アリーシャ・ラ・アエラスは小生意気で他人をバカにしたような言動を繰り返す癖がある。
〈預言〉に従い里内で抑圧されながら育った結果、己の不満や文句を周囲の逆らわない側仕えに溢すようになり、やがてそれは八つ当たりへと変わっていった。
姉二人は外へ出ていけるのに、自分だけ許されない。
アストレアと同様、外への関心が強くあったアリーシャにとって、この〈預言〉こそが己を殺す最大の敵だった。
それを周りもわかっているからこそ強く注意することも出来ず。
アリーシャは相手が大人だろうが子供だろうが自分の言うことを全部聞くと思うようになっていった。それと同時に、他人へ無理を言って我儘な振る舞いをすることを愉しむようになり、気がつけば彼女は他者に理不尽を強いることで悦を覚えるようになってしまった。
しかし、理性までもを失っているわけではない。
家族相手に一線を越えることはほぼないし、相手によっては特に何も言わないこともある。誰にでも噛み付く狂犬ではなく、己の中で琴線に触れた相手にだけ発揮されるのだ。例えば側仕えを務めていた若い男エルフであり、里に行商に来ていたヒトである。
その分、彼女が「これだ」と決めた相手にはより苛烈に当たる。
(私たちの〈運命〉を変えたヒトの英雄──ハーレム作ってるような男のヒトが、私に奴隷扱いされるようなことになったら、どれだけ楽しいんだろ……♡)
フィン・デビュラ。
姉の死を覆し大長老の〈預言〉を打ち砕いた英雄。
本来アリーシャを迎えにくるはずの〈勇者〉すらをも惚れさせている男が、アリーシャの言いなりになる。
考えるだけで口角が吊り上がった。
(ごめんね、姉さんたち。私がこの人、貰っちゃうから……♡)
────
──
────
敵が現れる。
フィンがぶん殴る。
敵が現れる。
フィンが盾で弾き飛ばす。
その隙をアリーシャが狙う。
敵が現れる。
フィンがアリーシャを庇う。
アリーシャが敵を狙い撃ちする。
王都から馬車で一時間程度のフィールドへやってきた二人は、特にペースを落とすこともなくサクッと奥地に到達し攻略を終えた。難易度の低い〈不浄領域〉、二人の実力を考えれば当然のことだが、アリーシャはそれ以上に驚きがあった。
(────えっ、里の防人衆と組むより戦いやすいんだけど)
エルフと人間の戦い方はまるで別物だ。
風を操り自由自在に弓を射るエルフは遠距離からダメージを与える変則アタッカー。人のように強弓を無理に振り絞る必要もなければ、位置を調整し続ける無駄な動きを取る必要もない。
矢は風で軌道を変える。
風と矢、この二つの邪魔さえしなければ良い。
エルフ同士であればある程度互いの力量によって戦闘支配域は変わるので初見で組む相手だとやや苦労するのだが──フィンは徹底的にアリーシャの援護を読んでいるかのように動き続けた。
アリーシャが矢を放つより先に、絶好の射線が開く。
風がフィンの周囲に流れるより先に避けるように動く。
エルフのように風が読めていないのにも関わらず、初めて組むにも関わらず、まるで長年共に戦ったパートナーのように感じた。
(へぇ〜……)
正直なことを言えば、舐めていた。
いくらヒトの英雄だろうがエルフと完璧な連携を取れるはずもない。言葉もなく風を介して意志を交わすエルフにとって、言わねばわからぬヒトと共に戦うことの難易度は非常に高い。世間でエルフと組んでる人間は、エルフ側が配慮しているからうまくいっている事実がある。
──そうじゃない。
このヒトは、明らかにエルフの戦い方を知っていて、それを前提に組んだ上で戦っている。それがわからないほど鈍くはない。
「おつかれさま〜。お兄さんやるじゃん! すっごい戦いやすかったよー」
「お疲れさま。そうか? だと良いんだが」
「ヒトと一緒に戦うのなんて初めてだから心配してたけど、これなら安心できそ〜。たくさん守ってね?」
「まあ、それしか能がないからな。ちゃんと役目は果たすさ」
「えぇ〜? そんなことないよ。お兄さん強いもん」
これは本音だった。
どこからどう見ても、フィン・デビュラという青年はヒトの中で上澄みである。これより強いヒトが溢れるほどいるのならば、エルフの優位性なんてないに等しい。我儘でメスガキなアリーシャだが教育はしっかり受けているのでそこら辺の分別はできる。
「やっぱり姉さんと組んでたからかな。私のこと、全部わかってるみたいだったよ」
「盾役が邪魔するなんてあってはいけないこと。俺も、出来る限りは心がけてる」
「やーん、丸裸にされちゃう〜〜」
「やめてくれ。アストレアに聞かれたらぶっ殺される」
「ひどいなぁ。私ならそんなことしないのにな〜」
チラリと覗く。
フィンは苦笑していた。
アリーシャの言動を真面目に受け取ってることもなく、かといって里のエルフのように心底困った顔をしているわけでもない。
〈不浄領域〉に足を踏み入れてからずっとフィンはアリーシャに対し可もなく不可もない対応を続けていた。
(むー……つまんないの)
モンスターの湧く場所で油断するほどアリーシャも愚かではない。
しかし、それはそれ。
この程度のモンスターを相手に遅れをとることなどありえない。
死角がないのだから、奇襲もありえない。風を支配している以上、彼女がここで脅威に晒されることはありえない。
(──ちょっかいかけちゃおうかな?)
「なんだか疲れてきちゃった。ねえお兄さん、あと帰るだけだから背負ってよ」
里のエルフならばこれを言えば一発だった。
相手は女エルフに限るが、この方法を使い防人業務の帰り道などは楽をしていた。男エルフだってやろうと思えばさせていた。アリーシャの身体に触らせるのは不愉快だからやらせてなかっただけで。
しかし、そんな魔性のお願いをフィンは即答で断る。
「〈不浄領域〉から出たらな」
「ぶー。どうせこの辺の雑魚になんか負けないよ。いいでしょー、ねえ背負ってよ〜」
「ダメです。ほら、頑張って歩くぞ」
「え〜〜ん! お兄さんのイジワル!」
断るどころかぐいっと手を取って強引に歩かせる。
実際、そんなに疲れてるわけではない。
ただ面倒くさいなと思ったのは確かで、ここからまた三十分以上時間をかけて出口まで戻ることを考えると足が進まない。故に里にいた時のような感覚で、側仕えのエルフに運ばせる時の感覚で言ったのだが……
(……私の言うこと聞かないなんて、生意気〜……)
苛立ち。
ほんのわずかに沸いた不快感。
自分の言うことを聞かないヒトなんて見たことがない。驚きよりも、不愉快さが勝った。
手を強引に掴まれたのも不愉快だ。
こっちから触るならまだしも、そっちが触ってきていいなんて言ってない。ヒトの英雄ってこういうところあるよね、なんてエルフにしか分かち合えない言葉が浮かんだ。
「それより周囲の警戒しといてくれ。気配は探れても確実なのはエルフの風詠みだから」
「……やっておくね〜」
うざいなぁと思いつつ、言っていることは正論。
エルフが相手なら「自分でやれば〜?」と言って終わりだが、相手はヒト。エルフの姫という立場も姉二人が近くにいる時点で通じない。
なので特に逆らうこともなく従うのだが、内心面白くなかった。
(行きの馬車だと結構面白かったんだけどなぁ。ピクピク耐えてて、普段あんな風にバカにされることなんてないって感じで必死に我慢してて♡ 本当はみんなに手を出したいのに我慢してるの丸わかり♡ スケベなお兄さん♡ こうやって強引さを見せてる人が普段は何も言い返せないんだって思うと、ちょっとは溜飲下がるかも♡)
急に正気に戻ってアリーシャの言うことをぶった斬ってきた時は『なんかこっちが悪いみたいでムカつく』と思った。
ただまあ、姉についていけるようなヒトならそれくらい個性的でもおかしくはない。
仕事は真面目に、普段はそこそこ付き合いがいい。
それでいて周囲の女性に手を出していないのは自分より女性達の方が強いと思っているから。自分のものにしようという感情がそもそも湧いてきていないから。
つまりは、自己評価が低すぎるが優秀で割と融通の利く面白いお兄さん。
それがアリーシャなりに分析したフィンだった。
(姉さんたちもかなりお兄さんには気を遣ってるみたいだし〜……ここで思いっきり仲深めて、みんなの関係ぐちゃぐちゃにしちゃおっかな?)
そうなったらどれだけ面白いことになるか。
阿鼻叫喚の渦に包まれ、自分より強い姉たちやあのダークエルフのおばさんなんかが信頼してた男を奪われる──それを考えるだけで、ワクワクする。
姉二人に比べて、起伏に乏しいアリーシャだが顔はいい。
里でも可愛がられていただけはある。
ヒトの行商人なんかを煽るように下着を見せた時は、鼻息荒く覗き込んでいたものだ。いつ見ても哀れで情けなく面白いので、アリーシャは男が無様な姿を晒してでも性欲に追いやられる姿を見るのが好きだった。
(そうと決まれば、早速帰りの馬車で……)
「なあ、アリーシャ」
「え? なあに?」
「アリーシャが【星天】に加入する前に、アリシアさんに実力は測ってもらったのか?」
「ううん? してないよ〜」
「そうか」
(……なんだろ? でもま、いっか。どんなことしようかなぁ。やっぱり悪口言われてる時の反応が面白いからまたやんなきゃ。あ、身体に触った時も面白いよね。童貞さん丸出しって感じだもん♡)
アリーシャは既に帰路についてのことばかりを考えていた。
周囲の風の制御も忘れてはいない。
だが、気が付かなかった。
前を歩くフィンの表情が、全くの無表情であることに。
「アリーシャ。あんたちょっと来なさい」
翌日。
観光に行こうと思ってウキウキしていたところを突然姉に呼び出され、いつもとは違い有無を言わさぬ様子であったがゆえに逆らうこともせずに彼女は着いて行った。
着いたのは冒険者ギルドにある体育館。
体育館ってなに?
アリーシャがそんな当たり前の疑問を聞くことも出来ないような雰囲気を醸し出すアリシアは、仁王立ちしながら告げる。
「風」
「え?」
「風、全力で支配してみなさい」
「え〜……疲れるからヤなんだけど……」
「いいから」
渋々アリーシャは風を操り始める。
里の防人に選ばれ、彼女なりに修練を積んできた。
性格が歪んでしまったのと努力の量は関係なく、そうでなければ、たとえ姫であろうがエルフ達が命令に従うことはなかっただろう。
アリーシャが体育館内の風を支配して数秒経ち、これがなに? と言わんばかりの表情を浮かべる彼女に対し、アリシアは言った。
「それじゃあ、私が奪うから防ぎなさい」
「え?」
──瞬間、根こそぎ体が引き摺り出される感覚が襲った。
突風のようで、壁に叩きつけられたようでもある。
「えっ……!?」
瞬きにも満たない速さ。
アリシアが全く力を入れていない状態から、アリーシャが支配していた風を全て奪われた。これは、よほどの力量差がなければ成し得ない、エルフにとっては当たり前の──力の差だった。
「…………アリーシャ」
「な、なに? いや、今のはえっと、まだ全力じゃなかったって言うか……」
「……はあぁ……。暫く【星天】には入れないわ。弱すぎるもの」
「よわ……よ、弱い? 私が?」
なにを言われているのかわからなかった。
弱い?
里で、母を除いて一番だった私が?
姉二人がいなくなって、二番手にあった私が?
防人衆で一番強かった、私が?
一体なにを言われているのかわからなかった。
ただ、冗談でもなんでもないことはわかる。
「追って知らせる。グリセルダにも言っておくから、暫く待機してなさい」
「……ま、待ってアリシア姉さん! さっきのはまだ本気じゃなくて……」
「支配した風をあんな簡単に奪られて本気もクソもないでしょ。……私の責任よ。悪いようにはしないから、家で落ち着くまで休んでなさい」
アリシアは制止を振り切り足早に立ち去っていった。
その場にはただ一人、なにが起きたのか理解できず立ち尽くすアリーシャが残された。