呪霊王におれはなる!!   作:トックー0322

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【幕間】流れる車窓、硬い空間

 

【呪術高専所属 一級術師 縣由紀恵(あがたゆきえ) 視点】

 

 車は走っていた。

 

 冬の名残をまだ手放しきれない山の気配が、フロントガラスの向こうでじわじわと濃くなっていく。舗装された道路はまっすぐで、交通量も少ない。けれど景色は単調ではなかった。遠くの稜線は幾重にも折り重なり、その間に薄い靄が溜まっている。晴れているはずなのに、空の青はどこか冷たく、光は薄い膜を一枚挟んでいるみたいに頼りない。

 

 山の匂いがする。

 

 濡れた土、針葉樹の樹脂、まだ雪に触れた空気の鉄っぽさ。窓を閉め切った車内にだって、その気配は染み込んでくる。人間の目にはただの山だろうが、呪力の輪郭が見える者にとって、飛騨山脈は“景色”の域を超えている。

 

 ──飛騨霊山浄界。

 

 天元様の結界の中でも、とりわけ重要とされる場所。薄い膜のような境界が幾重にも重なり、そこだけ世界の密度が違うという。浄界自体が強い呪力を帯びており、周辺に呪力が集まりやすい“構造”になっているのだろう。川が水を集めるように、谷が風を集めるように。

 

 だから、呪霊が湧く。

 浄界内部には湧かずとも、周辺は魔境だ。

 

 定期的に高専から術師が派遣され、掃討が行われる。例年なら二級以下を複数名──それで十分、というのが常識だ。

 

 だが今年は違う。

 

 二級以下が十五名ほどに加えて、一級が一人。

 

 アタシだ。

 

 由紀恵は窓の外を見つめながら、指先で膝を軽く叩いた。一定のリズム。無意識の癖だ。昔から、待つ時間が長くなるとこうなる。

 

 待機命令。

 

 上層部の命令で動けず、ずっと都内の自宅に縛られていた。新宿での一連の“正体不明の存在”──あれが気になって仕方なかった。そもそも、アタシは任務が好きなのだ。危険が好きというより、仕事をしている時だけ、頭の中の余計な雑音が消える。

 

 だから、今回の動員は渡りに船だった。

 

 (やっと、発散できる)

 

 そう思った瞬間、胸の奥が熱くなる。嬉しい、と感情に名前をつけるのは簡単だ。でも、その下に積もっていた焦りや苛立ち、置いていかれる感覚──それらが一緒くたに溶けると、もっと複雑な感情になる。

 

 窓からの報告では、飛騨山脈全体で呪力が高まっているらしい。

 

 雑魚が群れたところで問題はない。多少呪力が濃くなったところで、低級が増えるだけ。掃討の手間が増えるだけだ。

 

 だが、呪力が高まる──というのが“地形全体”で起きているなら話は別だ。

 

 (特級クラスが出る可能性がある)

 

 特級は突然、ぽんと生まれる。理屈はあるが、理屈を積み上げても結論は同じだ。現れたら厄介なんてものじゃない。特に山は、逃げ場が少ない。地形が不利になりやすい。視界も悪い。音も読みにくい。血の匂いが残りやすい。

 

 それに──

 

 (“山の神”……)

 

 ここ数十年、姿を見せていないという存在。噂話の類だと切り捨てたいが、山脈全体で呪力が跳ねているという報告は、その噂に妙な現実味を与える。

 

 アタシは息を吐き、肩の力を抜く。

 

 気合は入れる。だが、力むのは違う。力むと視野が狭くなる。敵は山だけじゃない。部下のミス、情報の誤差、窓の恐慌──全部が事故の種になる。

 

 その“事故の種”のひとつが、今、隣に座っていた。

 

 アタシが横を向くと、後部座席の左側。そこに、小さく縮こまっている少女がいる。

 

 肩が上がっている。手が膝の上で固く組まれている。視線は窓の外へ向けているが、焦点が合っていない。呼吸も浅い。大丈夫な人間の姿勢ではない。

 

 「……三鈴ちゃん」

 

 声をかけると、少女はびくりと跳ねた。

 

 文字通り、背筋が跳ねる。まるで背中を叩かれた猫みたいに、全身が一瞬で緊張する。

 

 「…大丈夫?」

 

 由紀恵はできるだけ柔らかく、女性らしい響きを意識して言った。普段の私の声は冷たいと言われる。自覚はない。だが、こういう相手には自覚が必要だ。

 

 少女──美森三鈴(みもりみすず)は、視線だけをこちらに寄せる。

 

 「……も、問題、ないです」

 

 吃りながら言う。言葉が追いつかない。問題がないはずがない。

 

 美森三鈴。

 

 今回の異変を最初に感知した窓だ。呪術は扱えない。戦闘もできない。それでも彼女は、その並外れた呪力感知の才で、誰よりも早く“山の異常”に気づいた。

 

 逸材──そう言っていい。

 

 普段は都内の大学に通っていると聞く。なのに今月の初めあたりから、積極的に呪霊を見つけるために行動していたらしい。危険だ。窓は窓であって、術師ではない。守られる側にいるべきだ。

 

 それでも動いたのは、たぶん、強い正義心からだろう。

 

 (偉い。……でも、無茶だ)

 

 アタシは心の中でそう呟いた。

 

 少女は、まだ“こちら側”の現実に慣れていない。呪霊が見えることも、呪術師がいることも、結界があることも。知識としては飲み込めても、身体が追いつかない。

 

 それに──

 

 (こんなに縮こまって…やっぱり呪霊が怖いのね)

 

 

 由紀恵は気づいていない。自分の存在がどれだけ圧を持つかを。長身で、表情が硬く、目が冷たい。任務前は特に、呪力の流れが鋭くなる。無意識に“刃”が立つ。相手の気配を読むために、こちらの気配も張るからだ。

 

 三鈴が小動物みたいに縮こまるのは、当然だった。

 

 由紀恵がどうにかして落ち着かせる方法はないか、と考えたその時。

 

 三鈴が、前の助手席に座る存在へ、恐る恐る声をかけた。

 

 「……久遠さんは、大丈夫ですか」

 

 助手席の男──久遠大輔は、どこかくたびれた様子の中年だった。窓の補助として同行しているのか、あるいは現地の連絡係か。呪力はあまり感じない。術師なのだろうが、そこまでの実力ではなさそうだ。

 

 久遠は前を向いたまま、ぶっきらぼうに答えた。

 

 「大丈夫なわけないだろ…」

 

 声音が硬い。緊張している。

 

 アタシは当然だと思った。こんな規模の掃討戦だ。しかも、呪力が高まっている山。緊張しない方がおかしい。

 

 ……ただ、久遠の緊張は、“任務”への緊張だけではない気がした。

 

 さっきから、ちらりともこちらを見ない。見ないようにしている。なのに、こちらの殺気だけは敏感に感じ取っている。そんな動きだ。

 

 アタシは、柔らかい笑みを作った。清楚の皮。こういう時は役に立つ。

 

 「初めての大規模任務だと、緊張しますよね。でも心配しなくていいですよ。私がいます」

 

 自分で言っておいて、少しだけ笑いそうになった。

 

 “私がいる”という言葉が、慰めになると思っている時点で、我ながら図々しい。

 

 久遠は、バックミラー越しに一瞬だけこちらを見た。

 

 その目に、明らかな怯えがあった。

 

 (……あ、これ私にビビってる…?)

 

 気づいた瞬間、アタシは内心で舌打ちした。こういう空気は良くない。味方が萎縮すると、現場が崩れる。崩れた現場は、呪霊に食われる。

 

 久遠は言えないのだろう。「あんたが怖いんだ」と。

 

 だから曖昧に笑って、曖昧に頷いた。

 

 「……あ、はい。……頼りにしてます」

 

 愛想笑いが、余計に痛々しい。

 

 アタシは切り替えた。こういう時は“場”を変えるのが一番早い。

 

 運転席に目をやる。そこにいるのは、伊地知潔高。

 

 高専の同期だ。深い関係はない。だが、彼の人柄と仕事ぶりは知っている。あまり融通が利くわけではないが、理屈は通る。何より、空気を荒らさない。

 

 「伊地知、途中でコンビニ寄って」

 

 伊地知の肩がぴくりと動いた。緊張しているのか、運転に集中しているのか。たぶん両方だ。

 

 「え、ええと……寄り道は、あまり褒められたものでは……」

 

 敬語が崩れない。初めて会った時のままの、丁寧すぎる敬語。こっちが気を遣う。

 

 アタシは腕を組み、わざと軽い口調で返した。

 

 「堅いって。三鈴ちゃんも久遠さんも緊張してる。糖分でも入れた方がいいでしょ」

 

 そして、少しだけ眉を上げる。

 

 「それにさ。同期なんだからタメ口でいいってば」

 

 伊地知は困ったように頭を掻いた。あの仕草、昔から変わらない。

 

 「……すみません、癖でして……。えー……移動経路にコンビニがあったら寄ります。ですが、すぐに出ますからね」

 

 最後まで敬語だ。

 

 由紀恵は小さく息を吐く。呆れと、妙な安心が混ざった息。

 

 (なんでずっと敬語なんだろ。……まぁ、伊地知だしな)

 

 そう思った瞬間、三鈴が少しだけ肩の力を抜いたのが見えた。

 

 ほんの数ミリ程度の変化。だが、車内の空気がわずかに柔らかくなる。人間の緊張は伝染する。緩みも伝染する。

 

 アタシはそれを見て、心の中で小さく頷いた。

 

 目的地へ向かう道は、まだ長い。

 飛騨山脈では、呪力が高まっている。

 

 特級が出るかもしれない。

 

 “山の神”が現れるかもしれない。

 

 そして──

 

 こうして車内で縮こまっている少女は、これから“現実”をもっと見せられる。

 

 由紀恵は、窓の外へ視線を戻した。

 

 山の稜線は、さっきより近い。影は濃くなり、谷は深く見える。空気の冷たさも、増している気がした。

 

 (よし)

 

 小さく、誰にも聞こえないように呟く。

 

 (今度こそ、仕事だ)

 

 待機で溜めたものを吐き出すのは、戦場でいい。だが、吐き出し方は選べ。味方を萎縮させたまま山に入ったら、敵より先に自分が死ぬ。

 

 由紀恵は、意識的に肩の力を抜いた。

 

 清楚の皮を、少しだけ厚くする。

 

 それでも刃が漏れるなら、それはもう仕方ない。私は一級術師だ。刃を持っている。持っていないふりはできない。

 

 ただその刃を、誰に向けるかだけは、間違えない。

 

 車は走る。

 

 山へ、山へ。

 

 そして、コンビニの灯りが見えた瞬間、由紀恵は小さく口角を上げた。

 

 「ほら、伊地知。コンビニある」

 

 伊地知は、すぐに堅苦しい敬語で返した。

 

 「はい。では、少々停車いたします」

 

 由紀恵はまた悩む。

 

 (もうちょっと仲良くしたいんだけどな…同期だし…)

 

 そのどうでもいい悩みが、なぜだか今は少しだけ心地よかった。

 

 

 

 

 

 





久遠さんと窓ちゃんこと三鈴ちゃんのバディをまた出せて嬉しいです。
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