った瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら、ヴァシリはじっとこらえた。
『お前の終わりは決まってるよ。知らなくてもいいことばかりだ。それでもお前は知りたいのか? 定まった運命を知らされて、それでもなお生きていけると?』
『無論だ。私が未来を知った程度で絶望すると思うなよ。なんなら、覆してやるさ』
『くくっ……ああ、わかった。お前の覚悟を認める。遥か先の本編で無惨に凌辱されるお前に全てを話してやる。運命が変わるか変わらないか、俺がそれを知ることはないだろうけど、やってみなよ』
『もしもお前が運命を変え、魔王軍との戦いを生き延びられたら……そうなれば、俺がこの世界に生まれた意味もあるんだろうな』
ヨハンは、寂しげに呟いた。