「さて。準備はいいかい?」
「うん。師匠の方は?」
「いつでも大丈夫だ」
ぐっ、ぐっ、と柔軟をするアリアと、隣で弓を構えるヴァシリ。
二人は現在王都から遠く離れた西方にある〈不浄領域〉へと足を運んでいた。
魔王軍の支配からは脱却したものの街からインフラに至るまでことごとくが荒廃し壊れた西方が正常に運営できるようになるまでは膨大な時間がかかる。長命種ならば一代で成し遂げるだろうが、人類では数世代に渡って手を加えていかなければいかないと予測される程だ。
そのエリアの中でも、特に奥深い西の果て。
数日かけて訪れたそこに何の用があったのかと言えば──実験のためだった。
〈深淵の森〉の敵は侮れない。
それこそ、魔王よりも脅威だと感じた。
理不尽さの種類が違うというか、理の外から攻撃されている様な感触。闇雲に挑み続けても進まないと判断したヴァシリは、例外である能力を持つアリアによる盤外戦術を試すことにした。
それは────〈不浄領域〉の破壊である。
「それじゃ、行くよー!」
アリアが右手を掲げる。
光の粒子が集まり、やがてそれは剣へと変化していく。
〈聖剣〉。
アリアンロッド・モーナを勇者たらしめる女神の祝福。
この世で唯一、〈預言〉の選択権を齎す剣が顕現する。
そして、そのまま柄を握り締め、両手で上段に構え────振り下ろした。
「────ふんっ!!」
────ゴバッッッッ!!!
聖剣から放たれた極光は瞬く間に進撃。
〈不浄領域〉目掛けて大地を削っていったソレは魔と衝突し、やがて、〈不浄領域〉そのものを破壊し、木々を薙ぎ倒し、更に奥へと奥へと直進。
土煙を強引にヴァシリが霧散させた結果、そこには、〈聖剣〉の極光が打ち滅ぼして行った残骸だけが残った。
「……ふむ。氾濫もなし。感触はどうだった?」
「うーん……ちょっぴり抵抗はあったけど、これくらいなら無いのと一緒かな?」
キラキラ光る聖剣の刃が肩に当たっているが全く気にしていないアリアが答える。
〈聖剣〉は、使用者に傷を与えない。
これは実際に運用を始めてから知ったことだ。
ヨハンの手記にも同様の表記はなく、『ゲームで知る由もないフレーバー』だと悟ってからは、世界に影響を与えない程度の実験を繰り返し分析してきた。
なぜ影響を与えない程度にしてきたのか?
それはどれだけ〈知識〉が変貌するか読めなかったからだ。
自分達が手を加えることで知識にある以上の問題が発生するリスクが高く、容易に手を出すのが躊躇われたからである。
「〈不浄領域〉を打ち払うこと自体は可能か……」
「モンスターが出てこないってのが意外だね。なんでだろ?」
「恐らく〈聖剣〉だから、だろうな。私が手を加えるまでもなく、そもそもこの世界で特別だから。それが出来ると記されてなくても可能な力が施されていると考えれば違和感はない」
削り取られた〈不浄領域〉へ警戒しながら足を運べば、確かに魔を感じない。
度合いはあれど、〈不浄領域〉の浄化は可能であるとヴァシリは確信した。
〈不浄領域〉は魔の浸食によって生み出される。
なぜ発生するのかは不明。
突如として生まれるもので予兆はない。
魔王軍と違い〈知識〉にも何の記載もないため、三千年間なんの対策も取ることが出来なかった。
現在広がっている〈不浄領域〉の大半は数千年単位で広がり続けているもので、このままならばおよそ数万年先に大陸全土が飲み込まれるペースだ。それまで自分が生きているとも思っていなかったので特に気にしていなかったが、今になって思えば、これはかなり異常な事ではないかとヴァシリは考えた。
(起点は謎。生態系の頂点に君臨するモンスターを討伐しようが変化はなく、拡張は続いている。私の故郷は今や〈深淵の森〉の一部だ。魔王軍の支配で西方全土が〈不浄領域〉になる懸念は解消されたが、王都近郊と比べて魔は強く感じる……)
しゃがんで土を触る。
〈聖剣〉の光によって熱されたソレは溶岩と化しているものの、魔力で膜を作ればなんてことはない。
(大地にしみ込んだ魔が消えるのか? では、〈聖剣〉の力の本質はなんだ)
果たしてこれは女神の力なのか?
それならば、なぜ神官の力で〈不浄領域〉を消し去ることができないのか。マリアンヌの放つ聖撃は魔を一撃で消し去るが、〈不浄領域〉が消え去ることはない。
(同じなのか? 同じ現象が起きているだけで、本質は別物なのでは?)
ヴァシリは多くのサンプルから答えを導くことは得意だ。
三千年間、世界の裏で暗躍したことで様々な研究を行って来た。
効率的な農耕や牧畜、鉱石採掘に漁業……
ヨハンの手記に記された〈知識〉を基に現代文明の基盤を作り上げて来た経験がある。より多くの母数から統計を割り出すのは得意になった。
だが、特別な存在に対する思考は苦手だった。
(〈聖剣〉は女神の創ったものだ。では、魔法とは? 女神の力の一端ではないのか? ヨハンの〈手記〉には女神の使う魔法とあるが……)
誰でも使える物か、特別な一振りか。
その差であると考えるのが自然だが、それだけではないような気がした。
(マリアンヌくんの使う魔法は明らかに異質。彼女の【聖撃】は、魔術や矢の通用しない私の死神すら葬っている。〈聖剣〉と同じだ。だが、〈不浄領域〉を削る程ではない……試せばわかるか?)
「……アリア。君は〈聖剣〉の力は、何だと思う?」
「え? そりゃあ、〈聖剣〉かなって……」
「そうなんだけどね。それだけじゃないような気がするのさ」
「う~ん……特に? 普通?」
「普通ってことはないだろ」
「使っててなんも無いしなぁ……逆に師匠はどう感じるの?」
問われ、じっと掌にある溶岩を見つめる。
「……特になにも感じないな」
「でしょ? わかんないよね」
「ふーむ……そこに鍵があると思ったんだが、違うか?」
(だがわかったこともある。魔と違い、女神の力を感じ取ることは出来ないということだ。現状それで害はないのだしそれでいいのかもしれんが────)
そこまで考えて、ヴァシリは違和感を抱く。
(──……待て。女神の力。それに間違いはないのかもしれん。だがそもそも、その女神とやらは、全て同じなのか?)
溶岩を掴んでいない方の手でアイテムボックスを開き、ヨハンの手記を取り出す。
開いたページ神に関して。
女神エスペランサは世界で信仰されている唯一の神。
現存したかどうかは不明、神代の時代にいたとかいないとか語られている。作中では知っている人物は出てこなかったため、存在しなくてもおかしくはない。
(神代。神代と言えば二千年ほど前だ。知らないぞ。私はこれまでの生で女神に会ったことなど一度もない……)
嫌な感覚が背筋を這う。
(──……そうだ。女神など見たこともない。そもそも、私が生まれた時には既に信仰されていたではないか……!)
何かがおかしい。
これまで一度も疑問に思わなかった。
それどころではなかったし、己の運命を知り絶望し焦燥していたからこそ気を配る余裕もなかった。
(そうでなければヨハンはこの世界を特定することはなかった! あの日、あの時、言ったではないか! エルフの信奉する神様は、エスペランサか──と。それに対して私はそうだと答えた。時代で変化したものだと思っていた。ねじ曲がって伝わった伝承だろうと!)
ねじ曲がって伝わったのは間違いないのだろう。
では、元々己が信仰していた神は?
実在していたのか?
本当にエスペランサという神だったのか?
女神エスペランサとは、一体何者なのか?
〈聖剣〉に秘められた力は、一体なんだ?
【聖撃】とは、一体なんだ?
「あの……師匠? 大丈夫?」
ビチャッ!!
掴んでいた溶岩を握りつぶす。
「ひょわっ!」
「……アリア。ここの調査が戻り次第、すぐに戻るぞ。確かめねばならないことが出来た」
「それは良いけど……大丈夫? 顔色すごいよ?」
「元々だ、気にするな」
「いや、それくらい見分けつくし。私じゃ力になれない?」
アリアが心配そうな表情で答える。
僅かに冷静さを取り戻したヴァシリは、数度深呼吸をして思考を落ち着かせた。
「…………まだ言えない。もう少し、私の中で形にしたい」
「そっか。ならいつでも言ってよ。やれることは何でもするよ」
ぶい、と二本指を立てるアリアに頬を緩める。
五年の旅ですっかり頼れる勇者になった。
フィンが絡むとポンコツになるが、それもまた愛嬌。
このまま行くと奪われそうだが、本人は非常に拗らせて面倒臭くなっているので、その点に関しては放置する気満々である。
(〈深淵の森〉に関しても調査せねばなるまい。他の〈不浄領域〉との違いがどれほどのものか、腰を据えてやっていくべきだ。気が付けただけマシと言うべきか、気が付かない間抜けと言うべきか……)
どれだけ自分が追い詰められていたのかと苦い表情になる。
(……いや。ここは、今気が付けたことで満足するしかない。自嘲は心地よいが何も生まん。また一からやっていく。それだけだ)
「──鬼が出るか、蛇が出るか……」
〈不浄領域〉を消し飛ばした聖剣の残滓に触れながら、ヴァシリはこびり付いた溶岩を睨んだ。