アンケートで思ったよりも糞爺が嫌われてなくて驚きました(嫌いが半分くらい行くと思ってた)。
駅から少し歩いた先の公園は、朝と昼の間みたいな顔をしていた。
陽は出ているのに、賑わいがない。
遊具はない。滑り台も、ブランコも、子どもの声も。
あるのは、ぽつりぽつりと置かれたベンチと、角の丸いゴミ箱と、遠くに見える公衆トイレだけ。
舗装された広場の真ん中には、なぜかやたら広い空間が空いていて、そこを渡る風が落ち葉を転がしていく。木陰が伸びて、日なたが眩しい。
人間にとっては「何もない場所」だ。
呪霊にとっては、「何もないからこそ」戦える場所だった。
俺は、息――というより呪力の流れを整えながら、拳を握っていた。
黒閃。
あれは――たぶん、俺の中で一番“生きている”瞬間だった。
拳が、ぴたりと呪力と噛み合って、衝撃が空気を裂いた。
当たった瞬間、世界が一瞬だけ遅くなって、次の瞬間に全部が取り戻される。
音も、痛みも、光も、全部が一気に来る。
“俺が今この世界にいる”という実感が、殴打の形をして胸に流れ込む。
だから俺は、少しハイになっていた。
勝った。
生き残った。
それだけで頭の奥が白くなりそうになる。
その隣で、老人呪霊が大げさに手を広げていた。
「どうだ! どうだ! 俺がいなきゃお前さん、今ごろミイラにやられてたぞ! 命の恩人ってやつだ! 感謝しろ! ほら! 感謝の言葉は!?」
風が、その長い白髭を揺らす。
茶色い着物の袖が、誇らしげにひらひらする。
顔は能面の翁みたいで、笑っているのかしかめているのか分からない。
でも声だけは妙に生々しい。人間の老人みたいに、言葉の端に図々しさが乗っている。
俺は、黒い靄をふっと落ち着かせてから、カタコトで言った。
「……そもそも、おまえが、でんしゃで、へんなこと、しなければ、こんなこと、なってない」
言った瞬間、老人呪霊の肩が、目に見えて落ちた。
「……え」
小さな声。
大げさな芝居が止まって、急に背丈が縮んだように見えた。
白髭がだらりと垂れて、笑いの皺が消える。
能面の「翁」から、ただの情けない小老人になった。
「そ、そうだがよぉ……」
「……」
しょんぼりしている。
呪霊がしょんぼり。
笑えるはずなのに――なぜか、胸の奥がちくりとした。
(……何だこれ)
罪悪感。
ミイラ呪霊の術式で味わったのと同じ。
俺は呪霊だ。罪悪感なんて持つ必要はない。
でも、今の一言が“意地悪”だったのは、自分でも分かる。
感謝を要求されて腹が立った。図々しさがムカついた。
それを、言葉で殴った。
俺は目を逸らし、何もない広場の空を見上げた。
青い。やけに澄んでいる。
その澄んだ青が、余計に気まずさを強調する。
「……でも、まぁ…、たすかった」
ぼそりと、言った。
カタコトなのに、なぜか照れが混ざる。
言った直後に、しまったと思った。
老人呪霊が、顔を上げる。
能面みたいな顔が、さらに気持ち悪く歪む。
笑みが広がり、目がいやらしく細くなる。
「素直じゃねぇなぁ!」
「お前さん、そういうとこだぞ! 可愛いぞ!」
可愛い、という言葉が俺の耳に刺さって、靄が一瞬だけ濃くなりそうになった。
俺は咳払いみたいに呪力を揺らし、話を切り替えようとした。
そのとき――思い出した。
倒した呪霊。
スーツミイラ呪霊と、スマホ型呪霊。
二体とも、すでに輪郭がほどけ始めている。残穢になりかけている。
放っておけば霧散して、俺の栄養にならずに消える。
(……喰う!)
俺は慌てて駆け寄った。
ミイラ呪霊の包帯が裂け、黒い血の染みが空気に溶けていく。
スマホ型呪霊は、割れた画面に顔がちらつき、ノイズのように消えかけている。
俺は、迷わず喰った。
まずスマホ型から。
口を開き、画面の部分に歯を絡ませて引き剥がす。
そして飲み込む。
――熱い。
甘いだけじゃない。
耳の奥に、怒声が残る。
誰かの怒鳴り声。責め立てる声。罵倒。叱責。
画面越しに浴びせられる言葉の暴力。
それが味になって、舌のない口の奥を焼く。
(うま……!)
俺は目を見開いた。
美味い。
嫌な味なのに、美味い。
恐怖と羞恥と硬直が絡まった味が、癖になる。
次に、スーツミイラ呪霊。
包帯の隙間から漏れる乾いた匂い。
謝罪。
後悔。
“自分が悪い”という呪い。
俺はその核へ噛みついた。
――甘い。
だがその甘さの奥に、苦い粉が混じっている。
胃の底に沈むような自己否定。
胸を潰すような自己嫌悪。
思い出したくない負の記憶が、強制的に引きずり出される痛み。
頭痛の味。
涙の塩味。
そして、その全部を飲み込んだ末に残る“諦め”の乾き。
(……すげぇ)
俺は、感動すら覚えた。
今までの呪霊は、基本的に“甘い”だけだった。呪力の濃さの違いはあっても、味の方向は似ている。
でも術式持ちは違う。
術式の元になった感情が、味としてはっきり残る。
甘いのに苦い。
濃いのに刺さる。
食べた瞬間、頭の中に景色が走る。
(これが……術式持ちの呪霊)
俺の体の内側に、力がみなぎる。
呪力量が増えるだけじゃない。
呪力の“使い方”が広がる感覚がある。
腐食の靄が、より繊細に操れる。膜が薄く均一になり、刃にも鎧にも変わりやすい。
身体能力も底上げされる。脚が軽い。視界が明瞭だ。
世界が少し近く感じる。
老人呪霊が、ドン引きした声を出した。
「…お前さん、やけに呪霊を……美味そうに喰うな…」
「呪霊なんざ、美味いもんでもねぇだろ……普通……」
俺は口元を拭いながら答えた。
「……うまい、ぞ」
感情を込めた一言。
それだけで、老人呪霊がさらに引いた顔になる。
俺の中の感動が落ち着き、体内の熱が均されていく頃――視界の端に、まだ残っているものがあった。
スーツ男。
公園の広場の端で、うずくまっていた。
ミイラ呪霊の術式を何度も受けたせいで、まだ身体の震えが完全には収まっていない。
肩が小刻みに揺れ、手が地面を掴む力が弱い。
それでも、少しずつ呼吸は深くなっている。
(……こいつ、どうすれば)
俺は一瞬、どう扱っていいか分からなくなった。
食えばいい?
人間は食わない。食いたくない。
放置すればいい?
放置すれば、勝手にどこかへ行くだろう。
だが、今は立ち上がる力がないように見える。
そこへ、老人呪霊が近づいていった。
小さな足取りで、男の隣へ。
そして、男の肩に手を置いた。
慰めるように。
励ますように。
その仕草が、意外すぎて俺は瞬いた。
変態趣味の小物が、今さら何を――と思ったが、老人呪霊の目は笑っていなかった。
男の肩が、ゆっくりと落ち着く。
呼吸が整う。
そして男は、ふらりと立ち上がった。
足取りはまだ不安定だ。
だが、さっきの千鳥足とは違う。
今度は目的がある歩き方だ。
男は広場の反対側の端の公衆トイレへ向かっていった。
(……術式?)
俺は老人呪霊に問いかけた。
「いま、なにした」
老人呪霊は、男の背中を見送ったまま、ぽつりと言った。
「……少しだけな」
「美女以外に使うのは癪だがよ……」
そして、しみじみと続ける。
「辛いときこそ腹の中スッキリさせて、前を向くしかねぇんだよ」
「俺は背中を押しただけだ」
その口調が、妙に人間くさい。
どこかで同じことを言ったことがあるみたいな響き。
俺は、さっきの罪悪感とは別の違和感を覚えた。
(こいつ……何かあったのか)
老人呪霊が、ふっと踵を返した。
そのまま、さりげなく去ろうとする。
勝手に“いい話”で終わらせようとしている。
俺は、反射で動いた。
「……いや、にがすわけ、ないだろ」
首根っこをひっつかんで、持ち上げる。
老人呪霊が喚いた。
「いい流れだっただろ!? なぁ!? 今の、ちょっと感動する感じだっただろ!? やめろ! 首が! 首が伸びる!!」
俺は無表情で言った。
「おまえ、にはまだ、つみが、ある」
老人呪霊が、ぶら下がったまま口を尖らせる。
「……ちぇっ」
その情けない声を聞いて、俺は少しだけ笑いそうになった。
§
ファミレスの中は、明るすぎるくらい明るかった。
昼の光と店内の照明が重なって、テーブルの木目がはっきり見える。
天井から流れるBGMは、無難で、誰の感情にも触れないように作られている。
ドリンクバーの氷が落ちる音。食器が重なる音。店員の「いらっしゃいませ」の声。
すべてが“平和”の形をしていた。
俺は人間形態に戻り、フードをかぶったまま席に座っていた。
目の前に置かれた水のグラスが、やけに透明に見える。
老人呪霊は、俺の向かいの席に座っている。
人間には見えないが、俺には見える。
小さな体で腕を組み、偉そうに足をぶらぶらさせていた。
俺はメニューを見て、指差しで注文した。
チーズインハンバーグ。
注文した瞬間から、妙に落ち着かない。
手がテーブルの端をなぞり、視線が厨房の方へ何度も行く。
早く来い。
まだか。
いつ来る。
そんな焦りが、胸の奥で小さく跳ねる。
老人呪霊が呆れた声を出した。
「人間の子供かお前は!」
「さっきからソワソワしやがって!」
俺は無視して、話を切り出した。
「……なぜ、俺を助けた?」
老人呪霊が目を細める。
「無視かよ……」
「……まぁいい」
老人呪霊は小さく咳払いしてから、ゆっくり語り始めた。
「昔な……俺は、人間と呪霊が共存できるって夢見てたんだよ」
「人間の負の感情から生まれるのが俺らだろ? なら、人間と俺らは切っても切れねぇ」
「だったら、うまく折り合いつけて生きる道もあるんじゃねぇかってな」
俺は黙って聞いた。
ドリンクバーの機械音が、話の間を埋める。
老人呪霊の声は、意外と落ち着いていた。
変態趣味の時の下卑た響きが薄い。
「でもよ……」
老人呪霊は少しだけ視線を落とした。
「人間を知れば知るほど、呪霊を知れば知るほど……それが夢でしかねぇって分かってくる」
「人間は俺らを祓う。俺らは人間を喰う」
「綺麗事じゃどうにもならねぇ。そんな当たり前のことが、分かってくる」
「そのうち、夢のことも忘れちまった」
そこで老人呪霊は、俺の方を見た。
「でも、お前さんを見て……思い出した」
「呪霊なのに、理性的で」
「人間を助けようとする」
「……しかも、人間から呪霊に変わると来た、正直ビビったぜ」
「お前さんは変だ。変だけど……その変さが、昔の俺を引っ張り出したんだよ」
俺は、その話を聞きながら――ハンバーグを待っていた。
厨房の方が気になる。
腹が空いているわけじゃない。
でも、牛丼の時と同じで、人間の食い物は俺の中の何かを変に刺激する。
“幸福”という感情を、思い出させる。
料理が来た。
鉄板の上で、チーズがとろける。
肉の匂い。焦げた香ばしさ。ソースの酸味。
俺の目が少しだけ開く。
俺は一口食べた。
(……うま)
チーズが重い。肉が熱い。ソースが濃い。
呪霊の味とは違うのに、満足感がある。
俺は黙々と食べ続けた。
老人呪霊が喚く。
「おい! 話聞け! 俺の感動的な過去語りの最中だぞ!?」
「返事くらいしろ!」
俺は口を動かしながら、ちゃんと聞いていた。
ただ、返事をするタイミングが分からなかった。
話が重い。
そして俺の中に、“それに応えるだけの言葉”がない。
だから――俺は別の言葉を出した。
「……悪かった」
老人呪霊が一瞬、止まった。
俺は続けた。
「お前は弱くて、変態趣味で、その趣味を満たすために人間を使うだけの悪だと思っていた。謝罪する」
「……あと、あの壺、割らせてしまった。すまない」
言ってしまってから、妙に恥ずかしくなった。
視線を皿に落とし、チーズをすくって口に運ぶ。
謝罪の味は、チーズより苦い。
老人呪霊は、しばらく黙っていた。
そして、ぷいっと顔を背けるような仕草をして言った。
「……いいってことよ」
「別に、照れてねぇし」
照れている。
分かりやすい。
能面みたいな顔なのに、声が照れている。
老人呪霊は、続けて言った。
「それにあの壺はな、土と水と呪力がありゃ、すぐ作れる」
「だから気にすんな」
俺はフォークを止めた。
「……は?」
想像していたのは違う。
あの壺は呪霊としての核に関わる重要なもので、壺が壊れたら弱体化するとか、存在が不安定になるとか。
そういう“存在意義めいた重要アイテム”だと思っていた。
それが、土と水で作れる?
俺の顔が引きつったのを見て、老人呪霊は鼻で笑った。
「なんだよ、そんな大層なもんだと思ってたのか?」
「ただの道具だ。趣味の道具」
俺の中の罪悪感が、すっと冷えた。
(……謝って損した)
俺はぼそりと言った。
「……やっぱお前、悪だな」
老人呪霊がまた喚く。
「おい!? 今の謝罪返せ!!」
「人間みてぇに手のひら返すな!!」
俺は無視して、ハンバーグを食べ切った。
腹の底が熱い。
幸福に近い熱。
会計を済ませ、店を出る。
外の空気が少し冷たい。
昼の新宿の匂いが戻ってくる。
排気と人の匂い。遠くの工事の音。
俺は老人呪霊に言った。
「……もう、女に変なことするなよ」
老人呪霊は腕を組み、ふん、と鼻を鳴らした。
「言われなくても分かってる……と言いたいが」
「……俺はお前さんについていく」
俺は立ち止まった。
「……は?」
老人呪霊は、妙に真面目な声で言った。
「お前さんは、どこか危なっかしい」
「誰かが付いてなくちゃならねぇ」
「それに、俺はこの街の呪霊事情に詳しい。どこにどんな呪霊がいるか、教えてやれる」
「……お前さんが呪霊を喰うのが好きだって、今日分かったしな」
俺は、嫌そうな顔をした。
正直、こいつは面倒だ。
口がうるさい。嗜好が汚い。信用できない。
でも――情報は欲しい。
都心の広さは、廃ビルの比じゃない。強い獲物を探すには、土地勘が要る。
それに、放っておいたらまた電車で変なことをするかもしれない。
それを考えると、連れていた方がまだマシだ。
(……監視だ)
俺は自分に言い訳した。
「……分かった」
そして、姿勢を低くして手を差し出した。
老人呪霊が驚いたように目を丸くして、次ににやりと笑う。
「お、握手か?」
「呪霊同士で握手なんざ、初めてだな」
老人呪霊の手は、意外と温かった。
温いというより、ぬるい。土の匂いが少しする。
その瞬間、老人呪霊がふと真顔になって聞いた。
「……で、お前さん」
「目的は何だ?」
俺は一瞬だけ黙った。
自分の目的を言葉にすると、妙に幼稚に聞こえる気がした。
でも、隠す必要もない。
俺は胸の奥の熱を思い出した。黒閃の瞬間の実感。呪霊を喰った時の感動。
強くなることが、今の俺の生き方だ。
俺は答えた。
「俺は……呪霊の王に、なりたいんだ」
老人呪霊が、しばらく俺を見つめた。
能面みたいな顔が、今は笑っているようにも、驚いているようにも見えた。
そして、ゆっくりと笑った。
「……いいねぇ」
「無茶だが、面白ぇ…!」
新宿の昼の風が、二人の間を抜けた。
俺の外套が揺れる。
老人呪霊の白髭が揺れる。
この街で、俺はもっと喰う。
もっと強くなる。
そして、その先で――本当に“王”になれるのか、確かめる。
じっくり書きすぎてテンポ悪いかも。でも糞爺を仲間にするんだからこれぐらい必要だよね。ちなみにアンケートであまりにも糞爺が嫌われていたら、敵にするつもりでした(原作突入前の大ボス的な感じで)。
オリジナル呪霊紹介
スーツミイラ呪霊
アイデア元:"mirusenn"さん
会社に行きたく無い、と言う感情から生まれた呪霊
・外見は服装だけは一部の隙もないキッチリしたサラリーマンだが、それを着ているのは血の涙を流すグズグズに腐ったミイラ。鞄には複数の人型のストラップが吊るされている。常に電話をしながら歩いていて、頻繁に頭を下げるような動作をする。電話からは聞き取れない怒鳴り声が漏れており、その声が時折大音量になる。それを聞いた人間に自死衝動を抱かせ、死んだ場合は鞄のストラップが1つ増える
・パワハラで病んで飛び込んだサラリーマンの呪詛が核。何年も通勤ラッシュの悪感情を吸い、電車に乗って駅から駅に移動しながら被害をまき散らしていた。自分が怒鳴られると相手の強さに関係無くビクッと数秒硬直する
都会といえばみたいな呪霊。かなり書いてて面白かったです。
術式を「ぺこりと頭を下げることで、頭を下げた対象の負の記憶を呼び覚まし、自己嫌悪と自己否定と激しい頭痛を引き起こす術式」に変えました(さすがに強すぎたため)。また、最近産まれたという設定に変えました(あまりにも犠牲者が増えると呪術高専が対応すると考えたので)。