プロットもなにも用意せず始めてしまったので、激悩み中です(こんな人気出ると思ってなかった)。
第二十二話:北へ
夜の風は、冷たい。
新宿を離れて空へ飛び出した時、俺はその冷たさを“快い”と感じていた。さっきまでの空き地──特級の圧が残したねっとりした空気から解放されて、肺の奥が久しぶりに軽くなった気がしたからだ。
だが、その快さは長く続かなかった。
落ち武者呪霊の術式を使って夜空へ加速した瞬間、確かに気持ちよく抜けた。世界が下へ落ちる感覚、風が線になる感覚、ビルの灯りが流れていく感覚──あれは、強さの実感に直結する。
しかし。
燃費が悪い。
術式の“効果”は凄かったのに、呪力の“喰われ方”が嫌に露骨だった。呪力が、食いちぎられるみたいに持っていかれる。加速の快感の裏で、腹の底が急に空になる感覚がある。
そして、糞爺がうるさい。
あいつの断末魔は飛行中ずっと続く。空を飛ぶたびに首根っこを掴まれるせいで、今度は「首が伸びる!ろくろ首になる!」とか「俺の首はゴムじゃねぇ!」とか、妙に具体的な恐怖を叫ぶ。夜空に響く老人の絶叫……いや、あいつは口調が完全におっさんだが、とにかく、叫び声がうるさい。
結局。
俺は、新宿に来たときと同じ方法を選んだ。
電車の上。
屋根に乗って移動する。
風の抵抗はあるが、呪力はほとんど消費しない。何より、騒音に紛れられる。人間の目線から外れる。街灯の光が時々屋根を掃き、ビルの影が流れるだけで、俺たちは“ただの影”として夜を滑っていける。
俺は電車の屋根にしゃがみ、糞爺の首根っこを軽く掴んだまま、バランスを取っていた。
電車の屋根は微妙に丸い。金属の冷たさが掌に伝わる。走行風が衣服のない呪霊の身体を舐め、靄を揺らし、羽根の隙間を抜けていく。下の車輪がレールを噛む音が、振動として骨に響いた。
街は流れていく。
窓の灯りが連なり、道路のヘッドライトが白い線になり、信号の赤が一瞬だけ視界の端に刺さる。夜の住宅地は静かで、時々、コンビニの明かりだけがぽつんと浮いている。川を渡る時は、黒い水面が街の光をちぎって流していた。
糞爺は、電車の上から見る景色が珍しいのか、落ち着かない様子で外を眺めていた。
「すげぇな……こんな上、普通の人間じゃ無理だろ」
「にんげんは、やらない」
「だよなぁ……いやでも、なんかこう……見える景色が違うっていうかよ」
糞爺は言いながら、時折、自分の首を触って確認している。
空を飛ぶ時に何度も首根っこを掴まれているせいで、伸びていないか気になるらしい。呪霊なのに妙に繊細だ。
俺はそんな糞爺を半分無視して、さっきまで使っていた術式について考えていた。
落ち武者呪霊の術式。
“自身に対して指定した方向への加速度を付与する”。
使った瞬間の感覚はシンプルだ。方向を決めて、呪力を叩き込む。身体がその方向へ引っ張られる。筋肉の力ではなく、世界そのものが身体を押し出すような感覚になる。
だが、制限が露骨だった。
効果時間は長くても一秒くらいが限界。
一秒を越えて使おうとすると、呪力消費量が跳ね上がる。崖から落ちるみたいに、急激に持っていかれる。そこに踏み込んだ瞬間、腹の底に穴が空く。
さらに、一度使ったら五秒ほどクールタイムが必要だ。
連続で使おうとすると、やはり呪力消費量が爆発する。術式そのものが“連打”を嫌っている。あるいは、術式の形がそもそも違うのかもしれない。
落ち武者呪霊の核が持っていた“気づいた時には手遅れ”という恐怖の構造が、一撃必殺に特化しているせいで、短く鋭い加速しか許容しないのだろう。
結論。
長距離移動には向かない。
たとえ上記のルールに則った使い方でも、かなり呪力量を消費する。戦闘で使うなら有効だ。局所的に距離を詰める、避ける、角度を変える。そういう用途なら、強烈な武器になる。
だが、移動で常用するのは愚かだ。
俺は思考を終え、糞爺の方を見た。
糞爺は外を眺めるのをやめ、珍しく真剣な顔で俺を見ていた。
「なぁ、新宿離れるのは賛成だ」
糞爺は風に声を飛ばされないよう少し大きめに言う。
「けどよ、どこへ向かうんだ? あてはあるのか?」
俺は少しだけ間を置いた。
夜の風が頬を撫で、遠くの街灯が一瞬だけ俺の影を伸ばす。屋根の上で言葉を選ぶのは、妙に落ち着かない。落ち着かないが、言うべきだと判断した。
「なんとなく、ある」
「なんとなくって……」
糞爺が眉をひそめる。
俺は視線を前へ向けたまま答えた。
「せんだいにある、すくなのゆび、だ」
糞爺が一瞬、言葉を失った。
「……は?」
「すくなのゆび。とっきゅうじゅぶつ」
俺が淡々と言うと、糞爺は少し遅れて反応した。
「おいおいおい、待て。なんでお前、そんなもん知ってんだよ」
当然の疑問だ。
宿儺の指は、呪術界の中でも特別な“汚れた宝”だ。強力な呪いを孕み、呪霊を寄せ付けない厄除けでもある。
計20本の宿儺の指は、長い年月によってその大半が行方不明となっている。
だが俺は知っている。
前世の原作知識で。
虎杖悠仁が通う仙台の高校の百葉箱に、宿儺の指がある。あれは物語の起点で、作品の鍵だ。
俺はそれを、喰いたかった。
両面宿儺ほどの存在の一部なら、かなりの力を得られるだろう。呪霊王へ近づく。さらに、羂索の計画にヒビを入れることもできる。
呪物はまだ食ったことがない。
だが、試す価値はある。
糞爺は食い下がる。
「なんで仙台にあるって分かるんだよ。普通、知らねぇだろ」
俺は口の端だけで笑って、冗談めかして言った。
「ぜんせのきおく、だ」
糞爺は、すぐに笑わなかった。
目を細めて、俺の顔をじっと見る。電車の振動で体が揺れているのに、視線だけはぶれない。
「……嘘じゃないな」
俺の腹の底が、ほんの少しだけ冷えた。
糞爺は続ける。
「けど、本当のことは言ってねぇ。そういう顔してる」
見抜かれた。
俺は内心でドキリとする。
こいつ、普段はくだらないことばかり言ってるのに、変なところで鋭い。いや、もしかすると、鋭いからこそくだらないふりをしているのか。
俺は視線を逸らさずに答えた。
「……いつかぜんぶ、いう」
糞爺は鼻で笑った。
「おう、待ってるぜ」
そして次の瞬間、急に声の調子が軽くなる。
「なぁ、それとは別にさ。俺の首、伸びてないか確認してくれないか?」
さっきまでの真剣さはどこへ行った。
俺は力が抜けた。
「じぶんで、さわってただろ」
「いや、触ってるだけじゃ分かんねぇだろ! 見た目が大事なんだよ! こーゆーのは!」
「……のびてないぞ」
俺は冷たく言い捨て、糞爺の首を適当に一瞥した。伸びてない。多分。
糞爺はそれだけで少し安心したように息を吐き、また外の景色を眺め始めた。
夜の電車は進む。
俺は屋根の上で、次の場所を思い描いた。
仙台の高校。
そこにある、百葉箱。
宿儺の指。
その言葉を頭の中で転がすたびに、腹の底が微かに甘くなる気がした。
§
朝が来た。
夜が薄まり、空が灰色から青へ移っていく。街の輪郭がはっきりして、窓の灯りが消えていく。人間たちが起きる時間だ。
俺たちは電車を乗り継いだ。
中ではなく、上をだ。
屋根から屋根へ。停車するたびに飛び移り、走り出すたびに身を低くして耐える。風が冷え、日差しが皮膚を刺す。新宿の夜とは違う種類の不快さがある。
だが、移動はできる。
そしてついに──仙台へ到着した。
仙台の朝は、東京より空が少し広く感じた。
建物の密度が違う。空の切れ方が違う。光が地面へ落ちる角度が違う。駅周辺は人が多いが、東京の“圧”とは別の、少し余白のある賑わいがある。
空気も違う。
海が近いせいか、わずかに湿り気がある。冷たさの中に柔らかさが混じる。鼻の奥に入る匂いが、東京ほど雑多じゃない。いや、雑多ではあるが、濁っていない。
電車の屋根から見下ろす街は、朝日に照らされて淡く光っていた。
糞爺は尻を押さえながら喚いている。
「痛ぇ! 尻が痛ぇ! 何なんだよこの移動! 俺、もう座れねぇぞ!」
俺は例のごとく無視した。
無視しながら、駅近くの建物の影に降り、そこで人間形態へ移る。
このまま虎杖悠仁が在籍する高校を探すため、聞き込みから始めるつもりだったが、糞爺が横から口を挟んできた。
「その姿、やめといた方がいいぞ」
「…何故?」
俺が問い返すと、糞爺は肩をすくめる。
「俺の好みからは外れたが、世の人間どもはそっちの方が好みだろうぜ」
意味が分からない。
俺は一瞬、思考が止まった。
“そっち”って何だ。俺は人間形態になっただけだ。フードを被るかどうかの話か? それとも──
困惑していると、背後から声がかかった。
「すみませーん!」
明るい声。
振り向くと、複数の女子高生らしき存在がいた。制服。リュック。髪が揺れ、朝の光を弾く。登校中なのだろう。集団で歩いている。
彼女たちはスマホを手にして、目を輝かせていた。
「今撮影中ですかー?」
「え、コスプレ? 映画? ドラマ?」
「何の話だ…?」
俺が思わず返答すると──声が出た瞬間、女子高生たちがキャーキャーと騒ぎ出した。
「声もカッコいい!」
「え、やば! 有名人かも!」
「写真いいですか!? ねえねえ!」
困惑が一気に膨らむ。
俺は反射で距離を取ろうとした。だが、彼女たちは悪意がない。ただ興奮しているだけだ。触れてくるわけでもない。怖がっているわけでもない。むしろ好意的だ。
その状況が、逆に気持ち悪い。
俺はふと、近くの窓ガラスへ視線を向けた。
窓に映った“俺”を確認するためだ。
そこにいたのは──以前見た人間形態よりも背が高い存在だった。
前と同じ、黒髪、黒目。
顔立ちは整いすぎている。作り物めいた美しさがある。頬の線が滑らかで、顎の角度が無駄に綺麗だ。目は冷たく澄んでいて、まるで夜の水面みたいに光を吸う。
絶世の美青年。
人間が“理想”として描く造形に寄りすぎている。現実の人間にいる美しさじゃない。何かが、均一すぎる。
俺は窓に映る自分を見ながら、内心で思った。
……糞爺の言っていた“そっち”は、これか。
そして、今さら気づく。
この姿で街を歩けば、目立つ。
呪術師に見つかるとか以前に、人間に囲まれる。
俺は、静かに息を吐いた。
仙台は、思った以上に面倒な朝を用意していた。
原作に積極的に関わらせたほうが書きやすいんですが…どうするか…。
あ、主人公くんはたくさん呪霊を食べて成長したので、人間形態も大人になりました。