『俺がこの世界の未来を知っているのは、前世の記憶があるからだ』
『……前世とは?』
『ヨハンって男として生まれるより前、別の人間として過ごした記憶があるんだよ』
『ああ、なるほ…………ど?』
『信じてねえな? とにかく、俺は前世で地球って惑星の日本って島国で生きた記憶があった。そこではまあ、人類が生まれてから大体五千年くらい経っててよ』
『…………つまり、私達とは関係のないどこかで生きていたと』
『それでいい』
ヨハンの話していることの全てを理解したわけではないが、ヴァシリなりに解釈する。
『そんでもってこの世界は、〈リョナエロ! ~強い女達が凌辱NTRされる世界~〉という物語が元になっている世界だ』
『…………すまない、もう一度いいか?』
『〈リョナエロ! ~強い女達が凌辱NTRされる世界~〉だな』
(判断を早まったか……?)
『……今お前が何考えてるのか俺にはよくわかる。もしお前の立場だったら俺もそう思う』
ヨハンは苦笑しながら言った。
ヴァシリは言われた言葉の意味全てを理解した訳ではない。
ただなんとなく、わかる言葉だけ組み合わせて「あんまりいい意味ではないんだろうな」と推測した。
『リョナとは、出血や負傷を伴う行為と性的な行為が合わさったジャンルのことを指す。凌辱は流石に伝わるとして、NTRは……』
『あー、うー、ちょっと待て! 説明するな!』
『説明しないとわからんだろ』
『それは……そうだが!』
外の世界へ興味津々とは言え、ヴァシリはまだ十五歳。
里でそんな過激なジャンルが発展してる訳もなく、軽いカルチャーショックを受けている真っ最中である。
嫁入りと、子作りに理解はある。
だが度を超えた性行為など知る由もなく、里でそのような行為を営んでいるなんて聞いたことも無かった。
(出血や負傷を伴う行為と、性的な行為が合わさる……?? りょ、猟奇的すぎる!! ヒトとは、外の世界はそんなにも倒錯しているのか!?)
『あー……ゴブリンとかオークってわかるか?』
『……あ、ああ、そいつらなら聞いたことがある。男は食べ、女は巣穴に連れ込、み……』
『おう、それそれ。雑に説明すると、戦いで負けた女に酷いことをする、それがリョナエロ。そしてこの世界はそういう物語が根底にある、クソすぎる世界ってわけだ』
例えば────受け入れきれていないヴァシリに対し、ヨハンは淡々と続ける。
『俺も一人で迷宮に挑んでたわけじゃなくてな。迷宮の周りにはちょっとした集落があって、同じ目的を持つ奴らと組んで挑んでるのが主流だった。常識もマナーもねえ連中の集まりだ。男同士でもすぐに喧嘩、最悪は殺し合い。そんでもって女が居れば集団で襲い掛かる、畜生以下の行動が当たり前の、ひでえ場所だったよ』
彼女は、何を言えばいいのかわからず口を閉ざす。
ヨハンも特に答えて欲しいわけではないのだろう、気にせず話を進めた。
『まだ文明のレベルが足りないからそういうもんなんだと思ってた。日本でさえ平成に入ってようやくって段階だったからな。……でも、そうじゃなかった。この世界は地球でもなく日本でもない。初めからどうなるかを定められた世界だったんだ。はは、そりゃあ道理でうまく行かないわけだよな』
『…………ヨハンは、嫌いなのか? この、なんだ。世界とやらが』
『……嫌いじゃないさ。念願の異世界だ、嫌うわけもない。ただ…………もっと、人を信じられる世の中であれば良かったと思ってる』
それを聞いて、ヴァシリは思った。
この男は、この世に絶望しているのだと。
話を聞くに、里では考えられないようなことが起きている。
男が徒党を組んで女を襲うなど里で犯せば即座に死罪であるし、喧嘩なんて殆ど起きない。仲が悪い者同士が険悪になることはあれど、それを調停する者もいる。
他のエルフの里やドワーフたちもそこは変わらない。
種族によっては争いごとを神聖視する者達もいるが、集団になれば規則が生まれ従っていくのだ。
それがない。
ヨハンの語る世界は、ヴァシリにとってはまるで蛮族の話でも聞かされているようなものだった。
『色々やってみたんだ。家族に身を清潔にするよう勧めるとか、石鹸作ったりとか、料理を作るとか。自分の記憶にある限りやってみて、上手くいったものだってあった。でも、俺は農家の六男で、立場が弱かった。作った石鹸は奪われて、作った料理は一口も食えなかった』
『…………』
『そんなことしてねえで働けって殴られて、一番上の兄に全部取られた。まあ、そういうもんだよな。本来、そういうもんだったんだ。そうじゃなくなったのは国際化が進んで情報化社会になりインターネットが普及した結果だ。それに加えてここは同人リョナエロゲ世界だぜ? そりゃあ、うまくいくわけもないわな』
乾いた笑いからは諦観が伝わってくる。
『成り上がって、偉くなって、国を作ってやろうと思った。偉くなりゃ従う奴が増える。そうなれば悪いことを禁止した、平和でモラルのある社会が作れるんじゃないかってな。でも──俺は、特別じゃなかった。うまくいかなかった。だから諦めて、せめて少しでも可能性を信じて迷宮に潜った。そうしたら……』
そこで、ヨハンはヴァシリを見た。
『…………ヴァシリ。お前は今から三千年後、魔王軍によって敗北し、腕や足を潰され、もがれ、自由を奪われた状態でモンスターに犯され続け、苗床になり、最後には肉盾として命を使い潰され自我すら喪失した状態で死ぬ』
『っ……』
『知っていれば避けられると思うか? 俺は思わない。ただの人であっても徒党を組んで暴力を振るえばあれだけ強いのに、それを捩じ伏せる個人がいて、そんな個人すらもおもちゃみたいに扱っちまうモンスターが山程いるんだ。お前の住んでるこの里も、遠い未来にゃ無いんだぜ』
『バカな! 里が無くなるなど……』
『人間による亜人迫害がある。いつ頃かは知らんが、エルフやドワーフが姿を消す時期があるんだ。その頃にやられるんだろうよ』
『ふざけっ……!』
無礼に無礼を重ねた言葉に憤るも、先程ヨハンによって語られた内容を考えれば、あながちあり得ないことでは無いのではないかと思った。
見知らぬ人物は元より、隣人も、家族でさえ信じることができない世の中。
そんな世界がもっと広がって、今の里にやってきたとすれば……
『……追い払えばいい。我らは強いぞ』
『母数を考えな。エルフが一人増えるまでに、人は百人増えるんだ。どんどん強い種を残していけばどうなると思う?』
『…………』
『人の進化は早い。争いながら、ずっと進化していく。エルフは今の差を保てるか?』
『……………………』
目の前にいる男は、ヴァシリどころか、里の知恵者ですら知らないようなことをたくさん知っている。
人類の中でこれ以上の知識を持つ人間はいないのだろう。
だが、一人の女から十人近く生まれる人間が世代を重ねて行けばいずれは。
到底信じられないことだ。
だが…………
それを妄言だと、嘘だと断じるのは、ヴァシリの信条に反する。
彼女は外を知りたいのだ。
それが美しかろうが醜かろうが、この里に閉じこもっているだけではわからないことが知りたい。
危険がある。
そんなことはわかっている。
ただひたすらに、外のことを知りたい。今と違う状況を見たい。たとえそれが、どれほど醜くても。
『……なるほど。では、私がそうなることは理解した。で? どうすれば避けられる?』
『────…………大事なのは、魔王軍が猛威を振るうってことだ。これを発足させずに潰せれば未来は丸ごと変わるだろ』
『潰す方法は?』
『わからん。寿命的にも強さ的にも、俺にはどうすることもできない。でも、どうだ? お前ならやれるんじゃないか?』
エルフの寿命は長い。
特に、
理屈は不明だが、恐らく原種であるエルフに血が近ければ近い程そうなのだろうと里では考えられている。ヴァシリは世代で言えば三世代目。
一世代目が里を築き、二世代目に受け継がれ、三世代目にして一世代目の影響が抜け落ちた。
新たな世代であり、旧い世代の恩恵も得ている、ハイブリッドと呼べる個体だった。
『魔王軍とやらは何が目的なんだ?』
『世界を支配すること。この大陸も、俺の住んでいた大陸もひっくるめて、海の跨ぐ全ての土地をモンスターの楽園にするんだとよ』
『それは……到底見過ごせないな』
『でも、人は醜い。協力し合うことなんて出来ない。どうする?』
『……やるしかないのか?』
『少なくとも、俺が知る限りはどうしようもないな』
『ならやるさ。幸い、私には時間がたっぷりあるからな』
ヨハンが居なくたって、どの道ヴァシリは外へ出ていただろう。
それが何年先の話かはわからないが、里が無いのにも関わらずどこかでそういう目に遭って死ぬのだとすれば、人の社会に出た結果だと彼女は推測した。
『有り体に言えば、世界の危機というわけだ。他に知っている者はいるのか?』
『いないが、〈預言者〉がその内出てくる。そいつならある程度答えてくれると思うぜ』
『……お前は〈預言者〉じゃないのか?』
そう聞くと、ヨハンはきょとんと顔を呆けさせた。
『……俺が? いやあ、俺はそんなもんじゃねえな。預言って言っても、ごく一部に過ぎねえし』
『だが知恵を授けようとしているのは事実だ。私が世界に出ていくとして、お前の存在を無いものにする気はないが……』
『…………いや、俺のことは公表しなくていい。あと数十年で死ぬんだ』
『……しかしなぁ』
『俺のことはお前だけが覚えてりゃいいさ。歴史が変われば預言は外れる。それはつまり、預言が外れたってことになる。そんな奴の存在を公表する理由がない』
それは──虚しすぎるだろう。
ヴァシリはそう言おうとして、やめた。
『俺のことは、そうだな。〈転生者〉とでも呼んでくれ』
『〈転生者〉……』
『俺が生まれたんだ。後の時代に出てこないとは限らないだろ? そうなった時、〈預言者〉と一緒なのはわかりにくい』
『……わかった。〈転生者〉だな』
『おう。原作知識以外にも農業やら経済やらも教える。一般教養レベルだが、知らないよりは役に立つ筈だ』
『む……そうなれば皮紙のようなものが要るか』
『あると助かるけど安くないだろ』
『これでも私は姫だぞ。それくらいは容易だ』
『ほほ~。流石は権力者サマだ』
ふん、と鼻を鳴らして得意げにする。
『里に行くのは難しいか?』
『やめておいた方がいいな』
『じゃあここで、時間はどうする?』
『昼前に抜け出してくる。それから頼む』
『オッケーだ』
不思議とヴァシリは高揚していた。
聞かされた内容は全く良くなかったが、それでも、この籠から飛び出したいんだと漠然と思っていた彼女に方向性を定めさせたからだ。
世界に飛び出したいという思いから、世界を救う大義を得た。
長く険しい道のりだろうと、どうせ死ぬのならば。
それを防ぐために生きるのも一興だ。
『……あ、そうだ』
『うん?』
『もし何も起きなかったら、俺の墓の前で笑ってくれ』
『はは! そうだな、そうしてやる。私が老衰で死んだときには、盛大に笑ってやるさ』
だから────私に任せておけ。
ヨハンはヴァシリに言葉に、安堵したように微笑んだ。
この日から始まった〈転生者〉と原作キャラの交流は、五年後に転生者ヨハンが病で亡くなるまで続けられた。