呪霊王におれはなる!!   作:トックー0322

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第三十五話:陽光の告白

 

 

 手術室を出た瞬間、空気が少しだけまともになった。

 

 消毒液の匂いはまだ鼻に残っている。あの白い壁に反射した光景も、瞼の裏に貼りついている。だが、扉を閉めたことで少なくとも視界からは消えた。あの部屋は、精神を削り取るための装置みたいだった。

 

 俺は零子の歩幅に合わせて廊下を進んだ。

 

 零子は猿の手に呪符を巻き直していた。あの禍々しい“本物”の猿の手は、包帯を巻くみたいに丁寧に封じ直されている。いくら耐性があるとは言え、さっきのように抜き身で触れ続けるのはさすがに楽じゃないらしい。何度か指先に力が入らない瞬間が見えた。呪力の波が微かに乱れている。

 

 触れるだけで老婦人がミイラになった程の呪物だ、食うのは現実的じゃないな。

 

 零子の顔つきは落ち着いている。

 後悔しているようには見えない。

 

 だが、どこかで心が引きずられているのも分かった。

 

 祖母を殺した。

 

 自分の手で、命を奪った。

 

 それは超克であり、同時に“決定”でもある。戻れない場所へ自分から足を踏み入れた感覚が、たぶんまだ心に残っている。

 

 糞爺が俺の足元で小さくあくびをした。

 

 「なんだかなぁ……派手にやったなぁ、お嬢ちゃん」

 

 俺は零子の横顔を見た。

 

 返事はない。

 

 その沈黙が、答えだった。

 

 廊下を曲がったところで、気配が立った。

 

 殺意の線が、まっすぐこちらへ伸びてくる。

 

 だが、刺す気のない殺意だ。鋭いのに、温度がある。守るための刃だと分かる。

 

 そこに、一人の執事がいた。

 

 貴秀。

 

 紳士服に身を包み、鞘に納めた太刀を携えて立っている。廊下の壁際、影のように待機していた。背筋が真っ直ぐで、目が冴えている。呼ばれて出てきたのではなく、ずっと準備していた顔。

 

 零子の姿を見た瞬間、貴秀の強張った表情が緩んだ。

 

 「……ご無事でなによりです。零子お嬢様」

 

 口調は執事らしく穏やかなままなのに、どこかまだ力が入っている。

 

 零子が目を見開いた。

 

 「貴秀……!? どうしてここに……」

 

 俺が口を挟む前に、糞爺が鼻を鳴らす。

 

 「こいつな、地下で出くわしたんだよ。殺意ビンビンでよ」

 

 余計な言い方をするな。

 

 俺は短くまとめた。

 

 「貴秀さんが俺たちをここまで案内してくれたんだ」

 

 偶然の接触だった。地下通路を移動している時、太刀を携えた貴秀に出くわしたのだ。彼は見てわかるほどに殺意を漲らせていた。だが、狙いは俺じゃない。零子を奪い返すための殺意だった。

 

 自らを投げ打ってでも、零子を救うつもりだったのだろう。

 

 零子が貴秀を見る。

 

 「……貴秀。あなた……戦えたんですの?」

 

 貴秀は間髪入れずに答えた。

 

 「いいえ。全くでございます」

 

 それは誇張じゃなかった。自分の弱さを隠す気がない、そういった声。だが、貴秀は続けた。

 

 「しかし、それは諦める理由にはなりません」

 

 静かな声だった。

 

 けれど、そこに含まれる覚悟は硬い。頑固な岩みたいに、動かない。

 

 零子が小さく笑った。

 どこか自嘲気味に。

 

 「ご心配には及びませんわ。なぜなら……祖母は、わたくしが自分で殺したんですもの…」

 

 その言い方は、平静を装っているのが逆に分かりやすかった。

 

 貴秀は一瞬だけ目を伏せる。

 

 それから、軽く笑った。

 

 「…それは何よりでございます」

 

 声で分かる。

 

 皮肉じゃない。

 本心だ。

 

 零子が目を瞬かせる。

 

 「……貴秀。いま、本気で言いましたの?」

 

 貴秀は迷わず頷いた。

 

 「もちろんでございます。実は私は…昔から一子様のことは、あまり好ましく思っておりませんでした」

 

 そして、少しだけ声の温度が落ちた。

 

 「正直かつ率直に申し上げれば──人として軽蔑しておりました」

 

 零子が息を呑む。

 

 目の前の執事がそんな言葉を使うのを、初めて聞いたのだろう。

 

 貴秀は続ける。

 

 「ゆえに、私自身の言葉で言わせていただくならば……“ざまぁみやがれ”でございます」

 

 一瞬、沈黙が落ちた。

 

 俺は貴秀の顔を見た。

 

 そこにあったのは、階肚家の執事としての仮面じゃない。

 一人の娘を思う、親みたいな顔だった。

 

 零子が、口を押さえた。

 

 そして次の瞬間──大声で笑い出した。

 

 「なんなんですの、それ……! あなたがそんな口調を使うのは初めてみましたわ、貴秀!」

 

 笑い声が廊下に響く。

 

 遠慮のない笑い。

 心の底から出た笑い。

 

 さっきまでの人形みたいな零子は、そこにはいなかった。笑う顔は幼く、素直で、妙に眩しかった。

 

 貴秀は困ったように目尻を下げる。

 

 「……失礼いたしました」

 

 謝罪の言葉なのに、微笑が滲む。

 

 零子は笑いながら涙を拭き、最後に息を整えた。

 

 もう、迷いを引きずっていない顔だった。

 

 俺は内心で息を吐く。

 

 (……助かった)

 

 実の祖母を殺したという事実は消えない。だが、その事実の上で生きることはできる。その最初の一歩を、零子は自分で踏み出した。

 

 糞爺が俺の足をちょいちょい蹴った。

 

 「お前、見ろよ。いい感じじゃねぇか」

 

 うるさい。そういうことは言わなくていいんだ。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 昨日ぶりの階肚邸のエントランスは、やはり広かった。

 

 天井が高く、シャンデリアが朝の光を拾って煌めいている。床は磨かれすぎて、自分の影が薄く映る。壁には絵画。柱には彫刻。金を持っている家特有の、落ち着きのある圧。

 

 そこに、貴秀が立っていた。

 

 その周囲に十名以上のメイドたち。

 

 俺たちは今まで会わなかったが、普段はこのメイドたちが屋敷内の雑事を担っているのだろう。制服は揃っているのに、表情はそれぞれ違う。驚いている者もいれば、泣きそうな者もいる。目を赤くしている者もいた。

 

 ……零子は思っていたより慕われていたらしい。

 

 俺が関心している横で、糞爺がメイドたちをいやらしい目で見ている。

 コイツとメイドが会わなくてよかった。

 

 俺は足元を軽く踏んだ。

 

 糞爺が「いてっ」と小声で抗議する。

 

 零子はいつものゴスロリドレスに戻っていた。

 

 黒のレースとフリル。カチューシャに縦ロール。パラソルは今は持っていない。だが、その姿はもう“祖母の趣味の着せ替え人形”には見えなかった。自分で選んだ衣装として、とても似合っていた。

 

 零子が貴秀へ向き直る。

 

 背筋を伸ばし、凛とした声で言った。

 

 「貴秀。わたくしが不在の間、この家は頼みますわ」

 

 貴秀はかしこまって頭を下げた。

 

 「かしこまりました、零子お嬢様」

 

 メイドたちも一斉に頭を下げる。

 

 「「「いってらっしゃいませ、お嬢様」」」

 

 誰かが堪えきれず、小さく嗚咽を漏らした。

 

 零子はそれを見て、微笑んだ。

 

 強い微笑だ。

 慰めるのではなく、前を向かせる微笑。

 

 零子がこちらへ向き直る。

 

 「それでは、行きましょう」

 

 俺は頷いた。

 

 玄関の扉を開ける。

 外の空気が流れ込む。

 日の光が差し込む。

 

 まるで祝福するみたいに、暖かい。

 屋敷の中の白さとは違う。生きている光だ。

 

 俺は零子と糞爺を連れて外へ出た。

 背中に、幾つもの視線が刺さる。

 

 見送られるという感覚は、むず痒かった。

 

 俺はいつも追われる側だったから。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 階肚邸の庭を歩く。

 

 朝の空気は澄んでいて、芝の匂いがする。噴水の水音が遠くで鳴っている。鳥の声も聞こえる。ここが呪術師の家だと言われても信じられないだろう。普通の富豪の庭にしか見えない。

 

 俺たちは三人で門へ向かって歩いていた。

 

 だが、途中で零子が立ち止まった。

 

 俺も止まる。

 

 糞爺は何かを察したように、勝手に先へ行く。

 そして門の方まで一人で歩きながら、途中でこちらにサムズアップしてきた。

 

 かなりウザい。

 

 零子が俺を見つめる。

 日の光の中で、瞳が綺麗に見えた。

 

 黒いのに、奥に少し青が混じっているような色。

 

 零子は静かに言った。

 

 「……感謝申し上げますわ」

 

 声はいつものお嬢様口調だ。

 

 だが、言葉が飾りじゃない。

 本気だ。

 

 「わたくしを救ってくださったこと。祖母から解放してくださったこと……貴方がいなければ、わたくしはずっとこの家に囚われたままでした」

 

 俺は軽く返す。

 

 「気にしなくていい」

 

 本音だった。

 

 俺は努めて零子を救ったつもりはない。必要なことをしただけだ。自分のためでもある。仲間を増やすことは、俺にとっても呪霊王への道になる。

 

 だが零子は首を振った。

 

 「それでは、わたくしが納得できませんの」

 

 そう言って、小さな箱を取り出した。

 手のひらに収まる大きさの、黒い箱。

 

 蓋を開けると、中に二つの指輪が入っていた。

 

 装飾は少ない。

 

 だが、光り方が違う。

 

 金属の艶が深い。触れなくても呪力が感じられる。薄く、確かに“繋がり”を持つ呪力だ。

 

 零子が言った。

 

 「これは一日に一度だけ、お互いに連絡できる呪物でございますわ」

 

 俺は箱の中を見つめる。

 

 指輪。

 

 呪物。

 

 繋がり。

 

 俺はこういうものに慣れていない。前世の記憶もそうだが、自分をさらけ出して他者と繋がるという行為に対して未熟なのだ。

 

 だが、零子は続けた。

 

 「幼い頃、お父様からいただいたものでございます。大切な人が出来た時に渡しなさい、と」

 

 声が少しだけ揺れた。

 

 「祖母にバレぬよう、ずっと隠しておりました」

 

 俺は戸惑った。

 

 指輪を渡すという行為の重さが、呪物の性能より先に胸に落ちてきた。

 

 零子が言う。

 

 「……ずっと、諦めておりました。わたくしに大切な存在など出来るわけがない、と」

 

 視線が落ちる。

 

 でも次の瞬間、零子は顔を上げた。

 

 「けれど、違いました。わたくしを救ってくださり……共に行こうと手を差し出してくださった人が、いたのですもの」

 

 零子は小さく深呼吸した。

 

 胸が上下する。

 

 顔が赤い。

 

 それでも逃げない。

 

 そして言った。

 

 「わたくしは、あなたに恋をしております。どうか受け取ってください」

 

 言葉が落ちた瞬間、庭の音が少し遠くなった気がした。

 

 水音も、鳥の声も、風の匂いも、全部が一歩引いて、零子の声だけが残る。

 

 檻に閉じ込められてきた女が、初めて口に出す我儘。

 

 人形のふりをして、秘めてきた心の発露。

 

 俺は、返事がすぐに出なかった。

 

 なぜなら──俺は呪霊だ。

 

 人間とは違う。

 

 寿命も、感覚も、倫理も、何もかもズレている。俺の中には、まだ“食う”という衝動がある。抑え込んでいるだけだ。

 

 俺は言った。

 

 「俺は呪霊だ。気持ちには応えられないぞ」

 

 零子は泣きそうな顔で笑った。

 でも、その笑顔は強かった。

 

 「それでも構いませんわ」

 

 零子は指輪を差し出した。

 

 必死に。

 

 震える手で。

 

 俺は観念した。

 

 この女の勇気を、踏みにじるのは嫌だった。ここで拒めば、零子はまた“檻”に戻る気がした。祖母の檻ではなく、自己否定の檻に。

 

 俺は指輪を受け取った。

 

 金属は冷たい。

 

 だが、呪力が微かに温度を持っている。

 

 繋がりの呪力。

 

 零子が一粒の涙を零しながら笑った。

 

 「きっと、振り向かせてみせますわ…!」

 

 その笑顔が、日の光に照らされた。

 

 眩しいほどに、まっすぐだった。

 

 俺は思わず見惚れた。

 

 呪霊の俺が、日差しの中の人間に見惚れるなんて、皮肉だと思いながら。

 

 それでも、その笑顔から目が離せなかった。

 

 

 

 






オリジナル呪具紹介
【繋がりの指輪】

等級:四級

 見た目は装飾の少ない金属製の指輪。

 能力は一日に一度だけお互いに連絡できるというもの。効果時間は三分。また、サイズ調整の機能もある。

 零子の父親が10歳の誕生日プレゼントとして零子に対して贈ったもの。父親は娘に血なまぐさい呪術師の世界で生きてほしくはないと思っていた。呪術の関係ない世界で、娘を幸せにしてくれる人が現れますように、と最期の瞬間まで彼は願っていた。
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