サブタイトルの字面ちょっと酷すぎますかね?
真っ白な空間は、白すぎて逆に現実味がなかった。
床も壁も天井も同じ色の石で、角という角がやけに鋭い。影が薄く、光が均一に広がっているせいで距離感が狂う。音も反射して、息を吐くとそれさえ少し遅れて返ってくる。
ところどころに埋め込まれたLEDライトが、冷たい明るさで俺たちを照らしていた。
俺の周りには術師が並んでいる。
円を描くように包囲されていて、出口らしき扉はその向こう。こちらが抜けようとするなら、必ず誰かの前を通る配置だ。罠としては分かりやすい。分かりやすいのに、胸の奥が僅かにざらつくのは、白い空間が“逃げ場の無さ”を増幅しているからだろう。
糞爺は俺の近くに落ちていた。
さっき床に引きずり込まれた時の衝撃で、少しよろけている。だが目だけは鋭く動き、周囲を見ている。俺より先に状況を理解している顔だ。こいつはいつもは騒がしいくせに、危機の匂いには妙に敏感だ。
俺は術師たちを観察した。
呪力の流れを見る。
量と質。
呪力を纏う癖。
呼吸のタイミング。
武器の持ち方。
緊張の仕方。
呪具を持つ者がいる。刀に呪力を纏わせているが、線が粗い。素手の者は拳にだけ呪力を集めている。式神らしきものを侍らせている術師もいるが、その式神の呪力は薄い。雑に作った小型の獣みたいで、牙だけが誇張されている。
そして──何故か全裸の男がいる。
ただ裸というだけなら笑えるが、こいつだけは笑えない。肌がむき出しなのに、緊張感がない。自分の身体を晒しているのに、隠そうともしない。羞恥が無いというより、羞恥を捨てている。なんとも不気味な存在だ。
俺は数えた。
全部で十七人。
呪力の質で分類すると、雑魚が十二。そこそこが五。
話にならない。
全員二級以下だろうと推測し、俺は溜息をついた。
水虎を手に入れた後の俺にとって、こいつらは“実験体”でしかない。
その瞬間、天井に埋め込まれたスピーカーから声が響いた。
老婦人の声だ。
音が白い壁に反射して、妙に耳に張り付く。
『その男は殺さずに四肢を奪って無力化しなさい。私のペットにするわ』
声は淡々としているのに、言っていることが悍ましい。
『もう一匹の呪霊は好きにしていいわ』
俺の視線が糞爺に一瞬だけ落ちる。
糞爺は黙っていた。いつものように喚かない。喚けないのか、あるいは、喚いても何も変わらないと理解しているのか。そういう顔をしていた。
術師たちは笑った。
軽い笑い。
どこか、酒の席の悪ノリみたいな笑いだった。
「あのばーさんの好みにハマっちまって災難だな」
「四肢奪われたら人生終わりじゃん。余生がペットかぁ」
「でも顔いいしな。まぁ、しゃーねぇわ。諦めろ」
同情の形をした嘲笑。
完全にこちらを舐めている。
俺が呪力を抑えているせいだ。呪力を抑えるのは羂索対策のつもりだったが、対人戦においては別の意味で有効になる。相手が過小評価し、油断する。今みたいに。
だが、俺は相手にもう興味をなくしていた。
この程度の連中に、俺の時間を使う価値がない。
次の瞬間、俺は水虎の術式で大量の水を生成した。
空間が一気に湿る。
空気の密度が変わる。
真っ白な床の上に、いきなり“水”が湧いた。いや、湧いたというより、噴き出した。天井からではない。壁からでもない。空間そのものが裂けて、そこから水が噴出する感覚。圧力のある水が、白い床を叩き、跳ねる音が耳を刺す。
術師たちは戸惑いを隠せない。
この水を俺が生み出したことにようやく気付いた顔をする。だが遅い。
俺は水を操作した。
水を球状にまとめる。
そして術師たちの首から下を、水で覆う。
一人ずつではない。まとめてだ。
水を圧縮し、密度を上げる。
水は柔らかいのに、圧縮すると拘束具になる。腕も脚も動かせない。呼吸はできるように首元の圧は調整する。殺さない程度の絶妙な圧力。だが指一本動かせない程度には固い。
そして、その球を浮かせて固定する。
十六個の水球が、白い空間の中で宙に浮いた。
術師たちの首だけが水球の外に出ていて、顔だけが取り残されたみたいに見える。滑稽だ。だが滑稽さの裏に、虚脱感がある。
かなり呪力を消費した。
体内の呪力がごっそり減った感覚がある。腹の奥が一瞬だけ空洞になる。だが、理想通りの挙動だった。思った通りに水が動き、思った通りに止まった。
手応えがある。
水虎の術式は強い。
強すぎるほどだ。
糞爺が目を丸くして、低く言った。
「……お前さん、ほんとに化け物じみてきたな」
捕らえられた術師たちは口々に叫ぶ。
「離せ!!」
「卑怯だぞ!!」
「ふざけんな!!」
「殺すぞ!!」
罵倒、脅し、雑言が混ざる。
俺は軽く受け流した。
この手の声は、耳に入れない方がいい。入れると、無駄に人間の感情が染み込む。
だが、その時、違和感に気づいた。
術師たちは最初は十七人いた筈だ。
なのに、拘束されている術師たちは十六人しかいない。
俺の視線が、白い空間を滑る。
空間は遮蔽物などない。隠れる場所はないはずだ。だが──呪力の気配が、背後から来た。
咄嗟に飛び退く。
しかし間に合わなかった。
左腕が地面に落ちた。
切断の感覚は、痛みというより“欠落”だ。腕があるという前提が突然消え、肩口が空虚になる。血は出ない。俺は呪霊だ。だが切断面から呪力が漏れ、冷たい風がそこを撫でるように感じた。
俺は視線を向ける。
そこに、全裸の男がいた。
見た目はどう見ても間抜けそのもの。だが呪力は濃い。かなりの呪力量。おそらく一級。
最初は呪力を抑えていたのだろう。
俺がやったことを、やり返してきた形だ。つまり、舐めていたのは互い様だった。
全裸の男は笑った。
「君、人を殺したことが無いだろう?」
声が軽い。
軽いのに、芯がある。人を殺すことを“経験”として語る軽さ。
「術師たちを拘束した時点で殺しておけば、大声で喚かれることもなく、僕の足音が聞こえて左腕も失わずに済んだのに。馬鹿だねぇ」
俺は理解した。
術師たちのあの喚き声は作戦だったのだ。
声を騒がせて、俺の意識を固定させる。背後の気配を紛らわせる。白い空間の反響を利用して、足音を埋める。なるほど、汚いやり方だ。
そして。
全裸の男の左手には、糞爺の首が握られていた。
糞爺の小さな身体が宙に浮き、首の部分がぎゅっと締まっている。糞爺は目を見開き、歯を食いしばっている。声が出ない。だが、目だけが俺に何かを訴えている。
全裸の男が言う。
「この呪霊、君の友達だろう?」
吐き気を堪えるような言い方だった。
「呪霊が人と友達だなんて気持ち悪いが……さっきからやたら庇っているように見えた」
糞爺が苦しそうに唸る。
男は続ける。
「この呪霊を殺されたくなかったら、大人しく達磨になってくれ」
糞爺をこちらに見せつけるように持ち上げる。
糞爺の足が空を蹴る。
その瞬間、糞爺が大声で喚き出した。
「うるせぇぇぇぇ!! 誰が気持ち悪いだクソ野郎!! 離せ!! 首が伸びる!! 伸びるって言ってんだろ!!」
……あいつ、こんな状況でもその方向で喚くのか。
俺は一瞬だけ、笑いそうになった。
いや、笑っている場合ではない。
全裸の男が顔をしかめる。
「うるさいなぁ」
そして糞爺に危害を加えようとした、その瞬間。
男の胸から水の棘が生えた。
透明な棘。
だが先端は赤く染まっている。
棘は背中から胸を貫き、眼前へ突き抜ける。
男の口から血が噴き出した。
「……ごっ……!?」
吐血しながら困惑する。
俺は淡々と言った。
「そこの糞爺が喚いている隙に、背後から水を操って胸を突き刺した」
男の顔が歪む。
俺は続けた。
「馬鹿はお前だったな」
「お、お前えええぇえっ!!!」
全裸の男が激昂し、糞爺を投げ捨てて俺に飛びかかる。
その動きは速い。だが、遅い。
男の胸の傷から、黒い腐食が進行した。
水の棘に混ぜていた高濃度の腐食の呪力が肉を溶かす。
男の胸が崩れ、肩が落ち、腹が泡立つように溶けていく。全身が腐食に飲まれ、男は俺にたどり着く前に形を失った。
白い床に、何か黒いものが残る。
だがそれもすぐに溶け、黒い液体になる。
水に腐食を混ぜるのは、初めての試みだった。
だが成功した。
俺は左腕の欠損を治し、倒れた糞爺に手を貸した。
糞爺は立ち上がり、咳き込むように息を吐く。首をさすりながら、軽口を叩いてくる。
「……首が伸びるかと思ったぜ」
「そうか」
短く返した。
そして俺は思考する。
今、俺は人を殺した。
だが思った以上に、何も感じない。
相手がクズだったからなのか。
それとも、俺が呪霊だからか。
俺は拘束された術師たちの方を見た。
術師たちは顔面蒼白で命乞いを始める。
「俺たちは命令されただけだ!!」
「悪いのは全部あいつだったんだ!!」
「殺さないでくれ!!」
あの全裸の男が命令していたのだと、必死に主張する。
その姿を見て、俺の中に一つの考えが浮かぶ。
(こいつらも殺しておくか…?)
やろうと思えば簡単だ。
今なら、指一本で殺せる。
水球を圧縮して圧死させるだけだ。
その瞬間、脳内で声が響いた。
『そうだ、全員殺せ』
俺の声ではない。
もっと湿った声。
もっと汚い声。
それは俺の中に残っていた、"水虎"の残滓だ。
『老婆も殺せ。あの女も殺せ。最初から全て罠だったんだ』
腹の奥が熱くなる。
殺意が、呪いの形をして這い上がってくる。
『殺せ! 飲み込め! 蹂躙しろ!』
俺は水を操ろうとした。
術師たちを殺すために。
だが、その瞬間。
「やめとけ」
糞爺が言った。
声が低い。
いつもの軽口じゃない。
糞爺は俺を見て、真剣な眼差しで続ける。
「こんな奴ら、殺す価値もねぇ。無駄に手を汚すな」
俺は一瞬、動きを止めた。
糞爺は歩き出す。
扉の方へ向かいながら、笑うように言った。
「行こうぜ。呪具をかっぱらいに来たんだろ? ついでに、あのお嬢ちゃんも救っていくか?」
脳内の声が叫ぶ。
『そんなことは聞かなくていい!! 殺せ!!』
俺はその声を無視する。
『やめろ!! 俺はまだ消えたくない!! やめろォ!!』
俺は声を押し潰した。
意志の力で、水虎の声を沈める。
深い水底へ沈めるみたいに、声を圧で潰す。
声は抵抗した。
だが、あっけなく消えた。
俺は言った。
「ああ、それもいいかもな」
そして糞爺の後を追う。
術師たちはほっとした顔をした。
助かった、と顔に書いてある。
その瞬間、俺は水を圧縮した。
水球の中の水圧を、一瞬だけ上げる。
狙いは手足。
骨。
折れる音は水に吸収されて聞こえない。
だが、術師たちの顔が歪む。
次の瞬間、十六人分の絶叫が白い空間に響いた。
「ぎゃああああああ!!!」
「やめろおおお!!!」
水球の中で身動きできないまま、骨が折れる痛みだけが全身を走る。
俺は淡々と扉を開けた。
白い空間から出る。
背後で、絶叫が反響し続ける。
扉が閉まっても、叫びは薄く漏れ、通路の石に染み込むみたいに残った。
……これでいい。
殺してはいない。
だが、二度と逆らう気が起きない程度には、壊した。
俺は息を吐き、糞爺の背中──小さいのに、何故か大きく見えた背中を見ながら、次に奪うべきものを考えた。
主人公くん、童貞を捨てる。
オリジナル術師紹介
【染口透(そめぐちとおる)】
全裸の男。20代後半。ちなみに全身剃毛済み。
等級は準一級相当(呪力量だけなら一級相当だが、術師や呪霊相手の戦闘経験が浅く、実力的には準一級)。
階肚家の用心棒。特に階肚家に忠誠などは誓っていないが、金払いがいいので居着いている。零子のことを狙っていた時期もあったが、右手のことを知って狙うのをやめた。なお零子からは嫌われていた模様(目がいやらしいとのこと)。
術式は『透過呪法』
透明になって物体を透過できる(大体ヒロアカのミリオみたいな感じ)。また、自身が触れた存在にも透過を付与できる(主人公くんと糞爺が見えない手に掴まれて床をすり抜けたのもこのため)。呪力だけは透過できないため、無敵ではない(無下限は突破できないし、結界なんかも通り抜けられない)。
見ての通りかなりの強術式。五条悟が見たら何でそんな弱いのか聞きそう。ちなみに染口はこの術式を使って強盗や強姦を繰り返していたところを階肚家にスカウトされた。