呪術廻戦読み直してますが面白いですねぇ。死滅回遊編のアニメも楽しみ。
宮城県立杉沢台三高校。
朝の登校時間帯。
正門から校舎へ向かう道には生徒が溢れていた。制服の擦れる音、ローファーが地面を踏む乾いた音、笑い声、軽口、寝起きのくぐもった挨拶。自転車のベルが短く鳴り、誰かが「急げよ!」と声を上げる。春先の空気はまだ冷えているのに、人の熱がそこだけ薄く立ち上っている。
校舎の窓は朝日を反射して眩しい。グラウンドには昨夜の露が残り、土の色が少し濃い。体育館の壁は白く、影がくっきりと落ちている。部活の朝練らしき掛け声が遠くで跳ね、笛の音が一度だけ短く響いた。
平和だ。
表面だけ見れば、どこにでもある高校の朝。
なのに──敷地の外れだけ、空気が違った。
校舎から少し離れたその一角は、誰も近寄らない。いや、正確には“近寄りたくない”と感じさせる。理由が説明できないのに、足が勝手に避けるような場所。人間が持つ薄い呪力の感覚が、無意識に危険を察して道を逸らしている。
風が抜けても冷たさが違う。
鳥の声がそこだけ途切れる。
光の色が、ほんのわずかに鈍い。
空気が湿っているわけでもないのに、喉の奥に苦味が張り付くような感覚がある。近づくほど、胸の奥が重くなり、呼吸が浅くなる。
皮膚の表面に細かい砂を撒かれたみたいに、ぞわぞわとした不快感が広がっていく。
異様な空気。
それが、百葉箱の周囲に溜まっていた。
そして、その中心に――巨木呪霊がいた。
いや、“いた”というより、“現れた”。唐突に、まるで最初からそこに根を張っていたかのように出現し、百葉箱を覆うように立ち塞がっている。
糞爺は一目で固まった。
「あ、……何だこりゃ……でけぇ……」
声が震える。いつもなら喚き散らすくせに、今は唾を飲み込む音すら大きく感じるほど静かだ。
俺は反射的に観察を始めた。
巨木の幹は太い。何人で抱えても回りきれないほどの太さがある。樹皮は黒ずんで硬く、ところどころに裂け目が走っている。
幹には御神木のようにしめ縄が巻かれていた。縄は白くはなく、古い汚れた麻の色で、紙垂がぶら下がっている。紙垂の端は黒く焦げたように変色していて、揺れるたびに微細な呪力の粉が落ちる。
枝は枯れている。
一切の葉がない。枯れ枝が青空を覆い尽くすように広がり、蜘蛛の巣みたいに細い枝が複雑に絡み合っている。枝先は尖り、空を刺し、影を地面に落としていた。その影が不自然に濃く、まるで影だけが実体を持っているみたいに揺れる。
百葉箱は、巨木の中に飲み込まれた。
つまり、宿儺の指を手に入れるには、この巨木を祓わなければならない。
羂索がなにかしらの対策を用意しているかもしれない。
俺はそう思っていたはずなのに、目の前の存在の圧は想像を超えていた。
とてつもない呪力の圧。
息が詰まる。胸が押し潰されそうになる。皮膚の上を、見えない重石が滑っていくみたいだ。巨木が何もしていないのに、周囲の呪力の流れが乱れ、地面が微かに震えている気がする。
おそらく、特級。
そう判断した瞬間、背中の羽が勝手に広がりかけた。逃げるための本能が、先に身体を動かそうとする。だが俺はそれをねじ伏せる。
逃げる前に、まず自分の力が通じるか試す。
相手がどんな術式を持つか分からない。
なら、行動する暇を与えるな。
先手必勝。
これで仕留められないとしても、連撃で確実に削る。術式を発動する前に壊せばいい。呪霊は核を潰されれば終わる。特級でも、理屈は同じ──と、そう信じたかった。
俺は落ち武者呪霊の術式を使った。
指定した方向へ加速度を付与する。
指定する方向は目の前。
巨木へ。
身体が弾ける。
世界が伸びる。
姿が消えるほど速くなる。
そして俺は、腐食の呪力を全力で腕に纏わせ、一撃を叩き込んだ。
──手応え。
鋼を殴ったみたいな、硬い衝撃が腕に返ってくる。
腐食の呪力は確かに触れている。溶かしている感覚がある。なのに、溶けない。皮膚の上で腐食が滑って弾かれていく。幹の表面が、まるで腐食を“拒絶”しているみたいだった。
ダメージが入っていない。
それが、手応えだけで分かった。
俺は即座に連撃へ移る。
腐食を叩き込む。叩き込む。叩き込む。
拳、肘、掌、爪。
軌道を変えて、角度を変えて、深く食い込ませるように当てる。腐食が幹の表面に黒い泡を作り、じゅう、と嫌な音を立てる。
だが──
巨木は微動だにしない。
腐食の泡が消える。痕が残らない。俺の呪力だけが削れていく。
焦りが、胃の底に落ちた。
(物理攻撃が通用しないなら…!)
俺は深く頭を下げた。
スーツミイラ呪霊の術式。
相手の負の記憶を呼び覚まし、自己嫌悪と自己否定、そして激しい頭痛を引き起こす。
精神攻撃だ。
たとえ木でも呪霊なら何かしらの“核”がある。怨念がある。なら、揺さぶれる──はずだ。
術式が走る。
俺の呪力が相手の内側へ潜り込もうとする。
……しかし。
(嘘だろ…)
効いている気配がない。
抵抗がない。苦しみもない。揺れもない。
反応が、ない。
まるで、何もない壁に拳を打ち込んだみたいな虚しさだけが返ってくる。
木だから精神などないのか。
それとも、呪力量の差で弾かれているのか。
どちらにせよ、俺の切れる手札は意味をなさない。
スマホ型呪霊の硬直術式もあるにはある。
だが、そもそも動かない“木”相手に硬直を与えても意味がない。動きを止めることで脅威が減る相手じゃない。
俺は歯を食いしばった。
このままでは──
その時。
巨木の幹が、バキリと縦に裂けた。
樹皮が割れ、裂け目が口のように開き、その奥から人間の瞳孔を思わせる黒い目が覗いた。
目。
木の幹に目がある。
それだけで、俺の本能が拒絶した。
ありえない、という感情が恐怖へ直結する。理屈が追いつかない。理解できないものは怖い。既に俺はそれを何度も経験しているはずなのに、特級の“目”は質が違った。
あの目は、俺を見ている。
見ているというより、測っている。値踏みしている。虫を見るみたいに淡々としている。
本能的な恐怖が背骨を走った瞬間──首に縄が巻き付いた。
冷たい気配。
ざらりとした麻の感触。
そして、縄が動く。
上へ。
強引に引っ張り上げられる。
喉が締まる。視界が揺れる。足が地面から離れる。
俺は慌てて縄を掴んだ。
縄を解こうとする。
だが、縄は頑丈だった。力を込めても簡単には解けない。しかも触れていると呪力が乱される。指先に走る痺れが、呪力の流れをぐちゃぐちゃにする。腐食を纏わせようとしても、呪力が散って形にならない。
厄介すぎる。
俺は無理やり縄を引き裂いた。
繊維が千切れ、首が解放される。喉が焼けるように痛む感覚が残る。
その瞬間、横で糞爺が引っ張り上げられているのが見えた。
糞爺の首にも縄。
糞爺は抵抗できない。
力が弱い。呪力も乱されている。足をバタつかせているが、空を蹴るだけで何も変わらない。
「お、おい……! やべぇ……!」
声が掠れている。
俺は急いで糞爺の縄へ飛びついた。
爪で切るため、腐食を乗せる。だが乱れる呪力のせいで腐食が安定しない。焦りで手が滑る。
それでも、何度か引っ掻いて、ようやく縄を切断した。
糞爺の身体が落ちてくる。
俺はそれを抱きかかえた。
糞爺はぐったりとしている。呪力が乱された影響か、目の焦点が合っていない。呼吸も浅い。口を開けても声にならない。
俺は状況を理解した。
これは、勝てない。
俺の手札のすべてが意味をなさない。
逃げるしかない。
俺は糞爺を抱えたまま走り出した。
地面を蹴り、校舎とは逆方向へ。生徒たちの気配がある場所へは行けない。かろうじて理性を働かせ、人のいない方へ逃げる。
──その瞬間。
世界が歪んだ。
(……は?)
転移。
まるで瞬間移動したかのように、俺は巨木の前へ引き戻されていた。
視界が一気に変わる。さっきまで遠ざかっていた幹が目の前にある。黒い目が、俺を見ている。
同時に、首へ縄。
糞爺の首にも縄。
俺は咄嗟に縄を掴み、引き裂こうとする。
……強い。
さっきよりも頑丈になっている。
繊維が太くなったような感触。引っ張っても裂けない。呪力の乱れも強い。触れた瞬間に指先の感覚が鈍り、呪力の流れがぐにゃりと曲がる。
それでも、歯を食いしばってちぎった。
首が解放され、喉が痛む。糞爺の縄も切断する。今度はさらに苦労した。糞爺の身体がぐったりして、抱え直すのも難しい。
その時、俺は何となく悟った。
相手の能力。
首を縄でくくる。
逃げた敵を自分の前まで転移させる。
そして縄は次第に頑丈になっていく。
そういう術式だ。
逃げれば逃げるほど、首輪は強くなる。抵抗すれば抵抗するほど、締め付けは増す。まるで首吊りの恐怖を増幅させる呪いだ。
俺は巨木の目を見た。
ぞわりと肌が泡立つ。
あの目には、感情がない。怒りもない。楽しみもない。ただ、淡々と“縛る”ためだけに存在している。
改めて、俺は全力で逃げると決めた。
糞爺の身体を抱きかかえたまま、落ち武者呪霊の術式を使う。
巨木とは反対方向へ加速度を付与。
走る。
当然、転移する。
巨木の前へ引き戻される。
構わず、また加速。
また走る。
また転移。
加速。
転移。
加速。
転移。
俺は術式を使い続けた。
本来なら、この術式は一秒が限界だ。ただでさえ燃費の悪い術式だが、
分かっている。
分かっているが、無視するしかない。
一秒を超えた瞬間から、呪力が凄まじい勢いで減っていくのを実感した。
腹の底が空になる。
骨の中を風が抜ける。
羽根が重くなる。
視界の色が薄くなる。
それでも、俺は止めなかった。
およそ四秒間。
術式を使い続けた。
都合七度の転移。
七回、巨木の前へ戻され、そのたびに縄が迫り、そのたびに身体をねじって避け、速度でちぎり、逃げる。
そして──ついに。
転移が起こらなかった。
空気の圧が薄れた。
巨木の呪力の濃さが、背後へ遠のいた。
術式範囲を抜けた。
逃走に成功した。
俺はそのまま羽を広げ、空へ跳んだ。
飛ぶ。
飛ぶ。
何も考えず、ただ距離を稼ぐ。
学校も、街も、全てを置き去りにする。
背後に巨木の気配が追ってこないことだけを確認しながら、俺は朝の空を裂いた。
§
杉沢台三高校から遠く離れた、仙台の外れの山奥。
そこに、俺は落ちるように着地した。
膝が砕けそうになる。地面の土が跳ね、枯葉が舞う。呼吸が荒い。喉が痛い。首を絞められた感覚が残っていて、息を吸うたびに内側が擦れるみたいに痛む。
残りの呪力は──一割もない。
本当にギリギリだった。
俺は糞爺を降ろす。
糞爺は地面に転がり、肩を上下させるだけで声が出ない。目を開けても焦点が合わず、口を動かしても音にならない。呪力の乱れとあまりの速度に、芯が揺さぶられたのだろう。
俺はその隣に倒れ込んだ。
背中が地面につく。土の冷たさが呪霊形態の外骨格を通して広がる。空が見える。木の枝が揺れている。鳥の声が遠くで鳴く。さっきの高校とは別世界みたいに、静かだ。
生き残れた。
そう思った瞬間、胸の奥に熱が湧いた。
だが、その熱はすぐに──殺意へ変わった。
自分への殺意。
安易に宿儺の指を食おうと仙台へ向かった短慮。
羂索の対策を甘く見て、何の考えもなく食えると思った慢心。
そして、自分だけじゃなく、糞爺──"仲間"の命まで危険にさらしたこと。
俺の中で、怒りが黒く沸騰する。
逃げられたのは運が良かっただけだ。あと少し、術式範囲が広かったら。あと少し、縄が強くなるのが早かったら。あと少し、俺の呪力量が少なかったら。
糞爺も俺も、死んでいた。
それを想像しただけで、胃の底がひっくり返りそうになる。
俺は地面を殴りつけた。
土が抉れ、拳が痛む。痛みがあるのに、気持ちは少しも晴れない。
「クソがっ……!」
声が漏れた。
冷たい空気に、吐き捨てた言葉が白く散る。
俺は地面を睨みながら、息を荒くし、胸の奥の黒い熱が消えないまま、ただ歯を食いしばっていた。
羂索が用意した守護者なんだから、そりゃヤバいよね。
オリジナル呪霊紹介
巨木呪霊
【特級呪霊 縊木(くびき)】
(アイデア元:"ヒメコロノミコン"さん)
見た目:枯れ木の大樹のような見た目。幹にはしめ縄が巻かれている。幹はひび割れている場所もあり、その中でも特に大きいヒビからは黒い瞳が見える。
背景:首を吊って自殺した人、さらし者として木に吊り下げられた人、首を括って処刑された人などの悲壮、怨念、怒り、恐怖、恨みなどから生まれた。元となったのはとある逸話のある木。
逸話:ある時、悪政を敷く貴族がいた。その貴族は気に入らない人物や、死んでも心配するような人物がいない身分のものを、女子供関係なく庭の一本の大樹に首を括らせて殺すことを楽しんでいた。犠牲者が300人を超えた頃、その貴族は反乱を起こされ、最後は自らその木に首を括って自殺した。
術式:『永劫縊死』
敵対者に対して縄を首に巻き、吊り上げる術式。首が存在しない対象であっても、首に相当する部分を作り出され縊られる。縊られてから15秒が経過すると対象は死に至る。
縄は解かれるたびに強化されていく。また、縄には呪力を乱す効果も付与されており、呪力操作や術式の使用が上手くできなくなる。
また、敵対者が自身の術式効果範囲から抜けようとした時、強制的に自身の目の前まで転移させる事ができる。目の前以外には転移させられない。
戦闘スタイル:木の呪霊という特異な存在(花御も木がモチーフだが、こちらは完全に木)。その特性上、自らは一切動くことが出来ない(手印を結ぶこともできず、呪詞を詠唱することもできないため、領域展開はできない)ため、必然的に待ち伏せの戦闘スタイルとなる。だが、一切動けないという縛りにより、花御を超える頑強さを持つ。何かを狩るというよりも、何かを守るという使い方に向いていると羂索は語る。