呪霊王におれはなる!!   作:トックー0322

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前回とのサブタイトルの差よ。


第三十三話:黒衣の王子様

 

 

 

 地下空間を出た瞬間から、空気が変わった。

 

 真っ白い広間の、あの均一すぎる明るさが脳裏に焼き付いているせいか、廊下の灯りがやけに薄暗く感じる。大理石の壁は冷たく、足音が硬く返ってくる。どこを歩いても同じような角度の曲がり角、同じ高さの照明、同じ幅の通路。館の地下は迷路というより、記憶を削ってくる装置みたいだった。

 

 糞爺は俺の足元で小さく舌打ちしている。

 

 「ったく……最悪だな。あんな叫び声、しばらく耳に残るぜ」

 

 俺は返さず、呪力探知を広げた。

 

 今さらだが、最初からこうすればよかったと思う。

 

 動く呪力と、動かない呪力は違う。

 

 人は歩けば揺れる。呼吸でも揺れる。呪具や呪物は、揺れない。置かれた場所で“澱んでいる”。その澱みがいくつも重なっている地点が、いわゆる“呪具庫”だ。

 

 地下の奥。

 

 空間を出てから右に曲がって、二つ目の分岐を左。

 

 そこからさらに下。

 

 ……反応がある。

 

 俺はその方向へ歩き出す。

 糞爺が付いてくる。

 

 進む。

 

 曲がる。

 

 進む。

 

 同じ景色の繰り返しで、時間の感覚が薄れる。自分が今どこにいるか、壁の模様だけでは分からない。階段を降りたはずなのに、また同じ通路に戻ってきたような錯覚さえする。

 

 糞爺がぼそっと言う。

 

 「……おい。これ、本当に合ってんのか」

 

 俺は即答した。

 

 「合ってる」

 

 呪力の澱みが、確かにここにある。

 

 その澱みが、じわじわと濃くなっていく。湿度は感じないのに、皮膚の内側だけが濡れていくような感覚。呪力が集まっている場所は、空気が微妙に“歪む”。

 

 やがて、通路の突き当たりが見えた。

 

 そこにあるのは、分厚い鉄製の扉。

 

 館の内装の趣味から浮いている。無骨で、装飾がない。取っ手すらない。扉の横に小さな液晶パネル。指紋認証らしき部分があり、赤いランプが点灯している。

 

 糞爺が扉を見上げた。

 

 「……あの婆さんの言ってたこと、マジだったのかよ」

 

 そして首を捻る。

 

 「どうすんだ。指紋だぞ、とりあえず殴ってみるか?」

 

 俺は扉に手を置いた。

 

 冷たい鉄の温度が、こちらの熱を奪う。いや、熱だけじゃない。ここには結界に近い“仕組み”がある。扉そのものに術が仕込まれている。生半可な衝撃ではびくともしないだろう。

 

 俺は息を吐き、術式を起こした。

 

 水虎の術式。

 

 水を生み出し、操る。

 

 掌の前に水が生まれる。透明な水の塊が空中に浮かび、球になる。直径一メートルほど。水の表面が揺れ、薄い光を反射する。

 

 そこへ腐食の呪力を練り込む。

 可能な限り。

 

 透明だった水が、徐々に濁っていく。重油のような、墨汁のような、深い黒。それは光を通さず、向こう側が見えない。水面が不自然に粘り、波が遅くなる。腐食の呪力は、水の中で“牙”になる。触れたもの全てを噛み砕く。

 

 全裸の男を溶かした時より、さらに強い。

 

 今できる最大限。

 

 呪力をふり絞る感覚がある。神経を一本一本張り詰めるような集中。水球の形を保つだけで頭が疲れる。腐食を混ぜると、さらに難しい。水が暴れようとするのを押さえ込み、腐食が自分の術式を食い破ろうとするのを抑える。

 

 糞爺が呆れたように言った。

 

 「ほんと何でもありだなお前さんは」

 

 俺はゆっくりと返す。

 

 「これは、想像以上に、呪力と、神経を使う」

 

 余裕がないから、言葉も詰まる。

 

 コントロールが崩れないように注意しながら、黒い水球を扉へ運ぶ。

 

 表面が鉄に触れた瞬間、シュ、と軽い音がした。

 

 鉄が溶ける音は、普通はもっと鈍いはずだ。だが超高濃度の腐食の呪力が混ざった水は、鉄を“溶かす”というより“消す”。鉄が薄くなり、穴が開き、穴の縁が泡立つように崩れていく。

 

 焦げた金属の匂いが漂う。

 

 黒い水球は、その穴を広げながらじわじわ進む。

 

 俺は慎重に水球を制御した。広げすぎると中の呪具に影響が出るかもしれない。狙うのは人が一人通れるだけの穴。最小限。

 

 十数秒。

 

 その短い時間が、かなり長く感じた。

 

 そして、穴が開通する。

 

 向こう側の空間が見える。薄暗い部屋。冷たい空気がこちらへ流れてくる。呪力の澱みが、急に鮮明になる。

 

 俺は穴から中へ滑り込んだ。

 

 糞爺も続く。

 

 中は──やはり呪具庫だった。

 

 思ったより広い。

 

 棚がいくつも並び、ガラスケースや木箱が積まれている。吊り下げられた呪符。錆びた鎖。骨のようなものを束ねた飾り。刀剣類が並ぶ台座。壺や面、指輪、数珠。布に包まれた何か。などなど、いくつもの珍品が集まっている。

 

 どれも呪力を宿しているが、質はピンキリだ。

 

 弱いものは、古びた雑貨みたいに軽い。

 

 強いものは、そこにあるだけで存在を主張している。

 

 呪具や呪物は、人の欲と恐怖の集積だ。ただの展示品じゃない。呪力の呼吸をしている。

 

 糞爺が目を輝かせて棚に近づく。

 

 「うお……これ、なんだ? これ、触っていいか?」

 

 俺は即座に言った。

 

 「やめろ」

 

 糞爺は手を引っ込める。

 

 次の棚へ行く。

 

 「じゃあ、これは──」

 

 「やめろ」

 

 「じゃあ──」

 

 「やめろ」

 

 俺の口から同じ言葉が三回出たところで、糞爺が不満そうに頬を膨らませた。

 

 「つまんねぇな……」

 

 「子供かお前は」

 

 拗ねる糞爺を放置して、俺は棚を見て回った。

 

 呪力が強いものは、確かにある。

 

 だが、俺の術式は“自分より上だと思う相手”を食った時に、能力を奪う。

 

 ここにある呪物や呪具の中に、俺より上だと思える物は見つからない。やはり水虎玉を食って急激に強くなりすぎたのだろう。

 

 ここにある物を食っても呪力が増えるだけ。

 

 そして、その増える量もたかが知れている。むしろこれからを思うなら、自分の力量を上げすぎないために食わない方がいいまである。

 

 (……外れだな)

 

 そう思いかけた時、棚の一角で、何本もの猿の手が目に入った。

 

 木箱に詰められている。一本、二本じゃない。十本以上。乾いた皮膚が皺だらけで、指が不自然に曲がっている。一本一本が呪力を持っていて、それぞれ微妙に色が違う。黒ずんだもの、灰色のもの、黄ばんだもの。爪が伸びているものもある。

 

 老婦人は家宝だと言っていた。

 その割に、やけに多い。

 

 俺は内心で鼻を鳴らした。

 

 家宝って言葉は便利だな。たくさん数があっても“家宝”だと言い張れば貴重に見える。

 

 俺は他も見た。

 

 呪符が束ねられた木箱。

 

 赤い糸が巻かれた針。

 

 釘だらけのぬいぐるみ。

 

 骨の笛。

 

 どれも妙な気配はあるが、“特級”のそれではない。

 

 糞爺は壺型の呪具の意匠をまじまじと見ていた。

 

 「これ、作りがいいな……土の流れが──」

 

 呪具庫で芸術鑑賞を始めるな。

 

 俺は糞爺の首根っこを掴みたくなったが、堪えた。

 

 俺たちは出るべきだ。

 

 ここに長居すれば、また術師が来る。老婦人が別の手を打ってくることも考えられるし、零子のこともある。今は動くべき時だ。

 

 俺が糞爺を連れて出口へ向かおうとした、その時。

 

 棚の奥、猿の手が集まる場所の隣に、目が止まった。

 

 呪力は──あまり感じない。

 

 正確には、呪力の“量”は薄い。

 

 だが、雰囲気が尋常じゃない。

 

 そこだけ空気が澄んでいるようで、同時に淀んでいる。視界が僅かに揺れる。目で見た瞬間、喉の奥が乾く。呼吸が一拍遅れる。存在が静かすぎて、逆に異常だ。

 

 俺は近づいた。

 

 何枚もの呪符に包まれた、細長い何か。

 

 呪具庫の雑多な呪力の中で、そこだけ“異物”だった。

 

 俺は思わず呟いた。

 

 「これは……──」

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 消毒液の匂いが鼻を刺した。

 

 地下の一室。

 

 壁は白く、天井の灯りが眩しい。手術室のような医療器具が揃っていて、金属が整然と並んでいる。冷たい光が、物の輪郭を鋭くする。

 

 零子は寝台に寝かされていた。

 

 両手足は固定され、逃げられないようにされている。皮のベルトが骨に食い込み、少し動かすだけで痛い。だが痛みより、胸の奥の冷えの方が大きい。

 

 逃げる気は、もう失せていた。

 

 部屋には祖母と、手術着のようなものを着た男が一人いた。

 

 祖母は笑顔だった。

 

 あの笑顔は、零子にとっての恐怖そのものだ。

 

 祖母は言う。

 

 「零子ちゃん。これから移植手術を始めるわ。無意識に呪力で腕を守らないように……前回と同じく、麻酔はなしで行うからね。意識があるからって腕を守っちゃダメよ?」

 

 零子の喉が鳴る。

 

 祖母は申し訳なさそうなふりをして、続ける。

 

 「ごめんなさいね…。私だってホントは零子ちゃんに痛い思いはしてほしくないの。…でも零子ちゃんなら耐えられるって信じてるから!」

 

 信じている。

 

 その言葉が、いちばん酷い。

 

 前回の記憶が蘇る。

 

 肉を裂かれる激痛。

 骨を削られる異物感。

 いくら叫んでも、助けてくれない祖母。

 

 助けてくれない周囲。

 

 助けてくれない世界。

 

 息が浅くなる。

 過呼吸。

 

 胸が上下し、喉がひゅうひゅう鳴る。

 無意識に、涙が溢れた。

 

 祖母は零子の涙を見て、心配したような口を利く。

 

 「零子ちゃん、泣かないで……堪えるのよ……!」

 

 祖母の声はもう、届いていなかった。

 

 零子は考える。

 

 あの人は無事だろうか。

 

 自分の醜い腕を治し、希望を与えてくれた人。

 呪霊かも知れないが、零子にとっては、祖母と比べたらよっぽど人だった。

 

 ──あの人なら、もう一度自分を救ってくれるのでは。

 

 ……あまりにも都合のいい考えだ。

 こんなことを考える自分に吐き気がする。

 

 あの人はもう救ってはくれないだろう。

 

 自分はあの人に何も返せていない。何も返せなかった。助けてもらって、ただ縋って、最後は置いていかれた。いや、置いていくしかなかったのだ。

 

 あの人は今頃何をしているのだろう。

 

 死んでしまっただろうか。

 

 それとも、生きて逃げたのだろうか。

 

 逃げてくれてたらいいな。

 

 どんな形であれ、生きていてほしい。

 

 零子の願いは、祈りにもならず、喉の奥で溺れる。

 

 祖母が命令する。

 

 「じゃ、始めてちょうだい。抵抗しても構わなくていいから」

 

 男が頷く。

 

 手術着の男がノコギリを腕に当てた。

 

 刃が肌に触れる冷たさ。

 

 零子は涙を流しながら、それでもなお考えていた。

 

 あの人は──。

 

 その時。

 

 男が腹を押さえた。

 

 「…ぐっ…は、腹が…!?」

 

 顔色が変わる。

 

 あまりの腹痛に立っていられず、膝をつき、さらに前のめりに倒れた。

 床に額を打ち、呻き声が途切れる。

 

 気絶。

 

 祖母が動揺した。

 

 「な、なにをしているの!?」

 

 祖母の声に焦りが混じる。支配者の声が、初めて揺れる。

 

 その瞬間。

 

 部屋の扉が開かれた。

 

 零子は濡れた瞳で扉を見る。

 

 視界が滲んでいるのに、それでも輪郭が分かった。

 

 黒衣の姿。

 

 一度自分を救ってくれた存在。

 

 

 ──あの人が、扉の前で静かに立っていた。

 

 

 

 

 

 




堕ちたな(確信)。
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