呪霊王におれはなる!!   作:トックー0322

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どしどし感想ください。モチベになります。


第七話:挑戦

 

 

 地下三階の空気が、俺のものになってどれくらい経ったのか――もう分からない。

 

 この世界に“朝”も“夜”もない。あるのは、呪力の濃淡と、腹の奥が満ちたり欠けたりする感覚だけだ。

 それでも、俺には確かな尺度ができていた。

 

 喰った数。

 喰った質。

 そして、食った感覚。

 

 最初は蝿頭一体を喰うだけで、吐き気みたいな嫌悪が全身を走った。

 次は、喰う前に震えが来た。

 その次は、喰い終わった後に、ほんの少しの満足感が残った。

 そして今――

 

 喰うことは、俺にとって呼吸みたいなものになった。

 

 地下二階の“影”を見てから、三階に落ちてくる蝿頭たちは変わった。

 ただ怯え、ただ逃げるだけの蝿頭は減った。代わりに、歪んだ蝿頭が増えた。

 

 羽がやけに硬い個体。

 脚の関節が増えて、蜘蛛のように這う個体。

 口器が太く短くなって、噛みつくというより削る個体。

 呪力の匂いに、あの影の粘つきが混じった個体。

 

 最初は怖かった。

 あの“毒”を喰ったら、俺の身体が壊れるんじゃないかと。

 でも、俺は学んだ。

 

 毒は毒のままじゃない。

 薄めて、慣らして、取り込めば――力になる。

 

 俺は巣を整えた。

 逃げてきた蝿頭が集まりやすい場所に、わざと隙間を作った。

 崩れた壁の陰、狭い通路の袋小路、天井の梁の裏――逃げ込めるように見せて、実際には逃げられない“餌箱”をいくつも作った。

 

 餌が集まれば、俺が狩る。

 狩られた蝿頭の呪力で、巣が濃くなる。

 巣が濃くなれば、さらに餌が引き寄せられる。

 

 この三階は、いつの間にか俺を中心に回る一種の“生態系”になっていた。

 

 そして俺自身も、蝿頭という名前の枠から、じわじわと逸脱していった。

 

 複眼は産まれた時の倍以上になった。

 複眼が増えたことにより、視界が“面”になった。暗闇でも輪郭が見える。呪力の揺れが線として走る。恐怖がどこに溜まっているかが、匂いじゃなく“色”みたいに分かる瞬間すらある。

 

 脚は太く長く、節は頑丈に。壁を削る爪が硬質化し、鉄骨に引っかけても折れなくなった。

 羽は静かになった。全力で羽ばたかせても、昔みたいにバタついて存在を知らせない。羽は推進装置であり、制御装置であり、隠密の道具になった。

 

 そして、何より――

 

 俺の中の呪力が、変わった。

 

 同族を喰って得た呪力は、軽い。量は増えるが、質は似通っている。

 だが影の味を含んだ変異体を喰うと、呪力の奥に“刺”が混じる。

 

 焼けるような腐食。

 肌の内側を撫でる冷たさ。

 触れただけで輪郭を削いでくる、あの粘ついた攻撃の気配。

 

 最初は痛かった。

 喰った瞬間、腹の奥が熱を持ち、脚の先が痺れた。

 だが、回数を重ねるうちに、痛みは“違和感”になり、違和感は“慣れ”になり、慣れは“理解”になった。

 

 理解できれば、制御できる。

 

 俺は、巣の奥で何度も試した。

 呪力を一点に集める。

 粘ついた質だけを引き出す。

 それを、床のひび割れに落とす。

 

 びちゃり。

 

 黒い雫が落ち、コンクリがじゅう、と小さく鳴る。

 

 ……腐食している。

 

 俺は、笑いたくなった。

 

 あの影の武器が、俺の中に芽を出しはじめている。

 完全じゃない。威力も弱い。だが確かに――“同じもの”を出せる。

 

 つまり、俺はもう、あの影の前で無力な餌じゃない。

 

「……そろそろだ」

 

 そう思った瞬間、身体の奥が静かに震えた。

 空腹でも恐怖でもない。

 決意のような、重たい振動。

 今すぐあの影を喰らえという本能。

 

 だが、俺は急がなかった。

 

 影に挑むのは、勝てると確信してからだ。

 俺の狩りは、ずっとそうだった。勝てる獲物だけを選び、確実に喰ってきた。

 

 だから最後に必要なのは、“勢い”じゃない。

 

 確認だ。

 

 俺はスロープの下、境界の手前に巣を広げた。

 二階の圧が降りてくる一歩手前。

 そこに身を潜め、何度も何度も、上から流れ落ちる空気を味わった。

 

 あの影が近づくと、空気が変わる。

 湿った圧が濃くなり、床が冷たくなる。

 三階の蝿頭たちは息を潜め、羽音を殺す。

 そして、俺の中の呪力も、勝手に固まる。

 

 “見られている”感覚。

 

 それに、どれだけ耐えられるか。

 

 最初は数秒で限界だった。呪力を沈めても、輪郭が削られるような恐怖が来て、俺は巣の奥へ逃げた。

 次は、十秒。

 次は、三十秒。

 次は、一分。

 

 そして今日は――

 

 影が境界へ近づいてきても、俺は逃げなかった。

 

 震えはある。

 嫌悪もある。

 だが、飲み込まれない。

 

 俺は天井の割れ目に張り付き、上を見た。

 二階の闇が、じっとこちらを覗いている気配がする。

 

 目はない。

 顔も曖昧だ。

 それでも確かに、そこには“意志”がある。

 

 狩る意志。

 壊す意志。

 支配する意志。

 

 そして、なにより――

 

 俺を餌として認識する意志。

 

 腹の奥が熱くなる。

 それは怒りではない。

 屈辱でもない。

 

 同じ“支配者”としての、矜持

 

「……見てろよ」

 

 俺は、喉の奥で振動を起こした。言葉にはならないが、意思は伝わる気がした。

 俺はここにいる。

 逃げない。

 喰われない。

 お前を喰う。

 

 影は、それに答えない。

 ただ、粘ついた気配が揺れた。

 

 ――相手が、試しに落としてきた。

 

 びちゃり。

 

 黒い雫が、スロープの壁を伝って落ちた。

 三階の床に当たった瞬間、じゅう、と腐食音。

 

 以前なら、それだけで俺は引いた。

 だが今は、違う。

 

 俺は呪力を集め、脚の先へ流す。

 硬質化した爪の表面に、粘ついた質を薄く纏わせる。

 

 そして、雫に触れた。

 

 ――痛い。

 

 それでも、耐えられる痛みだ。

 

 爪の表面が、じわりと溶ける。

 だが溶けきる前に、俺は呪力で固め直す。

 溶ける、固める、溶ける、固める。

 その反復で、腐食の感覚が“外”で止まる。

 

「……いけるな」

 

 俺は、理解した。

 

 影の腐食は強い。だが万能じゃない。

 呪力で“膜”を作れば、ある程度は受け流せる。

 少なくとも、触れただけで即死する類ではない。

 

 これでいい。

 

 必要な確認は揃った。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 巣へ戻ると、逃げてきた蝿頭が数体、隅に固まっていた。

 俺の匂いを恐れ、互いに距離を取りながら、じっとしている。

 

 餌だ。

 以前の俺なら迷わず喰っただろう。

 だが今の俺は、それを見て思った。

 

 ――もう、こいつらじゃ足りない。

 

 喰えば呪力は多少増える。

 だが増えるだけだ。

 影へ届くには、“質”が足りない。

 

 俺は蝿頭を食わず、放置した。

 

 餌が生きている限り、巣は回る。

 俺がいなくても、蝿頭同士で喰い合い、勝手に“質”が混ざっていく。

 俺は、収穫するだけでいい。

 

 狩りは、巣作りの延長だ。

 支配は、狩りの延長だ。

 

 そして、その延長線上に――二階がある。

 

 俺は、巣の一番奥へ向かった。

 そこには、俺が積み上げてきた“残り香”が濃く溜まっている。喰った呪霊の残穢、腐食の練習で溶けた壁、削られた鉄骨。全部が俺の歴史だ。

 

 俺は、その中心で静かに呪力を整えた。

 

 広げすぎない。

 荒れさせない。

 一点に凝縮する。

 

 それは戦うための準備であり、同時に――

 

 俺自身の輪郭を確かめる儀式みたいなものだった。

 

 俺は蝿頭だ。

 そう言い切るには、もう形が違う。

 

 俺は何だ?

 

 その答えは、まだ名前にならない。

 だが、名前なんて後でいい。

 

 大事なのは、俺が“上へ行く”意志を持っていることだ。

 

 そして、上へ行くために必要なのは――

 

 ()()()()

 

 俺はゆっくり立ち上がった。

 

 脚が床を掴む感覚が、前より確かだ。

 羽を震わせても、音はほとんど漏れない。

 呪力の流れは滑らかで、腐食の質も引き出せる。

 

 俺はスロープへ向かった。

 

 歩くたびに、巣の空気が背中を押すように感じる。

 まるで、“行け”と言っているみたいに。

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 スロープの下に立つと、二階から冷たい圧が流れてきた。

 

 まだ、いる。

 

 しかも近い。

 境界の縁に、あの影がいる。

 

 俺は、上を見上げた。

 暗闇の向こうで、粘ついた気配がうごめいている。

 

 ……喰われる側のときは、見上げるだけで絶望だった。

 でも今の俺は違う。

 

 見上げるのは、恐怖じゃない。

 

 標的を定めるためだ。

 

 一段、上る。

 呪力を沈め、輪郭を薄くしながら、しかし芯だけは固く保つ。

 二段、上る。

 

 床の腐食痕が増えている。

 二階から落ちた雫が、通路を汚している。

 匂いが濃い。

 

 俺は、爪の表面に膜を作った。

 粘ついた質を薄く纏わせ、腐食に対抗する準備。

 

 三段、上る。

 

 視界が開けた。

 地下二階の暗闇が、俺を飲み込もうと待っている。

 

 蝿頭の残骸。

 溶けた跡。

 黒い水たまり。

 

 そして、そこに――影。

 

 あの歪んだ輪郭。

 割れた口。

 床に垂れる粘糸。

 

 以前よりも、はっきり見える。

 俺の視界が進化したせいか、影の輪郭が濃くなったせいか――どちらでもいい。

 

 影は、動かない。

 ただ、そこにいる。

 

 俺が来るのを知っていたみたいに。

 

 “見られている”感覚が、刺さる。

 

 だが、刺さっても倒れない。

 

 俺は一歩、踏み出した。

 

 床が、ぬるりと湿っている。

 粘液だ。

 腐食の匂いが鼻腔の奥に絡む。

 

 影の口が、わずかに開いた。

 

 びちゃり。

 

 黒い雫が、俺の足元へ落ちる。

 じゅう、と床が鳴る。

 

 俺は避けない。

 膜を作った爪で、雫を叩き払った。

 

 ――痛い。

 

 だが、耐えられる。

 

 影の気配が、揺れた。

 驚きか、苛立ちか、あるいは――興味か。

 

 俺は、そこでようやく確信した。

 

 こいつは俺を餌として見ていた。

 だが今は、餌ではないと気づきはじめている。

 

 つまり――

 

 戦いになる。

 

 俺は羽を震わせ、低い振動を喉の奥から絞り出した。

 宣戦布告代わりだ。

 

「……今度は、逃げない」

 

 影が滑るように動いた。

 床の粘糸が引きずられ、黒い水たまりが揺れる。

 空気が重くなる。

 腐食の匂いが濃くなる。

 

 俺の呪力が、一点に凝縮する。

 

 逃げない。

 退かない。

 狩る。

 

 俺は一歩、さらに踏み込んだ。

 

 影との距離が、決定的に縮まったところで――

 

 世界が、戦闘の音で満ちる直前の、張り詰めた沈黙に変わった。

 

 ここから先は、俺の狩りの時間だ。

 

 そして俺は、迷いなくその沈黙を破るために、爪を構えた。

 

 

 

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