呪霊王におれはなる!!   作:トックー0322

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日常回たくさん書きたいですねぇ


第三十七話:城と誤解と雪の気配

 

 

 昼食という概念が、俺の知るそれと違っていた。

 

 零子はおにぎりを“食べる”のではなく、“鑑定する”みたいに齧っていた。海苔の香り、米の甘さ、塩の輪郭──ひと口ごとに目を丸くして、世界が更新されていく顔をする。

 

 菓子パンを手に取った時など、もはや儀式だった。

 

 袋を開ける音にすら「繊細な音ですわ……」と呟き、ふわりと漂うバターの匂いを胸いっぱいに吸い込んで、それから恐る恐る齧る。甘さが舌に触れた瞬間、彼女の瞳は星みたいに光った。

 

 「……これは、奇跡ですわ」

 

 そう言いながら、二つ目を開ける。

 

 俺は横で、無言で見守る。別に止める理由もない。

 

 糞爺は後部座席で壺を抱えたまま、羨ましそうに見ていた。

 

 「お嬢ちゃん、いちいち美味そうに食うなぁ…俺まで腹減ってきたぜ。……まぁ俺は脱糞してるときの呪力の方が好きだが」

 

 「余計な情報を足すな」

 

 零子は「脱糞……?」と首を傾げたが、俺が視線で黙らせると、素直に菓子パンへ戻った。素直で助かる。

 

 昼食を済ませた後、車は昼の光の中を南へ南へと滑っていった。

 

 零子の運転は相変わらず荒い。荒いが、午前中の“殺意”は薄れた。俺が助手席で膝に手を置き、静かに「落ち着け」と言うだけで、彼女は露骨に速度を落とす。

 

 その落とし方が急なのは、まだ直っていない。

 

 糞爺は何度も座席に転がり、「首がいてぇよぉ…なんとかしてくれぇ…」と呻いた。首の心配をするならまず運転に文句を言えばいいのに、こいつは俺に言う。どうも女には弱いらしい。

 

 日が傾きはじめる頃、零子がハンドルを握ったまま少しだけ真面目な顔になった。

 

 「今夜は、どこかで休むべきですわ」

 

 車中泊でもいい、と最初は思った。

 

 俺も糞爺も眠る必要はない。零子だって、呪霊に比べれば脆いとはいえ、こうして一日動ける程度の体力はある。車の中は狭いが、耐えられないほどではない。

 

 ただ、厄介なのは人間社会の目だ。

 

 どこかの駐車場で黒塗りの高級車が一晩止まっていたら、おそらく目立つだろう。通報する奴もいるかもしれない。俺たちは“説明できない存在”だから、説明を求められた時点で面倒になる。

 

 それに零子は、俺の予想以上に“休むこと”にこだわった。

 

 今から5年前──猿の手を移植された当初、身体が鉛みたいに重く、すこしでも休息を怠るとすぐに死にかけていた、と彼女は淡々と語った。淡々としている分だけ、本当の地獄が透ける。

 

 「休息は贅沢ではなく、必要品ですの」

 

 俺はそれ以上反論できず、どこか泊まれる場所を探すことにした。

 

 だが、現在地である岩手県と宮城県の県境付近の道は暗く、周囲は山と畑と、時折見える集落だけだった。コンビニの光が遠ざかるほど、宿の気配も薄くなる。

 

 零子は速度を落とし、道端の看板を目で追い始める。

 

 「……あれは、宿泊可と書かれておりますわ!」

 

 彼女が指さした先。

 

 暗がりの中で、不自然に派手な光が瞬いていた。

 

 城のような形をした建物。いや、城の皮をかぶった何か。尖った屋根、誇張されたアーチ、やたらと艶のある壁面。照明の色が多すぎて、目が疲れる。

 

 俺の脳内で警報が鳴った。

 

 (……ラブホテルじゃねぇか)

 

 零子はその建物を見て少しテンションが上がっているらしい。

 

 「まぁ……! 洋風で、素敵ですわ。お城みたい……!」

 

 気づいていない。というより、知識がない。そういう種類の場所が存在すること自体、彼女の世界には無かったのだろう。

 

 俺は葛藤した。

 

 俺は呪霊だ。羞恥心とか、そういう感覚は薄い。薄いが、ゼロではない。今の俺たちの格好──黒ローブにフードの俺、ゴスロリの零子、これでラブホテルに入ったら、周囲の人間の脳内でどういう物語が生成されるか、想像するだけで胃が重くなる。

 

 糞爺が後部座席から弱々しく言った。

 

 「……もう…どこでもいい…早く…」

 

 見ると、糞爺はまたグロッキーになりつつあった。なんども揺さぶられ魂が抜けつつある。

 

 俺は短く息を吐いた。

 

 「……ここでいい」

 

 零子がぱっと笑顔になる。

 

 「では、参りましょう!」

 

 駐車場に車を止める。まだ夜更けでもないからか、駐車場は妙に空いていた。光に照らされたアスファルトが湿って見える。

 

 俺は周囲を素早く確認し、零子の肩を軽く押す。

 

 「急げ。見られると面倒だ」

 

 「……? はい、わかりましたわ」

 

 零子は首を傾げながらも、俺の勢いに押されて建物内へ入った。

 

 受付は無人だった。タッチパネルが一台、静かに光っている。人間の気配が薄い。宿泊客と鉢合わせる可能性も低いだろう。

 

 俺は画面を操作し、適当な部屋を選んだ。

 

 受付で人と対面することがない。これは便利だ。

 

 ……これからも利用するかもしれない、それだけの価値はある。と冷静に考えてしまった自分に、少しだけ嫌気が差した。

 

 俺はキョロキョロと辺りを見回す零子と糞爺を連れて、部屋へ向かった。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 部屋は意外と広かった。

 

 そして──意外と上品だった。

 

 もちろん、ラブホテルらしさはある。ベッドは無駄に大きく、天井の照明は間接光でやたらと艶っぽい。壁紙は濃い色で、金の装飾がさりげなく入っている。鏡の位置も、意味深だ。意味深すぎる。

 

 だが、全体としては落ち着いていた。

 

 零子は部屋の中を物珍しそうに眺めている。普段、城のような屋敷に住んでいたはずなのに、ここは別種の"豪奢"らしい。

 

 糞爺は入るなりダブルベッドへ飛び込んだ。

 さっきまでグロッキーだったくせに元気だ。

 

 「ベッドでけー!」

 

 跳ねる。

 転がる。

 

 「でも、お嬢ちゃんの家のベッドほど柔らかくねぇなぁ」

 

 「どこと比較してるんだ」

 

 俺は空いているソファに座り、息をついた。

 

 零子の運転にはだいぶ慣れたが、まだ体の奥に気持ち悪さが残っている。すこし休みたかった。

 

 当の零子が隣に座った。

 

 そして、少しずつ近寄ってくる。

 

 距離が縮まる。

 視界の端でこちらを見つめているのが分かる。

 

 俺が零子を見ると、彼女はぱっと視線を逸らした。誤魔化すように部屋を見回し、「広いですわね」「照明が美しいですわ」と、適当に何かを言い続ける。

 

 その視線が、目の前のローテーブルへ落ちた。

 

 リモコン。

 

 零子はそれを手に取った。

 俺の中の嫌な予感が、形になって喉へ上がる。

 

 「……おい、待──」

 

 止める前に、零子がテレビのスイッチを入れた。

 

 画面がつき──

 

 音が出た。

 

 そこそこ大きめの音量で。

 

 “そういった声”が。

 “そういった映像”付きで。

 

 零子がフリーズした。

 

 固まったまま、瞬きすらしない。顔が、ゆっくりと赤くなる。赤が、首筋へ流れ、耳へ溜まり、頬へ広がる。

 

 さっきまで落ち着いた雰囲気だった空間は、一瞬にして喘ぎ声が響く"本来の空間"に変わった。

 

 俺は固まった零子から即座にリモコンを奪い取り、テレビを消した。

 

 静寂が戻る。

 

 その静寂が、痛い。

 

 一瞬の出来事に糞爺でさえ驚いたようで、ベッドの上で目を丸くしていた。こいつが驚くのは珍しいなと、どこか他人事のように思った。

 

 零子は錆びついた人形のようにゆっくりと俺を見る。

 

 正確には俺と俺越しの大きなダブルベットを見ている。

 

 そして──理解したようだ。

 

 今いる場所が“そういった場所”だと。

 

 もともと赤かった彼女の顔が、タコみたいに真っ赤になった。

 

 「……わ、わ……わtくし…あにょ…その…知らなくてございましてですので…」

 

 言葉遣いがおかしくなる。お嬢様言葉のバランスが崩れ、語尾が迷子になる。動きもおかしい。両手を胸の前でわたわたさせ、目をぐるぐる回し、呼吸が浅くなる。

 

 俺は頭を冷やして落ち着かせる必要があると判断した。

 

 「…シャワーでも浴びてこい。頭を冷やせ」

 

 零子の瞳がさらに揺れる。

 

 「し、シャワー……!? そ、それは……その……! "そういう意味"ですわよね…!?」

 

 ……違う方向に捉えたな。

 

 零子は急に立ち上がり、俺に深々と頭を下げた。

 

 「わ、わたくし! そ、そういった経験はございませんので……どうか……ご指導のほどよろしくお願いいたします……!」

 

 「おい、待て…おい…」

 

 そして俺からの言葉も待たず、零子はいそいそとシャワールームへ向かっていく。

 

 そして扉を閉める直前に「の、覗いちゃ嫌ですわよ…!」なんて言い放つ。

 

 俺は微妙な顔になった。

 

 糞爺もさすがに苦笑いをしている。

 

 「……お前さん、罪作りだな」

 

 「黙れ」

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 零子がシャワーを浴びている間、俺は糞爺とこれからについて話した。

 

 俺たちが今南下しているのは糞爺の要望だった。

 

 当初は、仙台へ戻って宿儺の指へ再チャレンジする案も頭にあった。だが、羂索がこちらの存在に気づいていないとは思えない。一度手を出した場所へ戻るのは愚かだ。今度はもっと露骨に殺しに来る。

 

 糞爺は長野県へ向かいたいと言った。

 

 古い知り合いの雪女がいるらしい。

 

 河童の里で“一”が言っていた、一年ほど前に糞爺のことを探しに来た雪女のことのようだ。

 

 糞爺は珍しく渋い顔をした。

 

 「本当は、あんま会いたくねぇんだけどよ…」

 

 「嫌いなのか」

 

 「嫌いってより……おっかねぇ」

 

 糞爺が怖いと言うのは、相当だ。こいつは普段、怖がるふりはしても本気で恐れる顔はしない。俺が知る限りは真人くらいだ。

 

 「会わねぇのも、それはそれで後が怖いんだよ。あいつ結構根に持つからな」

 

 俺は糞爺の横顔を見る。

 

 小さな呪霊のくせに、少しだけ大きく見えた。こいつにも、背負っているものがある。今さらだが、俺は糞爺のことをほとんど知らない。

 

 俺は糞爺の過去について想像する。こいつは一体どんな呪霊だったのだろう。

 

 その時、シャワールームの扉が開く。

 

 零子が出てきた。

 

 バスローブを身に纏い、いつもの縦ロールは解かれている。腰あたりまで届く黒髪ロングが濡れて、肩に張り付いていた。水滴が、鎖骨の線をなぞって落ちる。

 

 顔が赤い。

 のぼせたのか、と見紛うほどに。

 息も荒い。

 

 そして、まっすぐ俺を見る。

 

 「饕餮様……次は、あなたが……シャワーを……」

 

 声が震えている。

 そして糞爺の方を見る。

 

 「おじ様には、少し席を外していただきたく……」

 

 糞爺が「おっ!」と嬉しそうな声を出しかけたので、俺は視線で制した。

 

 俺は冷静に言う。

 

 「別にそういうことをするつもりはないぞ」

 

 零子が、驚愕した。

 

 「……へ?」

 

 「ここは他に選択肢がないから選んだだけだ。そういった意図はない」

 

 零子は一瞬、口を開けたまま固まった。

 

 それから──へなへなと床へ座り込んだ。

 

 「……よ、よかったですわぁ……」

 

 全身から力が抜けるのが、目に見えて分かった。

 

 どうやら、さすがに“早すぎる”と思っていたらしい。なら最初から落ち着けと言いたいが、そういう教育を受けてきたわけじゃないのだろう。彼女の知識は本から得た断片的なもので、現実に触れたことがない。

 

 (箱入りにもほどがあるな…)

 

 俺が内心で呆れていると、俺たちを見た糞爺がニヤニヤしながら言う。

 

 「俺、出ていこうか? 2時間くらいでいいか?」

 

 俺はデコピンで答えた。

 

 「ぐぶぉっ!」

 

 糞爺が派手に痛がる。

 

 零子は顔を両手で覆って、しばらく固まっていた。赤い。ずっと赤い。バスローブの襟元まで赤い。

 

 俺は、見ないふりをした。

 

 そして──

 

 深夜。

 

 糞爺が寝静まった。呪霊は寝る必要はないが、こいつはよく寝る。寝るというか、意識を落としているだけかもしれないが。

 

 俺は窓際のソファで背を預け、目を閉じていた。

 

 ふと、テレビの方から微かな光が漏れているのを感じた。

 

 音量は最小限。

 

 それでも、耳のいい俺には分かる。

 

 “そういった声”。

 

 そして、くぐもった荒い吐息。

 

 俺は目を開けず、ただ息を吐いた。

 

 見てない。

 俺は見てない。

 見てないことにした。

 

 この旅は、まだ始まったばかりだ。

 

 雪の匂いがする長野へ向かう前に、俺たちは一晩、派手な城で誤解を燃やしながら休む。

 

 少しくらいの遠回りも悪くないのかもしれない、と。

 

 俺は自分の中の感情の輪郭を、そっと確かめるように沈めた。

 

 

 

 





零子ちゃんのことになると筆が止まらんねん!
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