翌日になって、アリシアは結局伝えないことにした。
理由としては幾つかある。
まず、すぐに撤退することを内々で決めたこと。
ヴァシリやアリアが対応できなかった場合フィンが盾役として身体を張ることになり、これまで通りの負傷をする。
そうなった時恐らく、二人は動揺する。
まともな精神状態で計画通りには無理だろう。
故に、もしもそうなった場合は即座に撤退。治癒要因としてマリアンヌが付いてくるためそこの不安はない。
事前に伝えてヴァシリが乱心しても困る。
諦めるのはいいが、過保護になりすぎるのはよろしくない。フィン・デビュラを心配するのはいい。だが、彼は英雄だ。既にその道を歩み出した一人の男だ。それなのに、彼の歩む道を強引にでも捻じ曲げるような真似はして欲しくない。
アリアが正気を失うのも怖いが、いずれ通る道。
フィンが冒険者としてあの森に挑戦し続ける限り必ず起きるのならばいずれそれは発覚するだろう。隠し通すことも難しければ、事前に対策を取ることも難しい。
仮に簡単に対策できるのなら、とっくにやっているのだから。
故に────アリシアは、それを黙秘した。
──どうせいつか起きるんなら、余裕がある時にやるべきでしょ。
もしものことを考慮して森の外にカルラとアストレアも待機することになった。
アストレアでさえも風を用いた掌握が出来ない環境だが、彼女の腕が落ちることを意味するわけではない。安全圏からただじっと風を操ることだけに集中すれば、この環境であってもそれなりに力を発揮できる。
身動きが出来ず、周囲のことも警戒できないアストレアを守るのがカルラの役目。アストレアは全神経を集中させてフィン達の声を聞き届けるのが役目だ。
(白金等級最強に並べるくらいの使い手をただの連絡・監視要員に使うとか、贅沢よねー)
静かに進む馬車の中でアリシアは空を見上げた。
二台の馬車で移動している彼女たちは片方に【星天】、片方に【払暁】で分かれて乗車している。アリシアは当然【星天】でまとまっており、隣にはうつらうつらと船を漕ぐアリアと書類を読んでいるヴァシリがいる。
(はぁ……気が滅入る……)
例え常人では届かない領域であっても、アリアならば。
そう期待するしかない。
魔王でさえも、アリシア一人では勝ち目などなかったのだ。そんなモンスターと正面から相対して負傷しつつも相打ちに持ち込んだ当時のアリアより今のアリアのほうがずっと強い。
彼女ですらそう考えるのだから、ヴァシリからしてみれば、アリアが通用しないわけがない、といったところであろう。
ゆえに余裕がある。
実際、こんな時でも仕事をしなければならない位には現場に出ているのがよくないことの立場なのだが、フットワークの軽さとヨハンの知識を使って編み出した〈あいてむぼっくす〉、そして本人が世界で最強クラスである無法っぷりを存分に生かし好きなように過ごしている。
だが、そんなヴァシリであっても、目の前で愛弟子であり色んな愛を向けているフィンが致命傷を負えば……
(……錯乱はしないだろうけど…………)
今後の方針に影響が出るのは間違いない。
(……あいたっ。うー、神殿行こうかしら……)
キリリと痛む腹部。
膝を抱えるように座り直し、はぁ、と溜息を吐いた。
────
──
────
くくく……ついにやってきたぜ、この時がよォッ!
苦節一ヵ月、俺はここまで肉体的な痛みを受けることを極限まで抑えて過ごして来た。
そのお陰で身体は健康そのもので血便も血尿も出ていない。
よってセラさんの杖が俺の直腸を貫くこともなく無様に泣き叫ぶ哀れな金等級冒険者は鳴りを潜めていたのだが──今日までだぜ。
今日はどんな奴に会えるかなぁ。
巨豚人か?
あいつの槍は太くてギザギザしてて最悪な出来だ。
引き抜きだけでイッちゃいそうになるし叫ばざるを得ないため最高とも言える。内臓ズタズタですよオホホ。マリアンヌがいなかったら俺はもう死んでいる。今日もお世話になります。
「フィンさん、大丈夫ですか?」
「……少し集中してた。随分久しぶりだからな。身体が驚くかもしれない」
あまりの気持ち良さに絶頂しては元も子もない。
気持ち良くなり絶頂するのはしていいタイミングでなくてはならん。
常識的に考えて、戦闘中に突然絶頂する奴がいたらおかしい奴だろ?
俺はおかしい奴ではないので戦闘中に絶頂などしない。
戦闘が片付いて絶頂するのだ。
まあ確かに我慢できなくて達する時もあるがそれはそれ、完璧な外面で抑え込むことに成功しているので問題ない。
これまでは日常的にずっと戦闘中に膨大な快楽を浴び脳が狂っていたが、ここ一ヵ月は禁欲生活を送っていた。闇のマリアンヌとアリーシャに罵倒されながらカルラとお風呂で遭遇したりセラさんに癒されたりとまったりしていたのだ。
ドマゾ充実生活略してマゾ充生活からかけ離れて久しい。
そんなところに突然〈深淵の森〉のモンスターに攻撃されて見ろ。
いくら俺が慣れているとしても身体と心がビックリしてしまうだろう。
ゆえに、これまで通りを再現するため心身を落ち着かせる必要があったのだ。
「二人の顔に泥を塗る訳にもいかんしな……」
「……ひょっとして、緊張してますか?」
「ちょっとだけ」
師匠とアリアの前でマゾ絶頂するの久しぶりだな~。
見抜かれはしないだろうが、今回はアリシアさんがいる。
もしもアリシアさんが俺の絶頂からのドマゾ趣味を悟ってしまったらどうすればよいのだろうか。
そうなったら……
それはそれだよね。
そうなったらおしまい!
ドマゾキモ盾役として死ぬまで気持ち良くなるしかない。
でもなぁ、やっぱバレたくないよなぁ……ドマゾを満たされるのは気持ちいいのだが、それと同じくらい日常を過ごせるのが心地よいのだ。
どうすれば良いと思う?
『あの地の者達相手ですので……』
ムッ闇のマリアンヌに見識アリ。
前に言ってたよな、あそこは外周からじっくり探索してけって。なんで俺の知らないことを言って来るのかはわからんが、俺の深層心理が定石を語っているだけなのだろう。
『いずれ手がかりが見つかります。何年でも待ちますから、大丈夫ですよ』
あ、そう。
〈深淵の森〉攻略には闇のマリアンヌも乗り気だ。
俺も乗り気、理由は敵が強くて気持ち良くなれるから。
「でもなんていうか──緊張って言うよりかは、楽しみなんだ」
「楽しみ、ですか」
「ああ。もしかしたら師匠達がサクッと攻略しちゃうかもしれないが、そうじゃなかったら俺の成長した姿を見せられるってことだろ? あの頃、散々迷惑かけて助けられてばっかりだったんだ。そんな男が、ようやく一人前になりましたよってことを伝えられるいい機会でもある。だから、ワクワクしてるんだ」
師匠、俺、金等級冒険者になったんだぜ。
銀等級冒険者が最高だって言われてたし、仲間におんぶにだっこだけど、金等級冒険者になれたんだ。師匠の弟子を名乗るには格落ちだけど、一人前ではあるよな。返せるものはなにもない。この森で、俺が成長した姿を見せてやんなきゃ。
昔だったら即死だったけど、盾役としてしっかり仕事してるってことをな。
「わくわく……そう、ですか……」
エッ、ママママリアンヌさんどうしてそんな悲しい目をしているんですか?
盾じゃダメですか?
やっぱりちゃんと働いてないとダメですか?
で、でもでも盾役として三人に傷を与えたことは一度もない筈だ。そもそも三人が傷を負うような場面が〈深淵の森〉でしか遭遇してないってのは、そうです。
嘘は一つも言っていない。
そうですよね、闇のマリアンヌ!
『まあ、嘘は言ってません』
ほらみろ!
俺のことをずっと見て来た闇マリが言ってるんだから間違いない!
『変な愛称付けないでください』
俺と闇のマリアンヌの仲はこんなもんです。
そう考えるとアリアと呼んでいる勇者アリアンロッドとは非常に仲がよろしい。でもアリアは男慣れしてて世の中のイケメンをより取り見取りしてるから俺なんて眼中にないだろう。
幼馴染補正で大好きだと言ってくれるが俺もそういう意味では大好き。
もちろんそう言う意味以外でも大好き。
距離の近い巨乳幼馴染、これに勝るものはない。
ドマゾ生活とどっちを取るかと言われたら三日三晩悩んだ末にアリアを選ぶだろう。まあアリアは俺のこと選んでくれないんだけどね。
あーあ、闇のマリアンヌが俺を否定するから。
哀しくなっちゃったよ俺。
脳内の人格にすら否定されるなんてさぁ……ふ、ふふっ、やばい漏れるっ!
「フィンさん、その……あまり無理はなさらないでください。私達は決して、あなたを見捨てませんから」
「大丈夫、いつも通りだ。マリアンヌこそ、情けない俺を助けてくれていつもありがとな」
「情け、ないなんて……そんなわけありません。フィンさんは、いつだって素敵ですから」
あ~~本物マリアンヌほんとすき。
俺と結婚しよう。
静かで景色が綺麗な湖畔に家を建てよう。
そして子供を作ろう。
でも子供産むのってすごい大変って聞くよな。
俺が女性だったらマリアンヌの代わりに産むことが出来たのに……
『おそらく普段のフィンさんの方が苦しんでますよ』
え、そうなの。
ていうかどうして俺は産んだことないのに闇のマリアンヌは知ってるの?
ハッ……!
ま、まさか今のは俺の驕りなのか?
俺自身、誰よりも苦しんでるんだぜと自負があるから出たのか?
よくない、断じてよくないぞ!
反省しろ反省!
痛いからとか、苦しいからとか、そんなもんを積み重ねたから偉いとはならんのだ!
どれだけ積み上げたところで本番で失敗しちゃ意味がないんだよ。
俺はそこで思い上がっちゃあいけないんだ。
ありがとう、闇のマリアンヌ。
君が言ってくれたお陰で俺はまた己を見つめ直せる。
できればアリーシャくらいボコボコにしてくれると嬉しいんだが、君は優しいからそんなことはしないだろう。
わかってる。
それでいいんだ。
いつもありがとう。
闇と光、どちらのマリアンヌも俺には欠かせないんだ。だから結婚するなら二人とも、だ。頭の中でも結婚は出来る。挙式はいつでもいいからな。
『そうですねぇ』
興味なさすぎだろ…………
でもそんな闇のマリアンヌも素敵ッ!
『はいはい』
「……ねぇ、当たり前のようにイチャイチャしてんのはなに? 当てつけ?」
「ハアァ~ァ。やはりついてきて正解だったな、聖女め」
「も、もおっ! 二人ともすぐそうやって言うんですからっ! 今のはそういうのじゃありません!」
光のマリアンヌはカルラとアストレアに取られた。
闇のマリアンヌは興味を失って辛辣になった。
ふっ…………
やっぱりいいな、希望から絶望に墜ちる瞬間は……心が軋むから……。