「……うむ。こんなものか」
マリアンヌが泣き疲れて寝てしまったので一人で夕食を作っていたカルラは火を止めた。
カルラは元々食事にこだわるタイプではなかった。
東方諸国で食事を作っていたのは侍女や料理人であり、姫のカルラが自分で作ることなどほとんどなかった。ただ、父が旅に出させることを決めてからは、修行の一環として学ばされた。
当時は、一人で旅をするのだから必要になるのだと思っていた。
だが実際は違った。
単純に、こちらの国の食事が舌に合わなかったのだ。
東方諸国で良い食事を当たり前のように摂っていたカルラにとって、貧民向けの食事が『腹に溜まれば何でもいいでしょ』と言わんばかりのクオリティで提供される硬くて臭いパンと味のしないぬるま湯なのは耐えられなかった。
己で市場に出向き食材の目利きを行うところから旅は始まったのだから、食事の有り難みをよく噛み締めることになったのはいうまでもない。
冒険者として成り上がってからは相応の食事にありつけるようになったが、今更自分の手で作ることをやめるのも何だか違うと思い自炊を続け、今では東方の食事を味わいたいなら自分で作るのが最も美味いと自負している。
それに加えてパーティーメンバーも美味いと喜んで食べる上に、好きな男もカルラの食事を毎日食べられる俺は幸せ者だなと言ってくれる。腕によりをかけて作ることに文句が出るはずもなく、嬉々として作っていた。
だが──今日は何だか、寂しかった。
「…………ふぅ。そなたに食べてもらえぬのが、これほど寂しいとはな」
湯気の立つスープ。
焼き加減の完璧な魚。
旬の山菜を使った炒め物。
簡素だが素材も厳選した東方料理。
彼女の故郷で親しまれているもので、フィンもまた、好きだと言ってくれたもの。
共に暮らすようになって、夕食だけは極力共に食べるようにしてきた。
朝や昼は各々の予定が合わないから無理だが、夕食くらいならば何とかなる。泊まり込みでいない時などを除き、皆でテーブルを囲みながらの食事が当然だった。
ただ居ないだけで寂しいわけではない。
カルラは、フィンが自分ではない誰かを選んだ事実を感じて寂しくなっている、
理由は単純──己の手料理が一番ではないと、突きつけられてしまったからだ。
「わかっていても、寂しいし、切ないものだなぁ……」
自分で言うのも何だが、手間暇かけて作っている。
それを一番と言ってもらえないのは、切ない。
言ってもらえて当然ではないとわかっている。
それでも気持ちとしては、一番だと言って欲しい。
だがそれも叶わないだろう。
フィンには、選んだ女性がいるのだから。
その人が一番になって当然なのだ。
だから──もう二度と、カルラの食事を毎日食べたいなんてことも言ってもらえない。それが寂しくて、切ないのだ。
「はぁ…………フィン。そなたは……我らを見捨てないでくれるのか……?」
「……見捨てるわけがないんだが」
「そうだろうか……。だが、フィンとて男よ。好いた女と結ばれたとなれば、その者を一番大事にするだろう。そうなれば、今更私の作る料理など、優先しないのではないか……?」
フィンを独占するのではなく、共有する。
その答えに納得はしたものの、フィンが受け入れるかどうかは別だ。
そんな下衆なことはしないと彼が否定すれば、一気に自分達はあぶれものになる。
幸せそうに結婚生活を営む顔も名も知らない女性。
そして、そんな女性と子を作るフィン。
ずきん、と胸が痛む。
「ん……? いや、それとこれとは話が別だろ。そもそも何で俺が女と結ばれたってことになってるんだ……?」
「ふふっ、そんなのは決まっている。今日、フィンが洒落た服装で外出したのだ。それも、用事を濁してな。逢引き以外でそのようなこと、するわけもない」
「はぁ……なんだ、そんなことか。ならカルラ、明日にでもデートしよう」
「フィンとデート、か……喜ばしいことだが、そんなことをしては浮気になるだろう。私は塚本家の娘だ。剣聖として、そのようなことは断じて、許されな、い……?」
そこでカルラは気が付く。
果たして自分は誰と喋っていたのだろうか、と。
おそるおそる視線を向ければ、そこには腕を組んで壁に寄りかかっている、フィンがいた。
固まるカルラを尻目に、苦笑したフィンが口を開く。
「最近このパターンが多いな。俺ってそんなに存在感ないか?」
「い、いいいいつの間に!?」
「ついさっき。多分料理の音で聞こえてなかったんだろうよ」
(き────聞かれた!? 全部聞かれたのか!? いや、そもそも普通に会話してたぞ!?)
慌てたカルラは手で口元を押さえようとして、その動きで、鍋を叩いた。
鍋は衝撃のまま転がり、跳ね返り、盛大に中のスープをぶちまける。
それは最も近い場所にいるカルラにも降りかかった。
咄嗟に左手──利き手ではない方──で庇ったものの、熱湯のかかった手は、一瞬で真っ赤に腫れあがった。
「熱ッ……!」
「っ、おい、平気か!?」
「問題ない。すぐに冷やせば大丈夫だ」
カルラはすぐに水の魔道具を使い患部を冷やしていく。
ヒリヒリ痛む手がやがて冷たい痛みに変わっていくと共に、自分の落ち着きのなさに嘆息した。
(はぁ……やってしまった。このような失態、情けない……)
熱されやすく冷めにくい。
自分がそういう人間であることは、重々承知している。
いうなれば、気を動転させやすく、落ち着くのが遅いのだ。
だからこそ、幼い頃に剣を握った。
剣の道を歩んでいる内に、それらの性質を抑え込む技を学んでいった。静と動。この二つの切り替えと、殺し合いの中で培った集中力。
気を抜けば元来の性質が顔を見せるとわかっているからこそ、カルラは常日頃から己を律する心がけをしてきた。
(三つ子の魂百まで。先人の知恵には敵わん。どれだけ取り繕おうが、私は死ぬまで私であるのだろうな……)
「とりあえず拭いたぞ。ただ、結構減ったな」
「すまぬな。後で調整しておこう」
「その手じゃ難しいだろ。俺がやっておく」
「……助かる」
そして、カルラが悩んでいる間にフィンは掃除を終わらせていた。
相変わらず手際のいい男だ、なんてことを考えていると、エプロンを付けたフィンがニヤリと笑いながら告げる。
「ところでカルラ。俺は東方料理にはあまり自信がないんだ」
「うむ、まあ、そうであろうな。こちらの料理と別物がゆえ」
「魚を焼く程度ならわかる。だが、減った料理を同じような味付けに調整しながら元の量に戻すってのは、無理だ」
「自分で作ったのならいざしらず、他人の作ったものならば仕方ないことだ。フィンが悪いのではない。私が悪い」
肩を落とすカルラ。
そんな姿を見て、またもや苦笑してからフィンは言う。
「いやいや、そうじゃなくてさ。カルラの手に無理はさせられないが、俺が味の調整をするのも難しい。だから、俺が手を動かして、カルラが味を見る。これじゃあダメか?」
「それは……一緒に作るということか?」
「そうだな。あと、一人分追加したい」
「……一人分……」
一瞬、何を言われているのか戸惑い、そしてすぐに理解する。
「フィン、そなた、要らぬと言ってなかったか……?」
「どうなるかわかんなかったからな。この時間に帰って来たんだ。もしまだ作ってる途中だったら手伝おうかなと思ってたんだが……」
「……そうだったのか……」
思わず、嬉しくなり頬が緩む。
「俺の用事も済んだ。ああいう形で出ていくことはもうないから安心してくれ」
「…………う、うむ。その、なんだ。聞いてたんだな?」
「聞いてたんだなも何も、話してただろ」
「そ、そうだな! それもそうだ!」
「へんなカルラだなぁ」
そう言って、フィンはスープを別の容器にとりわけ、鍋に水を入れていく。
「心配かけさせて悪かった。もうしない。だから許してくれないか?」
「許すも、なにも。初めから怒ってなどおらんよ」
「でも嫌な気持ちにさせただろ。俺が同じ事をされたらのけ者にされてるみたいでき……哀しくなる」
「フィンもそう思うのか?」
「置いて行かれる恐怖は、一番馴染みのある友達みたいなもんだからな」
そう語るフィンは微笑んでいる。
だが、その言葉を微笑みながら発せるようになるまで、どれほどの苦痛があったのだろうか。出掛けて行った理由が女性関係かもしれないと不安に思っただけで、カルラたちは荒れた。
フィンが抱えていた感情はその比ではないのだろう。
アリアやヴァシリと顔を合わせたことでカルラはそれを理解している。
(そなたは────まことに、強い男だ……)
「……私もそなたを見習っていかねばな。感謝するぞ、フィン」
「カルラには迷惑かけてきた。まだまだ借りを返せてないんだ。そっちこそ、俺のことを捨てないでくれよ?」
「ふっ。捨てるものかよ。そなたを捨てるくらいならば、死んだ方がマシだ。む、フィン。少し火力が強すぎる。もう少し抑えめでじっくり出汁を取った方がこれは美味いぞ」
手を流水に付けながらカルラが指示をして、フィンが従う。
ただそれだけのことなのに、先程までの不安が全て吹き飛んだような気がする。
(我ながら、単純すぎるな)
内心己に呆れながら、カルラはひと時を楽しんだ。