呪霊王におれはなる!!   作:トックー0322

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主人公くんが荒れてます。


第二十五話:異界

 

 

 巨木呪霊から逃げて、一週間が経っていた。

 

 時間は、やけにあっさり流れていく。勝てなかった悔しさも、喉を締めた縄の感触も、あの幹に覗いた黒い目も、全部まだ鮮明なのに、日付だけが勝手に進む。腹が立つほど平等に朝が来て、夜が来る。

 

 場所は岩手県の山奥。

 

 人の気配が薄い。電波も弱い。風の音が壁に当たってうなり、木々が擦れて鳴る。たまに鹿のような獣の足音が遠くでして、すぐに消える。人間の世界から外れた場所だ。

 

 俺たちが潜んでいるのは廃墟だった。

 

 かつては誰かが暮らしていたのだろう。古い木造の家が点々と残り、崩れた屋根が空を覗かせている。雨で腐った柱が斜めに傾き、障子は破れて、畳は黒く湿っていた。床板は踏むと軋み、場所によっては抜けそうになる。壁には煤が染みつき、台所の名残が、焦げた匂いとして残っている。

 

 外には、錆びた農具が転がっていた。柄の折れた鍬、土に刺さったままの鎌、朽ちた一輪車。どれもが“もう使われない”という静かな諦めをまとっている。庭だった場所は草が伸び放題で、雑草が腰の高さまで伸び、蔦が建物に絡みついている。

 

 空は広いが、木が高い。

 

 杉の林が周囲を囲み、日差しを細く切る。日中でも薄暗い。日が傾けば、森の影がすぐに廃墟を飲み込む。湿った土の匂いが鼻を刺し、苔の匂いが喉の奥に残る。

 

 俺はその廃屋の中で、呪霊を喰らっていた。

 

 人間形態で。

 

 フードをかぶり、足音を抑え、呼吸を殺す。呪力を抑えて、気配を小さくして、狩りを繰り返す。羂索に少しでもバレないように、できるだけ“目立たない”動きで。

 

 ……だが、得られるものは薄かった。

 

 下級呪霊は弱い。

 

 人間形態でも、まるで相手にならない。腐食を使うまでもない。殴れば潰れ、蹴れば砕ける。逃げようとしたところを掴んで、口に押し込んで終わりだ。

 

 味は悪い。

 

 砂を噛んだみたいにざらつく。甘さがない。苦味ばかりが舌に残る。呪力としては、ほんの少し増える。増えている、はずだ。

 

 だが、その増え方があまりにも微細で、ほとんど分からない。

 

 たまに、少し歯ごたえのあるやつが出る。

 

 それでも人間形態で問題なく祓える程度。二級にも満たないくらいの個体。動きが速い、呪力が濃い、術式らしき癖がある。そういうのを見つけると、俺は無意識に期待してしまう。

 

 ──能力が手に入るかもしれない。

 

 だが、喰っても何も起きない。

 

 胃の底に甘さが落ちることもない。新しい呪力の流れが身体に馴染むこともない。味だけが悪く、記憶だけが薄く、ただ腹が満ちるだけ。

 

 俺は考察した。

 

 おそらく、俺の術式は──“自分よりも上だと思う相手”を食らった時、その能力を奪う。

 

 そう考えれば辻褄が合う。

 

 影の呪霊も、チョウチンアンコウ呪霊も、スーツミイラ呪霊も、スマホ型呪霊も、落ち武者呪霊も。いずれも当時の俺から見れば“自分より強い”と感じた相手だった。負けるかもしれないと恐怖した。だから必死に戦った。

 

 そして喰った。

 喰ったから、手に入った。

 

 逆に言えば、今の俺が余裕で狩れる相手を喰っても、何も起きない。俺の中の何かが“価値がない”と判断している。

 

 ……俺は、詰んでいる。

 

 数々の廃墟の中を巡回し、狩りを繰り返し、気配を消して生き延びる。

 

 それだけの日々。

 

 無為に時間が過ぎていく中で、俺の心は荒れていった。

 

 何もできず巨木呪霊から敗走した。

 未だに勝てる展望(ビジョン)が見えない。

 どれほど呪霊を食おうとも、一向に強くなる兆しがない。

 

 最初は“我慢”だった。耐えれば機会が来ると思っていた。呪術の世界は運もある。偶然、強い呪霊に出会うかもしれない。食えるチャンスがあるかもしれない。

 

 だが、一週間。

 

 似たような山。似たような廃屋。似たような弱い呪霊。

 飢えは満たされても、渇きは満たされない。

 

 俺は下級呪霊たちの残穢の中で、ふと、廃墟の壁を殴った。

 

 木の壁が鈍い音を立てる。

 

 拳がめり込み、ひび割れが走った。乾いた木が裂け、粉が舞う。天井から煤がはらはら落ちて、俺の肩や髪に降りかかる。煤は黒く、指で払うと皮膚に汚れが残った。

 

 静寂が戻る。

 

 壁のひび割れだけが、俺の苛立ちの痕としてそこに残る。

 

 俺は大きな苦悩に直面していた。

 

 特級呪霊を倒すには、特級呪霊を食ってその力を手に入れるしかない。

 だが、特級呪霊を食うには特級呪霊の力が必要。

 

 堂々巡り。

 

 輪を描くように、同じところを回っている。

 もう特級呪霊以外を喰っても新たな能力は手に入らない。

 

 俺は──中途半端に強くなりすぎてしまった。

 

 弱いものを食っても意味がない。

 強いものには勝てない。

 俺はどこにも行けない。

 

 その背中を、糞爺が心配そうに見守っていた。

 

 あいつは最近、余計なことを言わない。茶化すような言葉も減った。俺の苛立ちを刺激しないように、距離を取っているのが分かる。

 

 その視線が、逆に辛かった。

 

 俺はふと、つぶやいてしまった。

 

 「……人間を、食えば……」

 

 声は自分でも驚くほど低かった。

 言葉が口から出てきた瞬間、胸の奥の暗い場所がざわついた。

 

 人間は負の感情を生む。

 呪霊を産み出す。

 

 なら、人間そのものを食えばいい。

 

 下級呪霊を食うよりも呪力が増えるかもしれない。

 しかも人間なら大量にいる。

 

 大量に、食える。

 

 能力が増えずとも、呪力が圧倒的に増えれば──あの巨木呪霊にも攻撃が通じるかもしれない。

 

 筋道が作られていく。

 利点ばかりが見える。

 

 呪霊の思考が、俺を支配しようとする。

 

 その時。

 

 糞爺の声が、廃墟の中に響いた。

 

 「それだけはダメだ」

 

 糞爺は真剣な眼差しで俺を見ていた。

 

 「それをしたら、お前さんはただの呪霊になっちまう」

 

 「ただの、呪霊…」

 

 ……理解はできた。

 できたからこそ、腹が立った。

 

 「じゃあどうすればいい…!」

 

 声が強くなる。

 

 「俺はどうすれば、特級(あれ)に勝てる。どうすれば、前に進める…!」

 

 糞爺に当たっているのは分かる。

 分かっているのに、止まらない。

 

 糞爺は怯まない。怒りもしない。ただ、少しだけ目を細めた。

 

 俺は我に返った。

 

 息を吐く。煤の匂いが鼻を刺す。胸の奥の熱が、少しだけ冷える。

 

 「……悪い」

 

 俺が謝ると、糞爺は肩をすくめた。

 

 「気にするな。理由は分からんが、お前さんが焦ってるのは分かる」

 

 そして糞爺は言った。

 

 「俺に、()()がある」

 

 「当て……?」

 

 俺が聞き返すと、糞爺はニヤリと笑った。

 

 「お前さんの当てが外れたなら、今度は俺の当てを確かめにいこうぜ」

 

 糞爺は俺の足をパチンと叩いた。

 

 背が小さいせいで背中は叩けない。だから膝の辺りを叩く。妙に間抜けな動作なのに、その音だけがやけに現実味を持って響いた。

 

 糞爺は廃墟を出て、昇り始めた日の光の下へ向かって歩き出した。

 

 俺は少し遅れて、その背中を追った。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 昼過ぎ。

 

 糞爺に案内されて来たのは、岩手県の遠野市という場所だった。

 

 さっきまでいた廃墟から数十キロメートル。移動は早かった。俺が飛んだわけじゃない。今は人間形態で呪力を抑えている。目立つ動きは避けた。山道を抜け、人気の薄い道を選び、途中で何度か隠れてやり過ごしながら来た。

 

 市、といっても、都会のそれとはまるで違う。

 

 建物は疎らだ。店も少ない。車はたまに通るが、渋滞なんてものはない。道の脇には田んぼが広がり、面積でいえば建物より田んぼの方が圧倒的に多い。

 

 水を張った田んぼが、空を映している。

 

 春の光が水面で揺れ、風が吹くと細かい波が走る。土の匂いが濃い。どこか懐かしい匂いだ。遠くには山が重なり、稜線が霞んでいる。鳥が低く飛び、農道を軽トラがのんびり走っていく。

 

 空が広い。

 

 視界の端まで、余計なものが少ない。

 

 糞爺は勝手知ったるように歩いた。

 

 迷いがない。曲がり角で立ち止まらない。まるで昔からここに住んでいたみたいに、田んぼの間の細い道を抜けていく。俺はその背中を見ながら、どこでそんな情報を得たのか考えるが、答えは出ない。糞爺は時々、こういう“説明しない情報”を持っている。

 

 やがて、寺にたどり着いた。

 

 寂れている。

 

 門は古く、木が黒ずんでいる。瓦の一部が欠け、苔が生えている。境内の砂利は雑草に侵食され、踏むと小さく鳴るはずの音が草に吸われて鈍い。

 

 それでも、敷地は広い。

 

 木々が並び、石灯籠が点々と立ち、苔むした石段が奥へ続いている。空気が少し冷たく、厳かな雰囲気が漂っていた。人の気配はない。鐘も鳴らない。寺なのに静かすぎる。

 

 糞爺は裏へ回った。

 

 俺もついていく。

 

 寺の裏は、さらに人気がない。木の根が地面を盛り上げ、落ち葉が厚く積もっている。湿った土が靴に絡む。木漏れ日が斑に落ち、風が吹くたびに光が揺れる。

 

 そこに、小川が流れていた。

 

 細い川だ。

 

 幅はせいぜい数メートル。水は透明で、底の小石が見える。流れは速くない。ささやくような音で、絶え間なく下へ滑っていく。水面に光が散り、魚の影が一瞬だけ走った。

 

 小川の周囲だけ、空気が少し澄んでいる。

 

 湿り気が心地いい。苔の匂いが柔らかく、木の香りが鼻を満たす。風が通ると、水音が増して、耳の奥が洗われるみたいな感覚になる。

 

 神秘的な雰囲気。

 

 そう表現するしかない場所だった。

 

 ……なのに。

 

 糞爺は、ざぶざぶと川に入っていった。

 

 「おい」

 

 俺はさすがに驚いた。

 

 川の中に入る? わざわざ? 意味が分からない。

 

 糞爺は振り返って、平然と言う。

 

 「どうした? 早く来いよ」

 

 まるで散歩の延長だ。

 俺は言葉を失った。

 

 糞爺は川の中を歩く。水が膝に当たり、着ている着物のようなものが濡れるはずなのに、糞爺は気にしない。水は流れているのに、糞爺の足元だけ妙に抵抗が少ないように見える。

 

 俺は呆れながらも、足を入れた。

 

 冷たい。

 

 水が足首を包み、骨にまで冷たさが染みる。だが、嫌な冷たさじゃない。目が覚める冷たさだ。水流が足を撫で、砂が少しだけ動く感触がある。

 

 俺は糞爺についていく。

 

 一歩一歩、川底の小石を踏みながら進む。水音が近くなり、外の音が遠のく。頭の中の雑音が薄くなる。

 

 そして、向こう岸に辿り着いた瞬間──

 

 景色が変わった。

 

 さっきまで見えていた向こう岸とは、まるで違う。

 そこには、大きな池が広がっていた。

 

 水面は広く、風を受けてゆっくり揺れている。空を映して、青と白を抱えている。池の縁には草が生え、遠くに木々が影を落としていた。

 

 俺は思わず立ち止まった。

 

 川を渡っただけなのに。

 

 たった数歩なのに。

 

 (……ここは、どこだ)

 

 池は疑問に答えず、ただ揺れていた。

 

 

 





もしここで糞爺がいなかったら、主人公くんは人類敵対ルートへ進んでました。いつかその展開もifとして書きたいですね。
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