フィンの紹介した店での食事を終え腹を満たした二人は、アリシアが借り受けた宿泊施設へと足を運んでいた。
手渡された地図に従い大通りから横道に入り、横道から裏路地に入り、そのまま何度も道を曲がる。それはまるで背後から追ってきている者を撒くための工夫で、行き先を知られたくない人にとって都合のいい地図であった。
王都に明るくない者では追うことは難しいだろう。
別に誰に追われているわけでもないのだが、ギルドはよくもまあこんな物件と地図を用意しているなと感心していたところで目的地の到着する。
「……ここ?」
ようやくたどり着いた場所は、まるで普通の民家だった。
とても宿泊施設として運営されているようには見えないが、手渡された鍵でドアは開いたので、ここが間違いなく借り受けた場所だと分かる。
恐る恐る中に入れば、家の中は民家そのものであった。
リビングに寝室、それにキッチンまで。
ある程度ここで生活もしていける設備が整っている。
誰かがすぐにでも暮らすことが出来て、ギルドが所有している物件。
「……なあアリシアさん。俺が言うのもなんだが、ここは……」
「あー……違う、ちょっと待ってねフィンくん。私は単に誰にも知られず話せるような場所が欲しいって言っただけなの。ね? 落ち着いて?」
「わかってるって」
(その割に残念がるのよね……)
そういう所が正しく普通の好青年で、アリシア的には好感度が高いポイントなのだが、気を紛らわせるために軽く部屋内を見渡した。
「ま、そういう目的のために使われてる場所なら密談には適してる。あながち間違いでもないか」
フィンが食器棚を物色する。
定期的に掃除されているのか埃や古びた食器もない。
品質も悪くなく、完全にお偉いさんがお忍びで使う家だった。
「…………はぁ。こうなった以上は仕方ない。ティーくらいは出すから、座っててちょうだい」
「俺も手伝うぞ」
「今日は私が呼び出したんだからいいの」
そう言ってアリシアは茶器を用意する。
家具に関しても問題なく整備されており、火も問題なく点火した。
「フィンくんは好きな種類ある?」
「甘すぎない方が好みだ」
「じゃあハーブティーにしておくわね」
「ありがとう」
やがて湯が沸き、香りを確かめた茶葉に注がれ部屋に匂いがふわりと立つ。
二人分のマグカップを用意し、ほんのり温めてから抽出されたハーブティーを注ぐ。
「お待たせ。ミルクはいる?」
「いや、大丈夫だ」
既に椅子に座っていたフィンの前にマグカップを置いた。
対面にアリシアも腰を下ろし、ハーブティーを口に含み──気が付く。
(なんか……えっ、新婚?)
落ち着いた空気に向かい合った男女。
普通の民家なのが猶更その空気を加速させている。
男女のちょうどいい朝、みたいな……もちろんアリシアにそんな経験はないので妄想のようなものだが、なんとなくそんな雰囲気だった。
(いや……いやいや。これはアレよ、意図せずそういう場所だっただけで私がそういう意図をもって誘い込んだわけじゃないから。気にしたら負け。フィンくんは気にしてないじゃない)
「まるで新婚みたいだな」
「ブフォッ!!」
「うお」
(なんでそれをちょっと嬉しそうに言うのよ! そんでなんで今も嬉しそうなの!?)
「ゲホッ! ゴホッ! ご、ごめんねフィンくん……! 今拭くもの持ってくるから!」
「大丈夫。これくらいはハンカチで何とでもなる」
「ハンカチ、持ち歩いてるんだ……」
「礼儀だからな」
アリシアの噴き出したハーブティーを丁寧に拭ってから、フィンは話を切り出す。
「早速本題に入ろう。アリシアさんは俺に、なんの用があったんだ?」
「……私が何を言いたいか、気が付いてるんじゃないの?」
「大体は。己を客観視できるようになっておけと師匠に教えられたから、自分のことはある程度理解しているつもりだ」
自嘲するように言うフィン。
それを見て、やはり自分の考えは間違っていなかったとアリシアは確信する。
「俺の戦い方は無様なもんだ。カルラのように舞うような剣技は使えないし、アストレアのように風を手足の如く操ることもできないし、マリアンヌのように治癒と聖撃を生かした魔法も使えない。この身体一つでやっていくには、己を犠牲にしてでも役に立たなくちゃいけなかった」
「っ、で、でも、そんな戦い方を続けてたら」
「いずれ死ぬ。わかってる。それでも、そうするしか道がなかった。特別なアリアに追い付くために、師匠の弟子として恥じない人間になる為には……」
「だからって、そんなの……フィンくんは、辛くないの?」
そう問うと、フィンはふっと笑みを浮かべた。
「辛くなんてないさ。みんなの役に立てる。特別じゃない俺が、特別なみんなに並び立てる。これが嬉しくないわけないだろ?」
そう語るフィンは真剣で、嘘一つなかった。
「……フィンくん。それ、ヴァシリに言ったことある?」
「師匠に? ないな。俺なんかをついでに育ててくれてありがとうと遠回しに伝えたことはあるが……」
「ア~~……」
(やっぱり、子供の頃からこれかぁ……)
「それにな、悪いことばかりじゃない。怪我は治らないから傷は悪化するし、何度か死に掛けたが、その度に実感するんだ。ああ、今の俺は生きてるんだって」
「っ……」
「気持ち良くてしょうがなかった。怪我や苦痛が増すたびに、俺は自分が生きていると感じた。それに加えて、特別なみんなを守れることが誇らしかった。そりゃあ最初はうまくいかなかったし、時折アストレアとかカルラの誤射を食らってたが」
「……え? 誤射?」
「ああ。まあ、あんまり仲がよくない時期があったんだ」
(なんか聞けば聞く程ヤバい話が出てくるんだけど)
妹のやらかしに冷や汗が流れる。
いやいや、パーティーメンバー相手に何をしてるの。
しかも誤射って、あんたがするわけないでしょ。つまりそれは恐らく、当てても問題ないと彼女が考えていたということで……。
(…………あとでアストレアにも話聞かないと……)
考えることが増えてしまったと内心嘆きながらも、口を開く。
「……でもね、フィンくん。それは、あまりよくない快感よ」
自分が死に瀕してでも、仲間を助けられたことが嬉しい。
それを異常と言わずしてなんというのか。
アリシアの言葉に、フィンは顔を顰める。
「…………わかってる。自分が異常だってことも。だが……」
「私も、フィンくんを否定したいわけじゃないわ。君が心配なの」
「……俺が?」
「ええ。これまでは大丈夫だった。でも、これからも大丈夫とは限らない……そうでしょ?」
いつか、彼でもうまくいかない時が来るかもしれない。
その時に事故のように死んでしまっては、誰も助けることが出来ないのだ。
アリシアはそっとフィンの手を両手で包み込んだ。
「フィンくんがすごい男の子だってことは、私達の全員が認めてる。もし、君が身近な人に相談しにくいって言うなら私に言ってちょうだい」
「アリシアさんに?」
「ええ。だってほら、私ってほどよく距離があるでしょ? 四六時中一緒にいる【払暁】よりも、ヴァシリやアリアよりも遠くて、まるっきり他人ってわけでもない。ほら、都合のいい場所にいると思わない?」
だから。
一度区切ってから、告げる。
「フィンくんに無理強いはしたくない。でも、少しでも、フィンくんの心が軽くなってくれるなら……ね?」
「……アリシアさん……」
「あーっ、えと、そういうんじゃないから。抜け駆けとかじゃないから。好きにはならないで? ん? あれ、なんかちょっとこれ……ね、ねえフィンくん。目の前にいるのに、そういう感情向けるのは……ちょっと……」
フィンにド直球な性欲を向けられたアリシアは頬を赤らめる。
「──ありがとう、アリシアさん」
「ホント情緒すごいわね……」
スン。
直前までアリシアに対して向けられていた欲望が収まったフィンは、大真面目に感謝の念を滲ませていた。
「いつか、誰かに打ち明けようかと思っていた。でも時が経つにつれて俺達の背負うものが増えて、そう簡単に言えない立場になっていった。だから、死ぬまでこのままだと思ってたんだ」
ぎゅ、と手を強く握り返す。
思ってたよりずっと力が強いな、と思った。
手もゴツゴツしているし、エルフの男とも少し違って男らしさを感じる。
「……頼ってもいいのか?」
「大したことはしてあげられない。でも、私に出来る範囲で手を貸すわ」
「……そうか。…………そっか」
そう言って、フィンは大きく溜息を吐く。
どれだけ強く見える人でも、その内側までどうなっているのかはわからない。
フィンの精神は間違いなく強い。
だけどそれは永遠に保たれるものではない。
折れずとも、心はすり減るものだ。
フィンであってもそれは変わらない。
擦れて、擦れて擦り切れて────全てが崩壊する前に手が届いてよかった。
(大丈夫。フィンくんはまだ、壊れ切ってないわ)
誰かを頼る。
その選択を出来た。
それが何よりも大きなことだ。
最悪なのは、この手すらも撥ねのけられるか、誤魔化されることだった。賭けに勝ったと言ってもよかった。
(いずれ、本当のフィンくんをみんなが知ることになる。その時、どれだけ穏便に済ませられるかは私の手にかかってる。これから、気合いを入れて行かないとね……)
「────じゃあまず手始めに、俺の頬を抓ってくれないか?」
「ええ、わかっ……え?」
「できれば爪が喰い込むように、それでいて強烈な痛みが発生するように指の腹をうまい具合に交差させて抓って欲しい。ああ、最悪血が出ても大丈夫。気持ちいいからな」
「え? ん、うぇ?」
「ふっ、ククッ、これでアリシアさんに俺がマゾだとバレてしまった。いずれは全員に共有されて罵詈雑言を浴びせられながら殴る蹴るの暴行を加えられ要らないと捨てられるんだ……興奮してきたな。さあ、アリシアさん。俺はいつでもいいぞ!」
「……………………」
「…………アリシアさん? エッ、気絶してる……」