「──は? フィンが取られた……?」
鍛錬を終えて家に戻ってきたカルラが呆然と声を漏らした。
意味がわからないと言わんばかりの困惑した表情。
しかしその視線の先にいるマリアンヌの瞳からは光が失せ、感情がまるで感じ取れない。これほどまでに彼女の表情から何もかもが抜け落ちたことはあっただろうか──いや、ない。
「はい。フィンさんの幼馴染を名乗る売女とフィンさんの師匠を名乗る女狐によって連れ去られました」
「いや、依頼でしょこれ。ていうか姉さんのパーティーじゃない……」
「……だがアストレア。マリアンヌがこんな様子になっているのだから普通ではあるまい」
「フィンの関わったことだと気軽におかしくなってるわよ」
「ちょっと! もう少し真面目に聞いてください!」
バンっ!
机を叩き立ち上がるが、カルラはともかくアストレアはあまり真剣に受け取っていなかった。
「ほら見てよカルラ。依頼者【星天】、対象フィン・デビュラ」
「む…………形式、名分どちらも問題ない。仕方ないのではないか?」
「仕方なくないっ!!」
バンバンっ!
二度叩かれた机が悲鳴をあげる。
カルラは元々面目や名分を重要視する東方諸国出身のため依頼そのものに対する疑惑は湧かず、アストレアは別にそれくらいならいいわよと言いたげな態度。
直接対峙したマリアンヌとは抱えている危機感が違った。
「何を悠長な……っ、いいですか? 相手は【勇者】に【天聖】。一人は同い年の幼馴染で、一人はダークエルフの美人です。フィンに対して色仕掛けを行い、強制的に私か……私達から奪うつもりに違いありませんっ!」
「今私からって言おうとした?」
「うむ、間違いないな」
「細かいことはいいんですっ! どうするんですかフィンさんがとられたら!!」
ぷるぷる震えるマリアンヌに対し、カルラは冷静に諭す。
「落ち着いて考えろ。確かに【勇者】や【天聖】は高名だが、強引な引き抜きには相応のリスクがある。マリアンヌは聖女として教団の後ろ盾が、私には東方諸国との繋がりが、アストレアは……まあ、身内のゴタゴタに繋がる可能性がある。そんなリスクを冒してまでフィンを要求するだろうか?」
「可能性は低くないです。私の見た限り、【勇者】も【天聖】もフィンを想っている節がありました」
「そ、そう……」
目から本気の圧が出ているマリアンヌ。
そこまで言うならそれは信じようと飲み込んだ二人は、ならばどうするかを考えることにした。
「強制依頼自体は正当なものである以上断りようがない。これ以上後手に回るのは避けたいが」
「乗り込みましょ。私と姉の繋がりがあるから理由は十分よ」
「名分無しで行くのも悪くはないぞ? フィンが大事だと世に知らしめるにはいい機会でもある」
「マリアンヌの懸念通りだったら実力行使かしら。姉さんと【天聖】はなんとかするから【勇者】はお願い。多分、私が一番苦手なタイプだわ」
「任された。それでよいな、マリアンヌ」
「……はい。よろしくお願いします」
(──もし、フィンさんが誑かされていたら……なんとしてでも正気に戻さないと……)
昏い瞳でマリアンヌは考える。
相手は【天聖】。
歴史上最も強大な魔術師にして今もなお最強の名を冠する傑物。
一時間にも満たない邂逅であったのにも関わらず、マリアンヌはヴァシリに敵わないと思わされた。
理解の及ばない魔術。
訳のわからない概念を口にして、それをこちらが理解していないことをわかっている。つまり、知識の時点で格が違うとわからせようとしているのだ。
実際マリアンヌはヴァシリの言っていることをあまり理解できなかった。
〈流れ〉だの〈預言〉だの、本来ならば死んでいただの……冗談でバカにされているだけならどれだけ良かったか。
それが嘘でも冗談でもないとわかってしまう。
なぜならば、仲間であるアストレアもまた、〈預言〉に踊らされた人物なのだから。
〈預言〉を識る、長寿の怪物。
どんな手段を用いるかは不明だが、洗脳や刷り込みの技術に長けていてもおかしくはない。それこそ、フィンのことを欲するのならありとあらゆる手段を用いる可能性があるとマリアンヌは睨んでいる。
【聖女】の名と教団の力に全く左右されない、完全な上位者。
まるで現実のような理不尽。
マリアンヌの大切な人を奪っていく敵。
フィンさんのことは、誰よりも私が好きで愛しているのに。私が一番あの人のことを知っているのに。二人で手を取り合って来た。最初から強かった二人と違って、私はずっとあの人の背中を支えてきた。同じ速度で歩んできた。
あの日、目の前で蹂躙されるフィンさんを見て、胸が張り裂けそうだった。
救えたんだ。
他の誰でもない、私が、あの人を救えた。
これまでもこれからも、私だけがフィンさんを助けられる救い出せる。
決して、誰にも譲らない。
フィンさんは、私が守る。
────
──
────
「ちょっといいかしら?」
師匠の飯を食べ終えて休憩していると、アリシアさんが話しかけてきた。
接点はあんまりない。
アストレア繋がりがあるものの、互いにその話を聞いてるわけでもない。何なら数十年単位で絡んでないって言ってたから多分俺のことなんて全く知らないだろうし。
「どうしました?」
「あら、敬語。いつも通りでいいのに」
「本当か? なら遠慮なく」
依頼主だし、あまり面識のない人だし、パーティーメンバーの身内だから慣れない敬語を使っていたが要らないというなら遠慮はしない。
所詮農民だからな。
不慣れだからすぐにボロが出る。
その割に内面はよく隠せてると思わないか?
ドマゾバレしたら人生が終わる、そんなチキンレースに俺は命を賭けている。バカと天才は紙一重、俺は盾役としては文句なしに天才と言っていいだろう。攻撃を受けることで喜べるのは唯一無二の才能に違いない。
この才能を捨てるなんてとんでもない!
特別でも生きていていいんだよ──アリア、俺はお前の言葉、今でも胸に刻んでるぜ……
「ちょっと耳寄せてもらっていい?」
「? 構わないが……」
ちょいちょいと手招きされたので体を寄せる。
そのままアリシアさんはゆっくりと耳に口元を寄せてきて──アッこれスケベすぎます!
まず口元を手で隠しながらゆっくり近寄ってくるのがもうスケベ!
こんなのえっちな行為する前触れじゃないか!
ドマゾであるのと同時に童貞の俺には刺激が強すぎるッ……!!
このまま全力で叫ばれたら俺の耳は死ぬんだろうなぁ……
のたうち回り情けなく痛みに喘ぐ俺に対し、アリシアさんは『優しくするわけないでしょ、たかが人間が』と辛辣に対応する。そのまま大地に磔にするように俺を矢で射止め、服を脱がされ、辱めを受けるのだ……
「──あなた、結構感情豊かよね」
!!!!!?!?!?!??!
なななな何のことでしょうか?
俺が感情豊か?
どう見てもクールボーイだ。
攻撃を浴びる時は痛みと快楽で悶絶しているが、その時以外は基本的に割とユーモア溢れる青年であると自負している。そうでなければアストレアとかがあんなフランクに相手してくれるとは思わな──ハッ……!?
ま、まさか……
みんなわかった上で俺のことをスルーしてくれてるのか……!?
ドマゾで悦んでいるのを薄々感じてるけど、指摘するのも気持ち悪いから放置してるのか!?
わかってないのは隠せていると思い込んでる俺だけ!?
だから殿下に運命だの何だの語った時俺のことを何度も見ていたのか!? こんな気持ち悪い男と運命だなんて嫌でしょ? なら奮起して抜け出さないと! そういう意味で言っていたのかッッ!!?
「驚いた? 私、ちょびっとだけ人の感情が読めるのよね」
それは俺に対する死刑宣告?
マリアンヌ、カルラ、アストレア。
ごめん、みんなの元には戻れません。
ここでアリシアさんに脅されて、奴隷になるから。
『これ以上バラされたくなかったら……わかるわよね?』
その一言から俺の人生は絶望の二文字で染まった。
【魔弓の射手】の狙いは正確だった。
それは俺にとって絶対にバレたくない領域。
犯されてはならない聖域である。
ドマゾバレしてからと言うもの、場所を選ばないアリシアさんによる暴力が始まった。最初は殴打や椅子にする程度で済んでいたものがどんどん度を越したものに変化していく。
人間椅子、人間ベッド、モンスターから必死に逃げ回る俺を見て高笑いするアリシアさん……
ドマゾである事実は共有され、アリアや師匠からも気持ち悪いと虐げられる日々。俺の心はすり減り、ドマゾであることだけが残っていく。何をされても、何を言われても喜ぶ日々。フィン・デビュラの心は死んでいき、ただひたすらドマゾとして悦ぶ気持ち悪い生命体が生まれてしまうのだった……
『今とあんまり変わらないですよね』
は〜〜、これだから闇のマリアンヌは。
いいかい?
俺のドマゾはあくまで趣味なの。
これが主軸になるのは嫌なんだよね。
金等級冒険者って立場があって、業務上致し方なく攻撃を受けざるを得ず、その結果としてドマゾな性癖が満たされてるだけ。
常日頃から展開されてる妄想はあくまで童貞特有の性欲が暴走してるに過ぎないの。
俺だって童貞捨てればもう少し心が落ち着く……かも……多分……きっと……そう思いたい……だろ!
『今とあんまり変わらないですよね』
はい、あまり変わらないと思います。
私はカスでゴミでドマゾの童貞です。アストレアっ! お姉さんの暴力を俺に向けてください! 姉妹丼だァッ! アストレアの風がアリシアさんの矢を加速させ、俺の心臓を貫いた!
生と死の狭間!
もう一度味わいたいッ!
「そうか……じゃあ、俺が何を考えてるのかもわかるんだな」
「あー、そこまではわからないけど……今、邪なこと考えてたのはわかるわよ」
あ、本当に人生終わったか。
師匠、これまで俺のこと信じてくれてありがとう。
俺は本当はドマゾで童貞で性欲が暴走しがちな危険人物なんだ。引導を渡されるなら師匠の手がいい。アリアは悲しみそうだから遠慮しとく。あいつは今でも普通の女の子っぽい部分ありそうだし。
「あ、別に怒ってないからね? 寧ろ、ちゃんと男の子なんだって安心したかも」
「…………」
「ちょっとちょっと落ち込まないで! それくらい健全だから! 年頃の男の子なんだし、ねっ?」
アリシアさん……
こんな……こんな優しい人に、俺は……虐められる妄想をしてしまうなんて……
ううっ……情けない……
そんな情けない俺が惨めで最高に興奮する……!
「ま、まあとにかく。フィンくんってすごい我慢してるでしょ?」
「我慢……?」
「こんなに感情豊かなのに、全然表情にも態度にも出てこないじゃない。身体に良くないわよ」
いや全然我慢してないが……
表に出してないのは表に出せないからなので、そういう意味では我慢しているのは間違いない。でも、俺は自分が異常者である自覚がある。それでも、特別で生きているだけでもいいと教えてくれたのは師匠とアリアだ。
だからこれ以上は望まない。
「もう少し正直に生きても、罰は当たらないと思うけどね」
ほんと?
じゃあアリシアさん、とりあえず俺のことぶん殴ってくれないですか? いきなり理不尽が襲いかかってきた時が一番嬉しいですからね。困惑、驚愕、憤怒、悦楽……一口でいくつもの味が楽しめる素晴らしい一手。身構えていない時の暴力こそ、俺にとってのデザートなのだ。
『バカ』
いきなりデザート!?
「────……あら。お客さんか」
俺と話していたアリシアさんは、何かに気が付いたように窓に視線を向けた。
ちょうどそのタイミングで師匠も戻ってきた。
「まるで悪者扱いじゃないの。どうにかしなさいよ」
「ふふ、事実じゃないか。私は嬉しいよ? フィンがこれだけの縁を結んでるんだから」
「親バカ……」
「私はフィンの親じゃない。彼を産み育てた両親に失礼だよ」
「ああ、うん、そうね。言ってることは立派なんだけどなー……」
アリシアさん曰く、俺は我慢のし過ぎらしい。
こ、これ以上自分に正直に生きていいのか……?
い、いや!
やめておけ俺!
絶対後悔する、気持ちいいけど絶対に後悔する!
ドマゾはあくまで趣味であって、童貞もどうしても捨てたいものじゃない! 俺は今の在り方が好きなんだ!
マリアンヌ、カルラ、アストレア。
三人と一緒に戦って過ごす日々が好きなんだよ!
だから──この日常を捨てることだけは、したくない……できるだけ……極力……
『それくらいは言い切ってください』
善処はしてます。
でも性癖が邪魔をするんです。
自分、ドマゾなので。
師匠が出迎えだと言ってどこかへふらりと歩いて行ったが、俺とアリシアさんは残っている。あと泥酔して寝てるアリア。
「ま、何にせよ……あんまり抱え込んじゃダメよ? フィンくんは確かにすごい子だけど、人間なんだから」
「……ありがとう。それだけで救われる」
「本当に耐えきれなくなったら信じられる誰かに吐き出しなさい。あなたを見捨てるような人はいないから。…………寧ろ、喜んで受け入れるでしょうね……」
アリシアさんいい人だな。
もし俺がドマゾバレして全員に捨てられたら拾ってもらおう。
俺の感情がわかるってことは、俺の欲望を的確に満たせるってこと。そんなんもう、好きになってしまいますやん……
「…………あ、あ、そ、それだけは勘弁して。いい? 私のことは、お節介なおばあちゃんだと思って。お願いだから渦に巻き込まないで。ね?」
!!!!!?!?!?!??
何もしてないのに振られた……!?
そ、そんなぁっ!
じょ、女性に否定されるのってこんな気持ちなんだ……!
くううっ、対して仲良くもない女性が相手でこれ!? こんな、こんなの、マリアンヌ達に振られたら俺は一体どうなっちまうんだ!?
妄想するだけで興奮するっ!!
積み上げた軌跡の数だけ否定された時に輝く。
基本にして極意だ。
いいこと教えていただきました。
これからも頑張っていくよ、アリシアさん。