呪霊王におれはなる!!   作:トックー0322

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河童みたいな妖怪が呪霊になるのって、なんかいいですよね。


第二十六話:河童の里

 

 

 川を越えるという行為は、単なる移動じゃない。

 

 日常から非日常へ。生から死へ。現実から異界へ。

 

 そういう“決定的な境界”を跨ぐことだ──と、俺は前世の曖昧な知識の隅で聞いた覚えがある。呪術の世界は、境界が物を言う。線一本で世界が変わる。門ひとつ、鳥居ひとつ、川ひとつで、呪いの濃度も、理屈も、住人も変わる。

 

 呪術廻戦の原作でも、川を跨ぐことには呪術的に大きな意味がある、と誰かが言っていた気がする。誰だったかは思い出せない。けれど、その“言われていた”という事実だけが、今の状況と妙に噛み合っていた。

 

 俺が川を越え、向こう岸に足を踏み入れた瞬間。

 

 そこにあったはずの向こう岸は、消えた。

 

 まるで幕が引かれたみたいに。

 

 視界の端にあった木々も、土手の草も、岸の石も、全部が“なかったこと”になる。代わりに現れたのは、見渡す限りに広がる大きな池だった。

 

 池は、広い。

 

 広いというより、果てが分からない。向こう岸が見えない。水面が空を映し、青と白を抱えたまま、遠くへ溶けていく。風が吹くたびに水面がゆっくりと波打ち、その波が光を砕いて散らす。光の欠片が、細かい鱗みたいに揺れていた。

 

 水の匂いが濃い。

 

 生臭さではない。湿った土の匂いと、植物の匂いが混ざった、静かな匂いだ。湿気が肌に薄い膜のようにまとわりつく。喉の奥が少し冷える。空気が柔らかいのに、どこか重い。

 

 鳥の声が遠い。

 

 それも、現実の鳥の声と違う。距離感が曖昧で、どこから鳴いているのか分からない。音が水面に反射しているのか、空に溶けているのか、耳が判断できない。

 

 俺は思わず硬直した。

 

 さっきまで寺の裏の小川だったはずなのに。

 

 数歩歩いただけなのに。

 

 ここは、別の世界だ。

 

 その硬直を置き去りにするように、糞爺は特に気にした様子もなく池へ向かって進んでいった。

 

 その背中が、妙に自然だった。

 

 まるでここが当たり前の場所であるかのように、足取りが軽い。俺が戸惑っていることすら想定済み、みたいな歩き方だ。

 

 俺は後を追いながら声を掛けた。

 

 「……ここは何だ」

 

 糞爺は振り返らずに答える。

 

 「俺の古い知り合いの住処だ」

 

 「知り合い?」

 

 「そう。ここのことは本来、誰にも教えるつもりはなかった」

 

 糞爺はそこで少しだけ間を置いた。水面の光が糞爺の輪郭を揺らし、言葉の端が湿った空気に滲む。

 

 「けど、お前さんがあまりにも荒れてて、見てられなかったからな。特別だ」

 

 俺の胸の奥が、僅かにざわついた。

 

 荒れていた、という自覚はある。自分の中に湧いた“人間を食う”という発想が、いまだに消えていないのも分かっている。そんなことを口に出した自分が、まだ胃の底で腐っている。

 

 糞爺は、その腐りかけを見ていたのかもしれない。

 

 俺は黙って歩く。

 

 池のほとりへ近づくほど、水面が近づき、波の音が大きくなる。足元はいつの間にか湿った土から滑らかな石へ変わっていた。石は黒く、濡れているように光っている。踏むと冷たい感触が靴裏に伝わる。

 

 池のほとりにたどり着いた瞬間。

 

 水面が、動いた。

 

 ぶくり、と何かが浮かび上がる音がして、巨大な蓮の葉が一枚、二枚と現れた。大きい。俺の胴体が余裕で乗れるほどの大きさだ。さらにそれが続く。蓮の葉がいくつも浮かび上がり、通路のように連なっていく。

 

 水面に浮いた緑の円が、まるで誰かがそこに道を描いたみたいに一直線に並ぶ。

 

 糞爺は迷いなくその上に足を乗せた。

 

 蓮の葉は沈まない。体重を受けてもふわりと揺れるだけで、しっかりと重さを支える。糞爺はそのまま池の中央へ向かって歩き出した。

 

 俺も後を追った。

 

 蓮の葉の上は柔らかい。足元が少し沈み、葉がたわむ。水が葉の縁を舐める音がする。池の水面がすぐ下に見え、深さが分からない暗さが揺れている。落ちたらどうなる、という想像が一瞬よぎるが、糞爺が平然としているのを見ると、今さら引き返すのも馬鹿らしい。

 

 池の中央に近づくにつれ、周囲の景色が静かに変わった。

 

 岸の気配が遠のく。空の色が少し濃くなる。水面の光が柔らかくなる。音が減る。水音すら、遠くの出来事みたいになる。

 

 やがて、小さな小島が見えた。

 

 小島といっても、草が生えているわけじゃない。丸い石のような地面が水面から盛り上がっていて、その上に小さな社がぽつんと建っている。社は木造で、古びているのに崩れていない。小さい。驚くほど小さい。人間の家の物置くらいの大きさしかない。

 

 糞爺はその社の前に立ち、戸を叩いた。

 

 コン、コン、と乾いた音。

 

 しばらく沈黙。

 そして、社の戸が開いた。

 

 中から出てきたものを見た瞬間、俺は思わず息を止めた。

 

 現れたのは──一体どこに収まっていたのかと思うほどの巨漢。

 

 社の中はあまりにも小さいのに、そこから現れた存在は、外の世界のスケールを壊すような大きさだった。

 

 緑色の肌。

 

 筋骨隆々の裸。

 

 褌を締めた腰。

 

 肩幅が広く、胸板が厚い。腕が丸太みたいだ。腹の筋肉が浮き出ていて、立っているだけで空気が押されるような圧がある。

 

 そして──頭には皿。

 

 日の光を反射して輝く、真っ平らな皿が、頭頂部に乗っている。

 

 俺は思わず呟いた。

 

 「……河童……?」

 

 巨漢は、こちらを睨みつけた。

 

 目が鋭い。黒目が小さい。仲間を見る目ではない。獲物を見る目に近い。

 

 「人間……?」

 

 巨漢は俺を人間だと思っているらしい。

 

 その瞬間、糞爺が気心知れたように手を振った。

 

 「よう、(いち)。久しぶりだな」

 

 巨漢──一と呼ばれた存在は、一拍置いてから顔を崩した。

 

 「久しぶりじゃねぇか京鬼(きょうき)ぃ! 随分ちっこくなっちまったなぁ!!」

 

 声がでかい。

 

 池の空気が揺れる。水面が震える。耳が痛いほどの声量だ。距離が近いとかいう問題じゃない。存在そのものがうるさい。

 

 糞爺は眉をひそめた。

 

 「ちっこくなっちまったは余計だ」

 

 言いながら糞爺は俺の方を指す。

 

 「こいつは俺の仲間だ」

 

 巨漢の雰囲気が少し柔らかくなる。

 

 目の鋭さが減り、口元が緩む。

 

 「京鬼の仲間なら俺の仲間だな! よし! 歓迎するぜ!」

 

 そして、いきなり社の中を指して叫ぶ。

 

 「入れ入れ!」

 

 俺は内心で思った。

 

 (そんな小さな社の中に入っても、暑苦しいだけだろ…)

 

 あの巨体が出てきた時点で社の内部の物理法則は信用できない。できないが、それでも、外観の情報に脳が引っ張られてしまう。

 

 だが糞爺は躊躇いなく中へ入っていった。

 

 俺は溜息をついた。

 

 結局、俺もその後を追って社の中へ足を踏み入れることにした。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 中は、外観からは想像もできないほど広かった。

 

 広い、という言葉が軽く感じるほどだ。

 

 学校の体育館ほどの広さ。いや、それ以上かもしれない。社の戸をくぐった瞬間、視界が一気に開け、空間が飲み込んでくる。外の池の光は消え、代わりに柔らかい灯りが空間を照らしていた。

 

 内装は寺のお堂の中のような風情だった。

 

 太い柱。木の床。梁が見える天井。壁には古い紙が貼られ、ところどころに札のようなものがぶら下がっている。線香の匂いが薄く漂い、木の匂いと混ざって、落ち着くのに妙に湿っぽい。

 

 そして──そこかしこに、緑色の裸に褌を締めて、頭に皿がある存在がくつろいでいた。

 

 巨漢のように大きくはない。

 

 むしろ小さい。

 

 子どもくらいの大きさの河童たちが、床に寝転んだり、柱にもたれたり、輪になって座ったりしている。

 

 酒のようなものを飲んでいるやつ。

 

 きゅうりを齧っているやつ。

 

 賭け事のようなことをして、札や小石を賭けているやつ。

 

 笑っているやつ。

 

 喧嘩しているやつ。

 

 ざわざわとした生活の音がある。人間の町とは違う、湿った声と、笑いと、水音が混ざったような喧騒。

 

 俺は言葉を失った。

 

 さっきまで山奥の廃墟で、煤の匂いを嗅いでいたのに。

 今は河童の集落みたいな場所で、酒ときゅうりの匂いを嗅いでいる。

 

 巨漢は歩きながら、河童たちに声を掛ける。

 

 「おう! お前ら!」

 

 「親分!」

 

 「親分だ!」

 

 河童たちは巨漢を“親分”と呼び、慕っているようだった。手を振り、頭を下げ、きゅうりを差し出そうとするやつまでいる。巨漢は豪快に笑ってそれを受け取り、丸かじりする。咀嚼音がやけに大きい。

 

 俺が呆然としていると、糞爺が横から話しかけてきた。

 

 「驚いただろ?」

 

 「……驚くに決まってる」

 

 糞爺は肩をすくめた。

 

 「ここだけじゃねぇ。外の池も含めて、この空間はあいつの生得領域だ。見た目よりずっと広いのは、そのせいだ」

 

 生得領域。

 

 それをさらっと言う。

 

 つまり、この巨漢──一とやらは、領域を持っているということだ。しかもそれを維持し、こんな広さを“日常”として使っている。

 

 俺は糞爺の横顔を見た。

 

 こいつは、そんな存在と旧知の仲らしい。

 糞爺は一体何者なのだ。

 俺が疑問を飲み込むより先に、糞爺は歩き出した。

 

 俺はその後をついていった。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 社の中の最奥部。

 

 広間とは襖で隔てられた空間に入る。

 

 そこは少し静かだった。外のざわめきが襖に吸われ、木の匂いが濃くなる。床は綺麗で、座布団がいくつも並んでいる。

 

 巨漢は大きな座布団の上にどかりと胡座をかいて座った。

 

 その動きだけで空気が揺れる。座布団が沈み、床がきしむ。

 

 「座れ」

 

 巨漢は顎で座布団を指した。

 

 俺と糞爺も座る。

 

 糞爺は胡座。俺も胡座。座布団が柔らかく、少し沈む。足が痺れる感じがないのが助かる。

 

 巨漢が問う。

 

 「で? 何しに来た」

 

 糞爺は即答した。

 

 「"アレ"の浄化を手伝いに来た」

 

 巨漢の顔がぱっと明るくなる。

 

 「ついにその気になってくれたか! 京鬼ほどのヤツが手伝ってくれんなら百人力だぜ!」

 

 京鬼。

 

 さっきから出てくるその言葉が、俺の中で引っかかっていた。

 俺は堪えきれずに聞いた。

 

 「京鬼って何だ」

 

 巨漢は目を丸くした。

 

 「お前、コイツのこと知らねぇのか?」

 

 俺は首を縦に振る。

 

 「知らない」

 

 糞爺が慌てて口を挟んだ。

 

 「やめろ。恥ずかしいから過去の話はするな」

 

 そして糞爺は、俺の膝を叩いた。

 

 「それに、今回手伝うのは俺じゃなくてコイツだぜ」

 

 一瞬で、空気が変わった。

 

 巨漢の明るさが消える。

 

 笑みが引っ込み、目が細くなる。巨体が微かに前へ傾く。圧が増す。呼吸が重くなる。

 

 巨漢は剣呑な顔つきで俺を見た。

 

 「……こんなやつが、あの京鬼の代打だぁ!?」

 

 凄む声が低く、腹の底に響く。

 

 俺はわけが分からなかった。

 

 京鬼。

 浄化。

 代打。

 糞爺。

 河童の親分。

 

 何も繋がらない。

 誰か説明してくれ、と本気で思った。

 

 俺は天井を見上げる。

 

 寺のお堂のような梁が見える。その木目が、妙に鮮明だった。

 

 (……どうしてこう、俺はいつも行き当たりばったりになってしまうんだ…)

 

 心の中でそう呟きながら、俺はただ、息を整えるしかなかった。

 

 





巨漢の一さんは人間ではなく呪霊です。分かりづらかったらすみません。

今回出てきた河童や一さんは"まこらゆらゆら"さんからのアイデアです(設定は少し変えました)。ありがとうございます。
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