文明崩壊後の世界で、はぐれ者の二人が傷を舐め合う冒険と探求のラブコメディ(の予定だった)

だいぶ前に書いた拙作。
多分、きっと続き書かないだろうから短編として投下。

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終末後世界で

 

 

 

 

 どこか薄い塩気を含んだ、風もない静かな朝だった。

 

 湿った空気が肌を撫で、遠くから鳥の鳴き声が微かに届く。夜のうちに立ちこめた霧が、まだ村の屋根や小道のあちこちに漂っていた。

 

 高く積まれた建物の残骸──崩れ落ちた旧時代の施設跡。その頂で、ひとりの青年が静かに腰を下ろしていた。

 

 クリフ・ライフォルト。十八歳。彼の足元には錆びた鉄骨が伸び、手すり代わりの支柱は、半分朽ちていた。それでも彼は恐れる素振りもなく、じっと目を細めて村の全景を見つめている。

 

 視線の先に広がるのは、彼が生まれ育った場所。正確にはその近くにある村。木造の家々に混ざるように煉瓦積みの屋根が並び、いずれも修繕された痕跡を残している。所々ひび割れた壁、朽ちた柵、それでも人々はその中で変わらぬ朝を迎えていた。

 

 ゆっくりと煙る朝霧が、村全体をぼかしていた。

 

 人の気配はある。炊煙が上がり、井戸端には水を汲みに来た村人の姿も見える。畑でも既に今日の作業が始まっている。陸の高低差が激しく、平原の少ないこの世界で、風の通る開けた高知での、小さな営みだった。

 

 けれど、その営みのすべてに、どこか乾いた沈黙が染みついていた。 

 

 霧。

 

 

 それは二種類存在する。一つは空気中に水滴が浮遊する、自然現象としての霧。

 

 そして、この世界を蝕み続ける、未だ解かれぬ邪悪な”霧”。百年前、大規模な地殻変動と共に突如発生し、文明を打ち砕いた災厄。そう言い伝えられている。 今では濃度も落ち、こうして人が暮らせる地域もある。だが、それは“災厄が終わった”という意味ではない。

 

 クリフは目を細め、村の外へ続く丘と、その先にぼんやりと広がる、村に煙る朝霧とは違う、少し灰色がかった、”霧”を見据える。

 

 「……あの向こうに、答えがあるなら」

 

 掠れるような声が、唇から漏れた。

 誰もが忘れようとしている過去。

 けれど、彼の家だけは──忘れることを許されなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ライフォルト家。”霧”の記録者として代を重ねてきた、村から忌避された異端の家系。

 村の外れに建つその小ぶりな屋敷は、半ば図書館のような様相をしている。外壁は灰色にくすんだ石と、焦げ茶の木材で組まれており、その風貌は雨風にさらされた年月を物語っている。長い間、知識を護ってきた砦である。

 

 クリフは、その中の書庫にいた。

 

 棚という棚に所狭しと書物や記録が積み上げられている。煤けた紙、染みのついた布装丁、欠けた石板。それらには、崩壊以前の言葉で綴られたものもある。”霧”の被害を記した報告、民間の手記、研究者の走り書き、名も無き者の遺言……あらゆる時代の証言が、重なり合っていた。

 

 その中の一冊を手に取る。挟まれた古ぼけた紙を抜いて、開く。地図──焼け焦げた縁に、震えるような手で引かれた線。中央にだけ、濃い墨が何重にも塗り重ねられている。

 震源地。”霧”のすべてが始まった場所。禁忌の地。踏み込んではならぬ“災核”。

 けれど彼にとって、それは「行かねばならない場所」だった。

 

 「お前は……行くのか」

 

 低く、しわがれた声が背後から聞こえた。振り返ると、祖父が立っていた。白髪の間からのぞく鋭い目と、その言葉以外に含まれた、無言の問いかけ。その視線の奥には、どこかで覚悟を決めていたという沈黙があった。

 祖父の背後で母が酷く沈痛な顔で自分を見つめている。

 

 「記録を守るだけじゃ、見えないものがあるから」

 

 クリフの声は静かで、しかし揺らがなかった。祖父はひとつ頷くと、何も言わずに部屋の奥へと歩き、古びた棚の鍵を開けた。

 取り出されたのは、封印されていた木箱。

 中には、ひときわ手入れの行き届いた銃が眠っていた。

 

 「息子の…お前の父の作ったものだ。」

 

 真鍮と木で組まれた小ぶりな銃。重厚で無駄のない造形、装飾は最小限ながら、趣を感じる。これが父が生前に残した遺作らしい。見ただけでわかる。村の衛兵が肩にかけてる銃とはわけが違う。片手で扱える大きさ、回転式の機構、どこまでも実用性を突き詰めた、危機の中で生き延びるための、知恵と工夫の結晶だった。

 クリフはそれを受け取り、一緒に入っていた革製の鞘を腰に巻いて、そこに丁寧に収めた。

 祖父はまだ開いた木箱をこちらに向けたままだ。違和感を感じてクリフは向き直る。

 

 「まだ、入っている。」

 

 言われるまま、覗き込むと、銃が収められていた型の底に、合金製の筒状のものが横たわっていた。ちょうど銃身ほどの太さだ。

 

 「これは?」

 

 「わからん。だが、おそらくその銃に付けて使うものなのだろう。きっと必要なものだ。」 

 

 クリフはそれを、不思議に思う。何故、ちょうどよく片手で扱えるものを長くするのだろう。とりあえず、手に取って、準備していた大きめのバックの中にそっとしまっておく。

 バックの中には記録帳と筆記具、干し肉と水、旅道具と火打石など、必要なものが詰まっている。 

 

 

 

 すべてを整えて、食卓に向かう。

 湯気の立つスープが三つ。窓からの朝の日差しに照らされて、陶器の表面がかすかに光っている。

 母は、黙って椅子に座っていた。食器の位置を直すでもなく、スプーンを手に取るでもなく、ただ、息子の顔を見ていた。

 祖父は、先にスープに口をつけていた。何も言わず、ただ一口ずつ、静かに飲み進める。

 クリフも座り、器に手を伸ばす。その指先は、僅かに震えていた。だが、それを誰も指摘しない。もう、覚悟は決めたのだ。

 

 「……気をつけて」

 

 母が、ようやく口を開いた。

 それ以上の言葉はなかった。声には揺れがなかったが、その目元は、わずかに潤んでいた。

 クリフは頷く。そして、祖父を見る。

 祖父は何も言わなかった。ただ、席を立ち、無言のままクリフの肩に手を置く。その手は、重く、温かかった。

 それだけで、すべてが伝わっていた。

 外套を羽織り、背にバッグを担ぐ。数え切れないほどの覚悟と共に。

 

 「行ってきます。」

 

 

 

 

 玄関を開けると、外では、朝の光が強くなっていた。視線の先は村の外の”霧”。けれど、その先にあるものを、彼は恐れない。

 ゆっくりと風が吹いた。村の外の”霧”がわずかに割れ、淡い光が差し込む。

 

 

 

 門をくぐるとき、そこには誰の姿もなかった。

 人はいる。村の広場では子どもが遊び、井戸の前では誰かが水を汲んでいた。だが、彼を見送る者はいない。

 誰も見送らない。それが、村とライフォルト家の距離だ。

 

 かつて祖父が言った言葉を思い出す。

 

 「皆は今を生きている。忘れ去られ、風化した過去を探求することは、異端だ。今が変えられてしまうことを、恐れられる。」

 

 村の空気に背を向け、歩き出す。もう、振り返らない。

 ゆっくりと風が吹いた。”霧”がわずかに割れ、淡い光が道を照らす。

 だんだんと、”霧”で視界が霞み、音が遠のいていく。それでも、クリフは一歩ずつ、確かな足取りで前に進んでいった。

 

 クリフ・ライフォルトの旅は、静かに幕を開けた。

 

 

 

 視界が”霧”で遮られる中、それでも歩いていると、急に視界が開ける。

 視界いっぱいに荒涼とした、しかし美しい大自然が広がっていた。

 

 「は…」

 

 クリフは思わず声が漏れて、立ち止まる。

 辺りを見回して、魅入った。所々に、かつての跡も見える。

 

 遠くまで山脈が果て無く連なり、それらは木々の緑と岩肌の灰、そして少しの雪の白で彩られていた。その中腹には集落だったのかもしれない、少しの人工物を伴った瓦礫が点在する。

 

 右を見れば谷を形成する垂直に裂かれた大地。その岩肌は長年の雨風で削られ、無数の傷痕のように刻まれている。崖下には霞が立ち込め、底知れぬ深さを感じた。その途中には折れた鉄骨が刺さっている。

 

 左では滝が轟音と共に大地を穿ち、白い水煙を巻き上げている。滝壺から舞い上がる飛沫が、日の光を受けて虹を作り出していた。その滝壺にある池には片手を掲げた剥げた像が胸まで浸かっていた。

 

 正面少し先には緑の海の始まりが見える。高く伸びた枝葉は濃密に絡まり合い、日光を遮り、それによってもたらされた闇が深淵を感じさせる。その手前には、架かる先のない、橋際だけになったものが鎮座している。

 

 しかし、それらすべてにほんの少し灰色の靄がかかっていた。それはほんとうに薄く漂い、日の光を柔らかく反射している。それによって”霧”の中だということを確認する。

 見上げると、空は淡く霞んだ青で、それでも”霧”の中だろうと、心地良い日差しで照らしてきていた。

 

  「”霧”の中は、意外と美しいものなんだな。」

 

 クリフは地図を取り出して、確認すると、再び歩き出す。森の方向だ。

 少し歩くと小川が流れていた。架かる先のない橋際は、その手前にあった。元々はかなり立派な橋だったのであろう。随分大きく、小川との規模の違いが酷かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び歩き出して数刻。クリフは”霧”と木陰で薄暗い森の中を歩いていた。さっきまでの趣を感じさせる景色はどこかへ消え、地面には苔と湿った落葉が積もり、足を踏み出すたびにぬかるむ音が響く。

 クリフも、さっきまでのどこか高揚しかけていた気分は吹き飛び、慎重に進んでいた。

 辺りは、どこか不自然なほどに静かだった。鳥の声も、風のささやきもない。ただ、灰白く薄い、”霧”が木々の間を流れ、足元を這っていく。日が遮られているせいか、はたまた、この場所の性質か、”霧”が濃く感じる。

 数々の記録にこうあった。”霧”は、震源地付近か、空気の循環がほとんどないような深い谷でもなければ、なにか人体に影響を与えるといったことはない。ここのように、先が見通せず、しっかりと視界が悪くて濃く見えても、ほとんど普通の霧と変わらない。災厄の”霧”としての濃さは、まだまだ薄いはずだ。

 

 自分の呼吸と自分の足が落ち葉を踏む音がいやに大きく聞こえる。

 進むたびに緊張が増し、視界が狭まる。

 そんなときだった。

 

 ――カサリ

 

 草を擦る、乾いた音が足元で聞こえた。思わず立ち止まる。緊張が限界まで高まり、無意識に、握っている銃が確かにあることを感覚で確認する。

 白い小さな影が目の前を横切る。ただの兎だった。

 

 ふぅ…

 

 少し緊張が解けて、息を吐く。

 そうして、再び進もうとしたとき、

 

 ――パキリ

 

 少し先で落ちた枝が折れる音がした。

 木々が点々とする白い視界の先で、何かがゆらりと揺れていた。

 

 ……人、だろうか?

 

 だが、違和感があった。

 こちらに気づいているのかいないのか。”霧”の濃淡の向こうに人影が見えた。

 

 ――否、それは人ではなかった。人と呼ぶにはあまりにも歪だ。

 

 木々の間からほんの少し日が差して、その姿がはっきり見える。

 ぼんやりと揺れるその姿は、皮膚も筋肉もほとんどなく、骨がむき出しになっていた。肋骨の隙間からは干からびた臓器が垣間見え、わずかに残った筋肉が骨にこびりついている。およそ生命の形を成していない、いびつな抜け殻。

 こいつが、記録にあったハスク。かなり気色悪い。

 クリフは思わず咽返りそうになる。

 

 ハスク。

 

 霧に魂を奪われ、残った抜け殻が霧そのものに操られて動く、忌まわしい現象だ。その動きは緩慢で不規則。何か目的を持つわけでもなく、ただ漫然と霧の中を漂い、かすかな音や振動に反応する。それが記録書に綴られたハスクの特性だった。

 

 喉が乾き、呼吸が浅くなった。

 クリフは慎重に息を整えつつ、一歩後ずさった。

 しかし――。

 

 ――パキリ

 

 今度はクリフが小枝を踏んでしまった。

 その音は、思いのほか大きく森に響いた。

 ”霧”の中で揺れていたハスクが、ぴたりと動きを止めた。そして、ゆっくりと、首をこちらへ向ける。

 腐った眼窩には何もなく、ただ空虚な穴があるだけだった。それでも、その穴ははっきりとクリフを捉えていた。

 低く、掠れたうめき声が漏れる。その緩慢な動きでこちらに近づいてくる。

 

 「……っ」

 

 背筋を恐怖が駆け抜ける。

 

 クリフは反射的に銃を構え、頭部を狙って、引き金を引いた。

 引き金を引くと同時、回転部が前進して銃身に押し付けられ、そこを撃鉄が勢いよく叩く。

 発砲音が、森全体を震わせるように響き渡った。

 ”霧”の膜が一瞬揺れ、木々に反響した銃声が尾を引いて消えていく。

 

 ハスクの頭部に見事命中し、頭蓋に大きな穴が開いた。そいつは、崩れるように後ろに倒れた。

 

 よし、記録通り、頭部を損傷させれば倒せる。

 

 それにしてもこの銃の威力は馬鹿げている。ほとんど死体とはいえ、人の骨をあんなに粉砕するものなのか。

 動きに違和感があった。元々わずかな隙間の回転部と銃身の間をわざわざ動かしてまで塞いでいたのだ。そこに威力の秘密があるのかもしれない。

 

 ひとまず問題なく排除できて安心していた。

 

 だが――それは始まりに過ぎなかった。

 

 グウッ……。

 

 喉の奥を擦るような低い呻きが、いくつも重なって耳に届く。

 クリフの周囲、”霧”の向こうから複数のハスクが現れはじめた。

 

 ハスクは音に反応する。なるほど、こうなるのか。これは一長一短どころじゃない。無暗に使えないじゃないか。

 

 「まずい……!」

 

 ハスクたちが、ゆっくりと、しかし確実に音のした方へ近づいてくる。

 クリフはひとまず後退しながら、視線を巡らせ逃げ道を探す。足が、地面を踏み外しそうになる。焦燥が、息を荒くする。

 冷や汗が首筋を流れたそのとき――

 

 「こっち!」

 

 少女の声が、”霧”の奥から届いた。鋭く張り詰めた声だ。

 ”霧”の向こう、木立の間から誰かが手を伸ばしている。その指先に導かれるように、クリフは駆け出した。

 その手を掴んだ途端、驚くほど強い力で引き寄せられる。体を引かれた状態で、互いに最小限の足跡で駆ける。

 しばらくして、茂みの陰に転がるように身を隠した。

 息をひそめていると、数体のハスクがそばを通り過ぎていった。

 少女は、クリフに小声で告げた。

 

 「銃は音が大きすぎ。……奴らはより大きな音に反応する」

 

 その声はかなり冷たく、責める色を含んでいた。

 クリフは頷きながら、彼女の方を向く。

 ”霧”の中でもはっきりと浮かぶ紅色の瞳。長く、艶やかに揺れる赤髪。色を吸ったような淡い肌。その顔は静かで、どこか影を帯びていた。

 

 「ああ…、失敗した。思い知ったよ。」

 

 深く実感の伴った、反省を多分に含んだ声でクリフはそう言った。

 彼女は周囲を見渡しながら、その謝意に、雰囲気が少し落ち着く。

 

 「付いてきて。こっちに抜け道がある」

 

 彼女は冷静に言い放つと、霧の奥へ迷わず踏み出した。

 細く引き締まった背中と艶やかな赤髪が、霧の中へと滑り込むように消えてゆく。

 クリフは返事をする間もなく、その背を追った。彼女の足取りは驚くほど滑らかで、彼女が踏み出すたびに、靴底はまるで影のように地面をなぞった。足音もなく、枝葉を揺らすことさえ最小限だった。クリフも必死でその動きを真似る。さっきまでより自分の足音が目立たなくなったが、彼女の精密さには遠く及ばない。

 

 「…かなり慣れてるんだな」

 

 周囲を気遣いつつ、小声で呟くと、少女は少しだけ首を傾け、肩越しに視線を投げた。

 

 「……あなたが慣れてなさすぎるだけ」

 

 静かな皮肉が、霧を透かして届く。クリフは口元に苦い笑みを浮かべた。

 

「否定できない。」

 

 本当に否定できない。周りからあのうめき声が聞こえない。どうやって道を選んでいるのだろうか。

 とにかく彼女に倣ってついていく。

 だが、暫くすると――

 

 ――ヴゥ…ッ

 

 森の中から再び漏れるように低い唸り声がした。前方からだ。

 徐々に迫ってくるのを感じる。

 

 「…数が多すぎる。きっと森全体に響いたのね。」

 

 クリフの放った銃声が呼び寄せたのだ。彼女の言う通りならば、これからもっと、相当量のハスクが集まってくる。

 

 「どうする?」

 

 クリフは多分に申し訳なさを感じながらも問う。

 彼女は立ち止まって、一瞬考える仕草を見せた後、すぐ近くの大きな倒木を指差した。中身が腐ったのか、空洞であり、人二人くらいなら潜めそうだ。

 

「一旦あそこに隠れる。息を殺して」

 

 二人は倒木の中に素早く身を隠した。空洞に溜まった枯れ葉や湿った土の匂いが鼻をつく。

 二人は静かに呼吸を整え、音を殺す。

 横目で様子を窺う。近くを数体のハスクの群れが過ぎていく。ハスクはゆらゆらと揺れながら”霧”の中を彷徨い続けている。その腐敗し、骨が露出した身体は、痛ましく、じっくり見ていられるものじゃない。

 さて、どうしたものか。突破口を作りたいが、銃は更に呼び寄せるだけだ。

 

 「…もしかして」

 

 クリフは何かに気づいて、静かに手早く、バッグを降ろし中を探る。

 

 「…なに?」

 

 少女の疑問に、クリフは取り出したもの――銃と一緒に木箱に入っていた、あの筒――を銃に取り付けながら答える。

 

 「試したいことがある。俺のもたらしたことだ。君はここにいてくれていい。」

 

 そう言って、クリフは再びバッグを背負うと、外に出ていく。

 

 「ちょっ…」

 

 勝手に動かれることに、少女は思わず口を挟みかけるが、もう小声で届きそうな距離ではなかった。

 

 外に出たクリフは、銃を構えて近くにいたハスクの頭部に照準を合わせる。後ろから抗議をするような気配がしたが、構わず引き金を引く。

 

 ――パシュッ

 

 先ほどとは打って変わって、銃とは思えないような抑えられた音がした。

 しかし、威力は変わらず、命中したハスクの頭蓋には大きな風穴が開いた。

 動かなくなったハスクが倒れる。クリフはそれを確認するとすぐに辺りを見回す。

 周りにハスクがかなりいるが、こちらに反応して向かってきている様子はない。向かっているのはさっき銃声を響かせていた方向だ。

 

 成功だ。やはりこの筒はこのためのものだったのだ。

 ありがとう、父さん。これなら、いける。

 

 クリフは急いで倒木の方へもどり、少女に呼びかける。

 

 「銃声の問題は解決した。これなら突破口を開けるはず。」

 

 金属製の筒を装着して少し長くなった銃を軽く掲げて、静かな声で告げる。

 先ほどまでとは違い、クリフの表情にはほんの僅かに自信が滲む。

 

 少女はクリフの手元に視線を落とし、少しだけ唇の端を上げて皮肉めいた笑みを漏らした。

 

 「確かに。あれくらいの音ならあなたの最初の足音とそんなに変わらない。」

 

 あまりにも淡々とした彼女の口調に、クリフは思わず目を瞬かせた。

 

 「そこから見てたのかよ。」

 

 クリフは軽く眉をひそめるが、少女は表情を変えずに軽く肩をすくめてみせる。

 そして、表情を引き締めて、声に真剣さを宿す。

 

 「でも油断しないで」

 

 その声は少し冷ややかな響きを持つ。

 

 「わかってる」

 

 クリフは強く頷いて、慢心など無いことを意思表示する。

 

 「次は俺が前で、前方の奴らだけ倒すよ。進む方向は君に任せる。後ろから指示してくれ。」

 

 落ち着いた声でそう言うクリフには、迷いを感じない。

 

 「これならいけるはずだ。」

 

 クリフがもう一度、自分自身に言い聞かせるとともに、彼女に確認するために呟く。

 

 「そうね。――行きましょう」

 

 視線が短く交差して、それぞれが頷く。

 クリフが先に外に出て、少女も立ち上がって、それに続く。

 湿った空気が肌をなぞり、周囲には低く立ち込めた”霧”が薄く流れている。

 

 「さっきの方角だと多すぎる。少し遠いけど、右の方へも空気が流れてる。その先で森を抜けれるはず。」

 

 「了解」

 

 聞いて、方向転換し、クリフは先を進む。銃を両手で構え、”霧”の合間にいる二体のハスクを目で追った。冷静に一体ずつ距離を測る。

 

 「斜め右、茂みの奥にもう二体。約二十メートル」

 

 背後から少女が静かに指示を出す。

 

 「了解」

 

 息を詰め、狙いを定める。狙いは違わず頭部。流れるように二発、静かに引き金を引いた。発せられた低く篭った音が、すぐに掻き消える。そのまま奥の二体に照準を合わせ、もう二度引き金を引く。

 四体のハスクが打たれた衝撃のまま、後ろに崩れ落ちる。

 

 「奇麗な手際」

 

 少女の抑えられた声が後ろから届く。

 

 「一応色々鍛えてる。この銃を扱うのは今日が初めてだけど」

 

 前方から視線を外さず、前進しながら、クリフは小さく答える。

 

 その後、数体倒しながら進み、ちょうど見えるハスクがいなくなって一段落ついたとき。

 クリフが近くの木に隠れて、しゃがむ。

 

 「十秒くれ。弾切れだ。」

 

 その返事を聞く前に、クリフは銃の回転部を開いて弾を込め始める。

 

 「わかった」

 

 短く答えると、少女も違う木に隠れて、前方の様子を伺う。

 

 

 

 「よし。終わった。進もう」

 

 きっちり十秒ほど経って、クリフは立ち上がり進み出す。

 

 「左、十メートル先。木陰に一体。通り過ぎてもいいけど、距離が近すぎる」

 

 「倒しておこう」

 

 クリフは言葉短く応じ、狙いを定める。ハスクはぼんやりと”霧”の向こうに佇んでいる。

 骨に貼り付いた腐肉の中で、腐って無くなる寸前の片目が、ギョロついたのが見えた。

 それによって、改めてクリフは、元は人であったことを思い、胸元に僅かな重みを感じる。

 躊躇いを殺して引き金を引くと、ハスクは静かに地に伏した。

 

 「進みましょう」

 

 少女が後ろから静かに促す。それによってクリフは意識を戻す。

 彼女の指示は冷静で的確だった。ハスクの位置を正確に指示し、”霧”の流れを読んで、的確なルートを選び取る。彼女の能力に、クリフは感嘆を覚えていた。

 

 クリフが時折倒して、少女が時折指示して、そうして二人は森の外を目指して順調に進んでいった。

 

 

 森を抜けた先、目の前には、少し開けた平原が広がっていた。

 木々と”霧”で遮られていた視界は、ほんの少し靄がかった、一面の広大な自然に囲まれた景色に戻った。

 辺りを見回す。ハスクはいない。

 後ろを振り返る。追ってくる様子もないし、あの掠れた呻き声も聞こえてこない。

 

 「……抜けた」

 

 クリフはふっと息を吐き出し、小さく呟いた。張り詰めていた肩の力が、ようやく緩んだ。

 

 「ええ、なんとか」

 

 少女もまた、緊張を解くように静かに息を吐いた。彼女の赤い髪がそよ風に揺れ、その表情はやや穏やかに見えた。

 

 二人は並び、静かに歩き始める。

 森の出口から遠ざかるにつれ、霧はさらに薄まり、目の前には一つ丘が見えてきた。

 クリフは隣を歩く彼女の横顔をちらりと見て、小さく口を開いた。

 

 「ありがとう。一人だったら、どうなってたかわからない」

 

 少女がクリフを見返す。

 

 「そうね。あなたは特に」

 

 あっさりとしたその返しに、クリフは思わず肩をすくめて苦笑した。

 

 「でも、あそこまで集まったのは初めてだったから、私でも微妙なところだけど」

 

 彼女は歩きながら、視線を前に戻す。足元の草を踏む音が、会話の合間にかすかに響く。

 

 「なら、俺も多少は役に立ったってことかな。それなら良かった」

 

 クリフがそう言って、少しだけ胸を張るような調子で笑うと、彼女はそっと小さく息をついて言った。

 

 「あなたが最初にやらかしたんだけどね」

 

 「言うなよ」

 

 前を向いたまま、淡々と投げられた言葉だったが、その端に僅かな笑みの気配が混ざっており、クリフも苦笑しながら短く返す。

 

 ――きゅぅっ…

 

 不意にクリフの隣から力の抜ける音が聞こえた。

 思わずクリフは顔を向ける。耳に届いたその音の正体が何か、すぐに察しがついた。

 空を見上げれば、日が傾き始めていた。食が欲しくなってもおかしくない時間だ。

 

 「腹減ったよな。俺も」

 

 共感するように、自分の腹を軽くさすりながら、クリフが柔らかく呟いた。

 

 「……」

 

 返事がない。横を見ると、少女の顔がわずかに赤らんでいた。

 これに突っ込むのは野暮というものだろう。クリフは突っ込みたい気持ちを我慢して、話の先を提案する。

 

 「礼をさせてくれ。大したものはないけど、スープと干し肉でよければ」

 

 クリフの提案に彼女はまだ羞恥から抜け出せていない様子のまま、小さく頷いた。

 

 

 二人は、丘を越えて少し下った窪地で足を止めた。地面は比較的乾いており、周囲に木立もある。風も通りにくく、焚き火を起こすには都合の良い場所だった。

 

 クリフは自然な手つきで、背負っていたショルダーバッグを下ろす。その表情に気取ったところはなく、どこか楽しげだった。

 少女が黙々と手際よく枯れ枝を拾い集めると、クリフもそれに倣った。

 

 火打ち石の火花が細く散り、乾いた葉をかすかに焦がす音と共に、焚火に火が灯る。

 炎が揺れ始めると、周りの風景が、淡い光と影によって立体的に浮かび上がる。彼女の長い赤髪が、炎に照らされていっそう鮮やかに揺れ、そのくすんだ紅色の瞳がぼんやりと浮き上がって見える。

 

 クリフが敷物を取り出すと、彼女も背負っていたバッグから自分のものを取り出す。

 二人は向かい合って座った。クリフが食材と道具を荷物から取り出し、旅用の小さな鍋を火にかけて、調理を始める。

 

 しばらくして、焚火の周りを食欲をくすぐる香りが満たす。

 

 「おまたせ」

 

 そう言って、クリフは湯気が立った木製のお椀とスプーンを差し出す。

 少女はそれを受け取ると、待ちきれないのか、すぐに口をつけた。

 咀嚼して、嚥下して、少し表情がほころぶ。

 クリフはそれを見て、とりあえず口に合ってそうだと安心し、自分のものに手を付ける。

 

 しばらくの間、そこにはスプーンがお椀を掠る音と嚥下する音だけが聞こえていた。

 

 

 二人ともお椀が空になり、一息つく。

 会話が自然に始まるまで、少しの沈黙があった。

 

 「さっき名乗りそびれたけど……クリフ・ライフォルト。さっきの森の手前から少し行ったところにある、村の外れに住んでた」

 

 焚き火の光に照らされた顔は、少しだけ柔らいでいた。

 

 「……サラ・エヴァレット」

 

 少女も短く名を返す。お腹を鳴らしてから、少し無言気味だったが、食後で落ち着いてようやく羞恥から抜け出したらしい。

 

 「さっきの森の手前って、そんなところに人が住めるところあったんだ」

 

 「ああ。高地で、”霧”も薄い、小さな生存圏だ。閉鎖的で……まあ、あんまり居心地は良くなかったよ」

 

 サラは焚き火の火を見つめたまま、頷くでも否定するでもなく、「そう」とだけ呟いた。

 

 「私は、違う村の外れ。ここからは結構遠い。その近くにある森の中に、ひとつ家があって、そこで暮らしてた」

 

 「一人で?」

 

 サラは一瞬、目を伏せた。

 

 「いいえ、ずっとじゃない。……でも今は、そう」

 

 それ以上は言わないという沈黙があった。クリフもそれを追わなかった。代わりに、口元を引き結び、焚き火の小枝をいじる。

 少しして、クリフが再び口を開く。

 

 「目的地は?」

 

 「”霧”の濃くなる方」

 

 その言葉に、クリフの手が止まった。

 

 「……震源地か」

 

 サラは小さく頷いた。

 

 「なら、同じだな。俺もそこを目指してる」

 

 再び交わる視線の中に、互いに驚きと極僅かな安堵があった。

 自分の家系を異端と呼ばれてきたクリフにとって、初めての感覚だった。

 サラにとってもそんな人が自分以外にいるとは思わなかった。

 

 焚き火がぱちりと小さく爆ぜる。夜が深まり、霧がゆっくりと辺りを包み込んでいく。空気が重く、音を吸い取るような静寂が漂い始めた。

 

 そのときだった。

 サラが突然、ぴたりと動きを止め、頭をわずかに傾けた。

 

 「……聞こえる」

 

 「え?」

 

 クリフが問い返すと、サラは静かに目を閉じた。

 

 「霧の中から、声が……」

 

 詳しく聞くと、言葉というより、意識の破片のような、断片的な思念が頭の奥に響くという。彼女の表情は張り詰め、眉間にわずかな皺が寄っている。

 

 「どんな声なんだ?」

 

 「悲鳴だったり。後悔だったり。あまり具体的に言葉にしにくい。ただ……記憶と感情を流し込まれるような感覚」

 

 サラは目を開け、クリフを一瞥した。その視線は、何かを確かめるようであった。

 

 「昔から、こういうのは……たまにあった。でも、誰に話しても信じてもらえなかった」

 

 焚き火の火が、ひときわ大きく揺れた。

 クリフは一拍置いてから、少しだけ身を前に乗り出した。

 

 「俺は……信じるよ。君が聞いたものを。”霧”のことを追ってるんだ。それが“事実”だって思えるなら、全部知りたい」

 

 サラはそれには何も返さなかった。ただ、静かに目を伏せ、焚き火の揺らめきを見つめていた。

 

 その顔に、何かがほんの僅かに解けていたその顔に、クリフは気づかなかった。 

 

 


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