「フィンくんって昔からあんな感じなの?」
休息日として設けた一日。
各地の有力者との手紙を処理しながらのんびりしていたヴァシリにアリシアが訊ねていた。
「あんな感じとは?」
「その……結構寡黙だけどお茶目な感じ?」
「ふむ……私の知る限りは、そうだね」
ヴァシリの脳裏に思い浮かんだのは、アリアが聖剣を手に、改めて勇者になると決意した時のこと。
フィンを撥ねその衝撃で塞ぎ込んだアリアは自分の脚で再度立ち上がることを選んだのだが、聖剣を渡した時になぜかフィンが混ざってきて聖剣を手に取り床に叩きつけられたことがある。そうなる以前に触らせて無理だと分かってた筈なのに当たり前のように手を伸ばしたのでヴァシリも反応できなかったが、そういう所は確かにあった。
(普通は選ばない道に進み平然としている。今も昔も、弱みを見せたがらない子だ)
そんな、懐かしくも輝かしい思い出に浸っているヴァシリを尻目に、アリシアは頭を抱えていた。
(──そっかー昔からかー。昔からずっとあんな感じなんだー……)
最初は、真面目そうな子だと思った。
アリアがあれだけ信じて拗らせてる原因だからどんな男の子かと思えば、なんてことはない。彼女の言う通り、ただひたすら、愚直なまでに己の信じた道を進んでいる男の子だった。幼馴染のアリアと自分の立場の違いも理解しつつ、再会を喜びながら自分の築いて来た信頼できる仲間達との立場を選ぶ。
本当に、真っ直ぐな子。
なんなら、【勇者】とか【天聖】とか、とんでもない名前に釣られず自分の地位を即決したのはよくできてると思った。
アリアやヴァシリの過剰とも言えるような信頼にも驚いて怯えていたし、もし無茶振りされるようなら私が守らないと────そう思っていたのだが。
(あれ、絶対やばい拗らせ方してるわよね……)
アリシアには他人の感情がわかる。
はっきりとわかることもあれば、わかりにくいこともある。
それは大体感情の強弱であり、はっきりとわかるほどその者が発している感情が強い。
ヴァシリが長い間絶望にも似た恐怖を抱いていたこともわかっているし、それがある時を境になくなったことも知っている。
アリアが幼馴染を語る時に発せられる感情がかなり強い恋愛感情であることも知っていたし、その話をする時にヴァシリがアリア以上に重めの感情を放っていることもわかっている。
言えるわけがない特殊能力。
ヴァシリの〈知識〉にもアリシアのこれはなかったようで、それが原因でトラブルにならなくて良かったとも言えれば、誰にも共有できない秘密が強制的にやってくることの怖さを嘆く時もある。
それでも、ここまで厄介なことを抱えたのは、これが初めてのことだった。
(フィンくん────全く表に出てこないだけで、とんでもなくスケベなんだけど……!)
それもとんでもない変態。
これまでアリシアが出会った人間で最も感情の動きが激しい。悲しんだかと思えば即座に喜び、驚いたかと思えばそのまま喜ぶ。
なんなら常日頃から事あるごとに性的な感情がむき出しになるため、寡黙な表情の下でつねにエッチなことを考えているスケベ青年ということが判明してしまった。
(ちょっと感情が読めるって言ったら途端にあれだもの。いやー……あれがヒトの英雄なのね)
正直なことを言えば、それだけなら問題はなかった。
ハイエルフとして代々英雄の話を聞いて来たアリシアからすればヒトは優れた個体が多くの子を残すことに理解があるし、知り合いや身内がそのハーレムに巻き込まれているのはなんとも言えないが、所詮は他人の人生。
アリシアの人生はフィンが死んでからが長い。
そこまで過敏になることはない──そう思えていたのは、二つのパーティーを交えた話し合いをする時までのことだった。
(全員! ねぇ! 全員がフィンくんのこと大好きなんだけど!!)
マリアンヌ、カルラ、アストレア。
そこに加わったヴァシリとアリア。
この五人、全員がフィンのことを好いている。
それも────他者に敵意を向けることも厭わないような愛の重さで。
(普通実の姉にあんなじっとりした殺意向けてくる!? とったりしないから! やめて! 巻き込まないで!)
困ったことに、出会って間もないと言うのにフィンはアリシアのことを相応に好いている節がある。
少なくとも嫌ってはいない。
性的な欲求がめちゃくちゃ向けられた時は驚きつつも「ま、案外私も捨てたもんじゃないわね」なんて気楽なことを考えたのは、今にして思えば愚かの極み。
性欲を飛び越えてほんのりと好意を滲ませられ、渦に巻き込まれかけた。
アリシアからは、フィンを取り巻く関係がまるで渦の様に見える。
恋愛感情、互いに向け合う敵意、それ以上の親愛……
二元論では語れないドロドロの異性愛の渦、それでいて愛らしい友情もある。とても一言では言い表せない愛憎の渦。
フィンがそのお茶目な内心をほぼ外に出さず、また、ヴァシリやアリアと言った超越者と共に育ったが故の低い自己評価であるから成り立つ絶妙なバランス。もしも彼が誰かを選んだり、その強い性欲を出した途端あの渦は爆発する。
恐ろしいのは、周りの女性全員が実力者であること。
何かがきっかけで憎悪に振り切れてしまえば……アリシアは何よりもそれが恐ろしかった。
「……うっ……」
「……アリシア? どうした?」
「なんでもない。ちょっと気分が、あんまりね……」
「そうか……今日はゆっくり休んでいてくれ。また明日から打ち合わせをしなければならないからな」
「ええ、そうさせてもらうわ」
部屋から出たアリシアは口元を押さえながら自分に割り振られた部屋へ向かう。
胸中は穏やかではない。
だが何よりも、アリシアは疑問に思っていることがある。
何か酷く忌み嫌うような感情を放ち、直後に喜びを見せるフィンだが、一度だけ明らかにおかしいタイミングがあった。
アリシアが実の妹であるアストレアの殺意に動揺しケーキを口から噴き出してそれら全てがフィンの顔に直撃した時。
動揺の直後、とてつもなく大きな喜びがあった。
(…………あれは一体、なんなの……?)
間違いかと思った。
間違いでは無かった。
動揺し見つめ合ったが、本人はすっとぼけた顔をしていた。でもあれは間違いなく、喜んでいた。
それも──性的感情が強く出るような……
(……………………まさかね。まさか……)
ぶるりと身体を震わせる。
もうこれ以上の厄介事は御免だ。
フィンがどんな性癖だろうがいいじゃないか。それを表に出してこない限りは、今のバランスのまま絶妙にやっていけるのだから。
でも、もしこの感情が嘘偽りない本当のものだったら……
(……アリーシャと交代で帰ろうかしら)
込み上げてきた吐き気を飲み込んで、アリシアは部屋に入っていった。
────
──
────
「フィン、そなた身体の調子は如何だ?」
殿下が帰った後部屋で軽いストレッチをしていると、カルラがやってきた。
鍛錬を終えて汗を流した後なので非常に色っぽい。
童貞相手にそんな恰好見せるとかあまりにも非道すぎる。東方諸国、いずれ絶対に行かねばなるまい。決して深い理由はないのだが、一度は訪れて現地の温泉を楽しまねばならないのだ。
「ああ、問題ない。なんならこれまでで一番調子がいいと言われた」
「そうか……やはり、無理をさせていたのだな」
確かにそう言えなくもない。
一週間以上戦っていない今、身体の調子は頗るいい。
普通に考えて致命傷に近い怪我をせず、それを強引に魔法で治してないからなんだよね。間違いない。
体力を消耗せず内臓に負荷も掛かってないからある程度回復してるんだろう。
セラさんもそう言ってた。
「気に病まないでくれ。パーティーとして活動する以上、足を引っ張りたくなかったんだ」
俺だけ弱いからな。
盾役が稼働できないなんてお話にならない。
三人の役に立つためには、そうするしかなかった。
あとは単純に趣味。
身体がぶっ壊れてくの自覚しながらもやめられないんだけど! だってしょうがないじゃないか。セラさんが治してくれるから無茶しても大丈夫だと思うようになっちゃったんだもん。
内臓壊れるのは流石にマズいと思って駆け込んだ神殿であの人に出会えたのは本当に幸運だった。
いつか死んでしまうんだろうなというジワジワとせり上がってくる恐怖、身体に直接出来る大怪我、皆を守って役に立っている充足感、特別じゃない俺が特別な皆と一緒にいるんだという高揚……ああ、たまんねぇ……!
うほほっカルラッ俺が死ぬとこ見てて!
マリアンヌが必死にかける回復が効かなくてその場で糞撒き散らしながら絶命した薄汚れた俺を見てくれっ! そして貶して! 踏みつけて! 尊厳も全て奪ってくれぇっ!!
『…………』
顔が見えていますよ、闇マリアンヌさん。
ダメでしょ聖女がそんな顔したら。
世間で評判の聖女に嫌悪されてる俺……ふふっ、漏れるッ! ドバババッ! 死ぬときはどっちも出るんだぜッ!! あーっ! なんか出る! なんか出ちゃううううぅぅぅっ!!
「……なあ、フィン。そなた、死ぬのが怖くないのか?」
「怖いが……」
「ではなぜ、そこまでやれてしまうんだ。〈深淵の森〉とてそうだ。そなたが無理だと言うのならば我々だって、無理に攻略する気はない。無理なら無理だと言って欲しい。そんなにも、我らは頼りないか?」
〈深淵の森〉を捨てるなんてとんでもない!
あれは俺にとってのユートピアだぞ。
全てのモンスターが俺にとっての死神。全ての攻撃が一撃必殺。俺が下手を打ったら仲間が死ぬから集中しなくちゃならんが、積み上げてきた経験が今の所裏切ったことはない。
まあ一回股間から首辺りまで縦に串刺しにされて身動き取れなくなって意識失なった時は死んだと思ったけど生きてたんだよな。
……なんで俺生きてたんだ……?
『本当にヒトですか?』
コワッ!
急に怖いこと言わないでよ!
なんか不安になるだろ!
「【天聖】に【勇者】。あやつらが現れてから、我らの知らぬフィンの姿ばかり見る。悪いことではない。そなたは、我らのことを選んでくれた。わかっているのだ。だが、それでも……不安に思う。いつかそなたが、向こうを選んでしまうのではないかと」
「いや、それはない」
「む、…………おう、これでもそこそこ緊張して聞いたんだが?」
「バカなこと聞くなよカルラ。マリアンヌもそうだけどな、師匠もアリアも大事でも今の俺にとってはここが居場所だ。逆に俺が聞きたい。そんな薄情に見えるのか、俺は」
「抜かせ。そなたほど信の置ける男はいない」
それってどういう意味?
ヘイ、闇マリアンヌ。
これは流石にそういうアピールですか?
前にも聞いたけどこれは流石にアピールですよね?
『違います』
そっか……
もう俺女の人わかんないや。
俺みたいなドマゾきも童貞には一生わからないんだろうな。アリシアさんの能力が欲しい。アリシアさんと結婚したら俺もわかるようにならないかな。
むむっこれは俺に対する好意!
とりあえず縛って蝋燭垂らして罵倒してもらえるか?
もちろん貴女の好きにしてくれて構わない。
俺は何でも受け入れる。
盾役だからな。
この広い背中で皆を守らなきゃいけないのさ……オアアッア熱い!!?
『垂らしておきましたよ』
どういう能力!?
「私にも師がいる故、そなたと【勇者】の関係性は気にしておらん。だが、その、なんだ。【天聖】は良き人であろう?」
「師匠のことか? 確かに俺は師匠のことは好きだが」
「んェ!!!!!!?!?!?!?!?」
「!?」
「あ、すまない。続けてくれ」
カルラ、そんな大きな声出せるんだな……
「師匠は師匠だ。あの人に頼り切るような人生は送りたくないんだよ」
尊敬してるからね。
心の底から、あの人の信頼に応えたいと思ってる。
師匠がいてくれたお陰で今の俺があるんだ。
合同パーティーって形で安心した。
ぶっちゃけ普通に断ってるしな。
わざわざ言ってないけど。
ちょっと揺らいでたけど。
アリアがベッドに誘ってきてたら怪しかった。
師匠が誘惑して来たら俺も耐えられなかったかもしれない。俺の鋼の心をもってしてもあの魅力的な顔と身体と声に誘われたら危なかっただろう。
でもそんなことは言わない。
言えねえよ……!
墓場に持っていく秘密が多すぎる!
「……なるほど。その気持ちは、私にもわかる」
「だろ? どうしても意地を張りたい相手なんだ」
「はは、そうだな。──ああ、納得した。そなたはあの人をそう見ているんだな」
そう言ってカルラは満足そうに言う。
「やはり大きい方が良いな。肌と髪色は真似できんが、系統的に私が最も近い……うむ。大いに参考になった。フィン。もし、本当にそなたの心が折れて、身体も限界になった時は──」
カルラは、妖艶な笑みを浮かべ、そっと俺の手を握り、耳元で囁いた。
「──……私がそなたのことを助けてやる。だから、死ぬなよ」
そのまま扉を開き、出ていく。
部屋の中には俺だけが残された。
カルラの匂いと一緒に。
────……エッッッッッッ……
スケベすぎるぜ、カルラ……。
これが東方諸国の姫……なんて、艶なんだ……!
あんなオーラで責められたらどうなっちまうんだ!? くそっ! 今すぐ何もかも投げ出してカルラに飼われる、そんな選択肢が目の前にあるなんて!
まあ実際のところは普通に助けてくれるだけなんだろうな。
今はただ、この妄想に浸っていよう────カルラの風呂上がりの香りと共に……
『きっ……きも……』
ごめん。
俺も流石にこれはきもいなと思ってた。
『油断は出来ませんね……あの×××……』
え?
『なんでもありませんよ、フィンさん』
お、おう。
なんかとんでもない言葉が聞こえた気がしたんだが……
『何も言っていませんよ、フィンさん』
そっか。
君が言うならそうなんだろう。
闇マリアンヌの言うことはいつも正しいからな。
しかし、致命傷を食らわないだけで確かに調子がいい。
でも食らわないと満足できないんだ。
ううむ、ジレンマだ。
俺は一体どうすればいいのだろうか。
今後のことを考えれば、何時までもこうしている訳にもいかないのも事実。いずれ地に足付けた生活を目指していく時が来る。
どこで暮らそうかなぁ。
〈深淵の森〉の一件が片付いたら師匠に相談してみるか。