杖を握らなければあなたを治せない。
杖を握ったままではあなたに近づけない。
私は聖女だから。
聖女セラフィーヌは博愛主義者で清らかでいなければならない。男を作ってならない、一人であらねばならない、子供を愛せねばならない、弱者を慈しみ助けなければならない、俗物であってはならない、誰かを、特別扱いしてはならない。
聖女号を授かったとき、セラフィーヌが誓ったことだ。
この身は生きとし生ける全ての人のためにある。
救われぬものに救いの手を。
それこそが彼女の掲げる理念だ。
明日をもしれない誰かを、誰もが見捨てた誰かを救う。
そうやって、これまでずっと、やってきた。
「…………」
就寝前。
ベッドの上で、セラフィーヌは寝転がり天井を見つめていた。
血を吐き内臓の治療に訪れたフィンは、今日も高額な治療費を支払って帰っていった。
王都のスラムに暮らす住民や田舎からわざわざやってきた農夫、それに孤児などには無償で治療を施しているがフィンにはそれが適用されない。
理由は単純、冒険者だからだ。
冒険者は全てが自己責任。
栄光と栄華に喝采を浴びるのも、絶望と苦痛に呑まれ絶命するのも、冒険者にとっては全てが己の力量次第。他に安定した道はいくらでもあるのに冒険者を目指すというのは、そういうリスクを孕んでいる。
スラムの子供であれば幼いうちからドブさらいや堆肥運搬などの仕事にありつける。労働環境は厳しく決して贅沢のできない生活だが、生きていくことはできる。事実、王都に限らず大きな町はそうやってインフラ維持をなされているのだ。
身体が大きくなれば開拓、開墾などもある。
公営で行われる事業のため給金に食事、寝床もつきいずれ村となった時に居住者になれるのだ。安定する道はいくらでも選べる。
つまり、冒険者とは──そういった道からも外れてしまった人間の終着点でもあった。
金等級になれるような一部の才能のある者を除き、大半がそのような人材である。
そのため社会保障からも外れてしまいどれだけ金があろうが、それ以外の組織にコネクションがなければ立派な家を買うこともできない。冒険者家業から足を洗ってそれまでに築いたコネや伝手を使って『簡単に裏切ったり死ぬことはない』と判断されて、ようやく地に足つけた生活ができるようになる。
本来ならばフィンは多額の献金などせずとも治療を受けられる。
マリアンヌの関係者であるのだから当然だ。
聖女のネームバリューが最も轟くのは他でもない教団内である。
ではなぜ高額治療費を支払っているのかと言われれば、フィンがそれら全てを隠すつもりだから。
聖女マリアンヌの名前を使い治療を受ければ彼女に通知がいく。
無論、マリアンヌならばフィンのために許可をするだろう。
しかしそれはフィンの秘め事が露見することを意味する。
それではダメなのだ。
フィンは悟られてはいけないと思っている。
怪我をして動けなくなる盾役などいらない──それが盾役として長年活躍したフィンの持論である以上、捻じ曲げることはない。
だからこそ、フィンはただの金等級冒険者として治療を受けている。
聖女マリアンヌの関係者でもない、一人の男として。
他に彼のコネクションはないのだ。
否、あっても使うことは決してない。
それが露見することを誰よりも恐れている──セラフィーヌは、改めてフィンの言葉を反芻する。
『金等級冒険者以上で盾役をしてるのは俺しかいない。理由は単純、死んでるからだ』
『だが替えは効く。アストレアやカルラ、マリアンヌとは違って世界全体で見れば俺程度の人間は腐るほどいる』
『盾役を辞めるなんて選択肢は選べん。盾役だからこそ、俺は【払暁】にいられるんだ』
『……いつも、醜いものを見せてすまない。すまない……』
『うっ、ぐ、おおおぉぉっ!!? ああっ!! があああっ!!』
鮮血が広がった。
いや、それだけじゃない。
腸内での出血もまた、彼女らの身に降りかかった。
苦痛に叫び、これほど出血してもなおまだやるのかと二人は絶句した。
「っ…………」
フィンは悪循環に陥っている、とセラフィーヌは考えた。
まず、戦いに行く。
依頼をこなすためにも必要だから当然だ。
そして戦いで鎧が壊れかなりの金額がなくなる。
四人で分け前した上で、装備の支出に家賃を捻出しているのだ。本人曰く、仲間にかなり負担させて恥ずかしいと言っていたが、それもどこまで本当か……
そして、フィンは後遺症で内臓を痛め血便や吐血する。
高額な治療費を神殿に取られ、また戦いに行く。
このサイクルがフィンの今の生活だとセラフィーヌは見抜いていた。
(……【勇者】や【天聖】とも仲が良いと聞きます。これから改善される可能性は大いにある……)
だがそれはいつになるのか見当もつかなかった。
〈不浄領域〉の研究ということでさらに実入は減るだろう。個人で受ける依頼が増え怪我をすることだってあるかもしれない。魔王軍は滅んだが、強力なモンスターは健在なのだ。
フィンはこのまま生きていけるのか。
生きていけないのではないか──そう思うと、胸が痛んだ。
「フィンさん…………」
助けたい。
助けることができない。
聖女でなければ、聖女だからこそ。
セラフィーヌの両手は、特別な誰かのためには使えない。
それが苦しくて切ない。
「…………フィン、さん……」
それ以外の生き方を知らない、頼もしくて、愉快で、それでいて素敵で、哀れな人。
セラフィーヌは痛む胸を抑え、目尻に浮かぶ涙を拭った。
────
──
────
己がなんたる無礼な思い違いをしていたのかを悟り、フェンナは居た堪れなくなった。
フィン・デビュラとセラフィーヌの男女関係など一切無い。
セラフィーヌ側からの一方的な恋慕はありそうだったが、フィン側からそういった感情を滲ませている様子はなかった。自分の生活を死守するために必死になっていただけだった。
だというのに、ただ聞いただけの話と、調査した結果怪しいからと疑っていた自分を恥じて──それにしては紛らわしい会話だったし周りの女性取っ替え引っ替えしてる事実は何も変わらないじゃんと思った。
だがあの様子だと仕入れた話は事実無根の噂だった、と考えるべきだ。
(誰か一人と恋仲だとしても、全員と肉体関係があるわけではなさそうですね)
そんな男だったのならばとっくに叩き出されているだろうと思った。
【払暁】や【星天】は甘くない。
魅力的な男だろうがなんだろうが、舐めた態度をとっている人間に甘くなることはないだろう。彼女ら一人一人誰もが特定の相手との関係を持ってないのだからそれは当然だ。もし男で肉体関係を持ちたいという理由で絡むような女ならば、もっと噂になっているべきなのだから。
(……あれほどの思いをして。あんな……ひどい出血までして……)
フェンナは昼の診療を思い出す。
患部を露出したフィン。
躊躇いなく杖を突き刺したセラとそれを補助していたフェンナに、大量の血が降りかかった。もっと汚れたモノを見てきた彼女らにとってそれは特に気にするべきことではないが、大事なのはその出血量である。
致死に至ってもおかしくないほどの血。
これほどの怪我、これほどの病気でなぜまともに生きていられるのか。
身体が強靭だから──否。
気力だ。
フィン・デビュラは、ありえないほど強靭な精神で生きながらえている。
死んでたまるかという心が誰よりも強い。
気を張り続けている老人が死の直前まで動き回っているように、フィンもまた、気を張り続けたった一度も弱気になることなく意志を持ち続けているのだ。
そんな生活をしていればいずれ破綻する。
それをわかっていてもなお、フィンはそれしかないと言った。
(……それしか、ないのでしょうか……)
フェンナは特務騎士。
セラフィーヌの護衛を担う女騎士だ。
聖女セラフィーヌの立場は十二分に理解した。彼女がどれほどの葛藤を抱えながら日々を過ごしているのかも、今日の診療の後に話し合い悟ったのだ。
セラフィーヌはフィンを助けたいと思ってしまった。
でも、聖女であるからこそ何もすることができない。
フィンの誰にも知られたくないという気持ち。
聖女セラフィーヌとしての立場。
二人は互いの条件が雁字搦めになって今を維持するしかないのだ。
それが苦しくて切ないのだと語るセラフィーヌにフェンナは何も言えなかった。
(どうにか……何か、手立ては……?)
まだフィンのことを手放しで信じることはできない。
だが、セラフィーヌが心を痛め傷ついていることは放置できない。
フェンナは特務騎士なのだ。
ただの護衛ではなく、聖女の眼前に立ち塞がる障害を切り開く騎士でもある。
守るべき聖女が苦しんでいるのに、手を出さないわけにはいかない。
(──……何か、あるはずだ。フィン殿を、助ける手が……)
救われぬものに救いの手を。
等しく救いの手を差し伸べる聖女は、一体誰が救うのだ。
そして、聖女ですら救うことのできない者は、誰が救うのだ。
その誰かがいないのならば────自分が担うべきだ。
(……伝手はあります。堂々とフィン殿と顔を合わせる機会はいずれ来る……。いずれ〈不浄領域〉にも足を運ばねばならない。その時こそ……)
自分がどれだけ傷ついても構わない。
そんな姿を見てしまったのに、放っておくことは彼女にはできなかった。
(フィン殿……あなたのことも、お守りします。特務護衛騎士の誉にかけて……)