斬ること以外に能がない己が嫌いだ。
この斬撃で大切な人が守れないのならば、いっそ死んだ方がマシだ。
【剣聖】と持て囃されるほどに極まったその剣は真実、一人の男を救うために振るわれているのだから。
カルラ・ツカモト。
故郷での名は塚本迦楼羅。
武家の生まれで、父は高名な兵法家にして最強の剣士と名高い【至高の剣聖】。
百を超える実戦に立ち合い無敗。
敗北どころか一度も傷を負わなかった生きる伝説。
そんな父の元に生まれたカルラは剣を教えられ、才能はあったがその道を歩むことは許されなかった。
それは東方諸国の状況が関係している。
諸国の王として長年君臨していた一族が弱体化し権力を喪失。
己が野望を叶えるために覇を唱えた諸勢力が軍事行動に乗り出し、東方全体を巻き込んだ戦乱の世となった。
カルラの父、塚本
初陣で二十の首を挙げた。
単身で武将の首をとった。
野戦で単騎突撃、千の兵を相手に無傷で勝った。
他の【剣聖】三人を同時に相手取り全て一太刀で絶った。
それら全て、現実である。
あまりにも異質、異常な剣技。
剣一つあれば国をとれると言わせしめたその実力は底知れず、白金級冒険者や大国の軍隊と渡り合えると世界中に知られている。
当然、そんな剣士を各国が放っておくはずもない。
実力による排除が不可能ならば囲い込んでしまえばいい。
近隣で最も強大だった国が地方統一を成し遂げ、塚本新右衛門は軍門に降った。
条件は、『道場を作る』こと。
そのようなことでいいのならと喜んで道場を設立させ、塚本新右衛門は新陰塚本流の開祖となった。その門を叩く者は数知れず、東方諸国全土から有望な剣士が集まり続けるそこはいつしか世界中の剣士の聖地となっていた。
そんな、現代に君臨する生きる伝説。
塚本新右衛門の娘として生まれたカルラは、間違いなく彼の娘だった。
物心ついた頃には剣を握っていた。
父の背中を見て育ったからには当然の帰結であり、そして、少なからずカルラには才が受け継がれていた。
十歳の時、同年代に負けなしだった。
十二歳の時、十五歳の青年を斬り殺した。
十三歳の時、実戦も経験してる剣士の首を刎ねた。
十四歳の時、高名な剣豪の一番弟子を殺しそのまま剣豪自身も斬り殺した。
カルラには才があった。
そのまま進んでいけば、父親である新右衛門すらも越えるのではないかと期待されるほどの才能が。
新右衛門は歓喜した。
親である前に一人の剣士。
もしも自分を殺せるような剣士が現れれば、それはどれだけ幸福なことか。剣で生きるということは、剣で死ぬことが最も幸せなのだから。
しかし──カルラは女だった。
東方諸国において女とは子を産み家を守る存在。
男に混じり稽古を行い男を斬り殺し修練を積み続けるカルラのことを、奥方らはよく思っていなかった。
そしてそれは他の武将もそうだ。
いくら剣技に長けているとはいえ、女は女。
女であること以外に望むことはなく、そんな女に負け熱を上げている若者を情けないと見下していた。
故に──カルラは家を出た。
父に相談し、剣の道を進みたいと願い、承諾された。
表向きは父に反発し勘当されたことになり、異国に一人旅立ったのだ。
賊や賞金首を討伐し、時に剣豪へ挑む。
路銀を稼ぎながら順調に旅を進めたカルラは数年で冒険者ギルド本部へと辿り着き、そこで冒険者登録を行なった。
理由は幾つかある。
まず路銀を稼げなくなった。
大陸を渡ってから賞金首は軒並み冒険者によって駆逐されており、魔物を討伐しても大した金にはならない。ギルドと国家が連携して経済を作っているため、どちらも通していない品の流通に対して厳しい規制が行われていた。
更に手合わせも自由に出来なくなった。
冒険者は冒険者ギルドにて管理されている。
そんな相手に腕試しのため、修行のためと挑んで斬ればどうなるか。速攻で討伐依頼が出されて賞金首になること間違いなし。剣に命を捧げていた当時のカルラでも元々は良いところのお嬢様なのでそれくらいのことはわかった。
全てを敵に回すのはそれはそれでいい。
だが、今ではない。
今は勝てない。
得られるものもない。
なんでもありで殺しにかかってくる金等級や白金等級冒険者に対し勝てると思うほど自惚れていなかった彼女は、決断した。
冒険者になり実力を積み上げ、十分な力を経て故郷へ凱旋する。
全ては【剣聖】に至るため。
世界に二十人といない【剣聖】になれば、父に挑む資格は得られると思ったから。そうすれば父の孤独を満たすこともできる。
そして冒険者登録を行い、期待の新人として注目を浴びながら受付嬢に言われるがまま新たに出来るパーティーとの顔合わせを行った。
一人はフードで顔を隠し人間嫌いを隠さない亜人。
一人は虫も殺したことのないような温和な笑みを浮かべ背筋が寒くなる綺麗事を言う神官。
一人はボロを纏い己の身体より大きな盾を背負った少年。
それまでに積み上げてきたものがギルドに無視されたようで不愉快だった彼女はつい一言口にした。
「貴様ら、私の邪魔をするなよ。もし足を引っ張ったら──その場で斬り捨ててやる」
最悪のファーストコンタクトから始まった付き合いは、今に至るまで続いている。
───
──
───
(──今考えても、嫌な女だ)
精神統一。
フィンの姿に動揺し慌てふためいた己を律するため、カルラは部屋で目を瞑り正座していた。
本人がやめてくれと言うのだから誰にも言うつもりはない。
それに、神殿に通っているのならば大丈夫だとも思った。
あそこにいるのはマリアンヌと同じ【聖女】の一人であり、治癒の腕は聖女の中で最も良いと言われている【廻天の聖女】だ。時を戻したのかと見間違うほど完璧に治療して見せる彼女の腕は確かで、実際カルラも一度だけ罹ったことがある。
あれは、神の御技に等しい絶技だった。
失われた腕が修復していく。
骨、肉、皮、指の皺から爪に至るまで全てが完全に出来上がっていく光景は、剣の道とはまた違う異次元さだと思った。
だが、それでもフィンの身体は元に戻っていない。
時を戻すとすら言われている絶技を前にしても、フィンの身体は治らなかった。
それは間違いなくカルラの罪だ。
そもそも、彼女らが金等級冒険者パーティーとなったのは二年前のことである。
【払暁】の名を定めたのもその時で、それまでは数ある銀等級冒険者パーティーでしかなかった。
そこから飛躍したきっかけは、今から三年前のある事件だろう。
カルラ・マリアンヌ・アストレアの三人が一気に頭角を表し冒険者の中でも注目されるようになったのと同時に、フィン・デビュラという青年の身体が致命的に壊れてしまった事件。
今でも鮮明に思い出せる。
あれは、冬の北方山脈での出来事だ。
銀等級パーティーが幾つも共同で受注したクエストの最中、乱入してきた正体不明のモンスター。当時はまだ騒がれていなかった魔王軍、その中でも最も強力だったと言われている幹部の襲撃により、瞬く間に複合パーティーは壊滅。
二十人はいた参加者のうち生存者は僅か七名、動けるのは──フィンだけだった。
「っ……!」
思い出すだけで、感情が昂った。
ギリ、と歯を噛み締める。
──フィンはとにかく懸命に戦った。
寒さと豪雪で機動力を削がれ、耐え忍ぶことしか出来なかったフィンは一方的に甚振られていた。
盾を剥がされ腕を折られた。
折られた腕で無理やり盾を握って、受け止めた衝撃で骨が飛び出て血肉が飛び散った。
転がり起き上がる際に折れた腕が千切れた。
起き上がれば、すぐに蹴り飛ばされた。
雪の中を転がっていくフィン、飛び散る血肉、鮮血に染まる雪。
そして響く──絶望に染まった絶叫。
『うわあああああああっっ!! ぎゃあああああああ!!』
「っっ…………!!」
目の前で叫ぶフィン。
だが決してやめろ、助けてとは言わなかった。
負けることがわかっている、死ぬことはわかっている。
それでも足掻き続けるフィンを愉快に思ったのか、モンスターは死なないよう丁寧にジワジワとなぶり殺しにすることを選んだ。
両手足を折られ、身動きが取れなくなったフィンをわざわざ目の前まで連れてきて、痛めつける光景は、カルラの──いや、皆の精神を追い詰めた。
(なのに、なのに────私は……何も出来なかった!)
カルラは動けなかった。
利き腕を失い、剣士として死んだと思っていたからだ。
戦意喪失していたと言ってもよく、目の前で行われる惨劇に怯えることしか出来なかった。
むしろ、そんなカルラを庇うようにフィンは立ち上がり続けた。
腕を千切られ、足を折られ、腹を抉られ臓器を弄ばれても、尋常ではない生命力で命を繋ぎ立ち上がった。
守る、おれが守る、おれが、おれが、まもる……
ブツブツと呟きながら動くフィンに、カルラは思わず恐怖してしまった。
やがて、虚な目で立ち上がり続けるフィンにモンスターが飽きてトドメを刺そうとした刹那──暴風がその身を大地に沈めた。
アストレアは倒れたまま、魔力を貯め続けた。
どう足掻いても敵はこちらを逃すつもりはない。
全員、痛めつけ徹底的に辱めた末に殺すつもりだと悟っていた。
だからバレないように倒れたまま魔力を溜め込んだ。フィンが犠牲になっている間に、フィンが死ぬまでに、なんとしてでも機会を作ろうと。
そして、それに乗ったのはマリアンヌだった。
今では彼女の代名詞となった【聖撃】。
通常はモンスターにダメージを負わせる程度のそれは、マリアンヌの願いに呼応し強力なものとなった。
暴風で雪原に横たわり激怒の声を挙げながらアストレアへ向けられた拳は、光に触れた途端消滅。モンスターが動揺する暇すら与えず消し去り、雲は晴れ、血で染まった雪原が太陽で照らされた。
脅威が去った。
呆然としていると、聞こえた叫び声。
ピクリとも動かないフィン。
絶叫しながら名を呼ぶマリアンヌ。
辺りには彼の物だった臓物や血肉、骨に至るまでが散乱していた。
その姿を──カルラは、見ることしか出来なかった。
あの日以来。
あの日からカルラは、己が剣を嫌いになった。
ただ敵を殺すことしかできず、敵を殺すことすら出来ない自分になんの価値がある?
剣豪?
剣聖?
そんなことはどうでもいい。
あの日動けなかった事実がカルラの心を縛り付けた。
フィンが快復し始めてのクエスト。
カルラは三人の前で頭を下げ、地べたに額をつけ謝罪した。
東方諸国における土下座だ。
何も出来なかった自分が本当に恥ずかしい。
これまで上からの態度で申し訳ない。
守ってくれてありがとう、三人のおかげで生き残れた。
なんでもする。
あの日の苦しみを与えてくれてもいい。
本当になんだってする、フィンが望むなら。
最も下にひれ伏すという意味も込めカルラが告げた言葉に対し、フィンは明るくいった。
『それじゃあ、次に俺が死にそうな時は助けてくれよ』。
こんな自分に失望せず、まだ仲間で居てくれる。
それが嬉しくて、悲しくて、どうしようもなくて、カルラは泣いた。
そして四人は、本当の意味で仲間となった。
だが──今でもフィンは無茶を続けている。
「フィン……」
それは全て己が未熟だからだ。
あの時、今と同じ実力であればどうだった?
少なくとも一撃で腕を持っていかれることはなかっただろう。
フィンがあそこまで追い詰められる以前に介入し、戦いを成立させることくらいは出来たはずだ。
そうならなかったのは、カルラが道を極められなかったからだ。
心を入れ替えパーティーでの活動に精力的になってから実力は伸びた。
【紅蓮の剣聖】と呼ばれるまで、そう時間はかからなかった。
つまり、己は本気ではなかったのだ。
もしも、最初から仲間のことを信じていれば。
もしも、アストレアに合わせ攻撃をしていれば。
もしも、世界と自分に真摯に向き合っていれば。
後悔ばかりが募っていく。
それは心の奥底に溜まり続け、決して消えることがない錘だ。
カルラ・ツカモトは故郷に戻るつもりがない。
フィンに許される限り、フィンが許す限りずっとそばに居るつもりだ。
己の人生はフィンに救われた。
ならば、フィンの人生を救うのは当然だ。
全てを捧げたっていい。
己の指先から髪の毛一本に至るまでフィンのものにしてほしい。そのために己は生きているのだから。
「…………フィン。そなた、死んではならぬぞ」
かつてカルラが垣間見た、剣士の頂点。
極まった剣技は世界を揺らす。
一振りの剣閃が、幾重もの斬撃となって戦場を蹂躙し地獄を作った。
【至高の剣聖】が見せた景色は、今も彼女の頂に座す。
手に付いた血を見る。
乾いて濁ったそれは先程フィンの吐いた血だ。
それをじっと見つめ、カルラは思う。
もう一度はない。
あの時と同じことが起きれば、フィンは死ぬ。
起こしてはならない。
決して起こさない。
貴族だろうが、国だろうが、冒険者だろうが。
神が来ようが悪魔が来ようが、たとえ実の父が敵に回っても──否。
世界の全てが敵に回ろうが、フィンを守り抜く。
「愛している。愛しているぞ、フィン……」