二人の会談は順調に進んだ。
セラフィーヌの方が年上とは言え、互いに似たような志を持つ清廉な聖女である。目的が合致している以上敵意を向ける理由もない。
ヴァシリの考え。
実際に起きた事象。
教団側として持ちかけられた話に、セラフィーヌは理解を示す。
「なるほど……【天聖】様はそのようにお考えなんですね」
「はい。私達の使う魔法と聖剣は別の力で、〈不浄領域〉に作用するのはあくまで全く違う効果によるものではないのかと仰っていました」
「辻褄は合うかと。全く的外れではないでしょう」
信心深い二人だが、神頼みに縋って生きてきたわけではない。
寧ろ、神が救わぬのならば私が救うと立ち上がった強い女達だ。
今更神の力を疑うことに躊躇いなどない。
別に好き好んで疑ったり、教団を批判したりはしない。
ただ盲信していないと言うだけだ。
どれだけの権力を有してようが救えない人はいる。
女神が実在しようがしなかろうがどちらでも構わない。世界が、救われぬ者がそれで救われるのならばそれでいいと本気で思っている。
「我々の魔法と〈聖剣〉の違い……マリアンヌ様はどう感じました?」
「正直なことを言えば、なにも。確かに力は感じましたが……」
協力を要請されたマリアンヌはひと足先に〈聖剣〉を目にしている。
その際、確かに力は感じた。
〈深淵の森〉で感じた魔とは全く違う力だったが、それが何かは分からない。ヴァシリも同じ見解だったが、進展は何一つなかった。
「そうですか……」
セラフィーヌは黙り考え込む。
彼女は元々法国出身。
マリアンヌのように地方から叩き上げで聖女認定されたわけではなく、法国で十分な教育を受けて覚醒し聖女認定を受けている。
教団の教えはマリアンヌよりも高いレベルで学んでいるが、そんな彼女であっても〈聖剣〉の力に心当たりはない。
(……ですが、マリアンヌ様の魔法が同じかと言われると……違うような気はします)
【聖撃の聖女】。
代名詞ともなっている【聖撃】に限らず、マリアンヌの魔法は何か別のものではないのかとセラフィーヌは考えている。
初めて思ったのは三年前だ。
当時、銀等級冒険者でしかなかったマリアンヌたち【払暁】を含む多くの銀等級冒険者パーティーが魔王軍の尖兵による襲撃で壊滅した。
生き残ったのはたった数人。
冒険者を辞めなかったのはたった四人。
後に【払暁】へと至る四人だけが、冒険者の道を選んだ。
(あの時。フィンさんは間違いなく死人でした)
襲撃地点から王都までは数日単位での時間を要する距離で、どれだけ急いでも救助は間に合わない状態だった。
神殿で業務に励んでいたセラフィーヌにも、当然その情報は入っていた。
入っていたが、それは発生から半日経過した時だ。
すでに二十人以上の冒険者が死亡し、生存し動くことができるわずか三人のうち二人で生存者を運んで最寄の町に辿り着いたのが、そのタイミングだった。
冒険者ギルドを介した速報は瞬く間に大陸全土に広がり、王都そのものが落ち着きなく騒めいたのは今でも思い出せる。
(あれが……生きているなんて、認められなかった……)
冒険者ギルドから派遣要請が入り、即座に王都を出発。
珍しく神殿も連携し動きが早かったが、今となってはその理由もわかる。【天聖】の愛弟子がそんな目に遭ったとなれば冒険者ギルドがありとあらゆる手段を使うのは想像に難くない。
そして訪れた地方の街で──セラフィーヌは、悍ましいものをみた。
四股がもがれ達磨になった男性。
腹部、胸部の肉は削がれ、中身もなく空洞になっている。
背骨も弄ばれたのかグニャグニャに変化しており、呼吸すらもままならない、そもそも心臓がないのに、生きているわけがない。
顔の皮すらない。
目玉もない。
悪趣味なモンスターが作り上げた芸術作品。
人を人と思っていない生命体が玩具を弄んだ結果生まれた、生命を馬鹿にしている、悍ましい産物。
なのに────生きている。
生きていた。
その男は、生きていた。
そんなものに成り果ててもなお、生きている。
傍で、光のない瞳で、ブツブツと何かを呟きながら治癒魔法をかけ続ける女性。
治癒魔法のエキスパートだからこそ、一瞬で理解した。
──これは治癒魔法で出来ることじゃない。
こんな、死んでいる人間を生きながらえさせることなどセラフィーヌにだって出来ない。
無論、この状態からならば十分に回復可能だ。
リハビリも要さずに元通りにできる。
そうでなければ聖女と呼ばれることなどない。
死んでいなければ蘇生できる。
これは彼女の二つ名でもあるのだ。
だが、死人を蘇らせることはできない。
どう見ても死んでいる。
どう考えても死んでいる。
人が、ヒトとして存在するために必要なものがないのに、生きているはずがないのに、生きている。
正気を失った少女の魔法が奇跡を起こした?
いいや、これはそんな生やさしいものじゃない。
これはきっと、もっと悍ましく、恐ろしく、人智の及ばない何かではないか。震える手で治癒を施しあっという間に息を吹き返し、こんな姿にされたというのにも関わらず安らかな寝顔のフィンを見て、セラフィーヌは心の底から恐怖した。
それ以来、マリアンヌはめきめきと頭角を表し、あっという間に聖女号を賜った。
八人目の聖女にして第三位を授かる破壊の象徴。
それが、【聖撃の聖女】だ。
(……あの時、フィンさんが生きていたのは、マリアンヌさんの魔法によるものでしょう。それ以外に何か理由があるとすれば、フィンさんの身体が異常か、また、私の感知できない何かが関係している後者は考えても仕方がない。前者は……)
全く意図してないタイミングでフィンが神殿に滑り込んできた時は思わずサァッと顔面蒼白になったが、その内容が『真っ黒な血便出て吐血もしている』というもので更に顔を青白くさせた。
胃はセラフィーヌが自ら作った特別製のポーションでなんとかして、腸の方は……
目の前に晒される穴。
四つん這いになった男性。
ぶらりとぶら下がった棒と玉。
そして、自分の持っている杖先(丸く加工されたもの)が穴に吸い込まれていき──
(……あれは治療行為ですから。ハレンチなことではありませんから)
「……セラフィーヌさん? どうされました?」
「……い、いえ。なんでもありません。少し、過去のことを思い出していました」
脳裏に浮かんだ光景。
正面を向けば、そこにいる男性が真面目な表情をしている。
それを見て、再度浮かび上がる光景。
セラフィーヌはハーブティーを素早く口に含んだ。
「……ふう。申し訳ありません。一度休憩を挟みませんか? 扱っている情報が重く、ゆっくり考えさせていただきたいのです」
「そうですね。急いで考えても仕方のないことですから、時間をかけるのには賛成です」
「休憩ならちょうどいい。師匠がくれたデザートケーキがある。持ってこよう」
「私も同行します。荷物持ちにお使いください」
「ありがとう、助かる。セラフィーヌ様、護衛の騎士様をお借りしても?」
「構いません。フェンナ、無礼のないように」
「はっ!」
フィンが退席し、それに続き護衛騎士も部屋から出ていく。
場の空気が緩んだところで、セラフィーヌは考える。
(それにしても……やはり、フィンさんとは男女の関係なのでしょうか)
先ほどのやりとり一つでもわかる。
フィンとマリアンヌの距離は近く、【聖撃の聖女】がこんな態度をとっていると知れば世の男性は泣いて羨むのではないだろうか。
(あれほどの出来事があれば、恋仲に発展してもおかしくなありませんが……)
それにしてはフィン・デビュラという青年は随分身の回りに女性が多く感じる。
【勇者】、【天聖】、【聖女】、【剣聖】、エルフ……
狙ってもここまでネームバリューのある女性と関係を構築していくことはできない。
なんならもう一人の聖女であるセラフィーヌとも関係がある。
誰にも言えない秘密を共有する仲であるため、歯がゆい感情があった。
(フィンさんにあんな無茶をずっとさせ続けて、あげません、と)
フィンの、苦しみ喘ぐ声。
内臓が出血を繰り返し手遅れになってからいつも神殿に駆け込んでくる。
今は落ち着いたが、以前は二週間に一度のペースでやってきていた。
そして安くはない治療費を支払ってまた戦いに行く。
鎧、治療費、家の費用。
金等級冒険者でありながら彼がソロで依頼をこなし続けるのには、金がないというシンプルな理由も含まれていた。
(……私ではフィンさんを守れない。けれど、後遺症など一つも残さずに治療することはできる)
三年間、患者と神官としてしか付き合いはない。
それでもフィン・デビュラの良さはわかっている。
気持ちの良い青年で、人柄もよく、顔も良くて、話も面白い。それでいて下卑た視線を向けてくることはあまりなく、むしろ、局部を晒すことを躊躇い恥じるのだ。それどころではない症状なのに。
そういうところが、セラフィーヌの心を揺さぶっていく。
その度に思い知らされる。
自分はこの人と、とても近いように見えて、遠い場所にいるのだと。
聖女としての自分ではないただの神官セラと、誰にも言えない後遺症を抱えた金等級冒険者のフィン。
これは、近いようで、とても遠いのだと。
だから、セラフィーヌは、フィン・デビュラへ抱く感情に蓋をしていた。
彼のためにできることは一つもないから。
神官が患者に贔屓するなどあってはいけないことだから。
聖女セラフィーヌは、救われない者を救うために魔法を手にしたのだから。
(……ええ、わかっています。私の愛は、一人に向けられるものではありません)
聖女セラフィーヌとフィン・デビュラに接点はない。
神官セラとフィン・デビュラの関係は表に出てこない。
だから、この話はここで終わる。
ここで終わってしまうのだ。
「……あの、マリアンヌ様」
「はい?」
「よければ、【払暁】のお話をお聞かせ願えませんか?」
「【払暁】の……?」
「ええ。私、法国生まれ法国育ちですから。冒険者の患者とは関わりがあっても、友人にはいないのです。〈不浄領域〉に関しても知識としては知っていますが、実際に足を運んだことはないので……」
「ああ……それは、そうですね。私の話でよろしければ」
「是非、お願い致します」
これはあくまで必要なこと。
決して他意はない。
知っておかねばならない、だから聞く。
そうだ、それだけなのだ。
だから──少しくらい教えてもらっても、悪くないじゃないか。
(私は、聖女セラフィーヌですから)