呪霊王におれはなる!!   作:トックー0322

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早く零子ちゃんのイチャイチャシーン書きたい…。


第三十話:階肚家

 

 

 深夜の田んぼ脇の道は、夜気が濃かった。

 

 稲は風に擦れて乾いた音を立て、用水路の水がどこかでかすかに鳴る。月は雲の薄い縁に引っかかり、地面は暗いのに水田の水だけが白く光っている。足元の土は湿り、草は冷たく、息を吸うと喉の奥がひやりとした。

 

 その中で、零子は地面に座り込んだまま、普通の右手を見つめていた。

 

 さっきまで流れていた涙は止まり、頬に残った筋だけが月光に薄く光る。人形みたいな無表情に戻りかけているのに、唇と指先がまだ微かに震えている。感情が戻ったのか消えたのか、その境目だけが曖昧に残っていた。

 

 俺は呪霊形態のまま、少し距離を置いて声をかけた。

 

 「……おい」

 

 零子はびくりと肩を跳ねさせる。

 

 次の瞬間、人形が操られるみたいに、勢いよく動き出した。俺の方を向いて地面に三つ指をつき、そのまま頭を深く下げる。ドレスのフリルが泥に塗れても構わないらしい。

 

 「降参でございますわ!! わたくし、もう二度と逆らいませんの!! どのようなことにも従います、何でもいたしますから、どうか命だけは……命だけはお助けくださいませ!!」

 

 声が震えている。

 

 だが、その震えは恐怖だけではない。どこか、長い間押し込めてきたものが溢れ出るみたいな、切実さが混じっている。

 

 俺は動揺した。

 

 さっきまで殺すと言ってきた相手が、今は命乞いをしている。しかも、お嬢様言葉のまま。場違いな丁寧さで、泥の上で必死に頭を下げている。

 

 糞爺も戸惑っていた。

 

 道の端で腕を組み、眉をひそめたまま「……なんだこいつ」とでも言いたげに零子を見ている。あいつの表情は基本的にうるさいのに、こういう時だけ黙るのが余計に気味悪い。

 

 俺は一度、息を吐いた。

 

 口に出してしまうと簡単だ。

 

 殺すか、殺さないか。

 

 だがその二択に、いまの俺は乗りたくなかった。人間は食わないと既に決めた。人間を殺すことも、できれば避けたい。だが敵対するなら排除するべきだという理屈も、頭の片隅に残る。

 

 俺はその理屈をいったん脇に置き、別の道を選んだ。

 

 この女は自分を階肚家の当主だと言った。

 階肚家とは、いかにも名家っぽい雰囲気だ。

 

 名家なら、呪具や呪物が集まっているかもしれない。

 

 俺は呪霊の王になりたい。なら、力が要る。水虎の力を手に入れても、まだ足りない。巨木呪霊を思い出すだけで、胸の奥がざわつく。

 

 俺は言った。

 

 「なら、お前の家まで案内しろ。呪具やらを寄越せ」

 

 零子が顔を上げた。

 

 さっきまで泣いていたのが嘘みたいに、また人形のような無表情になっている。瞳だけが妙に濡れていて、その濡れが感情なのか水分なのか分からない。

 

 「……承知いたしましたわ」

 

 零子は立ち上がり、服の汚れを軽く払った。

 

 そして、歩き出す。

 

 「こちらへおいでくださいませ」

 

 俺は呪霊形態から人間形態へ戻り、フードを被る。

 

 他の人間にあまり呪霊だとバレたくない。

 

 俺がローブを着た人間の姿になっても、零子は驚かなかった。  

 驚く気力が薄れているのかも知れない。

 

 糞爺が俺の横をちょこちょこと歩く。

 

 「おい、本気でついて行くのか」

 

 「ああ」

 

 短く答えると、糞爺は鼻を鳴らした。

 

 「変なやつに変なところへ連れて行かれるとろくなことにならねぇぞ」

 

 「お前が言うな」

 

 零子の背中を追う。

 

 数分も歩かないうちに、俺たちは道端に停まっている車を見つけた。

 

 黒塗りの高級車。

 

 田舎道の闇に沈むように停まっているのに、車体の表面だけが月光を吸って鈍く光る。無駄がない形。金属の質感。濡れた空気の中でも凛としている。田んぼ道にあるはずがないものだ。

 

 俺は今日何度目かの驚きを覚えた。

 

 零子は当たり前みたいに後部座席のドアを開け、乗り込む。

 

 運転席には運転手がいた。気配が薄い。俺の存在に驚いた様子もない。慣れているのか、訓練されているのか、感情を表に出さないだけなのか。

 

 俺は糞爺と顔を見合わせた。

 

 糞爺は小さく肩をすくめる。

 

 「……乗るのか?」

 

 「ああ」

 

 俺たちは後部座席に乗り込んだ。

 

 糞爺は俺の足元に胡座をかいて座り、壺をいじり始めた。狭いからやめろ、と言いたくなるが、雰囲気的になんとなく言いづらい。

 

 車内は革の匂いがした。

 

 新しい革じゃない。手入れされた革。人間の体温が染み込み、香料と混じった落ち着いた匂い。座席が柔らかく、沈み込みが深い。乗った瞬間に身体が包まれる。

 

 零子が前を向き、運転手に告げた。

 

 「館までお願いいたしますわ」

 

 車は静かに発進した。

 

 エンジン音がほとんどしない。走り出しても揺れが少ない。田んぼ道の凹凸を、車が勝手に飲み込んでいく。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 発進してから五分ほどが経った。

 

 窓の外は、暗い田んぼの連なりが流れていく。水面が月を映し、遠くの民家の灯りが点のように揺れる。時々、街灯の明かりが車内を横切り、零子の顔の輪郭を切り取る。

 

 俺は女の隣の席で、どことなく気まずさを感じていた。

 

 さっきまで戦っていた相手が、今は同じ車の中にいる。

 

 殺意と恐怖の残り香があるのに、車内の革の匂いと静けさがそれを薄めていく。その薄まりが、余計に落ち着かない。

 

 糞爺は俺の足元で壺をいじりながら、時々車内を見回している。

 

 新しい玩具を見つけた子供みたいな目だ。さっきまで俺に説教してたやつが、車の内装に感心してる。温度差が酷い。

 

 俺はふと、零子に聞いた。

 

 「……さっき、なんで泣いた」

 

 零子は一瞬だけ、窓の外に視線を逃がした。

 

 それから、淡々と語り出した。

 

 「…わたくしは階肚家の当主でございますけれど、実態はただの神輿に過ぎませんの」

 

 言葉は丁寧なのに、内容は泥臭い。

 

 「権力を握っておりますのは、わたくしの祖母でございますわ。わたくしは祖母の傀儡。家の外に向けた飾りでしかございませんの」

 

 俺は何も言えず、黙って聞いた。

 

 零子は自分の右手──包帯のない普通の右手を、膝の上で見つめた。

 

 指が微かに動く。確かめるように、爪を撫でる。

 

 「右手が枯れ枝のようでしたのは……呪物を移植されていたからでございますわ」

 

 五年前。

 

 十六歳の頃。

 

 父親が失踪し、その日のうちにお前が当主だと祖母に告げられたこと。

 

 そしてその日のうちに、右手を切り落とされたこと。

 

 零子は、さらりと言った。

 

 「……それ以来、わたくしは祖母の言いなりでございますの。この服装も、この言葉遣いも、祖母の趣味でございますわ」

 

 俺は何とも言えない顔になった。

 

 怒るべきか、同情すべきか、呆れるべきか、分からない。

 

 俺の頭の中で、いくつもの感情がぶつかり合い、どれも決定打にならない。結局、黙るしかなかった。

 

 零子は続けた。

 

 「呪物の効果で、最初の一年はずっと身体が重く……頭に靄がかかったようでしたの。何度切り落としても、またあの腕が生えてきて参りましたわ」

 

 ミイラの右手。

 乾いた肉。

 黒い爪。

 

 あれを、五年間。

 

 「わたくしは、もう一生この醜い腕のまま生きていくのだと……そう、思っておりましたの」

 

 そこで、零子は俺を見た。

 

 無表情なのに、瞳の奥だけが熱い。

 

 「治してくださったあなた様には、感謝してもしきれませんわ。どれほど感謝しても足りませんの」

 

 零子はまた頭を下げた。

 

 車内で。

 革のシートの上で。

 

 お嬢様言葉のまま、必死に。

 

 俺は困った。

 

 俺がやったのは、右手を切り飛ばして食ったことだけだ。結果がこうなったのは偶然に近い。

 

 俺は言った。

 

 「俺が勝手にやったことだ。気にするな」

 

 糞爺が足元から笑う。

 

 「照れてんのか?」

 

 俺は反射で糞爺を軽く蹴った。

 

 「うるさい」

 

 糞爺が「いてぇな!」と小声で喚き、壺を抱き直す。

 

 零子はそれを見て、ほんの一瞬だけ口角を上げた気がした。気のせいかもしれないが、それは人形が笑ったようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 さらに数十分が経った。

 

 車はいつの間にか田んぼ道を離れ、山奥の舗装された綺麗な道を走っていた。森の影が濃くなり、門灯のような光が点々と現れ始める。窓の外を流れる闇の質感が変わる。田舎の闇ではなく、整えられた闇。

 

 零子が告げた。

 

 「……着きましたわ」

 

 車が静かに止まる。

 

 ドアが開き、外気が入ってくる。夜の冷えが一段強い。湿った匂いに混じって、庭木の甘い香りがする。

 

 俺たちが車から降りると──そこには洋風の城のような館が建っていた。

 

 石造り。

 

 尖った屋根。

 

 窓は大きく、格子があり、内側から柔らかな灯りが漏れている。門は鉄製で、重そうで、装飾が細かい。庭は広く、芝が整えられ、噴水のようなものまである。田舎の夜に、急に別世界が差し込まれたみたいだった。

 

 俺は思わず言った。

 

 「……金持ちだな」

 

 だが、零子は即座に否定する。

 

 「いいえ。むしろ最近の階肚家は、祖母の浪費癖によって財政難に陥っておりますの」

 

 俺は心の中で呟いた。

 

 (ほんとにどうしようもない祖母だな…)

 

 零子が門を開け、庭を渡る。

 

 金属が低く鳴る。門が軋み、庭へ続く石畳が月光に白く浮かぶ。俺と糞爺はその後ろを歩き、広い庭を抜けて館へ向かった。

 

 玄関の扉は重厚で、ノッカーが付いている。零子が扉を開けると、内側の暖かい空気が流れ出てきた。

 

 館の中は内装も凝っていた。

 

 洋風のアンティーク。高そうな家具。絵画。彫刻。古い時計。磨かれた床が灯りを反射し、天井のシャンデリアが小さく揺れる。

 

 俺と糞爺は、つい物珍しくて視線が泳いだ。

 

 糞爺なんて、壺を抱えたまま首を伸ばす勢いで周囲を見ている。寺の裏の川から出てきたとは思えないほど観光気分だ。

 

 そこへ、初老の男が現れた。

 

 燕尾服を着ている。

 

 背筋が伸びていて、動きが静か。白髪は整えられ、目元に皺がある。いかにも執事という風情。

 

 男は一瞬、零子の包帯のない右手を見た。

 

 ほんの一瞬。

 だが、その視線には驚きがない。

 

 確認。

 把握。

 

 そして、何も言わない。

 

 男は零子に礼をした。

 

 「お帰りなさいませ、零子お嬢様」

 

 ──お嬢様。

 

 俺は内心で、これも祖母とやらの趣味なのかと思った。

 

 零子は執事に言う。

 

 「貴秀(たかひで)。客人を客室までご案内なさい」

 

 執事――貴秀が、俺たちに向き直る。

 

 「承知いたしました」

 

 丁寧で、柔らかい声。

 

 零子は俺たちへ向けて言った。

 

 「今晩は客室でお休みくださいませ。階肚家の呪物や呪具を保管しております倉庫の鍵は、祖母が持っておりますの。祖母は明日帰って参りますわ」

 

 俺は警戒しつつも、館内から大した呪力を感じないことを確認する。

 

 呪術的な罠の匂いが薄い。

 

 毒など使われても、俺には効かない。俺は呪霊だ。眠る必要もない。

 

 問題ないと判断した。

 

 俺は頷く。

 

 「分かった。世話になる」

 

 執事の案内に従い、廊下を歩く。

 

 その間、館の中を俺と糞爺はキョロキョロと見てしまう。

 

 絵画の人物の目が妙にこちらを見ている気がする。古い時計の針の音が、やけに耳に残る。廊下の端に置かれた花瓶が高そうだ。床の絨毯が柔らかい。踏むたびに音が吸われる。

 

 その様子を見て、執事が穏やかに言った。

 

 「そんなに気になりますか?」

 

 俺は急に恥ずかしくなり、咳払いをした。

 

 「……すまない」

 

 執事は笑った。

 

 「いえいえ」

 

 その笑いは、形式的なものじゃない。ちゃんと人の温度がある。

 

 「お嬢様が、お客様をお連れになるのは初めてでございます」

 

 執事は嬉しそうだった。

 本気で。

 

 「どうかこれからも、お嬢様と仲良くしていただけますようお願いいたします」

 

 俺は思わず黙る。

 

 仲良く、という言葉が、ここまで場違いに聞こえるとは思わなかった。

 

 執事は案内を再開した。

 

 辿り着いた部屋は広く、格調高くまとまっていた。天蓋付きのベッド。厚いカーテン。机も椅子も重そうで、磨かれている。窓からは庭の闇が見え、遠くの門灯が淡く揺れている。

 

 執事が言った。

 

 「こちらのお部屋を、貴方とそちらの方のお二人部屋としてご用意いたしました」

 

 “そちらの方”。

 

 糞爺が見えているらしい。

 呪霊2体相手に律儀なものだ。

 

 糞爺はベッドに飛び乗り、感触を楽しんでいた。高級そうな布の上でゴロゴロしながら「おい、これやべぇな!」とか言っている。

 

 執事は最後に一礼する。

 

 「ごゆっくり」

 

 扉が閉まり、部屋に静けさが落ちる。

 

 糞爺がベッドの上で「ふかふかだぞ!」と騒いでいるのを尻目に、俺は椅子に腰を下ろす。

 

 俺は休むことにした。

 

 眠るわけではない。

 

 呪霊は眠る必要がない。

 

 ただ、心の中の水虎の記憶がまだざわついている。

 

 静かに落ち着かせる必要がある。

 

 それだけだ。

 

 

 




お察しの通り零子ちゃんのおばあちゃんは終わってます。


貴秀さん:階肚家の良心。父親が失踪してからは零子ちゃんの父親代わりになっていた。
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